第2話 こっちだって知らないわよバカ羽!!
雨の日は嫌いだ。
普段とは違った行動を取らなければならない、それは不慮の出来事を招くこともある。
弥命はあの後食事をとり終えしばらく生徒会長の言葉の意味を考えたが、考えれば考えるほど怒りが込み上げてきた。
紫の言いたいことはさしずめこうだ。
なにか事情があるとはいえ、自らクラスメイトと距離を置き一人きりで過ごす学校生活が楽しいのか、掛け替えのない青春の3年間をそのまま終えてしまってよいの?そう言いたいのだろう。
思春期の学校生活の思い出、歳をとってからその大切な時間を無為に消費するべきではなかったと気づいても遅いと、年寄りがよく言うあれだ。
弥命だって本当ならば普通の女の子として普通の学校生活を送りたいと考えたこともあった。
しかし己を律し私欲を滅すること、その魂に神器を宿し生まれ出でた身それは決して疎ましいものではなく今生に課せられた使命であるのだ、それを誇りに思い十六年間生きてきた。
そしてこれからもそのように生きることを変えるつもりもなかった。
他人にどうこう言われることではない、それはいい、だが引っ掛かるのはその後の言葉だ。
“ただの入れ物にすぎない”
「わたしが神器の単なる入れ物と……」
いやいやそうではない、もっとおかしいことがあるではないか。
弥命が神器の姫巫女であることを一高校生である紫が知っているとは到底思えない、ではいったい入れ物とはどういう意味なのか?或いはそのことを知るなにか特別な……
「そんなこと、あるわけない……」
なにかが引っ掛かるが、もうすぐ昼休みも終わってしまう。
弥命は色々な考えを一旦頭の隅へとやり、五限の英語の授業へと切り替えることにした。
授業開始の十分前くらいに教室に戻り自分の席へ着こうとした時、弥命は異変に気付いた。
次の授業の教科書やノートは教室を出る前に準備しておいたはずなのだが、机の上に教科書がなかったのだ。
落ちていたりしないか周りの床や椅子の下を探し、もしかしたら誰かが机の中に戻したのかもしれないと思いもう一度探したのだがやはりなかった。
だとすれば考えられるのは……
「はぁ……」
弥命は深い溜息をつくと、隣の席でお喋りをしている女子数人に問いかける。
「あの、すいません」
「あ? なに?」
そう応えたのはクラスメイトの女子の土屋葵だ。
「なんか用?」
クラスメイトに対する口調にしてはやや横柄で強めの口調だった。
一緒にお喋りをしていた女子たちはなにやらひそひそ話をしながら笑っているように見えた。
「あの、すいません、私の英語の教科書を知りませんか?教室を出る前に机の上に出しておいたのですが見当たらなくて……」
「知らないわよ、なんであたしがあんたの教科書の在り処がわかるのよ」
「いえ、その、近くにいたのならどこへ行ったのか見ていたかもと思ったので……知らないならもういいです」
いつもなら穏便にすますためにこんな言い方はしなかっただろう。
だが今日は生徒会室での一件があったからだろうか、それとも雨の所為なのだろうか、とにかく弥命は確証もないままに問いかけた少女たちに疑いの目をかけてしまったのだ。
普段ならこんなことはしないのに、と今になって後悔しても遅かった。
弥命の苛立ちは言葉のちょっとしたイントネーションにも出てしまっていたのだろう、クラスメイトの女子達はそれを見逃さなかった。
「ハァ? もういいですってなによ?なに苛ついてんの? あたしは知らないって言っただけなのにっ!それともなに?あたしが隠したとでも言いたいわけっ!?」
「そ、そういう意味ではないです……その、不快な思いをさせてしまったのならごめんなさい」
この言い方がまたよくなかった。
「なにそれ? あんた舐めてんの?だいたいその喋り方が気に障るのよね! ふかいなおもいをさせてしまってごめんなさ~いって、あんた人のこと見下して馬鹿にしてんでしょ」
「べつに、そんなつもりじゃ……」
弥命は口籠る。
「あぁ? なんだよっ!?」
理由なんてなんでもよかったのだ。
なにかしら理由をつけ弥命に絡む口実を手に入れた土屋葵はこれ見よがしに弥命を口撃する、取り巻きの女子達は薄ら笑いを浮かべ見ているだけだ。
数人のクラスメイトもそれに気づくが見て見ぬフリをしている、典型的なイジメの構図だ。今までも何度かこういうことはあったが、弥命は気にも留めなかった。
しかし今日はとにかく気が立っていたのだ、自分でも驚くような言葉が口を突いてでた。
「ですからっ! もういいですって言ったじゃないですか! なんなのあなた達っ! 馬鹿にしているのはあなた達じゃないっ!」
弥命の声に教室が一瞬で静まり返る。
いつも必要以上のことを声に出さない女子“姫宮弥命”まさか、あのジミヒメがあんな大声で怒りを露わにするなんて誰もが驚いていた。
ざわっ……
一瞬引いた喧騒の波が戻ろうとした瞬間、バタバタと廊下を走ってくる複数の足音が聞こえ、教室の後方のドアが勢いよく開くとそこから数人の男子生徒が雪崩込んできた。
「あぶねええええ! 五時間目遅れるとこだったぜーーーっ!!」
「守羽! ありゃダメだ、無限サッカー、あれは終わりが見えねえ、昼休みという限られた時間にやるもんじゃねえっ! というかもうやりたくねえっ!!」
入ってきたのはクラスの中でも取り分け元気のいい、ようするにどこのクラスにでもいるアホな奴ら、の六人だ。
なにやら“無限サッカー”なる遊びを思いつき昼休みに校庭で行っていたようだが、ルールはわからない。
無限と付くくらいだからとにかく終わりがないのだろうということはなんとなくわかった。
先ほどまで張りつめていた教室の空気が一瞬で緩みだす。
大半が「またこいつらか」と心の中で突っ込みを入れたのは間違いない、とその中の一人、守羽と呼ばれた少年、中肉中背ではあるが平均的な高校生男子よりちょっと背は低く、くりっとした大きな目に太眉毛、髪の毛はぼさぼさだがさっぱりと短いので不潔感はない、高校生にしてはまだどこか幼さを残すガキ大将といった風体だ。
守羽少年は教室に入ってくるなりクラスの異様な空気に気が付いた。
「なんだなんだ? どうした? なんかあったのか?」
弥命と土屋達イジメっ子グループになにかがあったのだろうということは、その場に居合わせなかった者でもなんとなくだが気が付いただろう。
その上でわざとらしくクラス全員に問いかけた。
「土屋ぁ、どうしたんだ?」
「うっせぇな守羽、あんたには関係ないよ」
「なんだよー、教えろよぉ」
こういう時にバカな奴は凄いな、と誰もが思った。
イジメを見て見ぬフリをする人間の大半がその行為自体には嫌悪感を抱くだろう。
しかしほとんどの人間が関わり合いにはなりたくないという気持ちが勝る。下手な正義感をだしてターゲットが自分に移りでもしたらたまったもんじゃない。
大抵の人間がこの不快な嵐が過ぎ去るのをただ黙って待つだけである。
人は思っているほど他人の為に何かをしてはくれない、裏を返せば自分の為に誰かが何かをしてくれるなどと期待をしてはならないのだ。
しかしこの守羽という少年にはそんなことは関係ないようだった。うぜーと思う者、内心グッジョブと思う者、半々だったかもしれない。とにかく守羽が間に入ることにより土屋達いじめっ子グループも興をそがれたらしく事態は収集し始めていたのだが……
「姫宮、教えてくれよ?」
こともあろうに今度は弥命に食い下がり始めた。
「べつに……なんでもないです……」
せっかく収集しかけていたのにまた重い空気が流れ出す。
一つ余計なんだ馬鹿野郎、クラス中の誰もが思ったところに。
「あのさー姫宮が探してたのって、ひょっとしてこれ?」
そう言いながら一人の女子がごみ箱の中からボロボロになった本を拾い上げた。
ページはくしゃくしゃになり所々破けているところもあるが表紙から英語の教科書だということはわかった。
弥命の教科書で間違いないだろう。
「ボロボロになってるからもう使えないと思って誰かが捨てたんじゃないの?」
教科書を見つけた少女がそう言うと、そうだそうだとイジメっ子達も口を揃えだした。
そしてここぞとばかりに土屋葵が付け加える。
「まあさ、誰にでも間違えはあるからいいけどさー勘弁してほしいよねー」
ややオーバーに首を振りながら、あらぬ疑いをかけられた上に逆切れまでされたのではたまったものじゃないと言いたげに、そして勝ち誇ったような表情で弥命の前を通り過ぎ自分の席に戻っていく。
それに倣いクラスの皆も自分の席に着こうとしている、一時はどうなることかとハラハラしていたがこれで一件落着でいいだろうと、誰もがこれ以上の揉め事は求めていなかった。
クラスには誰一人として自分の味方になってくれる者はいない。こうなってしまってはもうどうすることもできない、現場を押さえたわけでもない。クラスメイトの誰か目撃者がいるかもしれないが、弥命の為に証言してくれる者などいないだろう。
弥命はただ黙って俯いているしかなかった。
「ふ……っざけんなよ……」
その声の主はさきほどの少年だった。
少年は教科書を拾い上げた少女の元に大股で詰め寄ると、その手からボロボロになった弥命の教科書を奪い取り言い放った。
「だっせえことしてんじゃねえっ!!」
そう言われた少女は一瞬怯んだが、すぐに少年を睨み返す。
「はぁっ!? わたしは関係ないわよっ!」
他の女子達も味方に付く。
「そうよ!!芳乃はずっとわたしたちと一緒にいたんだから」
「なに決めつけてんのよ! 芳乃に謝りなさいよ」
あーやまれあーやまれ。
クラスの女子達のシュプレヒコールが始まる。
やだ、こういう時の女子達の一体感ってこわい。
「ううううるせえええええ!誰がやったかなんて関係ねえんだよ!俺はこういうのが大っ嫌いなんだっ!!」
女子達の勢いに負けまいと守羽は大声をだし虚勢を張るが。
「こっちだって知らないわよバカ羽!!」
「わたしたちだってあんたのそういう無神経なとこが大っ嫌いなのよ」
「証拠をだせ証拠をーそして芳乃ちゃんにあやまれー」
もはや女子達の勢いは止まらない。
元凶である土屋達いじめっ子グループは素知らぬ顔で自分の席に着いている。
さすがの守羽も助け船を求めるように男子達を見やるが誰も目を合わせてくれない。
やだ、こういう時の男子達って皆冷たい。
どうやら怒る相手を間違えたらしいということは守羽にもわかったが、女子達がここまでヒートアップしてしまうと最早どうにもならない。かと言ってあれだけの啖呵を切ってしまった以上引くこともできない、どうしても素直に謝るよりも見栄が勝ってしまう、そんなどつぼに嵌った状態に終止符を打ったのはさきほどの少女だった。
「はぁぁくだらない、べつにもうどうでもいいわよ」
そう言うと踵を返し教室の後方自分の席に着いてしまった。
祀り上げていた相手が自ら梯子を下してしまったので、他の女子達も一気にトーンダウンし、ばつが悪そうに散っていった。
守羽はというと、なんとか難を逃れたことに胸を撫で下ろしたがこちらも非常にばつが悪い始末だ、おまえは本当に馬鹿だなというクラス中の視線がひどく痛い。
守羽はすごすごと自分の席に戻ると机の中から教科書を取り出し、左斜め後ろの席に座る弥命にそれを渡した。
「あの、守羽君……これわたしのじゃ」
「いいからそれ使えよ、多少、……そう多少、落書きとかもあって見難いかもしれないけどこっちよりはマシだろ?」
そう言う守羽の教科書はどのページも落書きだらけで見るも無残な状態だった。
これだったらボロボロになっている弥命の教科書のほうがマシなんじゃないか?という突っ込みはさておき。
「でも、それじゃあ守羽君が」
「いいんだよ、どうせ俺は教科書開いてたって内容なんて見ないんだから」
そう言いながらカラカラと笑う守羽だが、それは悪いと教科書を返そうとする弥命、それをいいからと押し戻す守羽、そんなやりとりを何度か繰り返し。
まもなく五時間目を告げるチャイムが鳴ろうとしていたが教室はまだざわついていた。




