第9話 ごめんじゃわからねぇよ……
左頬に真っ赤なもみじと額に大きなたんこぶをこしらえ、健登はここに担ぎ込まれた時よりもボロボロになっているような気がしていた。
というか、明らかにボロボロになっていた。
「ごめんなさいっ、守羽くん、ほんとうにごめんなさいっ」
低頭平身、謝り続ける弥命を前に、いいよいいよもうどうでもいいよと遠い目をする健登。
元凶である白は自分の所為ではないと涼しい顔をしている、唱はもう叱るのもバカバカしいのか呆れ顔でその様子を見つめていた。
ほどなくして白が口を開く。
「まあなんじゃ、戯れはここまでにしてここからは真面目な話じゃ」
ああもうほんといい加減にしてくれ、その場にいた誰もが心の中で毒づいた。
しかし、白の醸し出す雰囲気に場の空気が一気に張り詰める。
目の前にいる少女は先程までの無邪気で悪戯な女の子ではなく、感情のない冷たい目をした化物のように感じられ、皆畏まり緊張した面持ちで言葉に耳を傾ける。
「弥命よ、おまえがここのところ夜な夜な街へ出かけてはよからぬ者どもを追っていることを、わしも唱も知っておる」
弥命は白の突然の告白にぎょっとする。
「気づかぬとでも思っておったのか? まったく朱音まで担ぎ出して、そんな子供のお遊びも今日で終いじゃ、あんなものは神社の連中に任せておけばよいのじゃ」
ここで言う神社と言うのは、そういった表沙汰にはできない怪異や霊現象などを秘密裏に扱っている集団のことである、時には警察よりも権限を持ち非合法な解決法をとることもある、当然その存在は国家、政府にも知られるところであり容認されているものである。
それはまあ今回関係ない話なのでさておき、いくら白の言うこととはいえ、子供のお遊びと一蹴されては流石の弥命も黙ってはいられなかった。
「しかし、お言葉ですが神社の方々が早々重い腰を上げてくれるとは思えません、そうこうしている間にも、無辜の人々が犠牲になっているのは事実です」
めずらしく弥命が反発してきたので白は多少驚きはしたものの、窘めるように言う。
「ふむ、それは一理あるやもしれぬ、だがな、おまえの下手な正義感によって起きた今回の不始末をどう考える? おまえはちまちまとあの変異どもを闇に葬るだけ、その結果が、事の真相に辿り着くどころか事態は一向に好転しないまま、あまつさえその黒幕に目を付けられ襲撃される始末」
「そ、それは……」
痛い所を突かれ返す言葉も見つからない。
「おまえのその軽率な行動によりその小僧は命を落としかねなかった、たった一人で何かを成したつもりであろうが、結局は守るどころか守られるという、なんとも情けない話じゃ」
なんの話をしているのかまるでわからなかったが、なんの事情も知らないくせに一方的に弥命のことを責め立てる白に対し、健登は異様に腹が立った。
今回のことは弥命の所為だと言っているが、そもそもの大元は自分なのだ。
いつも通り水谷の迎えを待っていればこんなことにはならなかったはずなのに、それを無理に連れて行ったのは自分である、ならば責められなければならないのは健登の方である。
健登は黙って聞いていることができず口を挟む。
「さっきから黙って聞いてりゃ姫宮ばかり責めやがって、責任の一端は俺にもあるんだしそこまで言わなくてもいいだろっ」
さっきまでの調子で白に喰ってかかるが、白は静かに応える。
「小僧、戯れは終いと申したはずじゃ、わしの気分次第でおまえごとき消し去ることは造作もないということは、先刻わしの姿を見た時に感じたはずじゃ、口を慎め」
白からでる凄まじい威圧感、一瞬それに気圧されるも健登の悪い癖がでてしまう。
そう凄まれるとかえって反発してしまう悪癖だ。
「おうっ! できるもんならやってみろよ!!」
「ほぉ、言うたな小僧……」
健登のその言葉に白が立ち上がろうとする瞬間、二人の間に弥命が割って入り手を突き頭を深々と下げる。
「申し訳ございません白様っ、言葉が過ぎました。今回の件は全てわたしの未熟さが招いたことです。今後は白様や大巫女様のお言いつけを守ることをお約束します。何卒、守羽くんはなにも知らないのです」
「それこそ知ったことではない、その小僧のわしに対する数々の無礼な振る舞い、看過することはできぬわ」
弥命の必死の懇願にも白は聞く耳を持たない、唱も朱音もこうなっては白の怒りを鎮めることはできないとわかっているのか、黙って目を伏せてしまっている。
それでも弥命は尚も白に懇願する。
「お願いです白様どうか、もしも、もしも守羽くんを手にかけるというのであれば、この弥命の命も一緒にっ」
「愚かな娘じゃ……」
白は深い溜息をつくと、つまらない物でも見るかの様に弥命を一瞥し健登を見据える。
「興が醒めた。命拾いしたな小僧、今日だけで二度も死にかけたのじゃ、おまえは実に運が良い」
ここまできてようやく健登は気付く、目の前にいるこの存在が人ではないということに、さっきまでの唱や朱音、そして弥命とふざけあっていたかのように見えていたのは間違えだった。
あれは全て白の戯れ。
三千年を生きる大妖怪、白が時折見せる少女のような一面は単なる気まぐれであり、下等な人間の位まで己を下げ同等に扱って見せる単なるお遊びにすぎなかった。
唱や朱音は長い、と言っても人間の歳でだが、付き合いの為、白との接し方を重々承知し、決して超えてはならない一線を理解した上での先程までの無礼講であった。
要するに“人間ごっこ”の接待をしていたのである。
そんなデッドラインを土足で踏み越えた健登に加え、我を忘れ抗った弥命の行為は、自殺行為に等しい物であったが、これも白の気まぐれで事なきを得たのは本当に運が良かったと言ってよい。
「もうよいこれで終いじゃ、今宵このことは全て忘れよ小僧、そしてもう二度と弥命には関わるな、中途半端に理解しようともするな、神器などと崇めておるがあれは言うなれば呪いじゃ、それほどまでに弥命の内にあるものは重く深い宿命なのじゃ、おまえのつまらぬ情など取るに足らない些末な物、よいか、もう一度念を押すぞ、中途半端に関わるな、それはお互いを不幸にするだけじゃからの、弥命もそれでよいな」
そう言い残し白は唱と共に部屋を後にする。
残された三人は暫くその場で黙りこんでいたが、弥命が口を開く。
「守羽くん、今日はありがとうございました」
「何言ってんだよ、別にお礼を言われるようなことはなにもしてねえよ、それどころかなんか迷惑ばかりかけちまって」
「そんなことないです。本当にありがとうございました……ほんとうに」
弥命は健登の方は向かずに静かに告げた。
「……ごめんなさい」
見送りはなかった。
朱音の運転する車の後部座席で、健登は外を見ながら弥命の最後の言葉を何度も頭の中で反芻する
窓ガラスに映る街灯の点を無意識に目で追っては戻り追っては戻り、なぜ弥命は最後に謝ったのか、そしてその後なにも言わないどころか目さえ合わせてはくれず、健登のことは朱音に任せるとそのまま別れも告げずにそれきりであった。
「ごめんじゃわからねぇよ……」
健登は口の中で言葉を噛んだ。
ほどなくして、家の前に車が止まる。
さすがに夜分遅くなってしまったので、親に事情を説明すると朱音が申し出てくれたのだが、門限の厳しい家でもないので気にしないでいいと丁重にそれを断る。
しかしなにやら心配そうに何度も朱音は健登のことを見るが、健登が家まで送ってくれた礼を告げるとようやく朱音は帰っていった。
家の中に入ると居間からTVの音が大音量で聞こえてくる、妹がバラエティ番組を見ているのだろう、居間の横を通り過ぎる時に「ただいま」とだけ言い階段を上りきる所で階下から母親の声がした。
「たけとー? 帰ってきたのー?」
「あー、坂達と遊んでて遅くなったー」
「ご飯はー?」
「食ってきたー」
もちろん何も食べていないが、空腹よりも疲労感がいっぱいでとにかく健登はすぐに眠りたかった。
着替えもせずに制服のままベッドに倒れ込むとそのまま眠りに落ちてしまった。
風に揺れるカーテンの擦れる音で健登は目を覚ました。
まだ辺りは真っ暗なので夜は明けていないようだ、携帯で時間を確認しようと辺りを手探るも見つからない。
そういえば、窓を開けて寝ただろうか……そんな事をふと思い目を開ける。
次の瞬間、目の前に現れる黒い影、声を上げようとしたが手で口を抑えつけられる。
振りほどこうとするが上手く体に力が入らない、突然の事態に健登はパニックに陥りそうになるが、相手が何もしてくる気配がないのですぐに落ち着きを取り戻す。
「安心してください何もしませんから」
聞き覚えのある声だ、こいつはあの仮面の男。
「大声をあげないと約束すれば手を離します。まあもし声をあげてあなたの家族に知られた時には……わかりますよね?」
その言葉の意味を理解し健登は頷いた。
それを確認すると仮面の男、アルレッキーノは手を離す。
少しずつ暗闇に目も慣れると相手の姿が見えてきた。
「俺になんの用だよ、まさか夜這いにきたってわけじゃねーだろ?」
ゆっくりと身体を起こし、家族に悟られないように小声で話す。
我ながら気色の悪い冗談だと思いながらも、内心は恐怖を誤魔化す為に発した言葉だった。
「はっはっは御冗談を、いえね、あれだけのことがありながらまさか、あなたのことをほったらかしにするとは正直驚いていまして、拍子抜けしてしまったと言いますか」
「どういうことだ?」
「どうもこうも、あなたは姫巫女の神器を引き抜いたのですよ?言うなればあなたは神器解放の鍵です。戦う術も、身を守る術も持たないそんなあなたに護衛の一人もつけないなんて、酷い話だと思いませんか?」
「べつに、俺にはそんな価値なんてないってことだろ?」
言ってから健登は、確かに変な話だと思った。
「そう、あなたにはそんな価値はないと判断されたのですね姫巫女様は……」
「なにが言いてえんだよ?」
本当はアルレッキーノの言わんとすることを、健登はもう理解し始めていた。
「本当はわかっているのでしょう? 認めたくないのなら言ってさしあげましょうか? 要するにあなたは見捨てられたのです。というより敢えてそうしたのでしょうか、姫巫女以外にも神器を扱える者がいるなんてあちら側からしてみれば許し難いことでしょう、ですから体よく私があなたを狙い始末してくれれば、そう考えてもおかしくないでしょう」
そういうことだ。
神器が解放され、それを健登が引き抜いたことをアルレッキーノが見ていたことは弥命も承知していること、ならば厳重に守られている弥命とは別に、健登が狙われるかもしれないということくらい誰にでも考え付くはずだ。
例えば健登を攫い弥命をおびき出す人質に使う、そんなことも考えられたはずだが、そんな交渉材料にすらならないと言うことだ。
殺したければお好きにどうぞ、こちら側からすれば禁忌を犯した小僧を始末できてかえって手間が省ける、と言わんばかりではないか。
「それで、ごめんか……」
アルレッキーノは首を傾げる。
「まあ昨夜の腹いせにあなたを血祭りにあげてみせてもよいのですが、少しは姫巫女の動揺を誘うこともできるでしょうし」
健登を見下ろし冷たい声で告げる、しかし健登は動揺を見せなかった。
それどころか先程までの恐怖心も消え、アルレッキーノの仮面の奥の目を見据え叫んだ。
「そんなわけねーだろ……」
「は?」
「そんなことあるわけねーだろっ! 姫宮がそんなひでーこと考えるわけがねえっ!」
「いくら虚勢を張っても事実そうなっているではないですか」
「たとえそうだったとしても、それは姫宮の本心じゃねえっ!」
健登は、心の底からそう思っていた。
己の身体を、命を張って自分を守ろうとしてくれていた。
そんな弥命が、その様な裏切る真似をするはずがない。
別れ際に言ったあの言葉、弥命にはそう言うしかなかったのだ。
健登のことを見ることもできずにただ俯いて、合わせる顔がなかったのだろう。
今も何もできない自分を責めているに違いない、そんな弥命を疑い責めることがどうしてできようか、自分で選んだわけでもなく、神器の姫巫女として生まれついたというだけで重い宿命を背負わされて。白は言っていた。あれは言うなれば呪いだと、今の健登にはそれがわかる気がした。
そう、あれは呪いだ。
一人の女の子から、普通の暮らしも、学校生活も、友達も笑顔もなにもかもを奪ってしまう呪いだ。
だったら、自分は弥命に対してなにをしてやれるのか、答えはでている。
神器を手にしたのはそれを解放するためではなく、その呪いから弥命を解放する為に、そう強く思った。
「おまえの言葉なんかに惑わされねえ、おまえなんかにビビらねえっ、おまえなんかに負けるもんかよっ!!」
握り拳を作りアルレッキーノに向ける、その声はただ感情を剥き出しにした叫びではなく覚悟を決めた重い響きであった。
アルレッキーノは黙り込み、暫く考え込むとなにか納得したのか。
ふむ、と頷き仮面をゆっくりと取りながら短く答えた。
「それが、おまえの答えか……」
「は?」
強い風が吹き込んだ。
健登は一瞬目を瞑り瞼を開く、揺れるレースのカーテン越しに月明かりが透け、照らすそこには白いおかっぱ頭の小さな少女。
昨夜見た無邪気な姿とも、冷たい雰囲気を纏った恐ろしい姿ともつかない。
神秘的なオーラを纏ったその姿に健登は息を呑んだ。
「それがおまえの覚悟だと言うのなら、嘘偽りないものかどうか、わしはその顛末を見届けようと思う」
そう言うと少女は、ゆっくりと健登の元へと降り立ち両手を頬に添える。
健登は訳が分からず惚けていると、少女は優しく額に口づけをした。
「今宵この晩浅き眠りの夢の果て、月明かりが見せた夢か現か幻か……今は忘れゆるりと休むがよい……弥命を守ってやっておくれ」




