第10話 ちょっと話したくらいで、もう親しい友人にでもなったつもりですか?
カーテンの隙間から差し込む陽の光で健登は目を覚ました。
ボーっとする頭で昨夜は変な夢を見たなと思いながら、ゆっくり身体を起こし軽く伸びをする。
変な夢を見たと思いながらもその夢の内容を思い出せない、額に手をやると痛みと腫れは既に引いていた。
そういえば身体の痛みも軽くなっている、不思議なこともあるもんだとモヤモヤしながら携帯を手に取り時計を見ると時刻は午前8時を回ろうとしていた。
「やばっ!」
遅刻ギリギリの時間だった。
健登は学校まで電車で通っているのだがいつもなら既に家をでている時間、八時〇三分の電車に乗らなければ間に合わない。
ベッドから飛び起きると健登は大急ぎでシャツだけ着替える、パンツは昨日のままだ。
鞄を探すがない、そういや昨日化物に投げつけてそのままだった。
どうしようもないのでなにも持たずに階段を駆け下りる。
「かーちゃん弁当っ!!」
居間に飛び込み叫ぶが誰もいなかった、どうやら父も母も妹も既に家を出たようだ。
誰も起こしてくれないなんて、なんとも薄情な家族である。
テーブルの上に昼ごはん代と思しき五〇〇円玉が置いてあったので、健登はそれを掴むと一目散に玄関へ向かった。
鍵をかけるのすらもどかしい、なぜ学生時代というのは遅刻してはならないという強迫観念がこんなにも強いのか、今になって思うと非常に不思議である。
というのは今の健登には関係のない話。
玄関にカギをかけ門を出ると、壁沿いに自転車が留めてあった。
昨日健登がパクッた友人の自転車である、籠には健登の鞄が入っていた。
わざわざ水谷が持ってきて置いてくれたのだろうか、健登は心の中で水谷に感謝しつつ自転車に跨ると全速力で漕ぎ出した。
始業チャイムの鳴り終えた校舎内というのは、どうしてこうも静かで寂しい感じなのだろうか、健登は健闘むなしく結局HRの開始に間に合わず遅刻してしまった。
各教室から聞こえてくる担任達の声は、まるで自分の存在になどまったく関心がないように感じられ少し寂しくも思えた。
いいや、これだ……自分のクラスの前まで来ると健登は深く深く呼吸をする。
そう、俺は今全ての気配を断ち己の存在をこの校舎と一体化させる、俺が教室に入って来たことなど誰も気が付かないだろう。
あとは席に着いて何食わぬ顔で、え?初めからいましたけど?という態度でいればいいのだ。
健登は教室後方のドアに手をかけるとゆっくりと開け顔だけ覗き込んだ。
その瞬間、教室の前方から黒板消しが飛んできて健登の顔面に命中する。白煙に包まれて健登は咽ながら叫んだ。
「げほっ、げほっ!! なぜだっ!? 気配は完全に消したはずっ!」
「わかるわぼけえええっ!」
クラス担任の泉宮寺麻衣が叫ぶ。
「どうしておまえは素直に謝れないのだまったく、下手に誤魔化そうとするから余計に怒られるのだぞ」
「いやいやそれもご愛嬌ということで」
「いいからとっとと席に着けっ!!」
すごすごと自分の席に着くと隣の席の田中さんが、とても残念な人でも見るような目で見つめてくる。
やだ、すごく冷たい目、なんか言ってよ。
そんな田中さんに愛想笑いで返し後方をちらりと見る、弥命は出席しているようだ。
しかし健登のことを無視するかのように目を合わせてはくれなかった。
HRが終わり意を決し弥命に話しかけようとすると。
「守羽ぇぇぇえええっ! てめえええええっ!!」
叫びながら健登の元へ詰め寄ってくる巨漢の持ち主は、橋場だった。
昨日健登に自転車をパクられたので怒っている。
「おまえがチャリパクッた所為で昨日の帰りは大変だったんだからなっ!!」
「わ、わりぃわりぃ、ちょっと急用でさ、今度飯奢るから」
「絶対だぞっ! あとプレステ4も買ってくれ」
「買うわけねーだろアホ」
チャリパクった癖に、チャリくらいでガタガタうるせーと喧嘩を始める二人。やれやれ!と囃し立てる男子に周りの女子達はうるさいと文句を言っている。
もうすぐ一時間目の授業が始まろうとしているが相変わらず賑やかなクラスである。
健登は弥命を見やるがいつものように教科書を広げ黙々と予習をしているだけだった。
四時間目が終わり少し長い昼休み、授業の合間の短い休憩時間には話しかけるチャンスがなかなか作れなかったので、今度こそ弥命に話かけようと思っていたのだが気が付いたら弥命は教室から姿を消していた。
仕方がないので健登は購買へ昼食を買いに行くことにした。
昨日とは打って変わって今日は快晴、雲一つなく広がる青空は、じっと眺めていると吸い込まれそうになるくらい広かった。
太陽が照っている割には気温もそれほど高くなく、湿度も低いので非常に過ごしやすい日であっ た。
こんな日は飯を食い終わったらいつものメンバーの待つ校庭には行かずに、中庭で昼寝でもしようか、などと考えながら購買へ向かう途中、中庭の渡り廊下を歩いているとなにやら数人の女子生徒達が小声で話しているのが聞こえてきた。
「なんか喧嘩だって」
「誰と誰?」
「A組の土屋さんとあのジミヒメ」
健登は思わずその女生徒の肩を掴み険しい表情で問い詰めていた。
「それどこだっ!?」
女子生徒に聞いた場所に駆け付けると、人だかりができていた。
人垣を掻き分け進むと、弥命に後ろ手に腕を捩じ上げられ組み伏せられている土屋葵の姿が見えた。
「なにやってんだ! やめろ姫宮っ!!」
健登は大声で弥命に土屋を離すように言うが、弥命は健登の方へ見向きもせず冷たい視線を土屋に浴びせたまま静かに応えた。
「先に手を出してきたのはこの人です。わたしは忠告しました」
それにしてもやりすぎだ。
弥命は涼しい顔で腕を捻っているが、見事に関節が極まっている為土屋は身動きを取れない、少しでも動けば簡単に骨がいってしまいそうだ。
それはもう見るからに綺麗な関節技である、先日見せた回し蹴りといい、この娘は総合格闘技大会にでも出場しようとしているのだろうか?
そんな冗談はさておき
苦悶の表情を浮かべる土屋に、取り巻きのいじめっ子達は戸惑うばかりで助けにも入らない、まさか返り討ちに会うなどとは思ってもいなかったのだろう。
弥命の強さを目の当たりにして自分の身がかわいくなったのだ。
「もうそれくらいにしておけよ、一体どうしたんだよ姫宮らしくもない」
健登は二人の元に駆け寄り、弥命の腕を掴んで引き離す。
拘束から解放され土屋は捻られていた腕を押さえながらよろよろと立ち上がり、苦々しく弥命を睨みつける。
丁度そこに騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけた。
「おーい、なにやってんだおまえらー」
駆けつけた割にはのんびりとした声でやってきたのは、歴史教師の槙島先生であった。
槙島は野次馬の生徒達に解散するように言うと、当事者だけをその場に残して事情を聴く。
「取っ組み合いの喧嘩と聞いて来たんだが、まさか女の子同士とはね」
どうやら男子同士の喧嘩だと思っていたらしい。
「原因はいったいなにかな?」
「べつにたいしたことじゃないです。喧嘩って言ってもよくあることですし、先生が心配するようなことじゃありません。皆、大袈裟なんですよ」
答えたのは土屋葵だった。
ここで下手に言い訳をして色々と問いただされると、これまで弥命にしてきた嫌がらせが露見するかもしれない、喧嘩はしていたけれど大したことじゃないと言っておいたほうが変に勘繰られることもないだろう。
取り巻き達もそれを察してか、土屋の言うことに合わせる。
弥命はと言うと、不貞腐れたようにそっぽを向いて黙り込んでいる。
こんな態度をとる弥命を見るのは槙島を含め誰もが初めてだったので、どうにも問題を追及する雰囲気にはならなかった。
「まあなんだ、あまり騒ぎを起こすなよ、ただでなくてもA組はそこの問題児の所為で泉宮寺先生も大変なんだからね」
「なっ!? 俺は関係ないじゃないすか今っ!」
健登をダシにその場をやり過ごす槙島、教師と言っても所詮サラリーマンだ、結局のところ揉め事なんて御免こうむりたい。
なあなあで済ませられるのならそれに越したことはないのだろう、教師は万能ではないという麻衣の言葉を健登は思い出していた。
上手く追及を逃れられたと思ったのか、土屋が切り出す。
「もう行ってもいいですか?」
特に問題はないだろうと判断し、槙島はこれにて騒ぎはお終いと皆を解散させる。
土屋達いじめっ子グループが立ち去った後、槙島は気にすることはないと弥命に声をかけて左肩に軽く手を置いた。
昨日の怪我が痛むのか、弥命は少しだけ眉を歪めると咄嗟に肩を庇うように槙島から離れる。
「ああっ! すまなかったね、軽く触ったつもりだったのだけれど痛むのかい?」
「いえ、大丈夫です……失礼します。」
弥命は小さく答えその場を立ち去る。
そんなやり取りになにか違和感を感じながらも、気のせいと健登は弥命の後を追った。
「姫宮、姫宮っ!! ちょっと待てって」
追い縋り右手を掴むと、弥命はその手を振りほどき感情的に叫んだ。
「なんですかっ! 馴れ馴れしくしないでくださいっ!!」
「なんだよ、なに怒ってんだよ? おまえ、なんか変だぞ?」
「怒ってなんかいません、それに、変でもありません。変なのはあなたの方です。ちょっと話したくらいで、もう親しい友人にでもなったつもりですか?」
明らかに様子がおかしい、これほどまでに感情を露わにする弥命を見るのは当然初めてなのでどう接していいのやら健登は困ってしまった。
「昨日、白様に言われたことをもう忘れたんですか? これ以上わたしに関わるのはやめてください!本当に命を落としますよっ!」
やはりそのことを気にしていたのか。
弥命は昨日の一件を反省してというよりは、白に厳しく言われたことにより拗ねて意固地になっているようにも見えた。
今までのように静かに相手を遠ざけると言うよりも、わざとらしく大袈裟にしているようにも思える。
これではまるで、単なる構ってちゃんである。
弥命の意外な一面を知ってなんだかおかしくなった健登だが、今はそんなことを考えている時ではない。
「それなんだけどよ、白様の言葉の意味を俺なりに考え……って、ちょっ!」
健登の話を最後まで聞かずに弥命は早足で行ってしまう。
弥命の後を追うが、そこで予鈴が鳴った。
「嘘だろっ!? まだ飯買ってねえのに、ああっもう!!」
結局、健登が購買に行く頃にはめぼしい商品は全て売り切れていて、コッペパン一つとマーガリンそしてパック牛乳だけが今日の昼食となった。
東校舎一階の一角誰もいない女子トイレ、洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめ弥命はなぜこんなにも苛つくのかわからないでいた。
いや、原因はわかっている、わかっているのに理由がわからなかった。
白の言うことはもっともなのだ、中途半端な善意なんてちょっとしたことで簡単に壊れてしまう。
期待すればするほどにその時の反動は大きくなる、だから期待してはダメなんだ、望んではダメなんだ。
そんなことはもうずっと前からわかっていたことなのに、納得していたはずなのに……頭ではわかっているけれども感情を抑えられない
なんで……あの時の、夕陽を背にした時の健登の笑顔が頭から離れなかった。
あの笑顔を見た時に弥命は憧れてしまったのだ。
自分もこんな笑顔で、もしかしたら健登がそれを叶えてくれるかもしれないと期待してしまったのだ。
でもそれじゃいけない。
今後関わらない様にしたとして、まだ健登に対する脅威が取り除かれたわけではない、アルレッキーノがいる限り健登はいつ何時狙われるかわからないのだ。
なんとかしなくてはならない。
「わたしが、絶対に……」
弥命はそう呟き唇を噛んだ。




