第85話 振り下ろされる牙
加納はストライク・イーグルをアメノウズメの前方へぴたりと据えたまま、周囲へ絶えず視線を巡らせていた。
レーダーは信用し切れない。
蜘蛛型サーヴィターの繊維は通信だけでなく索敵にも影響を与える。表示されている反応が全てとは限らず、逆に何も映っていない場所に敵が潜んでいる可能性もある。
だからこそ加納は、自らの目で戦場全体を監視していた。
白煙の向こうでは、サイクロプスとジョーカーが今も蜘蛛型サーヴィターを圧倒している。
ジョーカーは赤黒い繊維の海を滑るように駆け抜け、蜘蛛型サーヴィターの懐へ飛び込んでは短剣を突き立てる。五つの眼が反応した時には既に遅く、首元や関節部へ正確な一撃が叩き込まれていた。
一方のサイクロプスは対照的だった。
機動力ではジョーカーに及ばない。だが、藤堂の操縦には一切の無駄がない。
蜘蛛型サーヴィターが逃げようとすれば、その先へ回り込む。攻撃してくれば最小限の動きでいなし、反撃の刃を叩き込む。
その動きは、まるで相手の行動を数手先まで読んでいるかのようだった。
二機とも既に二体同時を相手取っているにもかかわらず、危うさは微塵もない。
だが――
加納の視線がユグドラシルへ向く。大樹も確実に成長している。それは加納の目から見ても明らかだった。
触手を受け流し、反撃へ繋げる動きも先程までとは比べものにならない。それでも苦しい。
ユグドラシルは本来、防御を主体とする機体だ。大盾で敵の攻撃を防ぎ、味方を守りながら前線を維持する。それが、ユグドラシルという機体の根底にある設計思想だ。だが、その防御は万能ではない。
蜘蛛型サーヴィターの触手を受け流すためには、攻撃の軌道を見極め、その都度盾の角度を細かく調整しなければならない。どれほど大樹が成長していても、そこには僅かな判断と動作の時間が必要になる。
一体だけなら問題はない。しかし相手が二体となれば話は別だった。
左右から異なる角度で触手が襲い掛かれば、片方へ盾を向けた瞬間、もう片方への対応が遅れる。
何よりユグドラシルの盾は一枚しかない。
二方向から同時に攻撃を受ければ、物理的に対処し切れない状況が生まれる。
現に今も、ユグドラシルは二体の蜘蛛型サーヴィターに挟まれる形で攻撃を浴び続けていた。
触手を逸らし、体勢を立て直し、次の一撃へ備える。その繰り返しだ。攻勢へ転じる余裕はほとんどない。
わずかな隙を見付けて反撃しているものの、徐々に後退を余儀なくされていた。
「……きつそうだな」
加納はストライク・イーグルのコクピットから前方を睨み続けていた。
本来なら援護へ向かいたい。ユグドラシルが二体の蜘蛛型サーヴィターを相手取っている以上、ストライク・イーグルが加勢すれば大樹の負担は大きく軽減されるはずだった。
だが、それはできない。背後にはアメノウズメがいる。
しかも今、その巨大な車体は赤黒い繊維にクローラーを絡め取られ、身動きが取れない状態だ。
加納の視線が一瞬だけ後方へ向く。白煙の中に佇むアメノウズメの脇では、工具箱を抱えた佐伯がクローラーの修復作業へ向かっている。その姿はあまりにも無防備だ。
ユグドラシルは徐々に追い込まれていた。
二体の蜘蛛型サーヴィターが互いに距離を取りながら触手を繰り出す。左右から迫る赤熱した刺突を、大樹は必死に盾で受け流し続けていた。
だが、限界は近かった。
一体が攻撃を放つたび、もう一体がその直後を狙う。
盾を右へ向ければ左から。左を防げば今度は正面から。まるで大樹の動きを見透かしているかのように、二体の蜘蛛型サーヴィターは休む間もなく触手を繰り出してくる。
赤熱した穂先が白煙を裂き、ユグドラシルの周囲で火花を散らした。
一撃を逸らしても、息をつく暇すらない。その僅かな硬直を狙って次の一撃が迫る。
防御はできている。だが、それだけだった。
反撃へ転じる余裕はなく、ユグドラシルはじりじりと後退を強いられていた。そして、その綻びは唐突に訪れた。
右から放たれた触手を辛うじて受け流した直後――体勢を戻し切るより早く、もう一体の蜘蛛型サーヴィターが触手を突き出した。
「っ――!」
大樹が咄嗟に盾を戻す。しかし間に合わない。
赤熱した触手が大盾の縁へ激突した。
ギャァァァンッ!!
金属が悲鳴を上げるような轟音が響き、ユグドラシルの巨体が大きく傾く。踏み締めていた赤黒い繊維束が砕け散り、機体は数歩よろめくように後退した。
「大丈夫か! ヒョロ眼鏡!」
その様子をアイカメラの端で捉えたニックが叫ぶ。
ジョーカーが即座に進路を変え、ユグドラシルの救援へ向けて加速した。赤黒い繊維の海を蹴り砕きながら一直線に駆ける。
だが遠い。
ジョーカーの機動力をもってしても、今いる位置からでは間に合わない。
そして、ストライク・イーグルの目の前で、もう一体の蜘蛛型サーヴィターの触手が腹の先から蛇のように伸び、鎌首をもたげるのが見えた。
触手が不気味に蠢き、その表面が真っ赤に赤熱していく。次の一撃が放たれれば、体勢を崩したユグドラシルには避けようがない。
思わず加納はストライク・イーグルを走らせていた。
だが――。
「加納! 左だ!!」
藤堂の怒鳴り声にも似た叫びがアメノウズメの車内を震わせた。
加納は瞬時にブレーキを叩き込む。
ストライク・イーグルの脚部が赤黒い繊維を削り取りながら停止し、アイカメラが鋭く左方向へ振られた。
その瞬間、加納は息を呑んだ。
巨大ドームの天井付近。
無数に垂れ下がる蜘蛛糸の一本へ逆さにぶら下がる蜘蛛型サーヴィターの姿があった。
アメノウズメからそう離れていない繊維の壁面。その陰に潜んでいた蜘蛛型サーヴィターが、ゆっくりと腹部を持ち上げている。
五つの眼が赤く輝く。それは、真っ直ぐアメノウズメを見据えている。
腹部から伸びた触手は異様なほど細長く伸長し、その先端はアメノウズメの真上に位置する天井へ深々と突き刺さっていた。
そして次の瞬間。
蜘蛛型サーヴィターの脚が、身体を支えていた糸からゆっくりと離れる。巨体が落下を始めた。
「くッ!」
加納はストライク・イーグルを反転させる。カルナ筋束が悲鳴を上げるほどの急旋回。機体が大きく傾き、そのまま全推力を解放する。
白煙を切り裂きながらストライク・イーグルが疾走した。
一方、蜘蛛型サーヴィターは弧を描くように降下を続ける。
それは、まるで振り子のようだった。
腹部から伸びる触手を支点にしながら加速し、その巨体はアメノウズメの側面へ一直線に迫っていく。
地表近くまで達した瞬間――蜘蛛型サーヴィターは触手を切り離した。
切り離された触手が空中で激しく蠢いた。
無数の赤黒い繊維が生き物のように絡み合い、捻じれ、互いを締め上げるように収束していく。圧縮されるたびに内部から赤熱した光が滲み出し、白煙の中へ不気味な紅色を撒き散らした。
やがて繊維の束は一本の巨大な杭へと姿を変える。
鈍く脈動する赤熱の表面からは陽炎が立ち上り、周囲の空気が歪んで見えた。その熱量は尋常ではない。槍の穂先が向いた先の白煙が焼き払われるように押し退けられ、灼熱の軌跡が一直線に伸びていく。
狙いはアメノウズメの側面だった。
その脇では佐伯がクローラーへ身を乗り出し、修復作業に没頭している。工具を握る手は止まらない。迫る死神に気付く様子もなかった。
赤熱した巨槍は、アメノウズメの装甲ごと佐伯を貫き潰す軌道で放たれようとしていた。
盾を構える時間はない。槍と化した触手は、すでにアメノウズメを射程へ捉えていた。
加納は迷わない。ストライク・イーグルのカルナ筋束が唸りを上げる。次の瞬間、機体は赤黒い繊維の海を蹴散らしながら弾丸のように前方へ飛び出した。
目前で蜘蛛型サーヴィターの五つの眼が赤く輝く。
だが、それより早く――ストライク・イーグルは全速力のままその巨体へ突っ込んだ。




