第87話 託された想い
「佐伯さん、いったい何を……」
加納の戸惑った声が返る。
『ん? いや、あの日、小田桐基地司令にヴァンガード隊のメンバーを指示された時のことを思い出していてな』
通信の向こうから、レンチでボルトを締め込む硬い金属音が断続的に響く。佐伯は話しながらも作業の手を止めていないらしい。
『ニックに藤堂、ほぼ新人の篠宮に……そして、お前。よくもまぁ、尖ったメンバーを集めたもんだと思ったよ』
佐伯が小さく笑った。
ガンッ
何かを叩く音が響く。
『藤堂は無関心、ニックは自由人。篠宮は右も左も分からない新人だ。そして極めつけが、常にピリピリしている、気難しくて神経質のお前だ』
佐伯は淡々と続ける。
加納は黙って聞いていた。
『藤堂のヤツは毛ほども気にしていないっていうのに、お前は、あいつに無茶苦茶対抗意識を燃やしててな。正直、どうなることかと思ったさ』
苦笑するような声だった。
『だがな、あの日お前に言ったように、お前が部隊の中心だと判断した俺の眼に狂いはなかった』
佐伯の言葉に、加納が息を呑む。
『お前は、常に部隊全体を俯瞰して視ていた』
その声は静かだった。
『誰が危ないか。誰が遅れているか。誰を援護するべきか。お前はいつも、自分の戦果より仲間の生存を優先していた。まるで上空から戦場全体を見渡す鷲みたいにな』
ガチャリ。再び工具の音がする。
加納は何も言えない。返す言葉が見つからなかった。
『そして、部隊全体が上手く動けるように、常に最善の行動で立ち回ってくれていた』
工具を締め付ける音が響く。
『だから……な』
一瞬だけ作業音が止まった。
『俺はな。もし俺に何かあった時に、アメノウズメを任せられるのは加納、お前以外に考えられねぇ……ってな』
止まっていた工具音が再び聞こえ始めた。
『俺は、そう思っている』
加納の喉が小さく鳴る。
「佐伯さん……」
通信の向こうから、何かを締め込む金属音が聞こえた。
その直後だった。
カラン――。
レンチだろうか。何かが地面を転がる乾いた音だった。
加納は眉をひそめた。
いつもなら、すぐに工具を拾い上げて作業を再開するはずだ。
だが、次の音がなかなか聞こえてこない。
「……佐伯さん?」
加納が呼びかけても、返事はなかった。
通信回線には遠くで続く戦闘音だけが流れている。先ほどまで断続的に聞こえていた工具の音も途切れたまま、不自然な静寂が広がっていた。
やがて、その静寂の奥から何かが動くような微かな物音が聞こえた。続いて、荒い息遣い。
短く息を吸い込み、苦しげに吐き出す呼吸が二度、三度と繰り返される。
加納は無意識に眉をひそめた。
「佐伯さん?」
今度は先ほどより強い声だった。
しかし応答はなく、数秒の間を置いて、ようやく工具を拾い上げたらしい音が通信越しに響いた。
ガチャリ。
遅れて工具を拾い上げた音が響く。
『悪い悪い』
佐伯が笑った。
だが、その声は僅かに掠れていた。
『ちょっと手ぇ滑らせた』
そして何事もなかったかのように工具を噛み合わせる音が続く。
『よし、加納。もう一回前進に動くか試してみてくれ』
「了解」
加納がレバーを前方へ倒す。
ギギギギ……
苦しげな駆動音と共にクローラーが回転した。先程よりは長い。赤黒い繊維を噛み砕きながら、アメノウズメの巨体が前進する。
「動いた!」
だが――
ガクン。
再び駆動が止まった。車体が沈黙する。
『よし、後もうひと踏ん張りだな』
佐伯の声が返る。
やがて、通信の向こうから工具を扱う音が再び聞こえ始めた。
レンチでボルトを締め付ける硬い金属音が断続的に響き、その合間には何かを叩いて噛み合わせを調整するような乾いた打撃音も混じる。
『ニック、聞いているな』
「なんや? 佐伯さん、ちゃんと居眠りせずに聞いとるで~~」
ジョーカーが蜘蛛型サーヴィターの触手の間を縫うように駆け抜ける。白煙の中で機体が一瞬だけ掻き消え、次の瞬間には敵の背後に回り込んでいた。
閃いた短剣が首元へ突き立ち、蜘蛛型サーヴィターが崩れ落ちる。
ジョーカーの様子を横目で確認しながらも、佐伯は苦笑混じりに続ける。
『またお前は……、いっつも、そうやってふざけた応答ばかりしやがって……』
ガキン、と硬い音が響く。
『お前は昔っから、いっつも人を食ったような言動ばかりだ。お前が真面目な顔して人の話を聞いてるところなんざ、俺には想像すらできやしねぇ』
「ひどい言われようやなぁ」
ニックが笑う。
『だがな』
佐伯の声から苦笑が消えた。
『カルナ相手に誰にも真似できねぇ軌道を描いて、気づけば死角にいる。そして背後から仕留める』
ジョーカーが再び加速する。
白煙の中を駆けるその機体は、まるで佐伯の言葉を行動で示すような軌跡を描いていた。
『お前こそ、まさにジョーカーそのものだ』
ニックが珍しく何も返さない。
『スサノヲの動きが物足りねぇから装甲を削るって?』
佐伯が呆れたように笑う。
『そんな馬鹿なこと言いだして、実際にやって、それで本当に戦果を挙げてる……そんな気違いは、お前くらいなもんだ』
「それ、ワイは褒められとるんか? 微妙やな」
通信に小さな笑いが混じった。
そして佐伯は次の名を呼ぶ。
『そして、藤堂』
「はい」
即座に返答が返る。
『俺は、あの日……お前があの長刀を使いこなせる理由が理解できねぇって言った時、それと同じくらい、俺はお前自身のことが理解できなかった』
サイクロプスは静かに蜘蛛型サーヴィターの攻撃を捌いていた。
『あの時、俺は、お前のことをカルナを倒す以外に興味がねぇ、冷たい人間なんだと……そう思ってた』
藤堂は何も答えず、ただ黙って聞いている。
そして、サイクロプスはその間も攻撃の手を止めず、蜘蛛型サーヴィターの頭を薙ぎ払っていた。
『だが、それは間違いだった』
作業の手を止めないまま、佐伯は続けた。
『お前はカルナを他の誰よりも憎んでいる。だが、それはカルナのせいで人が傷つくことを、他の誰よりも許せないと思っているからだ』
白煙の向こうで、サイクロプスの長刀が静かに閃く。
敵の攻撃を最小限の動きでいなし、確実に急所だけを断ち切る。その姿は冷徹ですらあった。
だが佐伯は、その戦い方の奥にあるものを、もう知っていた。
『俺は、お前と行動を共にして、やっとその根っこにある、お前の優しさを理解することができた』
サイクロプスがさらに一歩踏み込む。次の瞬間、蜘蛛型サーヴィターの胴体が真っ二つに裂け、そのまま崩れ落ちた。
『だからこそ、その優しさがあるからこそ、お前はカルナの前では鬼になれる』
工具を締め付ける音が響く。
『それを理解した時、俺は自分の愚かさを思い知らされたよ』
白煙の向こうで長刀がまた閃いた。次の瞬間、蜘蛛型サーヴィターの胴体が斜めにずれ、そのまま崩れ落ちる。
「……ありがとうございます」
藤堂はそれだけ答えた。
そして佐伯は最後の名を呼ぶ。
『そして、佐々木』
「はい」
緊張した声が返る。
『スサノヲの開発に携わり、ユグドラシルを設計した?』
佐伯が鼻で笑った。
『正直、俺は一生かかってもお前の頭の中を理解できる気がしねぇ。とんでもねぇと思うよ』
工具を締める音が通信越しに響く。
『普通なら研究所に籠もっていたっておかしくねぇ人間だ。だが、お前はここへ来た。そして、自分で作った機体に乗って、俺たちと一緒にカルナと戦う道を選んだ』
ガチリ、と重い音が響いた。
何かを締め込むような力の入った音だった。
『そのおかげで、机の上だけじゃ絶対に分からねぇことも嫌ってほど見ることができただろう』
通信の向こうでは、変わらず工具の音が続いていた。
佐伯は整備の手を止めることなく、淡々と言葉を紡ぐ。
『俺たちと行動を共にして、その目で見て、実際に戦って、現場でしか味わえねぇ経験をしたはずだ。そして、お前はそれをちゃんと自分の糧にしてきた』
大樹は黙って聞いている。
『その経験は、この先のお前の人生で絶対に無駄にはならねぇはずだ』
短く言い切った佐伯の声には、不思議な確信があった。
佐伯が言う。
『百足型サーヴィターを仕留める方法を考え、俺の目の前で実現して見せた、あの弾頭みたいにな』
そこで佐伯は手を止めた。
通信の向こうから聞こえていた工具の音が、ふっと消える。
『これからも、あいつらに痛い目を見せる武器を生み出してくれ』
「……はい」
佐々木の返事は短かった。だが、その声には確かな力があった。
通信には再び工具音が混じり始める。
佐伯は今もアメノウズメの車体脇に身を屈め、損傷したクローラーへ黙々と工具を差し込んでいるのだろう。
やがて、工具音が止んだ。
続いて漏れた小さな吐息には、作業を終えた安堵が滲んでいた。
『よし――これでいいはずだ……。加納。もう一度、前進に操作してみてくれ』
「はい。佐伯さん」
加納はレバーを前方へ倒した。
嫌な抵抗音は、もう聞こえない。アメノウズメのクローラーが力強く回転を始める。赤黒い繊維を噛み砕きながら、巨体は滑るように前進した。
「動いた……!」
加納は素早く各種計器へ視線を走らせる。
駆動系の警告表示は出ていない。クローラーの回転数も安定している。問題はなさそうだった。
加納はそのまま車体を後退させる。
巨大車両はゆっくりと後進し、クローラー脇で作業を続けていた佐伯のすぐ傍で停止した。
「佐伯さん。問題なさそうです。アメノウズメに戻ってきてください」
『ん?』
少し間を置いて、佐伯が応えた。
『ああ、すまねぇが、今はちょっと動きたくねぇ気分なんだ』
その声はどこまでも気楽だった。
『それに、ちょっと疲れたんでな。ここで休んどくわ』
加納の眉が寄る。
『蜘蛛型サーヴィターも、どうやらこの辺にはいなくなったようだし、お前たちでさっさとカルナ・フロラを破壊して、全部終わってから迎えに来てくれ』
「そんな――」
加納は思わず身を乗り出した。
「佐伯さん。蜘蛛型サーヴィターがまだ潜んでいるかもしれません。大丈夫です。今からすぐに俺が佐伯さんを迎えに行きますんで……」
加納がハーネスのバックルへ手を掛ける。通信が沈黙した。
次の瞬間――
『何をふざけたコトぬかしとるんじゃ! このクソボケが!!』
佐伯の怒号が通信越しにアメノウズメ炸裂し、アメノウズメの車内を揺らした。
「っ!?」
加納の身体が思わず跳ねる。
それは、今まで聞いたこともないほど大きな声だった。
『いいか、加納!』
佐伯の声が続く。
『今、お前はヴァンガード隊の全員の命を預かって、そこに、アメノウズメの運転席に座っているんだ!』
怒鳴り声の奥で、荒い息遣いが混じる。
『それに、もしお前自身が負傷したら、またこの部隊の足は止まるんだぞ! そのお前が、そんなリスクを冒してどうする!!』
「でも、佐伯さん!」
『でももへったくれもねぇ!!』
即座に怒鳴り返された。
『部隊全体の生存を優先させろ! アメノウズメの運転席にいるお前は、責任をもって、隊員の生命を危険に晒さないことだけを考えて行動すれば、それでいいんだ!』
通信の向こうで大きく息を吸う音がした。
『解ったか!!』
「…………」
加納は言葉を失った。握り締めていたハーネスのベルトを、ゆっくりと離す。
そんな加納へ向けて、佐伯は今度は静かな声で続けた。
『いいから、俺のことはそっとしといてくれ』
通信の向こうで小さく息を吐く気配がした。
『ヴァンガード隊のアメノウズメのことは、加納――お前に任せたぞ』
加納は目を閉じた。
そして深く息を吸う。
「……はい」
短い返事だった。
だが、その一言には、加納の確かな覚悟が込められていた。




