第82話 巣の番人
白煙と酸の臭気が滞留する巨大ドーム内部へ、スサノヲがゆっくりと進入していく。
ふと、加納の視線が背後の外壁へ向いた。
ヴァンガード隊が侵入してきた巨大な破孔。外側から見た時は、カルナ・サーヴィターが酸で外壁を溶かしながら強引に突破した痕跡にしか見えなかった。
だが――内側から見ると様子が違う。
「……待て」
加納の低い声が聞こえる。
「どうした?」
佐伯が即座に応じる。
加納は壁面の断面を見上げながら答えた。
「この穴だ。おかしい」
全員の視線がドームの破孔へ向く。
断面そのものは確かに酸によって溶解している。鋼材は熱で溶けた飴細工のように垂れ下がり、腐食した金属が黒く変色していた。
だが、その奥。
壁の内部構造へ向かって無数の深い穴が穿たれていた。
まるで何かで執拗に削り取ったような穴が壁内部へ無数に伸びている。そして、それらの穴同士を繋ぎ合わせるように周囲の鋼材が溶解していた。
それは、酸だけで形成された断面にはとうてい見えない。最初に大量の穴を開け、その後でまとめて崩したような形状だった。
「確かに妙やな」
ニックがモニターへ表示された映像を拡大する。
「腐食だけやったら、こんな穿孔痕は残らへん。しかも全部かなり深いで」
ニックの声がわずかに硬くなる。
「ワイらが知っとるカルナにこんな攻撃をするヤツは……おらへんな」
車内の空気が僅かに重くなる。
佐伯が短く言った。
「今は後回しだ。だが覚えておけ」
その視線は既にドーム中央のカルナ・フロラへ向けられていた。
「ここには、まだ俺たちの知らない何かがいるかもしれん」
ジョーカーが周囲を警戒しながらも、一歩、また一歩とドーム内に足を踏みいれる。
「ありゃ、こりゃあかんわ。ドーム自体の電波遮断する機能は生きとるみたいや。遠隔通信レベルが一気に下がったわ」
ニックの声が、車内の緊張した空気へ響いた。
戦術モニター上では、スサノヲがドーム内に深く侵入すると急激に通信強度を示すインジケータが低下している。ノイズ混じりの波形が断続的に乱れ、アメノウズメとのリンク精度が明らかに落ちていた。
佐伯が即座に応える。
「アメノウズメだけドームの外で待機って訳にはいかなさそうだな。有線接続が必要なレベルほどでは無さそうだ」
低い声が続く。
「このまま随伴させる。全機、通信状態を随時確認しろ」
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
応答が重なる。
スサノヲ四機に続き、アメノウズメもカルナ・ドーム内へ踏み込んでいく。慎重な速度を維持したまま、ヴァンガード隊は白煙の漂う内部をゆっくりと前進した。
その時――ヴァンガード隊の視界が、カルナ・ドーム内部の光景を捉えた。
「……っ」
大樹が息を呑む。
ドーム内部は、外界とは完全に別世界だった。
中央には、巨大なカルナ・フロラが異様な存在感を放ちながら聳え立っている。赤黒い巨木にも見えるそれは、ドーム天井近くへ届くほど巨大化していた。
脈打つように膨張と収縮を繰り返す幹の表面では、血管のような赤黒い筋が断続的に明滅している。その度に、湿った低周波のような振動が床面を伝い、スサノヲのフレームを微かに震わせていた。
そして――問題は、その周囲だった。
カルナ・フロラを中心として、無数の赤黒い繊維状構造がドーム全体へ広がっていた。それらは天井や壁面、床面にまで張り付きながら縦横無尽に伸び、巨大な空間を埋め尽くしている。
あるものは天井から太い束となって垂れ下がり、あるものはカルナ・フロラの幹から放射状に伸び、またあるものは幾重にも絡み合いながら複雑な網目を形成していた。
赤黒い繊維の表面には、乾燥してひび割れたような筋が無数に走っている。それは生物の組織というよりも、長い年月をかけて堆積した鉱物繊維や樹脂の塊を思わせた。
ギチ……。ギチギチ……。
繊維同士が擦れ合うたび、乾いた軋み音が静まり返ったドーム内部へ響く。さらに周囲の空間には、無数の繊維片が漂っていた。
赤黒い糸の表面から剥離したものなのだろう。細かな欠片が埃のように空気中を舞い、スサノヲの照射灯に照らされるたび鈍い光を反射する。
わずかな気流だけで揺れ動くその様子は、吹雪の中を漂う雪片にも似ていた。
視界の奥へ進むほど繊維片の密度は増し、巨大ドーム内部そのものが赤黒い粉塵に満たされているように見えた。
「なんだ、蜘蛛の糸……なのか?」
藤堂の低い声が漏れる。
確かに、その光景は蜘蛛の巣を連想させた。だが、目の前に広がるそれは昆虫が作る巣などという生易しいものではない。
カルナ・フロラを中心として広がる無数の赤黒い繊維は、ドーム内部の空間そのものを侵食するように張り巡らされていた。
天井から垂れ下がる太い束。壁面へ幾重にも重なる網目。床を這うように伸びる繊維の帯。それらが複雑に絡み合いながら巨大な障壁を形成し、中央に聳え立つカルナ・フロラを幾重にも包み込んでいる。
視線を巡らせるほど、その構造が無秩序なものではないことが理解できた。
繊維の密度はカルナ・フロラへ近付くほど増しており、接近経路となり得る空間は何重もの網によって遮られている。
中央部へ到達するには、この赤黒い繊維の障壁を突破しなければならない。まるで巨大な要塞が、自らの中枢を守るために築き上げた防衛線だった。
加納は周囲へ視線を巡らせながら静かに言う。
「どこから襲ってくるかわからない。慎重に進んだ方が良い」
「ああ」
佐伯が短く頷いた。
「ヴァンガード隊、陣形維持。アメノウズメを中心に警戒前進だ」
直後、四機のスサノヲがゆっくりと配置を変える。
先頭へサイクロプス。
左翼へジョーカー。
右翼へユグドラシル。
最後尾へストライク・イーグル。
アメノウズメを前後左右から囲うように展開しながら、ヴァンガード隊は慎重にカルナ・フロラの待つ巨大ドーム中央部へ歩を進めていく。
重い駆動音が響く。
ギチ……ギチギチ……。
周囲へ張り巡らされた赤黒い糸が、スサノヲの接近に反応するように微かに震えていた。
その時だった。
「ニック! 八時方向だ!」
藤堂の鋭い警告がアメノウズメの車内へ響く。
声の響きが鎮まるよりも早く、ニックは反射的にジョーカーの短剣を構えなおす。刃が照射灯を反射して鈍く光った。
背後にはアメノウズメ。迎撃位置を放棄する選択肢はない。ジョーカーは足を止めたまま、繊維の迷路の奥へ視線を向ける。
視線を向けた先――赤黒い繊維が幾重にも重なる暗がりの奥で、何かが動いた。
最初は錯覚かと思った。照射灯が生み出した影が揺れただけにも見えたからだ。 だが違う。
網目状に張り巡らされた繊維の隙間を縫うように、一つの巨大な影が高速で移動している。五つの眼が暗闇の中で鈍く光った。
続いて見えたのは、不規則に開閉を繰り返す巨大な顎。
一見すると蟻型サーヴィターによく似ていた。全長は五メートル近い。歪に並んだ五つの眼、不気味に開閉を繰り返す巨大な顎、黒曜石のように漆黒に煌めく外殻。それをつなぐ関節は跳躍の瞬間、瞬くように怪しく赤い光を放っている。だが、その胴体を支えているのは八本の脚だった。
その姿を捉えた瞬間、ニックの背筋に別種の悪寒が走る。
「なんや……?」
脚の数が違う。それだけではない。移動の仕方そのものが、これまで遭遇した蟻型サーヴィターとはまるで別物だった。
次の瞬間、その巨体が床面を蹴る。
まるで、何かに弾き飛ばされたかのように赤黒い影が視界から消えた。
「っ!」
ニックが息を呑む。
速い。あまりにも速い。
巨体が空中へ跳び上がったかと思えば、繊維の束へ脚を引っ掛けるように着地し、その反動を感じさせない軌道で再び別方向へ飛ぶ。
床面、壁面。
天井から垂れ下がる巨大な繊維束。
蜘蛛型の怪物はドーム内部の構造そのものを足場として利用しながら、稲妻が跳ね回るような軌道で距離を詰めてきた。
「速い……!」
ニックの声に焦りが混じる。
ジョーカーは短剣を構えたまま後退し、アメノウズメとの間へ割り込もうとする怪物の進路を塞ぐように位置を変える。だが、蜘蛛型サーヴィターはさらに加速した。
赤黒い繊維の壁を蹴り、空中で身体を捻りながら一直線に突っ込んでくる。その瞬間、ジョーカーのアイカメラがようやく敵の全身を鮮明に捉えた。
だが、ニックの視線を釘付けにしたのは、その異形の姿そのものではなかった。
腹部の先端から伸びる一本の器官。赤く発光するそれは、触手とも尾とも判別できない奇妙な形状をしていた。
無数の繊維を束ねて編み上げたような構造が表面を覆い、その内部では赤い光が脈絡なく明滅している。
触手は生物の尾のようにしなやかに揺れながら空中を這い、先端がゆっくりとジョーカーへ向いた。その動きには、獲物へ照準を合わせる兵器にも似た不気味な意図が感じられる。
「なんや、それ……」
思わず漏れたニックの呟きとほぼ同時に、触手が大きく撓った。それは、鞭を振るう直前の予備動作に酷似していた。
嫌な予感が脳裏をよぎる。次の瞬間、赤い残光を引きながら触手が高速で振り抜かれ、空気そのものを切り裂く轟音と共にジョーカーへ襲い掛かった。




