蟲毒①
見渡す限り水平線しか見えない。
宇和島港で借り切った漁船は風を切って海面を滑るように進んでいた。
「蟲毒って知っているか?」舳先に立って水平線を見つめる近藤が、振り返りもせずに阿佐部に尋ねた。
「コドク? 独りぼっちの孤独のことですか?」
「違う。虫を三つ書いて、ポイズンの毒で蟲毒だ」
「虫三つ? 知りません。そんな漢字があるのですか?」
近藤は小難しい話が大好きだ。
「ある。木が三つで森、車三つで轟だろう。日が三つで晶だし、虫が三つの漢字もあるんだ。蟲毒ってな、毒虫を百匹、ひとつの器の中に放り込んで最後に生き残った一匹から取った毒のことだ。強力な毒で人を殺すことができるらしい」
「へえ、その蟲毒がどうかしたのですか?」
「柴崎がその最後に生き残った一匹の毒虫のような気がしただけだ」
「なるほど。無人島に極悪人を放り込んで、最後に生き残った一人って訳ですね。柴崎は最強の悪党なのかもしれません」
愛媛放送局を訪ね柴崎の証言映像を確認した。そして、阿佐部と近藤は五主島に向かうことにした。もう一度、柴崎の証言を確かめる必要があると感じたからだ。
宇和島港で漁船をチャーターした。
捜査費用で落ちるかどうか、ちょっと心配だった。自腹となると痛い出費だ。
小ぶりな漁船だ。港で若者が阿佐部たちを待っていた。阿佐部の姿を見つけると、身のこなしも軽やかに甲板から埠頭へ降り立った。
「こっちです~刑事さん」
若者が手を振る。日焼けした顔に白い歯が映える。満面の笑顔だ。照れ屋なのかもしれない。短く刈った髪が天を向いて逆立っている。細い眉毛に細い顔、体つきも細くて、線のような若者だ。
「テル! 皆様を船に乗せてさしあげろ。直ぐに出航するぞ」
船室から中年の男が顔を出した。船長だ。日焼けした顔が真っ黒だ。もじゃもじゃの頭に白いものが混じっている。色黒さを除けば、漁師というより学校の先生のような風貌だ。
テルと呼ばれた青年の手を借りながら、ゆらゆらと揺れる漁船に乗り込んだ。後から乗り込んだ近藤の足が埠頭を離れた時には、船は既に動き出していた。
どうやら気の短い船長らしい。
慣れた操舵で、船は宇和島港を後にした。
こうして小一時間、海の上を走っていた。見渡す限り海面が広がるだけだ。不安になった阿佐部は操舵輪を握る船長に「五主島はまだですか?」と尋ねてみた。
船長は「もうじきだ。ぼちぼち、島影が見えてくる頃だ」と答えた。そして、「ほら、あそこ。島が見えてきた」と海上を指さした。
だが、何も見えなかった。
「何処ですか?」
「ほら、あそこ」と会話している内に阿佐部の目にも島影が見えて来た。
柴崎の話から、海上に突き出た屏風のような島を想像していたが、目の前の島は海の上に大地が乗っかっているように見えた。思い描いていたおどろおどろしい雰囲気は感じられなかった。
「あれが五主島ですか?」
「そうだよ」
「昔、島では海賊やその家族、女、子供まで皆殺しにされたらしいですね」と船長に聞くと、「皆殺し?さあ、そんな話、聞いたことない。海賊が住んでいたんで、海賊島って言われていたことはあったらしい。そもそも、そんな呪われた島に、戦後、人が移り住む訳ないだろう」と冷たく返された。
島影はどんどん大きさを増して行く。島の埠頭が見えてきた。
「やはり違うな」舳先で足を踏ん張っていた近藤が呟く。
「違いますね」
阿佐部が答える。柴崎の話だと、島の埠頭は地震で崩壊しており、船が近づけなかった。目の前の埠頭は、かなり古くはなってはいたが、地震で崩壊した跡は見られなかった。
船長が巧みに操舵し、粛々と漁船と埠頭に寄せた。ボラードにロープを掛けて漁船を係留する。阿佐部と近藤は島に上陸した。
確かに昔、島に人が住んでいたようだ。港の周りに廃屋だろう、空き家となった民家が点在していた。柴崎の証言と同じだ。
「柴崎の証言通りですね」
「そうか? 港に周りに朽ち果てた民家がある点は同じだが、やつの話では港はすり鉢の底にあって、港からV字に道が伸びていたはずだ。ここは港から真っすぐ道が伸びているだけだ。何処の島だって、港の周りに民家がある」
無人となった民家の町を抜ける。
町を通り抜けると、高台となった場所に学校だったのだろう、鉄筋コンクリート建ての建物が見えてきた。公民館と一緒になっていて島の行政の中心だったようだ。
二人はのろのろと坂を登って行った。
「段々畑なんてありませんね」
柴崎の証言では民家を抜けると、雑草の生い茂る段々畑の跡があったはずだ。
坂を登り切る。かつては校庭だった場所に出た。土地の限られた場所だ。校庭は気の毒になるほど狭かった。だが、島の人間にとっては貴重な広場だったことだろう。校庭の片隅には島の電力を一手に担っていた発電所があった。まさにここが島の心臓部だったのだ。
港から続いた村はここで行き止まりになっていた。
「高い塔を持った屋敷なんて、ありませんね」
「崩壊の跡もない。まあ、ここは柴崎が言う五主島じゃないことくらい、最初から分かっていたことだ」
近藤が吐き捨てる。
ここに柴崎の証言通り、瓦礫の山が広がっていたら、大事件として捜査が行われていたことだろう。五主島は柴崎の証言とは似ても似つかない平和な無人島だった。だから、阿佐部も近藤も、柴崎の証言を虚言だと見なして愛媛県警から放り出したのだ。
愛媛放送局でも柴崎を拾い、インタビューを撮ったものの、五主島に確認に来て証言の信憑性を疑ったようだ。結局、柴崎を保護することなく追い出してしまった。
「近藤さん。念のため、もう少し島を探索してみますか?」
「もう、良いだろう。船長の話だと人が住んでいたのは港の周りだけらしい。帰りに船で島の周りを一周してもらおう」
阿佐部と近藤は漁船に戻った。港を出て島を一回りしてもらったが、巨大な塔が爆破され、倒壊した形跡は見つからなかった。無駄足だったようだ。こうなると船賃が痛い。
やはり柴崎の証言は虚言だったのだろうか。柴崎は命を狙われていると言っていたが、単なる交通事故死だったことになる。
島を逃げ出してからの柴崎の足取りは確認してあった。
黄鶴楼が爆破された後、柴崎は戸板に乗って海へ漕ぎ出した。数日、海上を漂流したようだ。もうダメだと観念し、意識を失った。そして、気がつくと、漁船に拾われていた。
漁船では島での出来事を黙っていた。




