第84話 絡め取られた脚
「だったらどうだというんだ」
藤堂の声音は驚くほど冷静だった。
「別に、蟻型サーヴィターと大して違いはない」
サイクロプスの長刀がゆっくりと構え直される。その向こうで、ニックが鼻で笑った。
「せや。大したことあらへん。ちょっと動きが速うて、ちょっと危険な武器を持っとるだけや」
言い終わるより早く、ジョーカーとサイクロプスが同時に大地を蹴った。
赤黒い繊維束を蹴り砕きながら、ジョーカーとサイクロプスが左右から蜘蛛型サーヴィターへ襲い掛かった。
限界まで加速するジョーカーを捉えた五つの眼が怪しく光る。蜘蛛型サーヴィターは即座に八本の脚を開き、横方向へ跳躍してその突進をかわそうとした。だが、その移動先には既にサイクロプスが迫っている。
巨大な長刀が白煙混じりの空気を裂きながら振り下ろされ、蜘蛛型サーヴィターの退避経路そのものを断ち切った。
回避すれば斬られる――その一瞬の判断が蜘蛛型サーヴィターを躊躇させる。そして、その隙をジョーカーは見逃さなかった。
蜘蛛型サーヴィターがサイクロプスへ意識を向けた刹那、ジョーカーの巨体が懐深くまで滑り込み、銀色の短剣が黒曜石のように煌めく甲殻の隙間へ吸い込まれるように突き立てる。
鈍い感触とともに刃が首元を貫き、赤黒い体液が噴き上がった。
同時に、全身の関節を走っていた赤い発光が乱れ、脈動するように明滅を繰り返す。腹部から伸びていた触手も痙攣するように震えた後、その光を失って力なく垂れ下がった。蜘蛛型サーヴィターの巨体がぐらりと傾く。
「何や」
ニックが鼻を鳴らす。
短剣を引き抜き、刃先に付着した赤黒い体液を振り払った。
「届いてしまえば、蟻型サーヴィターよりも柔いやんけ」
だが、その直後だった。
別の蜘蛛型サーヴィターが反応する。
腹部が持ち上がり、赤い光を帯びた触手が一直線にサイクロプスへ射出された。しかし藤堂は慌てない。
迫る赤い矛先を見据えたまま、長刀をわずかに傾ける。
次の瞬間――。
ギィンッ!!
触手の側面を長刀が正確に捉えた。
刃が触れた瞬間、触手の軌道が大きく逸れる。鋭い穂先はサイクロプスの肩口を掠めることすらなく、そのまま明後日の方向へ突き抜けていった。
「百足型ほどの重さは無いな」
藤堂が静かに呟く。
「貫通力は厄介だが、軌道さえ読めれば逸らせる」
触手が空を切った瞬間、蜘蛛型サーヴィターの姿勢が僅かに崩れた。その隙をサイクロプスは見逃さない。
長刀が閃く。白刃が大きな弧を描き、無防備となった蜘蛛型サーヴィターの頭部へ襲い掛かった。
振り向きざまの一閃。蜘蛛型サーヴィターの外殻が裂け、五つの眼が宙へ舞う。
頭部を切断された蜘蛛型サーヴィターは、そのまま前のめりに倒れ込み、赤黒い繊維の海へ沈んだ。
「大樹君」
藤堂の落ち着いた声が大樹の耳に届く。
「蜘蛛型サーヴィターの攻撃を受け止めようとするな。角度を変えて受け流すんだ。軌道さえ逸らしてしまえばどうということはない」
冷静な助言だった。
蜘蛛型サーヴィターの攻撃は確かに危険だ。だが、防げないわけではない。
その事実を、藤堂は今まさに実戦で証明していた。
「わかりました。藤堂さん」
大樹は短く応じた。
ユグドラシルのモニターには、未だ盾中央に穿たれた巨大な貫通孔が映し出されている。
大樹は改めて操縦系へ意識を集中させた。
大樹の返答を確認したかのように、サイクロプスとジョーカーが同時に加速する。
赤黒い繊維束を蹴り砕きながら二機の巨体が前方へ躍り出た。白煙の向こうで揺らめく残る蜘蛛型サーヴィターの赤い眼光へ向け、一気に距離を詰めていく。
「ヴァンガード隊、注意しろ。蜘蛛型の糸だが、厄介なことに電波撹乱の効果があるようだ」
佐伯の声が車内に響く。
ヘッドギアに映し出されたレーダーでは複数の警告表示が浮かび上がっていた。通信強度の数値が断続的に揺らぎ、索敵画面にも微細なノイズが走っている。
「敵の反応がないからと言って油断するな。繊維束の奥に潜まれたら感知できない可能性がある」
巨大ドーム内部には依然として無数の赤黒い繊維が張り巡らされていた。
床面だけではない。壁面にも天井にも、まるでドームの内部自体が巨大な巣であるかのように、縦横無尽に絡み付いている。
蜘蛛型サーヴィターがそこを自在に移動できる以上、索敵装置だけに頼るのは危険だった。
「佐々木は前方に展開。加納はアメノウズメの護衛を頼む。状況に応じて他の三機のカバーへ回れ」
「了解した」
加納が即答する。
「了解しました」
大樹も続いた。
佐伯はさらに指示を飛ばした。
「アメノウズメは出来るだけ定位置に留まらないようにする。常に移動を続けて敵に狙いを絞らせないようにする。各員、ハーネスのベルトはキツめに締めておけ」
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
四人の応答が即座に重なった。
戦況は徐々に変わり始めていた。
赤黒い繊維の海を縦横無尽に駆け回っていた蜘蛛型サーヴィターたちは、ヴァンガード隊にとってはもはや出現した時のような脅威ではない。
ジョーカーとサイクロプスが一体、また一体と確実に数を減らしていく。
ジョーカーは持ち前の機動力を活かし、蜘蛛型サーヴィターの懐へ飛び込んでは短剣を突き立てる。蜘蛛型サーヴィターが回避行動を取れば、その先にはサイクロプスの長刀が待ち構えていた。
逆にサイクロプスへ触手が襲い掛かれば、藤堂は冷静に長刀で軌道を逸らし、その隙をニックが突く。
二機は時に別々に戦い、時に阿吽の呼吸で連携しながら、蜘蛛型サーヴィターを確実に追い詰めていった。
赤黒い体液が飛び散り、切断された脚が宙を舞う。
五つの眼を輝かせていた異形の巨体が、次々と繊維の海へ沈んでいった。
ユグドラシルもまた必死に食らいついていた。
大樹は藤堂の助言を頭の中で何度も反芻する。
受け止めるな、逸らせ。
触手の軌道を見極め、盾の角度を変える。
最初は僅かに逸らすだけで精一杯だった。だが、経験を重ねるごとに動きは洗練されていく。
赤熱した触手がユグドラシルの大盾の表面を掠め、盾の表面が抉られはするが、もう穴が穿たれることはなかった。軌道を逸らされた触手が空を切った瞬間、ユグドラシルの銃槍が唸りを上げた。
蜘蛛型サーヴィターの頭部にその切っ先を突き立て、弾丸を射出する。頭部の外殻が内部から砕け、蜘蛛型サーヴィターが悲鳴のような音を発しながら倒れ込んだ。
「よしっ!」
思わず大樹の口から声が漏れる。
その横ではストライク・イーグルも的確に援護を続けていた。加納は決して深追いしない。
常に周囲の状況を監視しながら、アメノウズメへ接近する個体を優先して排除していく。
牽制、迎撃、ユグドラシルのフォロー。必要な行動だけを選択し、無駄な動きは一切ない。その結果、蜘蛛型サーヴィターたちはアメノウズメへ近付くことすら難しくなっていた。
そして何より大きかったのは佐伯の操縦だった。
アメノウズメは決して停止しない。巨大な車体は赤黒い繊維束を踏み潰しながら絶えず移動を続け、蜘蛛型サーヴィターに狙いを定めさせない。
右へ、左へ。時には後退し、時には大きく迂回する。
その移動は無秩序ではない。
常にストライク・イーグルの陰となる配置、常にストライク・イーグルが割り込める位置。
まるで二機が一つの機体であるかのように、加納と佐伯は呼吸を合わせていた。
蜘蛛型サーヴィターがアメノウズメを捉えようとするたび、その前には必ずストライク・イーグルが現れる。
触手の攻撃を盾でいなし、サーベルで足を切断し、頭部の付け根を切断する。無駄のない動きでストライク・イーグルは蜘蛛型サーヴィターを処理していく。
蜘蛛型サーヴィターの数は確実に減っていた。
赤黒い繊維の海に横たわる残骸は次第に増え、五つの赤い眼光もひとつ、またひとつと消えていく。
ユグドラシルがサイクロプスとジョーカーに続く。ストライク・イーグルはアメノウズメの周囲を固めながら接近する個体を着実に排除していた。
戦況は完全にヴァンガード隊へ傾いている。
もはや蜘蛛型サーヴィターに逆転の手段など残されていない――。
誰もがそう思い始めていた、その時だった。
ガキィィィィィンッ!!
突然、金属同士が噛み合うような激しい衝撃音が巨大ドーム内部へ響き渡った。
「っ!?」
次の瞬間、アメノウズメの巨体が不自然なほど急激に停止する。慣性に引きずられ、車内の全員の身体が前方へ持っていかれそうになった。
シートベルトが軋みを上げる。大樹たちは咄嗟に座席へしがみついた。
「何だ!?」
加納が声を上げる。
だが、佐伯は既に操作卓を操作していた。各部センサーを高速で確認し、次々とモニター表示を切り替えていく。
そして――。
「左舷クローラーか」
佐伯が眉をひそめた。左側の履帯が停止している。
モニターへクローラー監視カメラの映像が映し出された。
原因はすぐに判明した。帯とスプロケットの隙間。そこへ太い赤黒い繊維束が何重にも絡み付いていた。蜘蛛の巣の一部だった。
戦闘中に踏み潰した繊維が巻き込まれたのだろう。絡み付いた繊維はスプロケットの歯へ深く食い込み、まるで鋼線のように締め付けられていた。
「あちゃ~、これはまずいな」
ぼやきながら履帯を正転させる。
だが、左舷側のクローラーは鈍く震えるだけだった。金属が軋む音を立てるものの、絡み付いた繊維はびくともしない。佐伯は舌打ちし、今度は逆転へ切り替える。
ガガガガガッ――。
スプロケットが強引に繊維を引き千切ろうとする。だが結果は同じだった。赤黒い繊維は歯車の奥へ食い込み、まるで鋼鉄に根を張ったように離れない。
さらにもう一度、正転。
履帯が大きく震え、車体全体が揺れる。しかし繊維は外れるどころか、スプロケットの歯へさらに深く巻き付いていった。
「駄目か……」
佐伯はモニターに映るクローラーの状態を見つめたまま、小さく息を吐いた。何度正転と逆転を繰り返しても、赤黒い繊維はスプロケットの奥深くへ食い込んだまま離れない。
車内に数秒の沈黙が落ちる。やがて佐伯は諦めたように肩を竦めた。
「クローラーに蜘蛛の巣の欠片を巻き込んだようだ」
その口調は拍子抜けするほど落ち着いていた。
「これはしゃあない。俺が下りて直接除去してくる」
その言葉に、車内の空気がわずかに張り詰める。
「佐伯さん」
藤堂がすぐに声を上げた。
「大丈夫なんですか?」
蜘蛛型サーヴィターの数は確実に減っている。だが、戦闘はまだ終わっていない。白煙と赤黒い繊維に覆われた巨大ドームの中には、なお複数の反応が残っている。そんな状況で車外へ出るなど、危険極まりない行為だった。
だが佐伯は気にした様子もなく笑う。
「スサノヲの手でやるには細かすぎる作業だ」
モニターへ映るクローラーを親指で示した。
「こんなもん、人間の手じゃねぇと無理だろ」
そう言いながら操縦席のロックを解除し、後方に固定されていた工具箱を肩へ担ぎ上げる。金属製の工具箱がガチャガチャと重い音を立てた。
「それに俺なら日頃からやり慣れてる」
軽く肩を回しながら佐伯は続ける。
「アメノウズメが動かねぇなら、俺には他にやることがねぇしな」
そして不敵に笑った。
「なぁに。俺にかかれば一瞬で作業終了さ」
その気負いのない態度とは裏腹に、大樹の胸には妙なざわめきが残った。理由は分からない。ただ――巨大ドームの奥から吹き抜けてくる風だけが、妙に冷たく感じられた。




