第3話 そんなに愛に飢えているのかああああ!!
鐘が鳴ると同時くらいに教室の前の扉が開き教師が入ってきた。
「おらーガキどもっ!! チャイム鳴ってるぞとっとと席につきやがれ」
およそ教師には似つかわしくない乱暴な物言いで教室に入ってきたのは英語教師であり、この二年A組のクラス担任でもある、泉宮寺麻衣だ。
口は悪いがどんな生徒にも分け隔てなく接し、厳しいながら優しさもあり。
教師が生徒とあまりフレンドリーに接するのはよろしくないと年長の先生達に注意されることもあるが、特に女子達からは姉のように慕われている所謂友達のような先生タイプだ。
「まったく、高校生にもなって静かに待つこともできんのかきさまらは、はいっ、日直!」
そう言われ、日直の号令で先生への挨拶を終えると麻衣は教科書の22ページを開くように生徒たちに促し、自分も片手に教科書を持ちながら生徒たちの机の間を闊歩してゆく。
「さて、今日は昨日の続きから始めたいわけだが」
ここまで言って、麻衣はある生徒の席の横で足を止めた。
「始めたいのだけれど私はあることに気づいてしまってな、どうしてもこの疑問を解消してからでないと授業を始められそうにない」
真剣な面持ちでどこか遠くを見るような眼差しで静かに話す。
生徒達は先生の立ち止まったその席に着く生徒を見て青ざめている。
「な、なんですか先生?」
引き攣った笑顔でそう応えたのは守羽だった。
「いやぁ守羽健登くん、今は英語の授業中のはずなのだが、きみの机の上にあるその塊はなにかな?」
「な、なにと言われましても……」
「私にはこれの本来あるべき姿が浮かんでこないのだが、まさかあれではないよな?」
気づいているくせに……誰もがそう思ったが怒られるのは嫌なので皆黙って事の成り行きを見守っていた。
「ははは、やだなぁ先生……ぼ、ぼくぁ、授業に必要な物以外はなにも出してませんよ」
「うんうんそうかそうだな、確かに必要な物はすべて用意してあるようだが、必要な姿ではないと思うのだよ先生は」
最早言い逃れのできない状況である。
「守羽、どうしてそんなことになったのか素直に話せばお仕置きも五〇パーくらいで許してやらんでもないんだがな」
そう言いながら麻衣は拳を顔の前に持ってきてギリギリと鳴らしながら握った。
「ははは、なにそれ? 怖い、体罰反対」
「体罰? これは愛だよ愛、守羽」
そんなやりとりを見ていて弥命は居た堪れない気持ちになっていた。
元々、守羽健登はこのことには関係なく自分を庇ってくれているだけなのだ。
素直に理由を説明しないといけないのは自分の方なのに……
「あ、あの、せんせ……」
意を決し声を出すと同時だった。
「そんなに愛に飢えているのかああああ!! このアラサー独身女教師めええええっ!!」
弥命の声は健登の叫びに掻き消される。
そして健登の言った内容に教室の空気は凍りついた。
健登はこのクラス担任のタブー中のタブーに触れてしまったのだ。
泉宮寺麻衣三十二歳独身、容姿は決して悪くない、いやむしろ美人の部類に入る筈なのに、もうかれこれ十数年彼氏すらできない。
なぜなのか? 自問自答し続け酒に溺れる毎日、ワンカップの空き瓶に尋ねても応えが返ってくる筈もなく、結婚したいと思っても結婚できないので麻衣は考えるのをやめた……
クラス中の誰もがこの悲しい存在に腫物に触るように接してきたのに、なぜこのような自殺行為とも呼べる言動をしたのか、誰も理解することができなかった。
そしてこの後起こるであろう惨劇だけは誰もが予想できた。
「ほほぉ……いい度胸だ小僧……」
そこには禍々しい暗黒のオーラを纏った独りの女がいた……
「あっ、ごめんなさい……怖い、やめて」
「無理、もう遅い諦めろ」
「ひぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいっ!!」
しばらくお待ちください。
「ちっきしょー、このご時世に鉄拳制裁なんて訴えられても知らねーぞ」
頭を擦りながら涙目で抗議する健登だが、あまりにも情けない姿であった。
「安心しろ、そこらへんはしっかり相手を選んでやっているからな」
ますますダメじゃん! 全員が心の中でツっこんだ。
「よーしっ、茶番はここまで!! 守羽は隣に教科書見せてもらえ、授業を再開するぞ」
「えー、先生わたし嫌です」
まるで汚物でも見るような目をする隣の田中さん、そこまで露骨に嫌がらんでも。
「気持ちはわかるがな田中、社会的弱者は皆で支えてやらないといかんのだよ、それが大人になると言うこと、ひいては社会の一員になるということだ、我慢してくれ」
え? 俺ってそんなにダメなの?
不承不承ながらも見せてくれる田中さん、優しい、好きになっちゃうぞ。
「そんじゃあ一人の馬鹿の所為で無駄にした時間を取り戻す為に飛ばすからな」
そんなこんなで授業は再開された。
お昼休み後の5時間目、昼食を終え程よい満腹感と程よい疲労感から眠気が襲ってくる時間帯だ
しかし、クラスの誰もが今日の授業には並々ならない集中力を見せつけた。
麻衣はことあるごとに生徒達にアホの所為で時間を損したという意識を植え付け、損をさせられたと思い込んだ生徒達もそれを取り戻さんと必死になった。
そう、守羽健登という少年をスケープゴートに仕立て上げ、彼にヘイトを集中させることにより生徒たちの憎しみを集中力へと変えたのだ。
かくして、なんとか予定通りの範囲を終えることもでき、中間試験の内容もばっちり押さえることができた。
「よし、ここまでが中間試験の範囲だからなしっかり復習しておくように、今日はこれで授業は終わりだからこのまま帰りのHRやるぞ」
麻衣が必要な連絡事項を伝え、日直が一日を終える号令をかけると生徒たちは一斉にざわめき立つ
一目散に教室を出て行き部活動に向かう者、帰りにどこかに寄って行こうかなどと話している者など様々だ。
健登は部活をしていないのでそのまま友達と帰ろうとしていたのだが、それを麻衣が呼び止めた。
「守羽、お前はそのまま職員室にこーい」
「えー、なんでだよーもう説教は終わっただろー」
「ばかもん、お前は明日以降もあの教科書のまま授業を受け続けるつもりか?予備があるからそれを取りに来い」
健登は荷物を纏めながら生返事を返し、帰り支度をする弥命の方にちらりと目線をやったがその表情までは見えなかった。
そのまま弥命は何も言わずに帰ってしまった。
職員室の扉をノックし、失礼しますと声を掛けて扉を開けると目の前には歴史教師の填島先生が立っていた。
「お、どうした守羽、またなんかやって呼び出しか?泉宮寺先生も大変だね」
そう言いながら人の良さそうな四十手前の男性教師は笑い掛ける。
「まあ、そんなもんです」
あんまり先生を困らせるなよと言わんばかりに健登の肩を軽くポンポンっと叩きながら填島は職員室から出て行った。
なんだか気恥ずかしい思いをしながら健登は麻衣の席まで行くと、ちょっと待ってろと言われたのでそのまま直立不動で待っていた。
職員室は二階にあるので窓の外を見やると校庭が見下ろせる。
ちょうど、サッカー部の練習が始まったらしく準備体操を行っている部員達の姿が見えた。
そういや何時の間にか雨も止んだみたいだな、そんなことを考えながら目線を上げる。
どす黒い雨雲も遠く、うっすらとオレンジ色の光が雲間から差し込んでくるのが見えた。
「すまんな待たせてしまって、今から教科書取りに行くからおまえもついてこい、なにぼーっとしてんだ?」
どれくらいぼーっとしていたのだろう、急に話しかけられ少し反応が遅れてしまった。
「なんだよ、呼び出しておいて準備もしてなかったのかよ」
「教師は放課後も色々と忙しいのだよ、だいたいお・ま・え・の・せ・い・だ・ろ・が!!」
「さーせん」
ぐだぐだと喋りながら職員室の真下にあたる、倉庫として使っている一階の教室に着く。
扉には鍵がかかっているのだが、当然麻衣が持ってきているので開けられる。
中に入ると本棚や積まれたダンボールなどが置いてあり、隅には二組の机と椅子が向かい合って置かれていた。
時折、生徒指導等の際に使われているのかもしれないのだが、これじゃあまるで尋問されてるみたいだなと健登は思った。
今日からここは尋問室と呼ぶことにしよう、そしてなるだけここのご厄介にはならないようにしたい、くわばらくわばらと心の中で唱える。
しかし、とっとと教科書を貰って帰ろうと思っていたのだが、麻衣は健登にそこに座るように促してきた。
「な、なんだよ? 教科書くれるんじゃないのかよ?」
「まあいいから座れ、ちょいとおまえに聞きたいことがあってな……姫宮のことなんだが」
「姫宮のこと?」
健登は一瞬ドキリとした。なぜだか今回のことは先生には隠さないといけないと思い極力平静を装った。
つもりだが、本人は気づいていないだろうが完全に目が泳いでいる。
「まったく、お前は隠し事が本当に下手くそだな、お前の教科書、あれは姫宮の物だろ?」
苦笑しながら麻衣は健登に問いかける。
「なんだよ、気づいてたのかよ」
「当然だ、なぜか姫宮の机の上には絶対にありえない落書きだらけの教科書があり、そしてお前の机の上にはボロボロの教科書があったんだ、これでピンとこないわけがなかろう」
「わかってたのに俺のことぶん殴ったのかよ」
「おまえの気持ちを汲んでやったんじゃないか、感謝しろよ?」
健登は口を尖らせながら抗議したが、麻衣は笑いながらそう応えた。
「ちぇー」
「まあすまなかったな、で?なにがあったんだ?」
「詳しくは俺も知らないけど、あんまいいことじゃねえよ」
健登は麻衣の視線から目を逸らし曖昧な返事をした。
話してもよいのだが、弥命を苛めていた生徒たちのことを告口るみたいであまり気乗りはしなかった。
麻衣もそれをわかってか深くは追及しない。
「なんというかな、こういう時に先生が出て行って姫宮の教科書をこんなにしたのは誰だーってやった所で、なんの解決にもならないのはわかっている、かと言って気づいているのになにもしないわけにはいかない、正直どうするのが最善なのかわからんのだ……情けない話だが教師は万能ではないのだよ」
これではまるで立場が逆である、クラスの問題の相談に乗るつもりが自分の悩みをいつの間にか生徒に吐露してしまっている、教師としてこんなに情けないことがあるだろうか麻衣は自分の不甲斐なさに嫌気がさした。
しばらく気まずい沈黙が続いたが、おもむろに健登が切り出す。
「まあでもさ、ムカつく先生とかもいるけど……俺は麻衣先生はイケてるほうだと思うぜ?」
そう言う健登の屈託のない笑顔に麻衣はドキリとしてしまった。
「まったく……なーにが、生意気言いやがって」
「なんだよー、褒めてやってんのにさー」
「それが生意気なんだよ、ガキが」
「うるせーばばあ」
そんな憎まれ口を言い合いながら麻衣は自分の口元が綻んでいくのがわかった。
(ほんとに……おまえがいてくれて助かるよ)
「ん? なんか言ったか?」
「べつに、なんでもないよ」
時刻は午後四時を廻ろうとしていた……




