02 追う理由
日が暮れ始めると、一行は森の少し開けた場所で野営の準備に入った。
誰も焚き火を大きく焚こうとはしない。声も抑えられている。
先ほどの話しぶりからすると誰かに追われ、身を隠しているようだ。緊張感が動作の端々に染み込んでいた。
火はなくとも月明かりが辺りを照らしていた。ちょうどスポットライトのように開けた場所で、私は程度のよい倒木に座っていた。
アストリッドさん、アルヴァスさんが私を囲んでいる。ハルヴァルドさんはアストリッドさんの少し後ろに立っているようだ。
改めてそれぞれから簡単に自己紹介を受けた。
アストリッドさんはアレクサンドリア王国の王女だという。ハルヴァルドさんは、アストリッドさんを守る護衛騎士。アルヴァスさんは魔術師とのことだ。
まあ……質問したい箇所が多すぎるが、聞き出したら切りがない。
ほかに騎士らしき格好をした人が四人。ハルヴァルドさんの部下だという話だ。
ほかの人々は「側仕え」というらしい。要するにアストリッドさんのお世話係らしい。そんな人たちが六人。
アストリッドさんの近くにはその中の一人、若い女性が控えている。シグネと名乗っていた。シグネさんと同じような服装をしたメイアという女性は、水を汲みに川へ向かったところだった。
「暗くなる前に戻ってね」
アストリッドさんがそう声をかけると、メイアさんは軽く頭を下げて森の奥へ消えていった。きっとアストリッドさんという人は優しい主人なのだろう。ごく自然な、日常的な一言だった。
その自然さが、かえって私の中の緊張を際立たせた。
みんな、きびきびと、誰に命じられるわけでもなく動いている。騎士たちは一定間隔で離れて周りに目を配らせている。なにやら切羽詰まった状況のようだし、何かを警戒しているんだろう。側仕えの人たちは、馬車から荷物を運び出したり、寝床のようなものを拵えたりしている。慣れた手つきだ。
これが日常なのだろう。私だけが、まだこの状況に体が追いついていない。
落ち着け。落ち着け……パニックになっても何もいいことはない……
膝の上で手を組みながら、自分にそう言い聞かせる。
涙は、さっきよりは引いていた。それでも喉の奥にはまだ違和感が残っていて、油断するとまたこみ上げてきそうだった。
深呼吸を一つした。仕事でも、パニックになりそうなときはいつもそうしてきた。頭が真っ白になっているときほど、一番小さいところから確認する。考えても仕方がないことは、考えない。今考えるべきことだけを考えるんだ。
「よし……。一つ、確認させてください」
「はい」
アストリッドさんが向き直る。
「私も、皆さんと一緒に逃げないと……おそらく、危ない状況ですね?」
場の空気が一瞬止まった。ハルヴァルドが眉をひそめ、アルヴァスさんは面白そうに私を見た。
「……そうですね」
アストリッドさんは誤魔化さずに答えてくれた。
「今のあなたを元の場所へ帰す方法も、安全な場所へ送る方法も、私たちは持っていません」
「分かりました」
声は、自分で思っていたよりは落ち着いていた。
少なくとも、これで一つだけは確定した。私は当事者だ。傍観者ではいられない。
「では……質問してもいいですか。状況を整理したいので」
「もちろんです」
「まず、目的地はどこですか」
「エストホルムです。私の叔父が治めている都市です」
知らない都市名だ。北欧っぽい響きではある。AIに聞けば何か分かっただろうか。
「今の場所から、どれくらいかかるのですか」
「通常であれば、二週間ほどの距離ですね」
通常であれば。
「今はその通りには進めない」
ハルヴァルドさんが割って入った。
「包囲を避けるために慎重に進まねばならない。二週間という数字は、平時に街道を真っ直ぐ進んだ場合の話だ」
包囲……つまり何かから逃げてるのか
「それは……今ならば、どれくらいかかりそうなのですか?」
「分からん」
「分からない、ですか」
先行きのスケジュール感もつかめないとは……だいぶ危機的な状況のようだ。
もしプロジェクトなら破綻しかかっているといえる。
「東の街道を避けるなら、森を抜けてから南へ迂回する道もある。それなら一ヵ月か?」
今度はアルヴァスさんが口を挟んだ。
「時間はかかるが、敵の主要な進路からは外れる」
「南は未開拓地域だ」
ハルヴァルドさんが即座に返す。
「非戦闘員を連れているんだぞ、危険度が増すだけだ」
「だから北に行くべきなんだ。移動時間はそう変わらない」
「北は敵の補給線に近い分、敵の警戒が強いだろう。どう切り抜ける?」
アルヴァスさんとハルヴァルドさんがやいのやいのと議論し始める。たぶんこれも何周目かの会話なんだろうな。
なんとなしに空を見上げると、なんと月が二つ浮かんでいた。
めまいを覚えるが、今は置いておこう。
「あの、すみません」
私は一度手を挙げるようにして、会話を止めた。
「理由は分かりませんが、皆さんは敵に追われている。ということですよね」
一同が顔を見合わせる、そこからか……という声が聞こえてきそうだが、そこからですよ。
「東の街道は使えない。南は未開拓地域で、北は敵の補給線に近い。つまり、どの方向も安全とは言えない、と?」
「……そうですね、残念ながら」とアストリッドさんが沈痛な面持ちで答える。
「たぶん、さっきの会話からすると、私は皆さんに呼び出された、という理解であってますね?」
「……その通りだ。古代魔法による異界跳躍。過去には救国の英雄を呼び出したとの言い伝えだ。魔法陣構造は摩耗と劣化で一部失われていたが、そこを多重循環構造の術式で補う形で修正をかけたことで発動可能な形にしたわけだが、魔法陣だけでは不足でな……そこに10律の魔術」
「あ、ひとまず大丈夫です」
「お……おう……」
このアルヴァスという人、なんか既視感がある。研究者によくいるタイプだ。
心外、といった表情をされるが、今はそれどころじゃないのだ。適度なところで止めないと話が進まない。
「……つまるところ、この危機的状況を打破するために私は呼ばれた、という理解でいいですね?」
「その通りだ」とハルヴァルドさんが答える。
「……なんで私?」「こっちが聞きたいな」
でしょうね。
「……話を戻します。今いるこの森は安全なのですか?」
「森はかなり広大ですので、すぐには見つからないかと」
アストリッドさんが答える。
「この森は、抜けるだけで一週間はかかるほど広大です」
「百人や二百人じゃ、森全体を掃討はできないだろう」
ハルヴァルドさんが付け足す。
「でも、森を出る道は限られてる、ってことですよね」
「そうだ。出口や街道を押さえられていて身動きがとれない」
「敵?とやらの数は、今どれくらいですか」
「確認できている範囲で、概ね百」
少し離れた場所にいたシグネさんの声がした。アストリッドさんのメイド?だ。抑揚の薄い、それでいて簡潔な声だった。
「こちらは」
「十三」
私は、数字を口の中で繰り返した。百対十三。よく知らないが、まあ勝てないんだろうな、ということだけは分かる。
「今は見つかってないんですよね。このまま、見つからないように、潜伏しておくのは?」
「敵も斥候を放っている」
ハルヴァルドさんが短く答えた。
「そして二度接敵して……なんとか追撃を逃れたんだ」
ハルヴァルドさんの怖い顔がさらに怖くなった気がした。たぶん……犠牲になった人がいたのだろう。
「っ……じゃあ食料は、あとどれくらいもちますか」
「多く見積もっても、十日ほどです」
アストリッドさんが答えた。
「水は」
「川沿いを進める限りは問題ありません。ただ、川から離れる区間もありますし……非戦闘員が六名います。既に限界に近い者もいます」
時間は敵、ということだ。時間が経てば経つほど、食料が減り、体力が減り、敵が包囲を狭める余地が増える。
逃げ続けるっていう方向自体が、そもそも間違ってるのかもしれない。
「……そもそも、なぜ王女様をそこまで追っているんですか」
一瞬、変な空気になった。
ハルヴァルドさんが小さく息を吐き、アルヴァスさんが片眉を上げる。「そこから聞くのか」というような沈黙だった。
そうですよ、そこから聞きますよ。なんとなく想像もつくが、私の常識と合っているか分からないのだから。
「……失礼な質問だったら、すみません」
「いえ」
アストリッドさんが首を振った。
「当然の疑問です。誰も、あなたに説明していませんでした」
彼女は少し姿勢を正した。
「王都ヴァルガルドは、既に陥落しました」アストリッドさんはうつむきながら話す。
「か……陥落……」
もう負けたってことでは……?大丈夫なのか?
「ですが、私が生きてエストホルムへ到達すれば、残った王国の勢力にとって、旗印になり得ます」
アストリッドさんの目に力が籠る。
「各地で同胞たちがまだ戦いを続けている。アレクサンドリアの人々が、まだ諦めなくていい、と思える理由。そのために私は生き残らなければなりません」
月明かりに照らされたアストリッドさんの顔は、まるで女神かなにかのように神々しく見えた。
ハルヴァルドさんもアルヴァスさんも、アストリッドさんの言葉を静かに聞いている。驚きも感動もないようだ。つまり彼らにとって、これはすでに決定事項なのだ。
首都が攻撃される、なんて想像もつかない。敵に追われて逃げ続けるなんて映画か物語の中の出来事だ。
そして、たぶん私と年齢も違わないこの女性は、国を守るために生き抜こうとしているのだ。
さっきの話では、この逃走の過程で犠牲も出ているという。
王女を逃すために、自分の身を犠牲にしたのか……
ここまで来て何か、何かかすかにひっかかりを覚えた。
「……じゃあ、他の皆さんは? 狙われないんですか」
「私たちも敵国にとって重要度の高い人間には変わりない」
ハルヴァルドさんが答える。
「だが、政治的な価値でいえば、殿下が突出している」
「なるほど……」
私は一度頷いてから、もう少し考えを進める。
王女様が生きて逃げれば、旗印になる。だから、敵は王女様を殺すか、捕まえるか、少なくともエストホルムに着かせないようにしたい――
「でも敵も、ずっと追いかけていられるわけじゃないですよね」
「なぜそう思う」
アルヴァスさんが興味深そうに聞き返す。
「だって、戦争は続いているのでしょう。ほかの場所を攻めにいかないとして、治安維持だとか防衛とか?……向こうにも、やることがあるはずなので」
「軍としては、その通りだ」
ハルヴァルドさんが頷く。
「敵地の統治にも人手が要る。次の戦線への準備もある」
アルヴァスさんが付け足す。
「ただし」
シグネさんの声が割り込んだ。
「今のところ、敵の追撃部隊が撤退の兆候を見せているという情報はありません」
それはそうだろうな。私の感覚としても、王家だとか首脳陣は、最も重要な対象になるはずだ。
捕まらないからといって無視できる影響力ではない。それこそ軍隊を動かして確保に動くのは当たり前だ。
だから敵も必死に追いかけてきている。そしてこの森にまで追い込んだ。
戦うこともダメ。逃げるのもダメ。隠れることもダメ。本当にどうしようもないのか?
行き詰まったときに考えるべきは、答えじゃなくて前提のほうだ。
じゃあ、今、当たり前だと思っている前提はなんだ?
戦えない。
逃げ切れない。
隠れ続けられない。
――いや。
そもそも、逃げ切る必要があるのか?
「つまりは……追う理由がなくなればいいのかな?」




