第6話
昼市はメインストリートの中央噴水広場前で毎日開かれている。アンはラウルを伴って昼市に来ていた。色とりどりの天幕を張った露店が立ち並び、地元の野菜や果物、今朝に近港で獲れたばかりの魚介、舶来の珍しい工芸品から書物まで、様々な品物を取り扱っている。
「改めて来ると感慨深いですね、市場って」
「やっぱりお貴族様には庶民の市は珍しくて?」
「ええ、そうですね。自分の知らない世界がまだこんなにもあると思うと、たまらないですよ」
噴水前では大道芸人が技を披露し、銀細工職人のカーン、カーン、という槌音も響いてくる。
「あなたには使用人がいっぱいいてなんでも買ってくれるのでしょう? 自分でお買い物したことあります?」
アンが揶揄い半分に訊けば、ラウルは真面目くさって指折りに何か数え始める。
「ええと。仕立て店、時計店、宝飾店、自動車店……、とか」
「全部お金持ちが行くところではないですかっ」
アンが我慢できず指摘すると、ラウルはややむっとした。
「銃や剣だって、自分でオーダーしますよ?」
「それは、あなたは騎士なんですから当たり前でしょう。そういうの以外です」
ラウルは逞しい腕を組み、考え込み始めた。
「それ以外、ですか。こういう食材や日用品の買い出しは確かにしたことがありませんでしたね。他家の事情はわかりませんが、少なくとも我がドロッセル家では全部が全部、使用人が買ってしまいます。上級使用人の使う歯ブラシを買ってくる使用人がいるくらいですから。あるいは、そもそも各店から直接屋敷へと届けられてしまいますね」
「はあ、意味わかんないわ……」
アンは若干疲れて肩で息をついた。呆れてしばらくは物が言えない。ようやくのこと、つまり……、と言葉を絞り出す。
「ご自身で買い出しをなさったことがない?」
「はい! ですから何が起こるかとても楽しみです!」
「誇らしげに言うなっ」
「ですがアン嬢だって、面倒でどうせ作らないから、と食材を買うのをサボっていらっしゃったではないですか。それはどうなんです?」
少し痛いところを突かれて、アンは口角を下げた。
「お貴族様の閣下と違ってね、私は平民なんです。節約ですよ、せ・つ・や・く!」
アンはあらかじめ用意しておいた買い物メモを元に、一つひとつ食材を買っていく。バゲット。牛乳。チーズ。ベーコン。
そしてそれは、アンが苺を買おうと青果の露店に来たときのことだった。
「あっ、クロードさん!」
偶然にも青果店で鉢合わせたのは、カフェ「ミルヒクローネ」の店長クロード氏だった。髪に白いものが交じる壮年の男性で、ごつい体格だが、笑顔がチャーミングな人である。
「これはアンさん、奇遇ですね」
「本当ですね」
クロードさんの渋い美声の挨拶に、アンはやっぱりときめいてしまう。ラウルが何か言いたげに目を細めたのを横目で捉えたが、それはまるきり無視した。
「クロードさんは昼市に何の御用で?」
「ああ……、明日のバナナキャラメルケーキの仕込みに使うバナナを追加で買っておこうと思いまして。最近開発した新商品ですよ」
アンは苺の代金を払い終えて、なるほど、と呟いた。
「そうだったのですねっ。ケーキ、とっても楽しみですっ」
アンが期待に声を弾ませると、クロードさんは不器用そうに微笑んだ。よく見れば荷物が多そうだ。アンはバナナを買い終えたクロードさんにこう提案した。
「あの、荷物運びをお手伝いいたしますよ」
クロードさんはすでに丸めた絨毯の包みを抱えている。
「ああ、この荷物ですね。今日はちょっと掘り出し物を手に入れまして。この絨毯、サイズは小さいのですが、なんと職人が手作業で織り上げた藍染めシルクなのです。せっかくなので店の壁にでも飾ろうかと」
「うわあ、素敵。早く全体の模様を見てみたいですわ。……もしよろしければ、クロードさんはぜひそれをお持ちください。他は私たちが」
「それは助かりますが……、ですが、アンさんのお荷物は?」
「ここにもう一人、きちんと荷物持ちがいますから。何もさせずに突っ立たせているだけなら無用の長物です。手伝いくらいはさせます」
アンが言い切ると、ちら、とクロードさんはラウルの表情を一瞬窺ってから、自身の顔を曇らせる。
「クロードさん、どうなさいました?」
「いえ、アンさんのお気持ちはとてもありがたいのですが、隣にいらっしゃるドロッセル公爵閣下のご令息、ラウル様に荷物持ちをさせてしまうのは心苦しく……」
「あ、いえ、気にしないでください、クロード殿」
そこで会話に混ざってきたラウルは、何かクロードさんに目配せした。すると、渋々……といった様子でクロードさんはうなずいた。
「ね、いいですか、クロード殿」
「…………」
アンは黙ってその様子を見ていた。
(この二人が〝ゲーム〟において協力体制なのは言うまでもないけれど……)
アンとラウルは荷物を持って、カフェ「ミルヒクローネ」までクロードさんについていった。
「お手伝いのお礼に、お好きなドリンクを一杯、サービスいたしますよ」
「本当ですか! 嬉しい!」
アンはさっそくアイスカフェラテを注文した。テーブルにキャメルブラウンとミルクの白のマーブル模様が美しいグラスが置かれる。
「あの……、お店の方に〝ゲーム〟について質問するのはルール違反、でしたよね」
アンが承知で呟けば。
「いいですよ。一つヒントを差し上げましょう」
クロードさんからありがたい申し出があった。
「えっ、いいのですか!?」
(ふふふ、作戦成功)
と、喜ぶアンは、内心でクロードさんの良心を利用したことを少し申し訳なく思いながらも、それでも計画通りと会心の笑みになる。
「これもお礼ですから」
「ちょっと、クロード殿!」
ラウルが鋭く口を挟もうとしたが、アンはそれを手で制して、「お願いします!」と頭を下げた。
「それではヒントです──」
──〝当店はカフェであって、カフェではありません〟
「……どういうこと?」
謎かけのような言葉にアンが眉根を寄せると、クロードさんは意味深げに口元を笑ませる。
「さあ、考えてごらんなさい。アンさんならきっと必ず答えに辿り着けるはずですよ──」




