03 帰還の手がかり
# 第2章 Scene 3「帰還の手がかり」
あれから三日、私はアルヴァスさんと過ごしていた。
帰還方法を検討する、とのことだったが、大半はアルヴァスさんによる聞き取り調査、といった趣だった。
初日の調査から、昼休憩すら考慮されなかった。途中で運ばれてきた昼食を、アルヴァスさんは片手で齧りながら質問を続け、私は質問に答えながら片手で齧った。日が傾いて、窓の外の湖が橙色に変わったころ、シグネさんが「今日はここまでで」と言ってくれなければ、たぶん夜まで続いていたと思う。
翌日も、朝食のあとに早速呼ばれた。もちろん、昼休憩といった生易しいものはなく、夜までぶっ通しだ。
……まあプロジェクトの佳境もだいたいこんなものだ。
三日目には、もう呼ばれなくても、自分からあの部屋へ向かうようになっていた。食堂で使用人さんたちに見守られながら卵を食べるより、紙だらけの部屋で質問攻めに遭っているほうが、まだ落ち着くことに気づいてしまったからだ。我ながら、どうかと思う。
聞かれたことは、とにかく多かった。
こっちへ来る直前、どこにいたか。何をしていたか。何を見て、何を聞いたか。暑かったか寒かったか。身体のどこかが痛んだか。何を持っていて、目覚めたとき何がなくなっていたか。目覚めてから最初に見たものは何か。最初に聞いた言葉は何か。それを、どうして理解できたと思うか。
思い出せることは、全部聞かれた。思い出せないことも、思い出せないということを確かめるために聞かれた。
私は電車の中で眠っていた。だから、光を見たか、音を聞いたかと聞かれても、答えようがない。
ただ、「何も起きなかった」と答えるのは違う気がした。正しくは、「私は何も見ていない」だ。起きていたかもしれないことを、私が寝ていて見逃しただけかもしれない。
そう答えると、アルヴァスさんは満足そうな顔をして、紙に何か書き込んだ。
アルヴァスさんのような研究者みたいなタイプは、事実と推測の区別が明確なほうを好むのだろう。
持ち物の話もした。服はそのまま来た。でも鞄と、ポケットに入れていた財布と、スマホと、社員証は消えていた。
アルヴァスさんはそこに一番食いついた。身につけていたものと、懐に入れていたものの違いは何か。素材か、重さか、それとも身体に触れていたかどうか。靴は来たのか。髪留めは。下着は。
下着の質問には、さすがにシグネさんが「それは私が確認しておきます」と割って入った。アルヴァスさんは不満そうだったけれど、引き下がった。
その問答の結果、何かが分かったわけではない。アルヴァスさんも「分からん」と言って、その項目の横に印をつけただけだった。
そういう印が、紙の上にどんどん増えていった。
二日目の午後あたりから、少しずつ、私のほうからも聞くようになった。
聞かれっぱなしでは、何が分かっていて何が分かっていないのか、こちらからは見えない。仕事でヒアリングを受ける側の人たちも、たぶん同じことを思っていたのだろう。せめて、相手が何のためにそれを聞いているのかを知りたくなる。
それで分かったことが、いくつかある。
まず、私を呼んだのは、「古代魔法」というものだったらしい。
この世界の人たちが普段使っている「魔術」と、「魔法」は別のものだと整理されているらしい。
森で見た火の玉も、ハルヴァルドさんの盾の前に現れた見えない壁も、アルヴァスさんの治癒も、全部「魔術」のほうで、魔法とは仕組みからして違うという。
アルヴァスさんの説明によれば、魔術は「体系化され学べば習得可能な技術」なのだそうだ。ただし、その効果はある程度限界があるようだ。
一方で魔法は、「現代では原理不明・再現不能な技術」だが、その効果は魔術でも再現できないほど強大なのだという。なんでも古代では使われていたらしく、「古代魔法」という枠組みで形跡だけが残っているらしい。
そもそも魔術も魔法も、私からしたらそれ自体が何なのか分からない。
もちろん漫画や映画で見たことはあるが、現実にそれが使用されている世界に来るとなると……私の常識や物理現象の理解はどこまで一致しているのだろうか……。
まあともかく、今、分かったのは、魔法が今ではほとんど失われた技術で、使える人も、理解している人も、ごく僅かだということくらいだ。
そして、そのごく僅かな一人が、目の前で昼食のパン屑を古文書の上に落としているこの人だということ。
私が出てきたのは、森の遺跡に残っていた、古代の召喚の魔法陣だったそうだ。
ただ、その魔法陣は、完全な形では残っていなかった。長い年月で削れたり、欠けたりしていた部分があった。
アルヴァスさんは、その欠けたところを、自分の研究で補って動かしたのだという。
補って、動かした。
そして、私が来た。
「補ったって……」
そこで、引っかかった。原理不明、再現不能と言ってなかっただろうか?
「完全なものじゃなかったんですか?」
「いやぁ、一か八かだった」
アルヴァスさんは、ドヤ顔で言った。
「成功してよかった」
一か八か。
「……失敗してたら?」
「よくて、あたり一帯が吹き飛ぶ程度だ」
「え」
アルヴァスさんは、なぜ私が驚いているのか分からない、という顔をした。
「何を驚いてる。勝算はあったぞ。欠損の位置は分かってたし、補う理屈もあった。六割……いや、七割は堅かった」
「それを一か八かって言うんです」
「七割は一か八かじゃない」
「三割で、あたり一帯が吹き飛ぶんですよね?」
「よくて、だ」
「悪かったら?」
アルヴァスさんは答えずに、次の紙をめくった。
マッドサイエンティスト、という単語が頭を掠めた。
まあただ、それだけの人ではないことも、短い時間ではあるが接してきて分かってきた。
この人は知識や研究に対しては真摯だ。
完全に当てずっぽうで陣を動かしたわけではないこともなんとなく理解できる。欠けた部分を補うのに使った理屈は、アルヴァスさんが何十年もかけて調べてきたものの積み重ねで、あの場で思いついたものではなかった。
この人は、ちゃんと計算している。
計算した上で、三割の確率で「あたり一帯を吹き飛ばすこと」を、許容範囲に入れている。
それが一番怖いのだと思う。
次に分かったのは、私が「最初の一人」ではないということだった。
どうやら私は、史上初の異世界人というわけではないらしい。
むしろ、古い記録を探せば、それらしい人物は何人か出てくる。呼び方は時代や土地によってばらばらで、「迷い人」と呼ばれていたこともあれば、「異界の勇者」と呼ばれていたこともある。単に「英雄」とだけ書かれている記録もあるそうだ。
ただ、異世界人がみんな勇者だったわけではないらしい。
「記録に残るのは、何かをやらかした奴だけだ」
アルヴァスさんは、そう言った。
「国を救ったとか、戦に勝ったとか、とんでもない発明をしたとか。何もせずに畑を耕して死んだ異界人がいたとしても、誰も書き残さん」
つまり、残っている記録が英雄譚ばかりなのは、異世界人が英雄になりやすいからではなく、英雄になった異世界人しか記録に残らなかったから、ということだ。
よかった、と思うべきか、不安に思うべきか。
英雄的な働きを期待されても困ったところだが、アルヴァスさんが言っているのは、みんながみんなそうではない、ということだ。
一方では英雄を期待したことも事実なのだろう。
人選ミスを声高に訴えたいところだが、誰に言えばいいだろうか。
過去の異世界人たちの話を、アルヴァスさんは資料をめくりながらいくつか聞かせてくれた。どれも断片的で、名前すら残っていない人もいる。
その中に一人、妙な人がいた。
「ああ、こいつか」
アルヴァスさんが、黄ばんだ紙の束を指で弾いた。
「これは比較的新しい記録だ。どこぞの国が危なかったときに現れて、立て直したらしい。救国の英雄、なんて呼ばれてた」
「すごい人じゃないですか」
「すごかったんだろうな。少なくとも、最初は」
最初は、という言い方に、嫌な予感がした。
「……その人は、どうなったんですか?」
「女を四人だか五人だか侍らせた結果……」
アルヴァスさんは、紙の束を机に戻した。
「まあなんだ。女の嫉妬は怖いな」
何やってるんだ、先輩……!
国を救った英雄の末路が、それ。
壮大な異世界人の歴史を聞いているつもりだったのに、急に、同じ職場の誰かの噂話を聞かされたような気分になった。同じ「異世界から来た人」という括りで並べられると思うと、なんだか私まで恥ずかしい。
シグネさんが、少しだけ目を伏せた。笑っていたのかもしれない。
そして、一番聞きたかったこと。
過去の異世界人たちは、帰ったのか。
答えは、少しだけ重かった。
少なくとも、確実に「元の世界へ帰った」と分かる記録はないらしい。
ただ、アルヴァスさんはそこで話を終わらせなかった。
晩年まで記録が残っている人もいる。この世界で家族を持ち、この世界で死んだ人だ。一方で、ある時期を境にぷっつりと消息が途絶える人もいる。死んだのか、どこかへ行ったのか、それとも帰ったのか、記録からは分からない。伝承の中にしか残っていない人もいて、そういう話はたいてい「やがて英雄はいずこかへ去った」みたいな、どうとでも取れる終わり方をしている。
「記録がないことと、できないことは別だ」
アルヴァスさんは、そう言った。
「帰った奴がいたとしても、帰った後のことは誰にも書けん。こっちに残った奴の記録しか残らんのは、当たり前だろう」
慰めで言っているのではなかった。この人は、そういう言い方をしない。ただ、研究者として当然のことを言っただけだ。
だから、少しだけ信じられた。
帰れる、とは言えない。
でも、帰れなかった、と決まったわけでもない。
その夜、部屋で一人になってから、少しだけ泣きそうになった。でも、泣かなかった。泣くほど悪い知らせではなかったし、泣かずにいられるほど良い知らせでもなかった。ちょうど、その中間くらいだった。
ちなみに、三日間ずっと、真面目な話ばかりしていたわけではない。
むしろ、半分くらいは脱線していた。
きっかけは、スマホだった。
なくなった持ち物の話をしていたとき、それが何なのかを説明する羽目になった。遠くの人と話せる。文字も送れる。写真も撮れる。地図も見られる。調べものもできる。
話しているうちに、アルヴァスさんの目の色が変わっていくのが分かった。
「待て。それは魔術を使わずに、遠くの奴と話せるのか」
「はい」
「何で動いてる」
「電気です」
「デンキ」
「えっと……」
どう説明すればいいのだろう。
「雷、みたいなものを、細かく……」
「つまりそのスマホとやらは、雷の力で動くのか?」
「雷というか、電気です」
「同じじゃないのか?」
「……同じといえば同じなんですけど、説明すると長いです」
「時間ならある」
「説明すると長い」は「今は説明したくありません」の慣用句的表現で用いたつもりだったが、通じなかった。この世界との常識の違いか、アルヴァスさん個人の問題か、些か判断に困るところだ。
アルヴァスさんは新しい紙を一枚、机の上に広げている。
「雷をどうやって捕まえる。瓶にでも詰めるのか。それとも、雷を起こす術式があるのか。あるとして、それを誰が維持している。お前の世界には魔術がないんだろう。なら何で雷を――」
「アルヴァス」
シグネさんだった。
「帰還方法の調査では?」
「関係あるかもしれん」
「下着の時も、そう言っていました」
「それも関係あるかもしれなかったんだ」
シグネさんは、何も言わずにアルヴァスさんを見た。
アルヴァスさんは小さく舌打ちして、それでも、こちらに向き直った。
「で。どうやって雷を作る」
諦めていなかった。
「いや、私もそこまでは……」
「知らんのか」
その顔は、呆れた、と言わんばかりである。
ちょっと待ってほしい。これでも、世界有数の先進国で育ち、高等教育を受けた人材だ。発電機の基本的な仕組みくらいは理解している。小学校で作った。
「えーと……筒などに銅線を巻いたものの周囲で、磁石を回転させると電気が発生するんです。私の国では、水や蒸気の力を使って持続的に磁石を回転させることで一定の電力を常に生み出していました」
これはあれだ。現代知識で無双するパターンだな。
「……ほう。それで、なぜ電気……つまり雷が、銅と磁石で発生するんだ?どういう原理なんだ?」
なぜ電気が……なぜ??
「それは……」
なぜだ?「電磁誘導」という単語やフレミングの法則の手の形などが頭の中に浮かんでは消える。
「……わかりません……」
「毎日使ってるのにか?」
アルヴァスさんは、しばらく黙った。
それから、心底不思議そうに言った。
「お前の世界の人間は、仕組みも知らん道具を、毎日当たり前に使ってるのか」
「……そういうのこっちにもないんですか!?」
「……ま、そうだな」
アルヴァスさんは、ぽつりと言って、紙の端に何か書き付けた。
それが帰還方法と何の関係があるのかは、たぶん、本人にも分かっていない。
三日目の夕方。
窓の外で、湖が今日も橙色に染まっていた。
机の上の紙は、初日よりさらに増えていた。そのうち、私の世界について書かれたものは、毎日夕方になるとシグネさんが黙って回収していく。どこに持っていくのかは聞いていない。たぶん、聞かないほうがいいのだと思う。
そういえばシグネさん、初日はずっと一緒にいたのに、いつの間にかお昼ご飯とお茶と、夜の出迎えにしか来なくなっていた。ほっといてもいいだろうと判断されたのか……?
帰る方法は、まだ分からない。
でも、何も手がかりがないわけではなかった。
私の前にも、異世界から来た人たちがいた。私を呼んだ魔法陣は、まだあの森に残っていて、アルヴァスさんの手元にはその写しがある。召喚には、何かしらの条件があるらしい。その条件が何なのかは分からないけれど、少なくとも「調べる対象」は、ちゃんとこの世界に存在している。
何も分からない、から、何を調べればいいかが見えてきた。
三日前の私と比べれば、それだけでも、ずいぶん違う。
「よし」
アルヴァスさんが、ぱん、と膝を叩いた。
「今日はここまでだな」
珍しい。自分から終わりを言い出すなんて。
ほっとして、椅子から立ち上がろうとしたところで、
「明日は朝からだ。続きをやる」
「続き、って……」
「電池だ」
アルヴァスさんの目が、輝いていた。
今日一日で、一番輝いていた。
「雷を貯める、というのは面白い発想だ――あともーたーとやらも実際に作ってみたい」
帰る方法は私に必要なことだ。
ただ、電気の話は、たぶん帰る方法とはあまり関係がない。
関係がない話で、あの目をしたアルヴァスさんに一日捕まるのは、さすがに疲弊しそうだ。
そう、私は疲れているのだ。
今の私に必要なことは帰る方法に加えて、休日だ。
一人で勝手に、明日は休みの日ということにしようと決めた。




