第10話 まるで妾の石眼のような魔法の言葉だ
これは本気でやばいと思う健登。
この目をしている時の芳乃は本気で怒っている時だ。
昔から芳乃は何に対してもどこか擦れたところがあり、すぐにくだらないと醒めた態度をとる癖があった。
その態度は一見大人びて見えることもあるが、ようするに解決できそうもない問題に直面するとそれに真正面からぶち当たることもせず、早々に諦めて逃げ出してしまう悪癖でもあった。
そんな芳乃も当然感情がないわけではないので、本当に頭にきたときには今みたいに人を殺しかねない凶悪な目で相手を睨みつけるのだ。
過去に数回この目をさせたことのある健登は、理由はわからないがマジでやばい地雷を踏んでしまったと流石に空気を読む。
「あ、あの……芳乃さん?冷静に話し合いませんか?」
「あ? なにを話すってんだよ?」
やばい、怖い、まず口調が怖い。
健登は最早なにも言えずにベッドの上に正座したまま硬直してしまっている、芳乃はと言うとシャツを肩まではだけながら同じようにベッドの上に無言で座っている……なにこの光景?
「まったく、青臭くて見ておれんな」
静まり返っていた保健室に突如響く少女の声。
声のした方に健登と芳乃は同時に振り向く、隣のベッドの端に腰掛ける一人の少女。
腰の辺りまで伸ばしたシルクのように艶やかな黒髪がとても印象的で、見た目の年齢よりは随分と大人びた雰囲気を纏い、幼いながらもとても美しい少女であった。
神秘的でありながらどこか恐ろしい雰囲気をもつその少女に、健登は白に対して感じたのと似たような畏怖の念を覚えた。
咄嗟にベッドから飛び降りると芳乃を庇うように前に立ちその少女を見据える。
「誰だおまえ?」
突然現れた少女に場の空気が一気に緊張し張り詰める、小さな女の子とはいえ音もなくこの教室に侵入して気配まで感じないとは、なによりも得体のしれないこの雰囲気に健登は警戒した。
「ゆうさちゃん? え? なんでこんなところにいるの?」
しかし芳乃がその得体のしれない相手の名前を呼ぶ、どういうことだ?この二人は知り合いなのか?健登は訳が分からない。
「ゆうさではない、メドゥーサだ、折角おまえが素直になれるように魅了の魔法をかけてやったというのに、あんな一言で魔法が解け正気に戻ってしまうとは、おまえのそのコンプレックスは余程のものであるな芳乃」
「え? 魔法?」
メドゥーサの言葉の意味がよく理解できずに、芳乃は困惑した表情で見つめる。
しかし健登にはなんとなくその事が理解できた。
さっきまで芳乃がおかしな行動をしていたのは、どうやらこの少女の掛けた魔法の所為らしい。
「おまえ、芳乃になんかしたのか? 返答次第じゃたとえ子供でも許さねえぞ」
凄む健登にメドゥーサは悪びれもせず答える。
「妾はその娘に一食の恩義があってな、その悩みを解決するための手助けをしたまで」
まるで意味が解らない、なんで芳乃の悩みの手助けであんな淫乱女みたいな真似をさせるのだ。
しかし事態が飲み込めないながらも、なんとなくメドゥーサの謂わんとしていることを理解し始めた芳乃が静かに口を開く。
「どういうこと……ずっと意識はあったの……なんでこんなことをしているのか、やめなきゃって思う意識と、でもこのまま、思いのままに……って意識と……魔法? なにそれ? これは、ゆうさちゃんがわたしにやらせたことなの?」
「違うな芳乃、それはおまえがおまえの意思でやったことだ、おまえのそうなりたいと思う潜在意識がさせたこと、妾はその手助けをしたにすぎん」
メドゥーサが芳乃にかけたチャームの魔法は、今までずっと押し込めてきた芳乃の潜在意識を無理に抑えることなく思いのままに解放させる為のもの、つまりは健登への思いを閉じ込めることなく素直にさらけだせるようにしたまでだ。
そういう意味においては、これはメドゥーサが芳乃にさせたことではなく、芳乃が自らの意思でやったことと言える。
芳乃は当然思い当たることだらけなので顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「それにしても小僧、おまえのとった行動あれは最低の悪手の一つ、いや、あの場に於いては一番やってはならぬことだ」
「あ? なに言ってんだよ」
「わからぬからおまえは小僧なのだ、あの場でおまえがとるべき行動はただ一つであった。それをこともあろうか、恥をかなぐり捨て男に迫った女の前で別の女の名を出すとは、お前はその娘のプライドを傷つけただけでなく、まるで自分は全てわかっているからと気遣い優しい言葉をかけ思い遣ったつもりでいる」
なんだ? なにを言っているのだ? さっぱりわからない、どうして俺は責められているんだ?
わけがわからず芳乃の方を見るが、芳乃は恥ずかしそうに俯き顔を真っ赤にしているだけでなにもできないでいる。
「まだわからぬか小僧、なら教えてやる。その娘を……芳乃を気遣うのなら、優しさを向けてやるのなら……なぜ今、この場で芳乃を抱いてやらなかったのだ?」
少女のど直球な言葉に健登は唖然としてしまった。
最近の小学生はなんてませているのだ、いや、女子は男子よりもそういうのが早いとは聞いたことがあるような気がするが、それにしても早すぎませんか?
芳乃さんもなんか言ってやってくださいこの女の子に、おまえにはまだ早すぎるって、て言うか、ああ……ダメですね、この人完全に飛んでますわ。
芳乃は顔から耳まで真っ赤にして頭から煙を吹き固まってしまっていた。
「な、ななな、なに言ってんだ! そんなことできるわけ、だいたい芳乃だって、おまえが魔法をかけたからで自ら望んでたってわけじゃないって今わかっただろ」
「なにを聞いていたのだおまえは、あれは芳乃の潜在意識の中にある本心だと言ったであろう、よいか小僧、おまえのその優しさは今や剣だ、優しさは時と場合によっては人を傷つける刃となる、相手のことを慮り優しい言葉を掛けるほどに、深く消えない傷をつけているのだ」
メドゥーサの滔々と語る様に健登は、まるで偉い人に説教をされているような気分になってくる。
その内容もなぜか言い返せない説得力がありつい納得してしまいそうになる、いやいや惑わされるな、それでも芳乃に魔法をかけてその気持ちを操ったのは事実だ。
だいたい魔法って、またそういう類の奴ですか? もう勘弁してくれ!! と心の中で叫ぶ。
「わかったか小僧、女は鞘ではないのだ!剣を受け止めることなどできぬ、ならば優しくその腕で抱いてやるのが男の器量ではないのか?」
もう訳が分からん、こいつ何歳なんだ? まるでこの世の酸いも甘いもすべて知り尽くしたかのような物言いである。
これが恋愛脳全開の痛い年頃の女の子とかだったら完全に堕ちてしまいそうな説得力だ。
「芳乃、義理は果たしたぞ。あとはおまえが自分でケリをつけるしかない、まあ妾に言わせればこの男はやめておいた方がよい、まるで女の扱い方と言うものがわかっていない、おまえはいい女になる妾が言うのだから間違いない、もっとおまえに相応しい男がこの世には大勢……」
「……言わないでよ」
先程まで固まっていた芳乃であったが、メドゥーサの言葉を遮るように声を絞り出す。
「勝手な事言わないでよっ!! さっきから黙って聞いていれば、恥の上塗りをしているのはあなたじゃないの!! ばかあっ!!」
もうこの世の終わりかと思うくらいの恥ずかしさに芳乃は、ただ「ばか」と言うしかなかった。
その言葉にメドゥーサはきょとんとしてしまう。
「妾が? ……なぜ?」
なぜ自分が芳乃に責められたのか訳が分からない。
今も真っ赤な顔をして恥ずかしさを押し殺すように睨んできている。
「わ、わわわ、妾がなにかおまえにしたのか? な、なな、なぜ怒っておるのだ芳乃?」
メドゥーサは酷く困惑する。
今までメドゥーサにとって人間などは取るに足らないつまらない存在であった。
もちろんそれは今だって大して変わらない。
でもなぜだか妙にこの芳乃という娘のことが気になっていたのだ、腹を空かせている自分にご飯を食べさせてくれたから?
そうではない、なんというか人が道端でダンボールに捨てられている子猫のことを気にかけるようなそんな感じ、まあなんというか弱っている小動物を助けてあげたい、そんな庇護欲をそそられるような。
だから人間の小娘のつまらない色恋沙汰を応援してやろうと手を貸したのに、なぜ怒られているのか訳がわからなかった。
あまりの理不尽な切れられ方に、涙目で芳乃に縋ろうとする。
「よ、芳乃? 妾はおまえの為を思って……」
「嫌いよっ! 大っ嫌い!! あんたもっ、健登もっ、姫宮もっ!! 皆大っ嫌い……もうやだ……はぁぁぁ、さいってい……くだらないわ、なにもかも」
嫌いと言われた。
たかが人間の小娘に言われた言葉であったが、メドゥーサはショックのあまり石のように固まる。
怖ろしい、まるで妾の石眼のような魔法の言葉だ
ショックを受けるメドゥーサを後目に芳乃は大きく溜息を吐き、服を直すと立ち上がろうとする
だがそこで保健室に木霊する女の声、辺りを見回すが三人以外は誰もいない。
『いつまでもなにをしているのメドゥーサ? あなたの目的を忘れたの?』
姿は見えないが確かに聞こえる声、いや聞こえるというよりも頭の中に鳴り響くような。
その声を聞くとメドゥーサはそうだったと思い出すかのように健登を見据え言う。
「ヒュプノスか……忘れておったわ、なんとなく憐れに思い人間の娘に情をかけてやったが、まあよい……そろそろ本題に入るか」
そう言うメドゥーサの目つきが変わる、鋭く刺すようなその感じに健登は再び身構える。
「小僧、神器の巫女とやらを妾の前に連れて参れ、そしておまえの手で神器を妾に捧げよ」




