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異世界コンサルタント  作者: kinboshi_8462
第1章 コンサルタントの異世界転移
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01 コンサルタントの異世界転移

 最初に気づいたのは、揺れがないことだった。

 電車は揺れる。座っていればおしりの下に振動がある。立っていればつり革が微かに動く。その揺れが、ない。



(寝過ごした……!)



 久しぶりにやっちゃったか……と、反射的にそう思った。終電で寝過ごして、車庫かどこかに連れていかれたパターン。過去に三回くらいやってる。さっきも、電車の座席に座った瞬間に意識が落ちた気がする。だから多分、これは。


 目を開けた。


 視界が白く飛んで、それから輪郭がゆっくり戻ってくる。天井――のはずの場所に、天井がない。木の枝が重なって、その隙間から夕暮れの空が見えている。


 空……、外……?


 頬に土の感触があった。湿っていて、冷たくて、草の匂いと、もっと奥に、古い石のような匂いが混じっている。

 私は自分が地面に横たわっていることに、そこでようやく気づいた。



(は?)



 声にならない声が、頭の中でだけ響いた。


 体を起こそうとして、手のひらが土をつかんだ。爪の間に泥が入る感触がして、それが妙に生々しくて、ようやく「これは夢じゃないかもしれない」という考えが差し込んでくる。夢じゃないならなんだ?


 撮影? いや、こんな場所で何を撮るんだ。イベント? いやいや、いくらなんでも土に直接寝かせる企画なんてない。


 馬鹿げた考えが、順番に浮かんでは消えていく。どれも違う気がするのに、それでも一つずつ検討してしまう自分がいた。

 スマホ、と思って、反射的にジャケットのポケットに手を伸ばす。



 ない。



 いや――待って、ポケットの位置は合っている。ジャケットは着ている。会社帰りのままの格好だ。ブラウスも、パンツスーツも変わっていない。でも中身がない。スマホも、社員証も、財布も。噓でしょ。


 頭の芯がひやりとした。

 その冷たさに引っ張られるように、体が震え始めた。寒いからではない。もっと違う種類の震えだった。


 顔を上げると、視界の端に人影が入った。

 一人や二人ではない。十人以上いる。

 鎧を着た人。ローブのようなものを着た人。誰の服装も、私の知っている服装ではない。中世ヨーロッパの絵で見たような、そういう格好の人たちが、私を囲むようにして立っている。遠くには荷物が詰まれた木製の荷車も見えた。


「――はは!うまくいったぞ」


 声がした。

 聞いたことのない響きと抑揚の言葉だ。でも、なぜか、その声の意味が、頭の中で勝手に日本語になって届いた。


 なんで……なんで分かるんだろう、この人の言葉が。知らない響きのはずなのに。おかしい。おかしいけど――

 いや、待って、それより


 今考えることはそれじゃない。多分。いや、本当にそうだろうか。今考えるべきことがどれなのかすら、分からない。


 まてまてまて。情報が多すぎる。

 地面が土。周りに知らない人たち。知らない服。知らない言葉なのに分かる言葉。スマホがない。


 どれか一つずつなら、まだ受け止められたかもしれない。でも全部が同時に来ている。頭の中で処理待ちの案件が積み上がっていくみたいに、次から次へと未処理のまま並んでいく。



「成功だ、また論文を書かないといかんな」



 さっきの声。今度は満足そうな響きが混じっている。


 声の主を、ようやく視界がとらえた。灰色がかった髪の、痩せた中年の男性だった。刺繍の凝ったローブを着こんでいて、腰元や背にはたくさんの道具や紙を携帯している。目つきが鋭くて、何かを観察するような視線を私に向ける。

 この人が喋ってる。未知の言語を。けど、意味が分かる。どうしてだ。



「……まさか本当に成功するとはな。アルヴァス、疑って済まなかった」



 別の声。今度は男性の、もっと硬い声だった。

 振り返ると、大柄な男の人がいた。全身に鎧を着こんでいて、腰には剣らしきものも見える。表情が険しくて、眉間に深い皺が寄っている。

 その男性が、灰髪の男性に向かって、頭こそ下げていないものの、明らかに謝る態度を見せている。


「俺が失敗するわけないだろう?」


 灰髪の男はさも当然、といった感じで返した。


 なんだこの状況は。そうだ、今何時だ……明日の朝、私が出社しなかったら、報告会どうするんだ?マネージャーはそこは任せたって。それに……明後日は同期との飲み会……。

 明日のことを考えた瞬間、喉の奥が締まった。泣きたいわけじゃないのに、涙腺の裏がじわりと熱くなる。


 駄目、今は。


 自分にそう言い聞かせたところで、なぜか涙があふれそうになる。頬を一筋、生温かいものが伝う感触があった。

 止めようとして、止まらない。震えも止まらない。両手を握りしめても、指先の震えは消えなかった。

 膝を立てようとした。うまく力が入らなかった。


「お加減はいかがですか」


 柔らかい声が、すぐ近くでした。

 顔を上げると、若い女性がしゃがみこんで私を覗き込んでいた。

 プラチナブロンドの長く美しい髪。顔は整いすぎていて、最初は精巧な人形のように見えた。けれど彼女が心配そうに眉を寄せている表情は、とても人間らしかった。


「……あ」


 声が掠れた。何か言おうとしたのに、言葉が出てこない。


「大丈夫です。ゆっくりで構いません」


 彼女はそう言うと、私が落ち着くのを、急かさずに待ってくれた。

 その静かな態度に、少しだけ呼吸が整った。完全にではない。震えも涙も残ったままだった。それでも、声を出せるくらいには。


「……すみません、私……」


「謝らないでください。突然のことで、混乱されていて当然です」

 彼女は私の目線に合わせるように、もう少し姿勢を低くした。

「まず、私が誰かをお伝えします。私はアストリッド。アレクサンドリア王国の王女です」


 おうじょ。


 王女と言った?言葉は分かる。意味も分かる。でも理解が追いついていない。


「あなたは今、私たちの持つ、古い術によってこの地へ呼ばれました。何が起きたのか、これから順を追ってご説明します」


「……ここ、は」


 声が震えた。


「日本、じゃない、ですよね」


「日本、というのが、あなたの故郷の名前でしょうか」

「……はい」

「申し訳ありませんが、聞いたことのない名前です」


 その一言が、何か決定的なものとして胸に落ちてきた。

 聞いたことがない。この人にとって、日本という場所自体が存在しない。


 ――異世界。


 まだ何も確定していないのに、その言葉だけが先に浮かんだ。


「お名前を伺っても?」

 アストリッドさんの声が、静かに続く。


「……神林、透子です。透子が名前です」

「トーコ、ですね。トーコさんとお呼びしても?」

 頷く。そうだ、私は透子だ。


 名前を呼ばれて、少しだけ現実感が戻ってきた気がした。

 人に名前を呼ばれる、というだけのことが、こんなに人を落ち着かせるとは思わなかった。

 少しだけ余裕が戻ってきた。ようやく周りを見ることができた。


 私は石造りのステージのような場所に座り込んでいた。何か古い遺跡のようだが、ところどころ崩れ落ちている。そして私の周りには幾何学模様と、見知らぬ文字が複雑に書き込まれた模様が刻み込まれている。魔法陣、というやつだろうか。


 十三人ほどの一行が私を囲んでいた。半分ほどは、鎧を着こんでおり剣を携えている。もう半分は、ローブを羽織っていて分かりづらいが、鎧などは着てなさそうだ。誰も彼も、ファンタジー映画から出てきたような、昔のヨーロッパを彷彿とさせるような格好だ。


 誰の顔も疲れている。鎧や服には泥や汚れがこびりついていて、何日も同じ格好で移動してきたことが窺える。

 そして、誰も私を見て安堵していない。


 むしろ、失望に近い空気があった。


「トーコ。単刀直入に聞く」

 さっきの大柄な男性が口を開いた。


「戦えるのか」


 突き放すような声ではなかった。ただ、確認そのものが目的、という響きだった。


「え、と……」


 頭の中がまた散らかる。何を聞かれているのかは分かる。分かるのに、答えを組み立てる余裕がない。


「剣は?」

「……使えません」


「……戦闘の経験は」

「ない、です」


「では、魔術は」

「ま……まじゅつ?ですか?」


 男性の眉間の皺が、さらに深くなった。


「……なにか特殊な技能は」


「えっ」


 急に聞かれても、うまく言葉が出てこない。頭の中を必死に探る。


「えー……本読むの早いくらいですかね……」


 沈黙が落ちた。

 先ほどの痩せた中年の男性が代わって声をかける。


「あー何をしていた?仕事というか、生業は?」

「……コンサルタント、なんです、が……」


 誰の顔にも、その単語への理解の色がなかった。


「……何だそれは」と大柄な男性が明らかに困惑した表情を浮かべる。

「ですよね」


「こんさるたんと。どういう仕事だ?」

 馬鹿にしている口調ではなく、純粋に知らない単語として発音しただけ、という響きだった。


「経営とか、事業とかの、相談に乗る仕事、です」

言っても分からないだろうな……と言ってから思った。ほかにどう説明すればいいものか。


「おい、アルヴァス。戦えない人間を一人増やしただけではないのか?」

 大柄な男性が、アルヴァスと呼ばれる灰髪の男性を睨む。


「ハルヴァルド」

 アストリッドさんが静かに口を挟む。

「彼女に非はありません」


「分かっています」

 ハルヴァルドと呼ばれた男性は、それ以上言わずに口を閉じ、腕を組んだ。感情を無理に抑えている、という顔だった。


 一方で、アルヴァスさんは違う反応をしていた。

「コンサルタント、ね」

 興味深そうに私を見下ろしている。値踏みするというより、未知のものを観察するような目だった。

「どんな相談に乗るんだ?」


 いやもう、うまく説明できる気がしない。文明レベルだか文化だか、全く違う気がする。

「え、あの……一つの目的に向けて多数で取り組む組織を相手に、それをどう円滑に進めるか……みたいな感じですかね……?」

「ほう……組織、か」

 それだけ言うと、アルヴァスは顎に手を当てて考え込んだ。何を考えているのかは、私には分からない。


 膝の上で、私はまだ震えている自分の手を見ていた。


 帰りたい


 考えないようにしていたはずなのに、また浮かんだ。

 お父さん、お母さん、心配するだろうな。明日、いや、もう明日の朝かも?レビューあったのに。マネージャー、私が来なかったら、どう思う――


 あんな大都会にいたはずなのに。周囲はうっそうとした森だ。一体ここはどこなのだろう。

 高い木がまっすぐと伸びている。日本の、下草の生い茂るような森とは何かが違う気がする。そういうことに気が付くと、より一層心細くなってくる。

 木々の間から差し込む夕焼けが、長い長い影を作っている。もうすぐ夜になるのだ。


 考えれば考えるほど、喉の奥が締まっていく。またパニックになっていく自分が分かる。

 止めようとした。けれど、一度走り始めた思考は簡単には止まってくれない。


「最後の手段でも状況は変わらなかった……やはり、夜陰に乗じて抜けるしかあるまい」

 ふいに、ハルヴァルドさんの声が耳に入った。

 私にではなく、アストリッドさんとアルヴァスさんに向けた声だった。


「あの多勢を相手にか。冗談は顔だけにしておけ」

 アルヴァスさんが即座に返す。うんざりした口調だった。


「だから私が留まると言っている。殿を務めればあるいは」


「それは既に認めないと言っています」

 アストリッドさんの声は柔らかいままだったが、芯には迷いがなかった。


 三人のやり取りを、私は半分ぼんやりと聞いていた。頭の中では、まだ日本のこと、家族のこと、スマホがないこと。考えることが順番待ちしている。それでも、耳だけは会話を拾っていた。


 こんな会話を今まで何度かしているのだろう、今初めて出てきた話じゃない気がする。

 言葉の端々に、擦り切れた感じがある。同じ提案、同じ反論、同じ拒絶。何度も繰り返してきた摩耗の跡のようなものが、声の疲れ方に滲んでいた。


 この人たちは、何かにずっと詰まっている。

 その事実だけは、震える頭の中でも、輪郭を持ち始めていた。

 膝の上に置いた自分の手を、私はもう一度握りしめた。爪が手のひらに食い込む感触があった。痛い。痛いということは、これは夢じゃない、という確認のようにも思えた。


 今、泣いても、仕方、ないだろ


 自分にそう言い聞かせた。声には出さなかった。頭の中だけで、一度だけ、強くそう思った。

 けれど、それで涙が止まったわけではなかった。震えも消えなかった。ただ、その言葉を思い浮かべたことで、ほんの少しだけ、次の言葉を探す余地ができた気がした。


 喉の奥に、何か塊のようなものが残ったまま、私は口を開いた。


「……すみません」


 声はまだ震えていた。

 全員の視線が、もう一度私に集まった。


「まず……今、どういう状況なのか、教えてもらってもいいですか」


 それだけ言うのに、思ったよりずっと時間がかかった気がした。


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