第1話
アンはティーラテに口をつけた。契約農家から仕入れているという牛乳が、お店こだわりブレンド紅茶の香り高さをまろやかに包んで絶品なのである。甘さが控えめなのもまたいい。
「では改めて、本日の〝お願い〟を申し上げますね」
改まって言うなんていちいち大仰だな、とアンは短く息をついて、ラウルを若干呆れた目で見やる。
「一緒に昼食を摂りたい、ですよね。……いいですよ。質問ができないのも困りますし。せっかくカフェに来たのに水だけ飲む客を目にするのもあまり愉快ではありませんし」
「ならばお言葉にお甘えして、ご相伴にあずかりましょうか」
ラウルは煙ったように口元を笑みの形にさせ、するりと長い指でメニュー表を開いた。
「あの。退屈なので、もう今日の質問をしてもよろしいでしょうか」
と、アンは行儀悪く頬杖をついて訊いてみる。アンはせっかちだ。待たされるのは癪にさわる。相手のペースにただただ呑まれるのも、やはり癪にさわる。
しかし、ラウルは目を閉じて首を振った。
「いいえ、ダメです。僕がきちんと食べ終わってからです。あなたは相手に落ち着いたランチタイムを与えないおつもりですか」
ラウルは碧い目を開けて、そしてこちらに視線を合わせてきた。
「……それとも、その質問をもって、本日のご質問となさいますか?」
「……っ」
小さな失笑交じりに返されて、さすがのアンも鼻白んで唇を軽く噛んだ。
「突然お食事をお邪魔してしまったお詫びに、食事を御馳走いたしますよ」
「そこまでわかっていらっしゃるならそれで充分。あと、そういうお気遣いでしたら結構。貸し借りなしにしたい性分でして……」
アンがつとめて平淡な声を返すと、ラウルは目元に苦笑の気配を滲ませた。
「ふふ。そうですか、強情な方だ」
「あらまあ、強情なのはいったいどちらですかねえ」
アンが皮肉を交えて反論したのを無視し、ラウルは挙手して店員を呼ぶ。
ぱたぱたぱた……、と小さく足音を立てて男性店員がアンたちのテーブルへと近づいてきた。
アンはその様子も注意深く観察してみる。さすがに公爵令息相手だからか、店員はどこか緊張しているようだ。表情が強張っているし、どこか動作もぎこちない。
「蟹コロッケグラタンと、お店こだわり珈琲を」
ラウルの、やけにのんびりとした声が伸びる。
「承知いたしました。ミルクや砂糖はおつけいたしますか」
「では、ミルクを」
「承知いたしました」
やがて、アンがラテのあとに頼んでいた照り焼きチキンサンドが席へと運ばれてくる。
「近衛騎士団長閣下、ではお先に食べておりますよ。あなたのお料理を待っていたら冷めてしまいますから。あなたはともかく、せっかくのお料理に失礼です」
すると、ラウルが微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。わざわざ訊いてくださるなんて、お優しいのですね、アン嬢は」
「違う」
アンが唇を尖らせると、ラウルはますますにこにことする。なんとなく腹が立つので、アンはさっそくサンドを引っ掴んで、わざと大袈裟に齧りつく。ジューシーな厚切りのチキンがたっぷりの千切りキャベツと自家製のふわふわパンで挟まれていて、噛み締めるたび旨味が溢れ出す。
「んんー、おいしいー!」
そうしてサンドに舌鼓を打っていると、ラウルは生暖かい目でこちらを見てくる。どうもやりづらかった。
「アン嬢のご両親は長期の旅行中だとか」
「……!?」
思わずかっと目を見開いてしまう。アンは大きな一口を飲み込むのに時間がかかった。ラテで塊を胃に流し込んでから、ようやく口を開く。
「なぜそれをご存知なのですか!?」
確かにアンの両親は外国へと旅に出ている。船旅なので、帰ってくるのには時間がかかる。最低でもあと一ヶ月は先になるだろう。
ひとたび血相を変えて訊けば、演技めいてラウルが小首を傾げた。
「おや、それがご質問ですか。なぜ、ではなく〝はい〟か〝いいえ〟で答えられるようにしてくださらないと──」
「違います!」
アンは今度こそ声を張り上げてしまった。すると、ラウルは目元を細めて笑う。
「では、何も教えることはない──と申し上げたいところですが、アン嬢からの好感度に関わってしまいますからね。致し方ない、きちんとお答えいたしましょう、特別に」
特別、をことさら強調するように言われ、アンは苛立って眉間に皺を軽く寄せた。
「いいからさっさとおっしゃってください」
ちょうどラウルの注文したグラタンと珈琲が来る。
「ご両親について返答するより先に、食べても? 料理は出来立てが命ですから。せっかくのお料理に失礼、なので」
先ほどアンが言ったばかりのことをそのままそっくり返されて、アンの頬ににわかに血潮が昇った。
「……っ、いいですよっ!」
アンはしばらく答えを待たされることになった。アンのラテグラスと、ラウルのグラタン皿が空になった頃、ようやくラウルはこんなことを告げた。
「僕はご両親のご予定を存じ上げています。それは、ご両親がこのゲームに協力してくださっているからです」
「親が協力……!?」
「おや、あなたはお察しが悪いようだ。……考えてもみてください。許婚なんて、ご両親が許さねば成り立たないとお思いになりませんか?」
「それは……そうかも……」
アンは顎に手を当てて考え込む。
(まさか、父さん母さんを金で脅した? そういう最低野郎なのか?)
顔を曇らせれば、ラウルは気にするなとでも言いたげに再び苦笑した。
「ご安心を。脅してはおりませんよ」
「そうですか。もしそうならここで帰るところでした」
「それはよかった。ご質問もまだですからね」
「そうだ忘れてた、肝心の質問!」
「せわしない方ですねえ」
ラウルの子供でもあやすような言い様が、アンにとってはあまりに苦々しい。ざわつく心を落ち着かせるようにアンは一つ深呼吸してから、質問を口にした。
「〝私と会うのは本当に初めてですか〟」
──はい。




