不殺生戒①
宇和島から、車で一時間程度の入り組んだ海岸線に、小磯という場所がある。
海に突き出た半島になっており、海側から近づけば島のように見える。昭和初期には漁港と小さな漁村があり、村人は漁業を生業としていた。高度経済成長期に、村人の流出が相次ぎ廃村となった。
国道二六九号線から海岸沿いを走る県道へ分け入り、市町村道、林道へと分け入る度にどんどん道が細くなる。やがて林道が尽き、そこからは村があった当時使われていた街道跡を行くことになる。雑草が生い茂っているが、長い間使われていなかったにしては轍の跡がくっきりと残っていた。最近、かなりの通行量があった証だ。
街道を行くと、小磯の廃村へと行き着く。
獣しか通わぬような場所に大勢の人間が押し寄せていた。
陸側から来ると街道跡は真新しいコンクリート塀で行き止まりとなっていた。黄鶴楼と呼ばれた屋敷の塀だ。もともと街道は屋敷のあった場所を通って、港へと繋がっていたはずだ。それが屋敷により分断されてしまっていた。
港からの道は屋敷で行き止まりとなっていた。
「ここを五主島に見せかける為だったかもしれませんね」と阿佐部は言う。
一方、宇和島側からやって来るとコンクリート塀に突き当たるが、壁に階段状に切られた箇所があった。壁を乗り超えると築山があって他の場所より高くなっている。簡単に壁を乗り超えることが出来た。
「海からやって来た人間にとって、ここは逃げ場の無い孤島、密閉された空間、密室にいるようなものです。ところが実際は、密室の一部が開かれた状態でした。外部から簡単に侵入することが出来た」
黄鶴楼のある場所は絶海の孤島ではなかったし、秘密の抜け道で外部と通じていた。巨大な密室ではなかったのだ。
水陸両方から集まった警察関係者により、瓦礫の山となった黄鶴楼の掘り起こし作業が行われていた。阿佐部たちが発見した白骨は直ぐに掘り出され、人骨であることが確認された。
柴崎の供述によれば水谷の遺骨のはずだ。
遺体は奇妙な服を着ていた。前掛けだ。文字が書かれており、判別することができた。不妄語戒と読めた。
全てが柴崎の供述通りだった。供述に対する信憑性が高まった。他に遺体がないか発掘を続けることになった。供述通りなら更に四体の遺体が発見されるはずだ。
孤島から戸板に乗って逃げ出したはずの柴崎が、運よく漁船に保護された訳が理解できた。柴崎は半島の先から沖に漕ぎ出しただけだ。陸の近くの海を漂っていただけだったのだ。
建物は粉々に粉砕されていた。
山肌を削って造成した土地がわずかに西に向かって傾斜していた為、塔は屋敷の西側に向かって倒れたようだ。この為、屋敷の入り口部分から東側部分にかけては、比較的、瓦礫が少なかった。とは言え、屋敷は一階が二階に押しつぶされた格好になっており、瓦礫を取り除くのが大変だった。僅かに入口付近、ロビーの辺りは吹き抜けになっていた為か瓦礫が少なかった。ここから瓦礫の撤去作業が始まった。
そして、ここで二体目の遺体が発見された。
玄関部分は比較的、爆破による影響が少なかった。壁と階段に挟まれた為、瓦礫に押しつぶされることなく、ほぼ完全に近い形で遺体が見つかった。柴崎が殺害した村田という男のはずだ。生き残った二人は、ここで決闘をし、柴崎が村田を刺し殺した。
やはり遺体は前掛けをしていた。不殺生戒、前掛けにはそう書かれていた。
この遺体が事態を更に複雑にする。
柴崎の証言通りなら、更に遺体は増えることになる。連続殺人事件だ。県下を、県警を揺るがす大事件となった。
折り悪く愛媛県警は別の大事件を抱えていた。
鈴木雅哉という男が都内で恋人を殺害して逃走、全国に指名手配されていた。四国に逃走したという情報がある中、松山市内でコンビニ強盗が発生、レジに残った指紋が鈴木のものと一致した。県警は大騒ぎになった。
「愛媛県警の名にかけて、鈴木を確保しろ!」幹部からの激が飛んだ。県内で鈴木の身柄を確保できれば愛媛県警の実力を天下に見せつけることができる。鈴木を追って捜査員が県内を駆けまわっていた。
鈴木の確保に忙殺されている最中に連続殺人事件の発生だ。捜査環境は厳しさを増すだろう。捜査員が頭を抱える中、ある噂が県警内に流れた。
遺体から採取されたDNAが意外な人物と一致したというのだ。箝口令が敷かれているようで、意外な人物の正体はマル秘扱いとなっていた。
阿佐部と近藤は、遺体を発見した経緯から連続殺人事件の担当となった。同僚の刑事たちから「精々、頑張って犯人を捜してくれ。俺たちは靴底、すり減らして鈴木を追うから」と嫌味とやっかみを込めて、そう言われた。
「言いたいやつには言わせておけ」と近藤は嬉しそうだった。
一課では他に、高橋と山岡の若手コンビ二人が、黄鶴楼連続殺人事件の捜査に振り分けられた。
高橋岳は気の良い若者で、何時も冗談ばかり言っている。阿佐部のことを尊敬しているようで、「阿佐部さんと話す時は緊張してしまう」と周囲の人間にこぼしているようだ。近藤曰く、「阿佐部も若い頃は目立たない刑事だった」と言ってやると喜んでいたそうだ。がっしりした体格で背が高く、太い眉毛がりりしい。山岡祐太郎とコンビを組んでいる。
山岡は高橋の三つ下、若手の二人がコンビを組んでいる。高橋はもともと年配の刑事とコンビを組んでいたが、定年で退職となり、代わりに山岡が配属されて来た。普通ならベテランの近藤か阿佐部が、教育係を兼ねて山岡とコンビを組むのだが、近藤の性格の難しさからパートナーは阿佐部以外に考えられなかった。この為、山岡は高橋とコンビを組むことになった。山岡は現代っ子らしく細身でスタイルが良い。典型的な日本人体形の高橋とは正反対だ。刑事は人の印象に残らない方が良いが、その意味で山岡は適任と言えた。薄い眉毛以外、これといった特徴の無い顔で印象が薄い。




