第10話 いっぱいいっぱい痛かったよね?怖かったよね?もう大丈夫だから
前回までのあらすじ
海で母親に酷い暴力を振るわれている女の子を助けることもできず、健登と芳乃は気分の晴れないまま家路につくのであった。
一方その頃、ベテラン刑事の三嶋源治はラブホテルで見つかった遺体の男性が、昨夜どういった足取をとっていたのかを捜査し始めていた。
聞き込みから数時間、なかなかに進展しないままであったがそこに顔面から血を流した男が徘徊していると言う110番通報が相次いでいる連絡を受ける。
それは源治が聞き込みを行っていた現場のすぐ近くであった。
源治は只ならぬ事態の予感を感じながら走り出すのであった。
最後に駅前まで送ってもらい車から降りると、弥命は迎えに来ていた紅葉の車に、健登と芳乃は二人そこから家まで歩いて帰ることにした。
なんだか気分転換に少し歩きたかった。
悠紗はこの後ファルコンと二人、オフ会があると言うのでそのままアキバに行くらしい、海で一頻り遊んだ後だと言うのにまったくもってタフである。
手を振り車を見送ると無言のまま歩き出す、駅から家までの約10分くらいの距離だが、しばらく二人黙って歩いていると芳乃の方から切り出してきた。
「やっぱりあれって……虐待だよね……」
口にはしたくなかったが、あれをそう言わずしてなんだと言うのか。
見るからに若い母親とその遊び友達、遊びたい盛りに望んでもいなかった子供ができ、それを疎ましく思っているとしか思えないあの母親の態度と、大人があんなにいるのに誰一人子供の面倒を見ようと言う素振りすら見せないどころか、邪魔な物を見るような眼つきであった。
日常的に暴力を振るわれているのだろうか? 躾と称して理不尽に怒鳴られ叩かれ、ご飯は食べさせてもらっているのであろうか? 今日もこの後帰ってからなにをされるかわからない。
そんなことを考え出すとキリがない、なんとかしてあげたいがもうどうしようもない、本当にどうしようもないのだ。
もしかしたらあの時は偶々母親の機嫌が悪くてあんな風に怒られたのだ、きっともう機嫌も直って「さっきはごめんね」と、今日の夕飯は大好物にしてもらっているかもしれない。
そうでも思わないと、とてもやりきれなかった。
「あんなことあっちゃダメだ……絶対に……あんなの絶対に神様が許してくれるわけがねえ……」
健登はそう言いながら自分の知っている神様を思い返す。
碌なのがいねぇ……
げんなりしながら歩いていると道の途中、しゃがみこんでアスファルトに石でなにかを描いている子供の姿があった。
いくら夏の夕暮れ時、まだ日没ではなく明るいとはいえもう午後六時を過ぎようと言うのに、いつまでも一人で遊んでいる姿に妙だなとは思うのだが、それを見てハっとすると芳乃が駆け出していた。
健登も同じく後を追う、駆け寄るとそれは海で見たあの女の子であった。
間違いない、海で見た時と同じ長袖長ズボン姿で、無表情のまま地面に絵を描き続けている。
まさか、もう二度と会えるわけがないと思っていた女の子とこんな所で再会するなんて、それも自分達のご近所ではないか、こんなことがあるのだろうか? 本当に奇跡としか思えない、そしてそれならばこの女の子を、本当にこの子が虐待を受けていないか確認しなければならない。
芳乃は少女の前にしゃがみ込むと笑顔で優しく話しかけた。
「こんにちは、お姉ちゃんのこと覚えてる?今日海であったよね?」
無言のままの女の子、あの時と一緒だ、なにも反応がない。
「何描いてるの?」
そう言い女の子が描いているものを見て芳乃はギョッとする。
これは……人?
それは確かに人であった、人であるのだが……
その絵は丸や四角などで描かれているものの、異様なのは頭と思われる部分と身体、手足などの部分が繋がっていないこと、これはまるでバラバラ死体、芳乃はそう思った。
なんでこんな奇妙ものを描いているのかと女の子の顔を覗き込むと、芳乃の表情がみるみる変わっていく。
女の子の左目の下、頬骨の部分に青い痣ができていた。それは海ではなかったはず、いや、絶対になかった。
こんな青あざができるなんて、平手で叩かれたくらいでこんなにもくっきり痣が浮かぶなんて考えられない、拳で殴られたのか?
芳乃は険しい表情で「ちょっとごめんね」と言うと、女の子の手を掴んで袖を少し捲りあげようとするのだが、その途端今まで無表情でなにも反応を示さなかった女の子が激しく抵抗し始める。
「いやあっ!いやあっ!!」
「おいっ、おまえなにやって?」
「ごめんねっ、お姉ちゃんはなにもしないから、痛くしないから、ちょっとだけっお願い」
もがき芳乃の手を振りほどこうとするのだが、袖を捲り上げると健登と芳乃は絶句する、その腕には丸く紫色の痣がいくつもあった。
これはおそらく煙草を押し付けた痕だ……おかしいとは思っていた。
こんな真夏に子供が長袖長ズボンだなんて、先天的に皮膚の弱いそういう人が陽射しを避ける為に夏でも長袖を着用することはあるだろうが、それならば顔を隠していないのはおかしい、これは腕や足についた虐待の痕を隠す為のものだったのだ。
だとすれば……芳乃は震える手で女の子の服を捲ろうとする。
「芳乃っ、もうやめろ」
「ダメっ!ちゃんと確認しないとダメっ!!ごめんね、ちょっとだけだからあとほんのちょっとだけだから、誰にも言わないから怖いことはしないから……ね」
女の子が怖がらない様に笑顔でそう言いながら服をゆっくりあげる……
「糞がああああああああっ!!」
健登は激昂し怒声をあげると電柱を思いっきり蹴飛ばした。
「やめて健登……大きな声を出さないで、この子が怯えるわ……」
芳乃は静かに言うのであったが、その声には明らかに怒りの感情が籠っていた。
そして女の子を優しく抱きしめる、胸に女の子の顔を埋めると頭を撫でながら言う。
「ごめんね……ごめんねぇ……すぐに助けてあげられなくてごめんね、いっぱいいっぱい痛かったよね? 怖かったよね? もう大丈夫だから、もう……」
芳乃は目に涙を浮かべながら女の子をギュッと抱きしめた。
だが女の子は芳乃を両手で突き飛ばすと後ずさり距離を取る、不意に押された為尻もちをつく芳乃だが尚も優しく女の子に話しかけた。
「ごめんね、見られるの嫌だったよね、もうしないから、ね? お姉ちゃん達にお話を聞かせてくれない?」
言いながら、健登の方に目配せをする、これはもう自分達だけでは対処しきれない、普段は大人ぶりたい高校生であってもやはり子供なのだ、自分達だけで解決できるものではないことは十分に分かっている。
とにかくこの子を連れ帰り親に相談して、然るべきところに対処してもらうのが賢明な判断だと言えるだろう。
芳乃は一緒に行こうと手を差し出すのだが、女の子は小さく頭を横に振る。
そんなことをすればまた周りの大人達に怒られるとでも思ったのだろうか、それでも芳乃は優しく女の子に言う。
「大丈夫だよ、絶対にお姉ちゃん達が守ってあげるから、ね? 一緒に行きましょう?」
だが女の子は頑なになる、これには参ってしまった。
強引に連れて行こうものなら逆に自分達が訴えられかねない、この場で警察を呼んだほうがよいだろうか? そうだ、その方がいい証拠は揃っているのだ、とにかくこのままこの子を家に帰らせていけない。
そう思っているとなにやら通りの向こうが騒がしい、健登と芳乃が声のする方を見ると人影が二つ、その一つは警察官であった。
よかった、あのお巡りさんに相談しよう
なんだかんだ110番通報と言うのはどうにもしづらいものがあったので、絶好のタイミングで現れた警官に声をかけようと思うのだが、どうも様子がおかしいことに気が付く。
その警官はなにか鬼気迫る表情で怒鳴り声を上げていた。
「止まりなさいっ!止まりなさいっ!」
もう一人の男に向かって必死に制止を促している様子、そうこうしていると後ろからもう一人警官が現れるのだがそちらの方は警棒を片手に構えていた。
「シキュウ、シキュウ」と言いながら無線マイクに向かって応援を要請している、その間にも男は制止を促していた警官ににじり寄り肩を掴んだ。
警官はその手を掴み相手を投げ飛ばそうと試みるが微動だにしない、異様な力で肩を掴まれ服の上から肉に爪が喰い込みその痛みに顔を歪める。
警棒を持っていた警官が後ろから引き離そうとするのだが、男が振り返ると真っ赤に染まったその顔面から血を撒き散らすとそれが警官の頭から降りかかる。
「あああっ!熱いっ!熱いっ!!」
まともに浴びてしまった警官は悲鳴を上げ、血を浴びた顔面が熱いのだろうか手で拭き取ろうとするのだがその手までもが焼け爛れて行く、仕舞には「ぐぅぅぅっ…ぐぅうううっ…」と悲鳴とも呻き声ともつかない声をあげた後、痙攣すると動かなくなってしまった。
肩を掴まれていた警官は恐怖の悲鳴を上げるのだがどうにもできない、男の顔の肉がズルズルと崩れていくのを見て歯をガチガチと鳴らしながら固まってしまっている。
そのまま男は警官の顔に自分の顔を押し当てると相手の顔を奪った。
しかし顔が定着する直後、まるで仮面が剥がれ落ちるかのようにズルりと顔面の皮が捲れて落ちると男は顔を押さえながら叫び声を上げた。
「あぁぁぁぁ…ダメだぁぁぁあ、外道の所為でちゃんとくっつかねえええええっ、オレの顔にぴったり合うものじゃないとくっつかねええええええっ!!」
目の前で起こった光景に戦慄し呆然とする健登と芳乃であったが、すぐに思考を切り替える。
逃げなければ、女の子を連れて一刻も早くこの場から離れなければとそう考える。
これまで何度かこんな修羅場を越えて来た二人だからこそそういう思考になれたとも言えるかもしれない、普通の人、普通の高校生がこんな場面に出くわして冷静にそんな行動を取れる者がはたしてどれくらい居るであろうか。
「芳乃……わかってるな? 俺が合図したら迷わずあいつの逆方向に走れよ」
囁くように芳乃に言う健登。
「うん……わかってる……大丈夫よお姉ちゃんが居るからね、一緒に行きましょう」
芳乃は返事をすると女の子をなるべく怖がらせない様に、しかしながら急かすように言うのだが、それでも女の子は動こうとはしない、目の前の惨劇に怯え硬直してしまっているのか? 無表情なその顔からは感情を読み取ることができなかった。
仕方なく芳乃が女の子の手を取るのだが、男は三人に気が付くとそちらに振り返り動きが止まる。
焼け爛れ真っ赤な血と肉をボタボタと垂れ流しながら顔だけをこちらに向けているのだが、なぜだか笑ったように見えたのは気のせいであろうか?
その瞬間男が歓喜の声をあげた。
「みぃぃぃぃいいいいいいいつけたああああああああああっ!!」




