第83話 穿つ者
赤い残光が空気を裂く。
「っ!」
ニックは反射的にジョーカーを横へ跳ばした。
蜘蛛型サーヴィターは未知の敵だ。どんな攻撃をしてくるのか分からない。だからこそ、必要以上に距離を取った。
そのはずだった。
だが――
蜘蛛型サーヴィターの触手は大きく弧を描いた。
バギィィィンッ!!
凄まじい衝撃がジョーカーを襲った。
「なっ!?」
ジョーカーのアイカメラが捉える視界が激しく揺れる。蜘蛛型サーヴィターの触手はまるで生き物の尾のように軌道を変えながら伸び続け、横へ跳んだはずのジョーカーの脚部装甲を正確に捉えていたのだ。
ジョーカーの巨体が大きく傾く。脚部を弾かれた機体は着地姿勢を維持できない。床面へ激突し、そのまま赤黒い繊維の上を転がった。
ガガガガガガガッ!!
火花が散る。
ようやく停止したジョーカーを立て直しながら、ニックは歯噛みした。
「なんや今の……!」
ニックは即座に損傷箇所を確認した。アイカメラの映像に、ジョーカーの脚部装甲には深々と抉り取られた傷痕が映し出される。厚いカルナイト装甲は大きく削り取られ、内部フレームの一部までもが露出している。
その損傷は決して致命傷ではない。だが、あと数センチ深ければカルナ筋束へ到達していたことを思えば、決して無視できるものでもなかった。
「おいおい、マジかよこりゃ……」
思わず漏れた呟きが途中で止まる。
損傷を確認したニックが視線を上げると、蜘蛛型サーヴィターの五つの眼が見据えているのはジョーカーではない。その後方、ヴァンガード隊の中央に位置するアメノウズメだった。
獲物を見定めた捕食者のように八本の脚がゆっくりと開き、次の瞬間には床面へ張り巡らされた赤黒い繊維を弾き飛ばしながら巨体が射出される。白煙と粉塵を巻き上げながら一直線に迫る赤黒い影は、明らかにジョーカーではなくアメノウズメだけを狙っている。
「狙いはそっちか!」
ニックが叫ぶ。
だが、その進路へ割り込む影があった。
「させるか!」
藤堂の操るサイクロプスが割り込むように前へ出た。
巨大な長刀が唸りを上げながら突き出され、その切っ先が蜘蛛型サーヴィターの進路を正確に塞ぐ。通常のカルナ・サーヴィターであれば、回避か迎撃かの二択を迫られる間合いだった。
だが、蜘蛛型サーヴィターは違った。
ギチィッ――と耳障りな音を立てながら八本の脚が一斉に開き、その巨体が空中で不自然なほど鋭く捻じ曲がる。さらに脚先が天井から垂れ下がる繊維束へ一瞬だけ食い込み、その反動を利用して軌道そのものを書き換えた。
赤黒い巨体は長刀の切っ先を紙一重でかわし、そのまま床面へ着地する。
着地した衝撃で周囲の繊維網が大きく波打ち、張り巡らされた無数の糸が連鎖するように震えた。赤黒い繊維片が雪のように舞い上がる中、蜘蛛型サーヴィターは八本の脚を低く広げながら身を沈める。
その五つの眼は、なおもアメノウズメだけを見据えていた。
サイクロプスなど視界に入っていない。そう言わんばかりに蜘蛛型サーヴィターの脚が蠢く。
次の瞬間――赤黒い巨体が再び弾けた。
床面へ張り巡らされた繊維束を蹴り砕きながら、蜘蛛型サーヴィターがアメノウズメへ向かって一直線に加速する。
だが、その動きは藤堂も読んでいた。
「行かせるか!」
サイクロプスが踏み込む。機体が床面を震わせながら進路へ割り込み、巨大な長刀が大きく薙ぎ払われた。
それは、攻撃のためではなく、進路を塞ぐための一撃だった。
蜘蛛型サーヴィターは反射的に跳躍する。
空中へ逃れた蜘蛛型サーヴィターの眼前へ、サイクロプスの巨体そのものが立ちはだかる。
ギチギチギチ――。
蜘蛛型サーヴィターの顎が不快な音を立てる。舞い落ちる繊維片の向こうで、蜘蛛型サーヴィターの五つの眼とサイクロプスのアイカメラが真正面からぶつかった。
互いに一歩も譲らない。
まるで獲物へ迫ろうとする捕食者と、それを阻む門番が睨み合うように、両者は至近距離で対峙した。
「佐伯さん!」
藤堂の声が飛ぶ。
「解っている!」
応じるや否や、アメノウズメのクローラーが唸りを上げた。
巨体が一気に後退する。
クローラーが床面を覆う赤黒い繊維を踏み潰しながら進むたび、繊維束が粘つくように巻き付き、車体を引き留めようとする。だが、それでもアメノウズメは無理やり駆動力を叩き込みながら後退を続けた。
蜘蛛型サーヴィターとの距離が広がっていく……その時だった。
「上だ!」
加納の怒声がアメノウズメ車内の空気を震わせた。
大樹は反射的に視線を上げる。
無数の繊維束が複雑に絡み合う暗闇の中、そこに赤い光が五つ並んでいるのがアイカメラ越しに飛び込んできた。
「っ!」
ユグドラシルは即座に大盾を頭上へ掲げ、そのままアメノウズメへ覆い被さるように機体を滑り込ませた。
加納の警告から、ほとんど反射だった。
頭上へ広がる赤黒い繊維の海。そのさらに奥、照射灯の届かない暗がりで何かが動いたと認識した瞬間には――天井付近へ幾重にも張り巡らされていた繊維束が内側から破裂したように弾け飛んでいた。
無数の繊維片が吹雪のように舞う。その中心から降ってきたのは蜘蛛型サーヴィターだった。
八本の脚を大きく広げた異形の巨体は、落下の勢いを利用するかのように腹部を持ち上げる。その動きに合わせて腹端の器官が脈打ち、赤い光を帯びた触手が真っ直ぐ前方へ伸びた。
それは鞭でも触腕でもない。むしろ巨大な杭を撃ち出したような一撃だった。
ギュガァァァァァァッ!!
赤く発光する触手がユグドラシルの大盾へ突き刺さった。火花を撒き散らしながら、赤熱した触手の先端がカルナイト装甲へ食い込む。
それは衝突ではなかった。防盾の表面が赤く発光したかと思うと、カルナイト装甲が内側から溶け崩れる。次の瞬間には、赤熱した触手の先端がユグドラシルの眼前へ突き出していた。
分厚いカルナイト装甲が溶解し、液化した金属片が周囲へ吹き散った。
次の瞬間、盾の中央が内側から弾け、赤熱した触手の先端が飛び出した。
「っ!」
大樹の視界を赤い残光が横切る。
触手はユグドラシルの頭部脇を掠め、そのまま後方へ伸びた。
さらに勢いを失わないままアメノウズメの装甲表面を深々と抉り取り、長い傷痕を刻み付ける。
そして――。
触手がアメノウズメへ到達した直後、蜘蛛型サーヴィター本体がユグドラシルの盾へ着地する。
ユグドラシルの両腕へ凄まじい重量が叩き付けられた。機体全体へ重量がのしかかり、大樹は思わず歯を食いしばる。
盾越しに伝わる振動で内部フレームが悲鳴を上げ、警告表示が次々とモニターへ点滅した。
蜘蛛型サーヴィターが触手を引き抜き、ユグドラシルの盾の上から飛び降りる。溶け落ちた装甲が赤熱した飛沫となって周囲へ散った。
その後に残された光景を見て、大樹は息を呑む。
何層にも渡り積層されたカルナイト装甲からなるユグドラシルの大盾が、いとも簡単に抉られ、その中央には人が通れそうなほど巨大な貫通孔が穿たれていた。
しかも、それだけでは終わっていない。
盾を貫いた触手の先端は、そのさらに後方に位置していたアメノウズメの外部装甲にまで到達していたのだ。
もしユグドラシルが割り込んでいなければ――その想像が脳裏をよぎった瞬間、大樹の背筋を冷たいものが走った。
「佐伯さん、これって……」
掠れた声が漏れる。その向こうで、佐伯は蜘蛛型サーヴィターを睨み据えていた。
巨大ドームの入口に残されていた異様な破壊痕。外側からは酸で溶かされたように見えながら、その内部には無数の穿孔痕が刻まれていた壁面。
そして今、自分たちの目の前で再現されたこの攻撃。別々だったはずの情報が、部隊の中で共通認識として一本の線として繋がる。
「ああ……」
低く呟いた佐伯の視線の先で、蜘蛛型サーヴィターはゆっくりと触手を持ち上げた。その姿は、自らの牙の鋭さを誇示する捕食者そのものだった。
「こいつらだ」
重い声が続く。
「入口の穴を穿ったのは、こいつらだ」
短い沈黙。
そして、さらに重い声が続く。
「それだけじゃない」
佐伯の言葉に、車内の空気が凍る。
蜘蛛型サーヴィターは五つの眼でアメノウズメを見据えていた。
まるで、最初から理解しているかのようだった……四体の人型機体と一台の車両。そのどれを攻撃するのが最も効果的であるのかを。
「こいつ――」
佐伯の表情が険しくなる。
「スサノヲの弱点を知っていやがる」
巨大ドームの暗がりの奥で、赤い光が五つ、また五つと灯り始めた。




