第8話
毎日菜園で採れる苺だけでは量が足りないので、この間は昼市で追加の苺を買ってきたわけだが。
「つまりですね、閣下」
「なんでしょう、アン嬢」
「酒です。苺酒の時間ということです」
キッチンでアンが高らかに宣言すると、ラウルは何事かと長い睫毛をしばたたく。
「苺酒、ですか。苺をお酒に漬けるのです?」
「そうです。苺の風味を酒精に閉じ込めて、長期間リキュールとして楽しめる、というわけです。炭酸水で割ってもよし、ミルクで割ってもよし。かき氷にかけても大人の風味でまた美味い。アレンジするなら紅茶の茶葉も一緒に漬けて、苺紅茶リキュール、なんて楽しみ方もできますよ」
ラウルが桜色のすっきりした唇に苦笑をひらめかせた。
「アン嬢、お酒のことになるとだいぶ饒舌ですね……」
作り方は超簡単。洗ってヘタを取った苺の水気をしっかり取る。煮沸消毒した瓶を用意する。苺と氷砂糖を層になるよう交互に詰めていく。最後にアルコール度数の高い蒸留酒を注げばひとまずの作業完了。あとは一か月後に実を取り出して熟成を待つ。
苺はたっぷり用意したので、同じように苺紅茶の方も漬けておく。あまり高級品に詳しくないアンだ。茶葉はよく出回っている比較的安価なものでいい。
テーブル上の瓶、透き通る蒸留酒の海にころころ浮かぶ愛らしい苺と氷砂たちを、頬杖をついてうっとり眺めていると、自分もこの仲に混ざりたくなってしまう。一緒にお酒に浮かんでいい気もち……なんて、さすがにこの度数では死ねるが。
アンは棚から同じ大きさの瓶を取り出した。中には美しいルビー色の液体が詰まっている。
「これは昨年漬けていたものです。飲んでみますか」
「はい!」
作業終わりにさっそく乾杯してみる。ラウルは炭酸水で割ったものを一口味わうなり、顔をぱっと輝かせた。
「わっ、これ、とってもおいしいです!」
アンは自然と微笑んでしまった。褒められて悪い気はしない。アンも同じものを一口含んでみる。途端、しゅわりと炭酸が爽やかに弾けると共に、苺の風味が口の中でふわりと立ち上がる。
「今年のものも半年後には出来上がりますよ。……まあ、それまでには謎は解決するので、あなたには飲ませませんがね」
アンが牽制するようにそう言うと、ラウルは秀麗な顔を不敵ににやりと笑ませた。
「それは……どうでしょうね」
「どうでしょうね」
そのままラウルと苺酒ソーダを酌み交わしていると、彼は思い出したように口を開いた。
「では、今日の〝お願い〟の時間です。なにか贈り物をしようと思っているのですが、ご希望があればお伺いします」
アンは片眉を跳ね上げて、素直に浮かんできた疑問を述べてみる。
「それ、〝お願い〟って言いますかね」
「さあ? まあでも、少なくともアン嬢に物を受け取ってほしい、という頼みですから」
まあそういうことならいいか、こちらに選ぶ主導権があるし、とアンは納得した。ここは一段と相手を困らせる要求にしなければ礼儀に失するというもの。アンの嫌がらせの腕の見せどころだ。
「じゃ、肉と魚介で」
「え」
「ただの肉と魚介ではありませんよ。当然、最高等級です。すなわち、野外で肉を焼く宴会。すなわち、バーベキュー」
別にラウルと一緒に楽しめるからこれを選んだわけではない、とアンは弁解しておく。
目下のところ、アンは完全にラウルの掌の上、玩具、操り人形……つまり傀儡である。
では、自由意志の人間と傀儡との違いとは何か、考えてみる。
こういうときは、人間の原点、農耕が勃興する以前の狩猟採集時代、太古の昔に回帰してみるべきだと思う。
ストレスに対する人間の根源的な成功報酬は肉だ。肉しかないのだ。
人類が連綿と紡いできた普遍的事実にのみ、真理があるのだ。
「もう一度言います。高級肉と高級魚介をください」
「なぜ……」
「では逆にお尋ねいたしますが、何のために公爵家の財力は存在しているのでしょう。高級食材を私に食わせれば、あるいは未来の公爵夫人が誕生する、とはお考えになれないのですか」
ラウルの瞳に理解の光が浮かぶ。
「なるほど。それならもちろん、いいですよ」
アンは手を掲げて訂正する。
「いえ、これは仮定と可能性の話。つまり数学。あくまで確率の話です」
それで──とアンはさりげなく話をすり替えた。
「今日の質問ですが」
「はい、どうぞ」
「〝何かアイテムを隠していますか〟」
──いいえ。
「なるほど、物を隠しているわけではないのですね」
「ええ。というより、普通の営業なのですから、特段何か隠すような真似はしていませんよ」
「……そうですか」
そのラウルの言い方は、隠すもの自体は存在しているのに、隠す行動はことさらしていない、というふうに聞こえなくもないが……。
「まあ今は考えても埒が明かないのでいいです。まずは焼肉の宴ですわ」
じゅうっという肉の焼ける音だけが摩耗した精神を癒してくれる。バーベキュー台の網の上で、ゆらりと煙がくゆっている。赤々と燃える熾火に脂が滴り落ちて、炭がばちんと爆ぜる。香ばしい匂いに辺りは包まれて、至福の空間を作り出している。
「……ああ、いい。とってもいいわ」
アンは恍惚の表情で独りごちた。これは刺激のない日常に味覚という原始的歓びをもって精神を充足させていく、ある種の生物として不可欠な自己確認行為だ。
──北部産牛肉、東部産鶏肉、西部産豚肉、南海産海鮮。
ラウルがその財力を惜しみなく投入し、最高等級の食材がずらりと並んでいる光景は壮観だ。タレは三種を用意。こっくりとしたデミグラス。東方産のあっさり醤油ベース。香りよい胡麻ベース。
パンで挟んでもよし。白米に載せてもよし。食べる手が止まらない。弾力ある肉がやわらかく歯触りを返し、舌の上で脂がとろける。各種タレの甘じょっぱさに肉のまろやかな旨味が溶けあう。
こうしてひたすら公爵令息に肉を焼かせ、自分はその労力を遠慮なく食らう愉悦たるや。
「どうですか? おいしいですか?」
「はいっ、最高ですっ」
「では、未来の公爵夫人に──」
「では、もっと寄越しなさい」




