蟲毒②
海上を漂流していたことについては、クルーズ船から転落してしまい、近くに見えた島まで泳いで行った。島は無人島だった。そこで戸板を見つけた。何日、待っても助けが来ないので、仕方なく戸板に乗って海に出た。そう話した。
港に着いてから、直ぐに病院に搬送された。
二、三日は意識があったり、無かったりした。腕の切り傷以外、主だった外傷はなく、脱水症状と栄養失調による体調不良だった。点滴を受けている内に体力を取り戻した。
柴崎が回復したことを知り、最寄りの警察署から警察官が事情を聴きに来ることになった。それを知って柴崎は病院を逐電した。
「俺は人を殺した。警察につかまりたくなかった。入院費用にしても、払えるあてがなかった。踏み倒して逃げるしかなかった」そう柴崎は言っていた。
逃げ出してみたものの、無一文だ。柴崎は浮浪者となった。
都内、大田区のアパートの二階に部屋を借りていた。そこに帰るという選択肢もあったが、いつ何時、自分が犯した罪が明るみになって警察に逮捕されるか分からない。何せ人を殺しているのだ。帰るに帰れなかった。
最初は気楽だった。金がないので置き引きに窃盗など、なんでもやった。人を殺しているのだ。今更、罪がひとつ、ふたつ増えても気にしなかった。軽犯罪を繰り返しながら、宇和島市内から松山市へ移動した。都会であればあるほど人目につきにくい。
ところが、数日前から、視線を感じるようになった。辺りを見回すと、近くに停まっていた車が急発進したりした。最初は気のせいだと思ったが、逃亡者だ。感覚が鋭くなっている。夜間に後をつけられたり、ねぐらの周辺で人の気配を感じたりすることが何度かあった。
――殺される!
直感がそう訴えていた。
柴崎以外に生き残ったやつがいた。それは日野や村田が前掛けをしていたことで明らかだ。そいつが犯行を隠す為に柴崎の命を狙っている。
いや、島で死んだ五人の関係者かもしれない。柴崎が彼らを殺したと思い、復讐を企てている。いやいや、柴崎たちを島に送ってくれた黒髭の船長かもしれない。食糧の補給に行って黄鶴楼が消滅しているのを見た。そして、柴崎が島から逃げ出したことを知って追いかけて来た。
村田の殺害は正当防衛だ。そのくらい、柴崎にも分かった。だが、残念ながら、それを証明することが出来ない。証拠は全て瓦礫と化した。
迷ったが殺されるくらいならと愛媛県警に駆け込んだ。
そして、死んだ。
「浮かない顔をするな。あの時点でやつの話を信じる根拠なんて無かった」と近藤は言う。
証言だけ聞いて虚言だと判断し、県警を放り出した訳ではない。ちゃんと裏を取っていた。建築確認申請を確認したところ五主島に巨大な塔が建てられた記録など無かった。それでも念のために、水上警察に頼んで五主島に確認に行ってもらった。阿佐部たちが見た通りだ。何も無かった。
結果、柴崎の話は虚言だと判断して釈放した。
「柴崎の証言で、ひとつ気になったことがあったのです」
「何だ?」
「近藤さんは覚えていませんか?矢野治の事件を――」
矢野治は五主島の出身、島人が島を離れた際に、一緒に宇和島港に移住した。その矢野が家族を殺害して逃亡するという事件があった。
「ああ~あれね。それがどうした」
「私が刑事になる前の事件でしたので、詳しくはありませんが、近藤さんはご存じなのでは?」
「先輩から聞いたことがある。矢野が逃げ込んだのは五主島じゃなくて、鬼ヶ城山だという話だった。そういう情報があって山狩りが行われた。丁度、冬の寒い時期で、寒くて大変だったそうだ。山で遭難しかけた人もいたくらいだ。でも見つからなかった」
「結局、鬼ヶ城山ではなく、宇和島市内に潜伏していたのでしたよね。調べました。市民からの通報で潜伏が知れ、確保されました。矢野が逮捕されるまで一年近くあったようですので、尾ひれがついて、噂が独り歩きしてしまったのでしょう。五主島に逃げ込んだというのも、そのひとつのようです」
「都市伝説だな」
「よそ者の柴崎が昔の事件のことを知っていたとは思えません。誰かから聞いた」
「そうなるな」
近藤は甲板作業を行っていたテルと呼ばれる若者に声をかけた。「この辺りで巨大な塔が建っていた島はないか? 蟹みたいに軒先がぎざぎざとした塔だ」
テルは甲板作業の手を休めずに答える。「蟹みたいな巨大な塔? いやあ~島では見たことがないかな~」
近藤が言葉尻を捉まえて言う。「うん。どういうことだ? 島ではって。島じゃなければ塔が建っていたってことか?」
「うん。島じゃなければ見たことがあるよ」とテルはあっさり答えた。
「見たことがある~⁉」
阿佐部と近藤は同時に声を上げた。
「ああ。でも島じゃないよ。岬にあったんだ。それが、ある日突然、無くなった」とテルは言う。
「何だって! それ、詳しく教えろ」
近藤が掴みかからんばかりにテルに詰め寄る。テルが二歩、後ずさった。
豊後水道の愛媛県側は宇和海と呼ばれており、入り江が混じった複雑なリアス式の海岸線になっている。宇和海の奥、宇和島湾は、日振島を始めとする大小様々な島と北は佐田岬半島、南は由良半島に囲まれている。
そういった半島のひとつに塔が建っていたと言う。
「滅多に、あの辺は通らないけど、半年くらい前かなあ・・・塔に気がついて、次に通った時にはもう無くなっていた」
宇和島港の近くだと言う。近藤は港に寄港する前に、寄ってくれと怒鳴るようにして頼んだ。
漁船は宇和島港を目指して進む。
阿佐部も近藤も、船室で黙り込んだままだった。柴崎の証言は正しかったのか? 本当に陰惨な連続殺人事件が起きたのか? あの時、柴崎の証言を信じずに放り出してしまったことは正しかったのか? 柴崎は殺されたのか? 様々な思いがぐるぐると頭の中を渦巻いていた。
小一時間、洋上で揺られた後、「見えて来ましたよ」とテルが呼びに来た。二人は船室を飛び出した。
島だ。島が見える。
「おい。島が見えるぞ」と近藤が言うと、「あれ、島じゃないんです」とテルが訂正した。
「島じゃない!」阿佐部と近藤が声を揃えた。
「この辺りの海岸は海に突き出た半島が多いんだよ」
「あれが半島⁉ 島じゃないのか」
辺り一面、海で、洋上にぽつんと島が浮かんでいるように見える。
「ううん。あれ、陸続きの半島だよ。この方向から近づくと確かに島に見えるね」
なるほど。島影のようなものは実は陸なのだ。柴崎の話から、てっきり島だと思い込んでいた。島を探していたので見つからなかったのだ。柴崎自身も島だと信じて疑わなかったようだ。




