第90話 生かされた者達
あの日から三日が経過していた。
カルナ・フロラが沈黙し、人型サーヴィターと無数のカゲロウ型サーヴィターが飛び去った日から、オアフ島の状況は大きく変わり始めていた。
ヴァンガード隊は島内に残存するカルナ・サーヴィターを一体ずつ確実に沈黙させていった。
カルナ・フロラを失った影響なのか、それとも別の理由があるのかは分からない。だが、島内に残されていたカルナ・サーヴィター達は明らかに統制を失っていた。
以前のような組織的行動は、もはや見られなかった。
建物の残骸に潜む個体もいれば、街路を当てもなく徘徊する個体もいる。
ヴァンガード隊はそれらを発見するたびに確実に沈黙させ、安全が確認された区域からは避難していた住民達も徐々に戻り始めていた。
そして次に着手したのは、地中へ向けて穿たれた無数の穴の捜索だった。それはカルナ・サーヴィターが次なるカルナ・フロラの種子となるべく潜行した痕跡である。
見落としがあれば、やがてそこからカルナ・フロラが発芽し、カルナ・サーヴィターが産み出される温床となる。放置することはできない。
住民達も協力し、大規模な人海戦術による捜索が開始された。
瓦礫を取り除き、地面を掘り返し、わずかな異変も見逃さない。そうして発見された穴を一つずつ調査し、その先に潜んでいたカルナ・サーヴィターを確実に処理していく。
三日間で発見された個体は三体。
いずれも深く地中へ潜伏していたが、それで全てとは限らなかった。島のどこかに、まだ発見されていない個体が残っている可能性は十分にある。
初日、稼働していたスサノヲは三機だけだった。しかし二日目には、一機が戦列へ復帰している。
まだ動きはぎこちない。損傷箇所も完全に修復されたわけではない。それでもストライク・イーグルは再び島内を歩き始めていた。
その操縦席に座っているのは加納ではない。
ジョディだった。
地中へ潜伏したカルナ・サーヴィターについては、発見を逃れた個体が島のどこかに潜んでいる可能性が依然として残されていた。そのため、捜索活動は今後も継続され、潜伏個体が発見された場合には再び戦闘が発生する可能性もある。オアフ島には、そうした事態に備えるための常駐戦力が必要とされていた。
その一環として、ストライク・イーグルをオアフ島へ常駐配備し、その専属パイロットをジョディとする案が藤原博士によって提案されたのである。
もちろん独断ではない。
加納は与島基地へ連絡を行い、小田桐基地司令へ現在の状況を報告していた。
カルナ・フロラの沈黙とオアフ島の戦況、ストライク・イーグルのオアフ島常駐配備と、ジョディをその運用候補として推薦する件。
そして――佐伯慎一の殉職。
全てを報告した上で、小田桐の了承は得られていた。
さらに、この時の報告の中で、小田桐基地司令から新たな指示も下されていた。
小田桐基地司令は、加納鉄平のヴァンガード隊アメノウズメパイロット就任と、ジョディのスサノヲ運用訓練のための日本派遣を正式に決定した。
ジョディの日本派遣についてはオアフ島の米軍基地側との調整も既に完了しており、了承は得られている。
そして――
小田桐が最後に語ったのは、殉職した佐伯慎一のことだった。
加納達ヴァンガード隊のメンバーに、佐伯の過去を詳しく知る者は居なかった。
佐伯慎一の生家は、四国八十八ヶ所の一角を担う由緒ある寺院だった。本来なら寺は兄が継ぐことになっており、慎一本人は軍属として別の道を歩んでいた。
だが、その故郷はすでに失われていた。
カルナによる侵略災害によって白化した大地に飲み込まれ、その際に慎一は両親と兄を失っている。帰るべき場所も迎えてくれる家族も、カルナは佐伯からそのすべてを奪い去っていたのだ。
それを聞いた加納は、思わず言葉を失った。
誰よりもカルナを憎んでいても不思議ではない。いや、むしろ憎まない方がおかしい。
だが佐伯は違った。
彼は決して憎悪に飲み込まれなかった。少なくとも、ヴァンガード隊の誰一人として、彼からその片鱗すら感じ取ったことはなかった。
佐伯は常に飄々としていて、どこか力が抜けている。深刻な空気になれば軽口を叩き、誰かが感情に呑まれそうになれば、さりげなく話題を逸らす。
今思えば、それは偶然ではなかったのだろう。
カルナとの戦いが人から家族を奪い、故郷を奪い、未来を奪うことを、佐伯は誰よりも知っていた。そして、その先に残る憎しみがどれほど人を蝕むのかも理解していた。だからこそ彼は、自らが仲間達の緩衝材であり続けることを選んだ。憎しみに支配されそうになる者達を支え、戦う理由を見失わせないよう努め続けたのである。
それがアメノウズメのパイロットとして彼が背負った責任であり、佐伯慎一という男の生き方だった。
その話を聞き終えた後もしばらく、誰も口を開けなかった。
加納鉄平は、静かに目を閉じた。
佐伯慎一という男が背負っていたもの。その重さを、言葉として理解することはできても、完全に同じ場所で感じ取ることはできない。だが、それと同時に、それは彼が最後まで仲間達へ見せなかった重みでもある。
だからこそ、彼の死をただ嘆くだけで終わらせるわけにはいかなかった。
佐伯がそうであったように、前を向かなければならない。カルナと戦い続けなければならない。
ヴァンガード隊の誰もがそれぞれの形で佐伯の生き様を受け止め、その想いをカルナを倒すための糧へと変えていった。
殊に加納鉄平にとって、その決意は重かった。これから自分が座る席は、佐伯が命を懸けて守り続けた席なのだ。その事実は、加納の胸に静かに刻み込まれていた。
もっとも、人が再び前を向くためには、まず死を受け入れなければならない。通常、カルナの酸に焼かれた遺体はほとんど何も残らない。それでも、誰が生き残り、誰が命を落としたのか。その現実を確認する作業は必要だった。
ヴァンガード隊による残存カルナ・サーヴィターの処理と並行して、人の手による行方不明者の洗い出しが進められていた。
それは、戦いの後に残るもう一つの戦いだった。
藤原博士の機転、ノアの尽力。そしてカレオ達消防隊の奮闘。それらによってワイアナエ住民の被害は奇跡的なまでに抑え込まれていた。だが、それでも犠牲者が出なかったわけではない。
避難の途中で消息を絶った研究所職員、脱出装置を起動させる暇もなく墜落した戦闘機パイロット。
そして住民達の避難時間を確保するため、最後の最後までカルナ・サーヴィターへ生身で立ち向かった消防隊員達。その名簿は、静かに、しかし確実に長くなっていった。確認された犠牲者は数十名に上っていた。
そして、その中には、カレオの名もあった。
カレオ隊が最後に布陣していた地点には、消防車の残骸だけが残されていた。
カルナ・サーヴィターが穿った這孔の最前線。車体は酸によって溶解し、かろうじてフレームだけが原形を留めている。
だが、その周囲にカレオの姿はなかった。
遺体も、遺品も。何一つ残されてはいなかった。
先祖から受け継いだ土地を守り、生きる家族を守る。カレオが語っていた責任と誇りは、最後まで偽りではなかったのである。
そして――
そんな中で、佐伯慎一の遺体は例外的に回収されていた。
蜘蛛型サーヴィターの酸を左後方から浴びたのだろう。横たわる遺体の傍らには、身体から切り離された左腕が落ちていた。
胴体も三分の一近くが失われている。それでもなお、佐伯の姿を佐伯として認識できるだけの形は残されていた。
もっとも、それも長くは保たない。カルナの酸は死後も侵食を続けており、今この瞬間も佐伯の身体は少しずつ蝕まれ、失われ続けている。
佐伯が息を引き取った時の状況は分からない。だが、その直前まで何をしていたのかだけは明白だった。
それでも――
その周囲だけは、不思議なほど整っていた。工具箱は開かれたままではなく、きちんと閉じられていた。すべての工具は元の位置に戻され、乱れひとつない。蓋のロックさえも、丁寧に掛けられている。それは、戦場のただ中とは思えないほどの整然さだった。
まるで、最後まで仕事を終えた者の所作のように。
加納はその光景から目を逸らせなかった。
ここに残っているのは遺体ではない。ただの《《終わり》》でもない。それは、最後の最後まで他者を支え続けた意志の残滓だった。
佐伯慎一という男は、恐怖に飲まれることなく、憎しみにも屈することなく、ただ誰かが前へ進むための《《余白》》を作り続けていたのだ。
それがどれほど異常なほどの強さか、今になってようやく分かる。
加納はゆっくりと拳を握った。そして、誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。
さらに四日が経過し、あの日から一週間が経過した頃、住民たちの止まっていた時間は、少しずつ動き出していた。
オアフ島各地では、復旧と再建のための作業が進められていた。
失われた日常を取り戻すため、人々はそれぞれの持ち場で黙々と汗を流している。
そして、カルナ・ドームにも大きな変化が訪れていた。
かつてアメリカが、人類の技術力とカルナ研究の成果を世界へ示すために築き上げた場所。カルナ・フロラを管理し、人類の未来へ役立てるはずだった施設。
そして同時に、ヴァンガード隊が命を懸けて目指したオアフ島奪還作戦の最終目標でもあった。
その中心部では、新たな整備計画が進められていた。
かつて生命を拒絶し続けたその土地は、これから色とりどりの花々に覆われ、人々が集い、憩うことのできる公園へと生まれ変わろうとしていた。
それは、復興事業であると同時に、人類はなお前へ進むのだという未来への宣言でもあった。
もっとも、その場所は未来だけのために存在するわけではない。二度と忘れてはならない過去を刻む場所としての役割も担うことになっていた。
公園中央部には墓所と慰霊碑が設けられる予定である。そこには佐伯慎一の遺体が埋葬されていた。
一週間が経過しようとする今も、カルナの酸による溶解が止まることはない。
なんとか佐伯の遺体を日本への移送する案が検討されたが、輸送中に収容設備や輸送機そのものを侵食する危険性を排除することはできず、日本への移送は断念された。
こうして佐伯慎一は、最後の戦場となったオアフ島の地に眠ることになり、慰霊碑には佐伯慎一の名が最初に刻まれることになっていた。
続いて刻まれるのは、カレオの名である。
だが、それは死を称えるためではなかった。
そこに刻まれるのは、この島で何が起きたのかを語り継ぐための記憶であり、未来を生きる者達が決して忘れてはならない犠牲の証だった。
一方で、ワイアナエ研究所もまた、その役目を終えようとしていた。
カルナ研究の拠点として運営されてきた施設は、組織としては正式な解散が決定している。残された設備の搬出作業が進み、研究員達もそれぞれ新たな所属先へ移ることになった。
そして、研究所の建物そのものは、別の用途で生まれ変わる予定となっている。改装工事を経た後、住民へ無償開放される生活支援施設として再利用されることになっている。
カルナ・サーヴィターの侵攻によって生活の拠点を失った住民達の受け入れ先として活用される一方で、その役割はそれだけに留まらない。
ワイアナエには以前から、テントや簡易住居での生活を余儀なくされている人々が存在していた。新たな施設は、そうした人々に安定した生活環境を提供し、仕事や住居を確保するための足掛かりとなることも目的としている。
それは単なる避難所ではない。
長く放置されてきた地域の問題と向き合い、人々が再び生活を立て直すための基盤として整備されようとしていた。
それが研究所に与えられた最後の使命だった。
搬出作業が続く研究所の外では、復旧作業へ向かう住民達の姿が絶えなかった。
かつてカルナ研究のために存在した場所は、今、人々が再び生活を取り戻すための場所へと姿を変えようとしている。その光景は、この島が少しずつ未来へ歩き始めていることを静かに物語っていた。




