07 対象の死亡を確認 <フォルケ視点>
追跡を開始してから、間もなく二週間になる。アストリッド王女追跡の任を帯びたガーランド軍は、古代文化の残る森林地帯に野営を展開していた。
ある程度、情報収集をしていたとはいえ、異国の地。土地勘のない森の中においそれと踏み込んでいくわけにもいかない。森林近くの村から案内役を連れ出してもよかったが、現地徴発に関するガーランド国側のあまりよくない噂が広がっているようだ。村人たちから得られた『協力』は、食料と酒くらいなものだ。もちろん、快く『協力』してくれたわけではない。
フォルケは、野営地を見渡した。
焚き火のそばで、兵の一人が乾いた携行食を齧っている。別の一人は、すでになくなったスキットルをあと一滴でも出ないかと逆さにしている。
誰の顔にも、疲労が張り付いている。
「隊長」
声をかけてきたのは、比較的若い小隊長の一人だった。
「森ごと焼いてしまえば、早いのでは」
周囲の何人かが、同意するように顔を上げる。王都まで落とした。もう戦は決したはずだ。なのに、森の中を二週間も歩かされている。その苛立ちが、声の端に滲んでいた。
フォルケは周囲に悟られないように嘆息をついた。その程度のこと、検討しなかったとでも思っているのか。
「灰の下から出てきた骨を、王女だと誰が保証する」
若い小隊長が口をつぐむ。
「それに、火は消せん。煙に紛れて抜けられれば、これまでの二週間が丸ごと無駄になる」
感情で退けたわけではない。実務として成立しない、というだけのことだった。
若い小隊長も、それ以上は言わなかった。
不満そのものは、理解できる。フォルケ自身、この任務が長すぎることは理解している。
王都ヴァルガルドは陥落している。戦況全体では、ガーランドが優勢だ。本拠地は戦勝気分で祝杯をあげているという。本拠地に残っていれば、彼らも祝杯にあずかれただろう。
だからといってこの任務をおろそかにできない。あの王女は、下手をすれば第一王子以上の民衆への影響力を持つ。反抗の芽をわざわざ残すことなどできない。これは、勝利を確たるものにするために、絶対に失敗できない任務なのだ。この重要性を把握している兵士は、どのくらいいるだろうか。
ここまで王女たちに追いつくため、最大速度で行軍を続けてきた。
おかげで兵站が追い付いていない。携行した食料は尽きかけており、現地調達に頼らざるを得ない状況だ。
兵士たちの不満も爆発寸前だ。もうあまり時間がない。
報告が入ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「王女を発見しました!」
報告した兵士は喜びを隠しきれない、といった雰囲気だ。
ぬか喜びでないといいが。
「生きているのか」
「……遺体です」
それ以上その場では聞かなかった。見てみないことには判断がつかない。
「現場へ向かう」
着いた時には、既に何人かの兵が、遺体の周囲へ立ち入っていた。王女の遺体が見やすい位置に寝かされており、ご丁寧に装飾品もきれいに並べられていた。どうです、見やすいでしょう?と言わんばかりだ。
「……誰が、動かしてよいと言った」
声を荒げたわけではない。それでも、周囲の空気が一段冷えた。現場は、動かした瞬間に情報を失う。フォルケにとっては当然のことだった。
斥候四名の遺体が、少し離れた場所に並べられていた。ガーランドの兵だ。全員、顔に見覚えがあった。
周囲には、戦闘の痕。地面が抉れ、何かの魔術によるものらしい焦げ跡も残っている。荷を積んだままの荷車も、一部が破壊され、打ち捨てられていた。
「グランツ隊がやったんだ」
誰かが呟いた。グランツ。この斥候の小隊長だ。戦闘力の高いリーダーだったが向こう見ずだった。いずれ帝国の英雄になるのだと嘯いていたことを覚えている。
「さすがだな。やる男だと思ってたよ俺は」「王女なんていっても、最後はこんなものか……かわいそうに」
兵士たちは口々に勝手なことを話している。
王女らしき遺体は、顔が焼損している。グランツ隊に魔術師がいた。彼の攻撃が当たったのだろう。
遺体にはアレクサンドリア王家の特徴的なプラチナブロンドと呼べる髪が焼け残っている。衣服も、王家の紋を織り込んだ上質な品だ。
斥候四名。戦闘痕。魔術の焦げ跡。
王女一行の戦闘員は情報では五、六人程度。戦闘は拮抗しただろうか?グランツ隊は確かな実力者だったが、相手も王女帯同の精鋭だ。人数差もあって、勝てないかもしれない。
荷車には荷物がまだ残された状態だ。ほかの一行も傷を負ったのだろう。何も持たずに逃げるしかなかった、ということか。
「フォルケ様ぁ。これを見てくださいよ」
部隊長の一人……ドランがフォルケに何かを投げて渡した。
ドランは、フォルケの部下の一人だが、フォルケのことを見下している手合いだ。強さこそすべて、という旧来の価値観からすれば、文官型であるフォルケは軍では評価が低かった。
一応、職階があるから従っているが、内心面白くないのだろう。ドランの口調はかろうじて敬語だが、上官への敬い、というものが全くない。
まあ今に始まったことではない。気にしても仕方がないことだ。不快ではあるが。
ドランが渡してきたそれは、首飾りだった。
細く、技巧を凝らしたチェーン。高名な細工士の手によるものだろう。華美ではないが、品のあるトップ。真ん中には大きく淡い紫の石が輝いている。アレキサンドライトだ。アレクサンドリアの有名な産出品の一つ。これほど立派なものは唯一無二、アストリッド王女が身に着けていた首飾りだ。
外交の記録からフォルケも知っている。母親の形見でもあるという。
「売ればいくらになるかねぇ?」
ドランが首飾りを見て下品に笑う。
さすがにこの男も本気でそんなことする気はないだろう。フォルケをからかっているのだ。
「……馬鹿なことを。重要な証拠の品だぞ。皇帝に献上するに決まっているだろう」
「へいへい。でもこれで決まりですねぇ。ついに終わったわけだ」
「……ああ」
「長い任務だったんです。帰ったら隊長の懐の深ぁいところを見せて、部下をねぎらってくださいよ」
がはははとドランが笑う。それはつまり酒を奢れといっているのだ。
配下の者たちも、帰ったあとについて盛り上がり始めた。すっかり戦勝気分だ。まだ隊長である自分は「撤退する」と明確に指示していないというのに。
唯一の気がかりが、王女一行の部下たちだ。
特に王女の帯同者にはアルヴァスやハルヴァルドといった、帝国にも名が通る猛者たちがいたはずだ。
彼らを逃がしたまま、というのはどうにも落ち着かない。
特に……そうだ。ハルヴァルドがいたのではないのか?
『鉄壁のハルヴァルド』
王女付きの守護騎士。腕が立つことはガーランドにも知られている。
フォルケも、戦争前の外交行事で一度だけ見たことがあった。印象に残っているのは、強さよりもむしろ護衛騎士としての意識の高さだ。人が行き交う場でも、あの男は常にアストリッドを間合いのうちに置いていた。もし不届きものがどのように不意をついたとしても、あの男は守ってみせるのだろう。
彼が、王女を守れなかったのか?
「ハルヴァルドの遺体はあったか?」
誰も答えなかった。
あの男が生きていて、王女が死ぬか。
無論、あり得ないとは言えない。混戦の中では、護衛が及ばないことなど、いくらでもある。
現に目の前に王女の遺体がある。
「……任務は完了した。撤退するぞ」
「よぉーし!てめぇら!くそつまんねぇ任務は終わりだ!グランツたちの分まで飲むぞ!」
主導権を握ったような発言をするドランに、苦々しい気分になる。
どちらが隊長か分かったものではない。
兵たちの顔から、目に見えて疲労の色が緩んだ。ようやく終わった、という空気が、隊全体に広がっていく。
もう一度だけ、遺体を見た。
王女は死んだ。しかしハルヴァルドとアルヴァスが残っている。
どうも懸念が残る。
「……エンリケ隊を呼べ」
フォルケは、短くそう言った。




