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プロジェクト・アマテラス《三貴機神再生計画》  作者: 狐月華
6. 楽園の喪失《パラダイス・ロスト》
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第89話 楽園の残光

「佐伯さん!」


 佐伯からの応答はない。開かれた通信回線の向こうには、ただ沈黙だけが横たわっていた。加納は眉をひそめる。


「……佐伯さん?」


 相変わらず返答はない。だが次の瞬間――


『まさか、本当にカルナ・フロラを沈黙させられるとは思わなかった……』


 不意に、《《通信回線越しに》》声が響いた。それは、男とも女とも判別できない声だった。

 思いもよらない応答に、加納の表情が凍り付く。


「佐伯さんじゃ……ない……」


 加納の声は硬かった。


「いったい誰なんだ……」


 だが、その問いに答える者はいない。通信の向こうから返ってきたのは笑い声でも威嚇でもない。ただ、静かな沈黙だった。


「加納」


 不意に藤堂の声が割り込む。


「入口だ」


 その声に、加納は反射的に顔を上げた。


「入口……?」


 加納が操縦席のコンソールを操作する。アメノウズメ外部カメラが旋回し、巨大ドーム外壁の破孔を映し出した。

 カルナによって穿たれた巨大な穴の向こうから、朝の陽光が滝のように流れ込んでいる。白煙に霞んでいたドーム内部とは対照的に、その一帯だけが眩い光に満たされていた。


 加納は思わず目を細めた。強烈な逆光のせいで、その先の様子は判然としない。


 だが――

 眩い朝の光を背負うようにして一つの影が静かに佇んでいた。強烈な逆光のせいで細部は見えない。ただ黒く塗り潰された輪郭だけが光の中に浮かび上がっている。

 それは――人影にしか見えなかった。


 小さい。


 少なくとも、これまで相手にしてきたカルナ・サーヴィターの大きさではなかった。その全高は二メートルにも満たない。


「……人、なのか?」


 加納が思わず呟く。すると、ニックが掠れた声で応えた。


「いや……」


 ニックは言葉を切った。ヘッドギアに移るレーダー表示を見据えたまま続ける。


「あれは、カルナ・サーヴィターや」


 アメノウズメの車内に緊張が走る。

 頭部、胴体、両腕と両脚――一見すると、その輪郭は人間に酷似している。


 ……だが。違う。


「レーダーの反応を見るんや」


 ニックが低く言った。


「普通の人間やったら、表示されへんはずや」


 加納は無言のまま戦術モニターへ視線を落とした。


 カルナ・サーヴィターは常に特殊な電波を放出している。

 それはカルナが仲間同士の情報伝達に用いられる通信信号であり、人類の無線通信に似た性質を持っていた。


 だが、その出力は人類の物と比較すると桁違いに強力で、波形も極めて複雑だ。意図的に通信を行っていない時でさえ放出され続けるその信号は、人類の通信機器へ容易に干渉し、時には回線そのものを上書きしてしまう。


 人類がカルナ・サーヴィターを探知するために用いているレーダーも、本質的にはその電波を検出する装置に過ぎない。


 だからこそ――

 ドーム入口付近。戦術モニターに、はっきりと表示されていた、《《その反応》》が示すものの意味。


 逆光の中に立つ人影と重なる位置に、一つの赤い光点が脈打っている。

 その反応は紛れもない、《《あの人影が、カルナ・サーヴィターである》》ことを示していた。


 加納の喉が小さく鳴った。


『どうして、そんなひどいことをするの? 私たちは、ただ、生きたかっただけなのに……』


 静かな声だった。

 責めるでもない。怒りに満ちているわけでもない。ただ純粋な悲しみだけを滲ませたその声が、車内へ静かに響く。


 誰も言葉を返せなかった。


「通信回線越しにやって!? 一体どうなっとるんや!」


 ニックが狼狽えた声を上げる。


 あり得ない。その一言に尽きる。

 ドーム内部では今や無数のカゲロウ型サーヴィターが飛び交っているのだ。


 カゲロウ型サーヴィターはカルナの情報網を構成する中核個体だ。それが数体いるだけで周辺の通信環境を支配し、人類の無線回線を容易に無力化する存在だ。

 しかし、その反応はすでに戦術モニター上で飽和状態に達している。


 赤い光点は増殖を続け、やがて個々の識別すら不可能となった。


 ノイズ。

 ……ノイズ。

 …………ノイズ。


 画面の至る所を埋め尽くす赤い乱れが、まるでレーダーそのものを侵食しているようだった。


 そんな状況下において、人類の脆弱な通信が成立するはずがない。成立していいはずがなかった。

 それなのに、通信回線越しにアメノウズメ社内に響き渡るその声だけは異様なほど鮮明に聞こえていた。

 その音質には、雑音一つない。まるで、相手が直接語り掛けているかのようだった。


 加納は息を呑んだ。藤堂も、ニックも、大樹も言葉を失っている。

 誰一人として応答できなかった。


 通信回線に響く悲しみに満ちた声。その正体不明の存在が、逆光の中で静かに佇んでいる。

 ただそれだけの光景であるはずなのに、誰も視線を逸らすことができなかった。

 ドーム内部を満たしていた羽音さえ遠のいたような錯覚を覚えるほどの静寂が流れる。


 ……その時だった。

 人影がゆっくりと右腕を持ち上げた。眩い朝日を背負った黒い輪郭が静かに動き、その指先が天を指し示す。


 すると、巨大な破孔から流れ込んでいた無数のカゲロウ型サーヴィターが、一斉にその腕へ吸い寄せられるように動き始めた。


 入口付近を漂っていたカゲロウ型サーヴィターが、人影の掲げた腕へ導かれるように集まり始める。

 最初は散発的だった群れが、瞬く間に膨れ上がっていく。黒い影は次々と合流し、その流れはやがて一本の奔流へ変わった。


 人影を中心に渦を描きながら旋回する群れは絶えずその規模を増し、気付けば巨大な黒い柱となってドーム内部を貫いていた。


 それは竜巻にも似ていた。あるいは天へ伸びる巨大な触腕にも見える。その渦は生き物のようにうねりながら絶えず姿を変え、その規模を増していく。カゲロウ型サーヴィターの羽ばたきの音は次第に重なり合い、やがて巨大ドーム全体を震わせる低い唸りへと変わった。


 加納は思わず戦術モニターへ目を向ける。だが、そこにはもはや正常な表示は存在しなかった。画面を埋め尽くす無数の反応が処理能力の限界を超え、システムは情報の更新すら追い付けなくなっている。

 それほどまでに、集結しているカゲロウ型サーヴィターの数は膨大だった。


 入口の逆光を背に立つ人影は、頭上で膨れ上がる黒い渦を静かに見上げていた。

 無数のカゲロウ型サーヴィターがその周囲を旋回しながら集結を続け、群れは今なお巨大化している。それほどの数を従えているにもかかわらず、人影に力を誇示するような様子はない。ただそこに立っているだけだった。


 しかし、その何気ない佇まいこそが異様だった。

 数万、あるいは数十万にも及ぶ群れが、その存在を中心として蠢いている。それほどの光景を前にしてなお、人型サーヴィターは微動だにしない。

 まるで無数のカゲロウ型サーヴィターが別個の存在ではなく、自らの身体の一部であるかのようだった。


 そして――掲げられていた右腕が、ゆっくりと動く。

 本当にゆっくりと。

 まるで全てを支配していることを誇示するかのように、その腕はヴァンガード隊へ向けて静かに振り下ろされた。


 直後、渦を成していた無数のカゲロウ型サーヴィターが一斉に反応する。

 黒曜石にも似た甲殻が朝日を反射し、無数の赤い複眼が妖しく明滅したかと思うと、巨大な渦そのものが生き物のように形を変えながら前方へ雪崩れ込んだ。


 ゴォォォォォォォッ――!!


 それはもはや生物の群れではなかった。

 カゲロウ型サーヴィター……。一体一体は体長五十センチメートル程度に過ぎない。質量も知れている。本来であれば、全長八メートルのスサノヲや六十トン近いアメノウズメにとって脅威ですらない存在であるといえる。


 だが、数が違った。数万、あるいは数十万。

 その全てが一つの意思に従い、一つの流れとなって突撃してくる。無数の羽音が重なり合い暴風となり、無数の甲殻がぶつかり合って濁流となる。


 それは全てを押し流す闇色の奔流だった。

 黒い濁流はヴァンガード隊を正面から呑み込み、その巨体ごと後方へ押し流そうとしていた。


「くっ……!」


 加納が歯を食いしばる。


 アメノウズメの車体が激しく揺れた。巨大なクローラーは赤黒い繊維を巻き込みながら地面を掻き毟り、エンジンは唸りを上げて最大出力へ達する。

 加納は即座に操縦桿を押し込み、前進出力を限界まで引き上げた。しかし、それでも黒い奔流の勢いは止まらない。


 無数のカゲロウ型サーヴィターが生み出す圧力は凄まじく、クローラーが地面を削りながら前へ進もうとするたびに、六十トン近い巨体がじりじりと後方へ押し戻されていく。


「なんや、この数……!」


 ニックが悲鳴じみた声を上げる。

 左右のスサノヲも必死に踏み止まっていた。カルナ筋束が限界まで膨張と収縮を繰り返し、脚部フレームからは悲鳴のような軋みが響く。


 サイクロプスは押し寄せる圧力に抗しきれず片膝をつき、それでも長刀を杖のように突き立てて姿勢を維持していた。後方ではユグドラシルが巨大な盾を構え、吹き荒れる黒い奔流を真正面から受け止めている。しかし、その場に踏み留まるだけで精一杯だった。

 それほどの圧力だった。


 無数のカゲロウ型サーヴィターが生み出す暴風と濁流は絶え間なくヴァンガード隊へ叩き付けられ、機体の重量も出力も意味を失わせる勢いで押し流そうとしていた。


 そして、ついにジョーカーが耐え切れず体勢を崩す。

 巨大な機体は足を取られるように後方へ流され、そのまま尻餅をつくように地面へ倒れ込んだ。


「ニック!」


 藤堂の叫びが響く。


 しかし、誰にもジョーカーを助けに向かう余裕はなかった。サイクロプスもまた暴風の中で耐えるだけで精一杯であり、絶え間なく叩き付けられる衝撃によってスサノヲの頭部は細かく振動を続けている。アイカメラは像を安定させられず、視界は揺れ、霞み、まともに前を見ることすら困難だった。


 それでも――アメノウズメだけは違った。

 圧倒的な重量と広大な接地面積を持つクローラーが辛うじて車体を支え続けている。加納は激しく揺れるモニター越しに前方を睨み続けた。


 黒い奔流の向こう。無数のカゲロウ型サーヴィターが乱舞するその先で、人型サーヴィターだけは不思議なほど鮮明に視界へ焼き付いている。


 その背中から、ゆっくりと赤い光が広がり始めた。

 それは蜘蛛型サーヴィターが生み出していたものと同じもののように思える。赤く脈動するように発光するカルナ繊維。


 一本、二本――そんな数ではない。

 人型サーヴィターの背中から溢れ出した無数の発光繊維が、生き物のように蠢きながら互いに絡み合っていく。


 極細の糸が結われ、束ねられ……織り込まれ、編み合わされていき……やがて一つの形となっていく。

 その光景に、加納は思わず息を呑んだ。現れたのは羽だった。


 巨大な一対の羽。

 蜻蛉を思わせる繊細な輪郭を持ちながら、その大きさは人型サーヴィターの身長を遥かに超えている。


 赤い光で編み上げられたかのような羽は、ドーム内部を照らすほどの輝きを放っていた。

 その姿を見た瞬間――加納の脳裏によみがえったのは、与島基地で目撃したあの光景だった。


 北朝鮮から発射された核ミサイルが屋島上空で炸裂し、空が白く焼き潰されたあの日。無数の飛行型サーヴィターが空を埋め尽くすその中心に、一つの影がいた。


 基地の監視カメラを最大望遠にしても、辛うじて人影と判別できる程度の存在。だが、その輪郭だけは強く脳裏に焼き付いている。


 羽の生えた人影――。

 今、巨大ドームの入口に立つ人型サーヴィターは、その時に見た存在と完全に一致していた。


『私がせっかく目覚めさせてあげたのに……』


 静かな声が再び通信回線へ流れ込んだ。


『あなた達が何をしたのか解らないけど、あの子――あのカルナ・フロラは、もう助からない……』


 その言葉と共に、黒い奔流の圧力がさらに増した。


 ゴォォォォォォォッ――!!


 無数のカゲロウ型サーヴィターが一斉に押し寄せ、アメノウズメの巨体が軋みを上げる。車体を覆う装甲には絶え間なく衝撃が叩き付けられ、外部カメラの映像は黒い甲殻によって次々と埋め尽くされていった。


 視界を覆うのは、妖しく輝く無数の赤い複眼と黒い羽、そして濁流のように押し寄せる甲殻の群れ。やがてモニターの大半は黒一色に塗り潰され、その向こうに見えていた人型サーヴィターの姿さえ霞み始める。


 それでも加納は目を逸らさなかった。黒い濁流の隙間から辛うじて見える人影が、不意に揺らいだように見えたからだ。

 次の瞬間、その身体が静かに宙へ浮かび上がる。


 背中から伸びる巨大な赤い羽がゆっくりと広がり、発光する無数のカルナ繊維が朝日を受けて輝きを増していく。その赤光は燃え上がる炎のようにドーム内部を染め上げ、人型サーヴィターの輪郭を幻想的に浮かび上がらせていた。


 そして――


『サヨナラ』


 短い別れの言葉を最後に通信は途絶えた。その直後、人型サーヴィターの姿が不意に揺らぐ。轟音も衝撃波もない。ただ赤い羽の残光だけを残して、その身体は視界から消失した。


「なっ……!」


 加納が息を呑む。目で追おうとした時には、すでにその姿は巨大ドームの開口部の彼方へ達していた。残された赤い軌跡だけが、そこに何かが存在していたことを辛うじて物語っている。

 そして、その後を追うように無数のカゲロウ型サーヴィターが一斉に進路を変えた。


 それまでヴァンガード隊を押し潰していた黒い奔流は、その密度と勢いを保ったまま巨大な渦となってドーム内部を横切り、暴風と轟音を撒き散らしながら開口部へ向かって流れ去っていく。巻き上げられた白煙が視界を覆い、床一面に広がっていた赤黒い繊維が激しく引き千切られた。


 やがて黒い濁流は人型サーヴィターの後を追うように巨大ドームの外へ吸い込まれ、その羽音も次第に遠ざかっていく。


 唸るような羽音が消え、吹き荒れていた暴風も収まると、巨大ドームには嘘のような静寂が戻ってきた。そこに残されていたのは、光を失ったカルナ・フロラと、黒い奔流に蹂躙されたまま立ち尽くすヴァンガード隊だけだった。


 誰も言葉を発することができない。


 ただ巨大な開口部の向こうを見つめながら、今目にした存在が本当に現実だったのか確かめるように、その場に立ち尽くしていた。

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