第78話 羽音の檻
佐伯の声が、静まり返り始めていたアメノウズメの車内へ響いた。
「よし、ヴァンガード隊。目的地の研究所まではもうすぐ先だ。敵を殲滅しつつ、前進するぞ」
即座に返答が重なる。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
直後、ヴァンガード隊の四機が再び動き出した。
焼け焦げた街路へスサノヲの駆動音が重く響く。ユグドラシルを中心に、ストライク・イーグル、サイクロプス、ジョーカーが周囲を警戒しながら陣形を維持したまま前進を開始した。
戦術モニター上では、小規模な熱源反応が断続的に明滅している。蟻型サーヴィターだ。
テント群の隙間や、半壊したコンドミニアムの陰を這い回る複数の反応が、ヴァンガード隊の進路へ徐々に集まり始めていた。
「前方右、接敵します」
大樹の報告と同時に、黒い巨影がテント群を突き破った。
バリバリバリィィッ!!
支柱ごと吹き飛ばされたテントの残骸が宙へ舞う。その奥から現れたのは、黒曜石のような光沢を持つ巨大な甲殻だった。
全長五メートル級の巨体を支える六本脚が、逆関節を軋ませながら高速で地面を掻く。黒い外殻の隙間からは赤黒い脈動が断続的に漏れ、まるで巨体そのものが内部で脈打っているかのようだった。
鋭角的な頭部が持ち上がる。
その前面では、不自然な配置で並んだ五つの眼が、それぞれ別方向へぎょろりと動いていた。左右対称ですらない視線が、ヴァンガード隊を値踏みするように這い回る。
ギチギチギチッ!!
蟻型サーヴィターの巨大な大顎が打ち鳴らされた。
鋼鉄すら噛み砕く大顎。その奥から赤黒い粘液が糸を引き、次の瞬間には腐食性の酸液が地面へ撒き散らされる。
ジュゥゥゥッ!!
焼けたアスファルトが白煙を噴き上げながら溶解した。
「来るで!」
ニックの声が車内に響く。
同時に、複数の蟻型サーヴィターが一斉に地面を蹴った。黒い巨体が瓦礫を踏み砕きながら殺到する。
だが――
「前を開ける!」
加納の低い声が響いた瞬間、ストライク・イーグルが前進した。フレームが鋭く踏み込み、小型盾が蟻型サーヴィターの大顎へ叩き付けられる。
ガギィッ!!
衝撃で蟻型サーヴィターの上半身が僅かに仰け反った。
その一瞬の隙を加納は逃さない。直後、ストライク・イーグルのサーベルが閃いた。
ギィンッ!!
鋭い斬撃が逆関節の脚部を断ち切る。脚を失った蟻型サーヴィターの巨体が大きく傾き、バランスを崩しながら路面へ沈み込んだ。
そこへ加納が追撃を叩き込む。
サーベルが低く振り抜かれた次の瞬間、蟻型サーヴィターの頭部が五つの眼ごと宙へ跳ね飛ぶ。
断面から赤黒い体液が噴き上がり、蟻型サーヴィターの巨体が痙攣しながら崩れ落ちた。
さらに左側では、サイクロプスの長刀が白煙を切り裂いた。
ギィンッ!!
鋭い斬撃音が響く。
振り抜かれた長刀が、蟻型サーヴィターの黒曜石のような甲殻ごと胴体を一刀のもとに断ち割った。
「鈍い」
藤堂の低い声が落ちる。
その間にも、ジョーカーが敵群の隙間を高速で駆け抜けていた。
細身の機体が瓦礫の上を滑るように加速する。蟻型サーヴィターが大顎を開き、迎え撃つように前脚を振り上げた。
だが、その瞬間には既にジョーカーは蟻型サーヴィターの懐へ潜り込んでいた。
ギィンッ!!
短剣が閃く。
狙い澄まされた一撃が、蟻型サーヴィターの頭部と胴体を繋ぐ首元へ深々とねじ込まれた。黒い甲殻が砕け、五つの眼が明滅する。
次の瞬間、ジョーカーがそのまま機体を捻る。
「ほらほら、そないな動きやと捕まえられへんで!」
ニックの笑い混じりの声が響いた。
ズドォンッ!!
ユグドラシルの炸裂した弾頭が、突進してきた蟻型サーヴィターの頭部を吹き飛ばす。五つの眼が赤黒い粘液と共に爆散し、甲殻が破片となって周囲へ飛び散った。
ヴァンガード隊は散発的に出現する蟻型サーヴィターを蹴散らしながら、そのまま研究所方面へ前進を続けていた。
焼け爛れた路面を、スサノヲが重々しく踏み鳴らしていく。赤黒い体液と砕けた黒い甲殻が進路上へ撒き散らされていくが、その程度の敵では、もはやヴァンガード隊の進撃を止めることはできなかった。
やがて、瓦礫と化した市街地の中――酸液によって半ば溶かされたテント群の隙間に、異様に鮮やかな赤色が見えた。
「……消防車?」
焼け爛れたコンドミニアムの陰に、赤い車体が横倒しになっている。だが、その車体は既に原形を留めていなかった。
車体側面は黒く焼け爛れ、厚い鋼板が酸によって飴細工のように溶け落ちている。窓ガラスは熱と腐食で白く濁り、フロント部分は瓦礫へ突っ込んだまま大きく潰れていた。
さらにその先にも、また一台。そして、もう一台。
研究所へ近づくにつれ、消防車の残骸が次々と姿を現し始めた。
路面へ流れ出した酸液の跡が、焼けたアスファルトをなお煙を上げながら侵食し続けていた。
佐伯の声が、アメノウズメの車内へ鋭く響いた。
「よし、あれがワイアナエ研究所だ。見えてきたぞ」
その声に、大樹が前方へ視線を向ける。
灰煙の向こう――焼け落ちたテント群と崩壊したコンドミニアム群のさらに先に、それはゆっくりと姿を現していた。
酸液で焼け爛れたスラム街の景色の中で、そこだけがまるで別世界のように浮き上がっている。
崩れた簡易住居、黒く腐食した道路、瓦礫と化した生活の痕跡――そんな混沌とした街並みの中央に、巨大な人工構造物群だけが不自然な秩序を保ったまま鎮座していた。
周囲のスラム街とはあまりにも隔絶されたその光景は、まるで別の世界の施設のようだった。
最初に目へ飛び込んできたのは、研究所の中核施設と思しき巨大構造物だった。
無機質なコンクリート打ちっぱなしの外壁が、灰色の断崖のように視界の奥へそびえ立っている。窓は一つとして存在せず、継ぎ目すら少ない巨大な壁面は、外界との接触そのものを拒む要塞のような威圧感を放っていた。
しかし、その巨大構造物も無傷ではない。
コンクリートの各所は黒く焼け爛れ、カルナの酸によって深く侵食されている。ひび割れた外壁からは内部構造材が露出し、腐食した鉄骨が赤錆と黒煙に塗れて剥き出しになっていた。壁面を伝うように残された黒ずんだ溶解痕が、この施設もまたサーヴィターの侵略を受けたことを生々しく物語っている。
半ば崩壊しながらも、その巨大構造物はなお圧倒的な威圧感を放っていた。
人間が出入りして研究を行う施設というよりも、外部から何かを隔離するために築かれた巨大な閉鎖空間――そんな印象すら与える建造物だった。継ぎ目の少ない壁面は、まるで内部の何かを決して外へ逃がさないための檻のようにも見える。
そして、その隣。
巨大な白い曲面構造が、灰色の廃墟の中で異様な存在感を放っていた。
「なんや……あのでかいまん丸い建物は……」
ニックが思わず呟く。
周囲に立ち並ぶコンドミニアム群を軽く飲み込むほどの巨体だった。滑らかな曲面が周囲の焼け爛れたコンクリートとはあまりにも質感が違い、その白さだけが不気味なほど浮き上がって見える。
しかし、その巨大構造物も既に原形を保ってはいなかった。
上部外壁は大きく裂け、巨大な穴が無理やり抉り開けられている。裂断面は黒く焼け爛れ、白色だった外壁は熱と腐食によってまだらに変色していた。裂け目の周囲からはなお白煙が立ち昇り、融解した外壁材が黒ずんだ筋となって表面を垂れ落ちている。
その破壊痕は、単なる爆発や崩落とは明らかに異質だった。まるで強酸によって外壁そのものを無理やり融解・侵食しながら、内部から強引に食い破ったかのような凄惨さを晒していた。
「……内側から破られたのか?」
藤堂の低い声が落ちる。
巨大構造物の前面には、消防車の残骸が大量に折り重なるように散乱していた。
一台や二台ではない。十台近い赤い車体が、外周部へ押し潰されるように折り重なっている。途中で捻じ曲がった梯子が空へ突き出し、外壁へ激突したまま黒焦げになった車両もある。潰れた車体の隙間からは焼け焦げた内部構造が剥き出しになっていた。
研究所の向こう側には、鈍く灰色に濁った海が広がっている。
海風が、焼けた金属と酸の臭気を運びながら瓦礫の街を吹き抜け、崩れたテントの残骸をかすかに揺らしていた。
消防車の残骸の周囲には、太い給水ホースが何本も無造作に伸びている。
黒く焼け焦げ、所々が酸で爛れたホースは、そのまま研究所脇の岸壁を越えて海の中へ投げ込まれていた。途中で裂けた箇所からは内部構造が剥き出しになり、波に揺れる先端部分からは白煙を上げながらなお腐食が進んでいる。
それは、消防隊が最後まで海から水を引き上げ、施設内から溢れ出すカルナ・サーヴィターを抑え込もうとしていた痕跡だった。
研究所周辺一帯には、焼けた金属の臭気と、なお空を覆うサーヴィターの羽音が重苦しく滞留していた。人間が圧倒的な脅威を前に、少しでも時間を稼ごうと最後まで踏み留まり続けた――そんな抵抗の痕跡だけが、焼け爛れた瓦礫の中へ重く残されていた。
「……多分、藤原博士や」
ニックが、折り重なる消防車の残骸を見つめながら呟いた。
「藤原博士が地元の消防隊を説得して、消防車の放水でカルナ・サーヴィターに抵抗させたんや」
加納が眉を寄せる。
「……いや、それはおかしいんじゃないか、ニック。蟻型サーヴィターだけならともかく、百足型サーヴィターまで出現していた。消防車による放水など、ほんの時間稼ぎくらいにしかならないはずだ」
その言葉に、藤堂が静かに口を開いた。
「いや、そうじゃない。そうじゃなかったんだ」
低い声が落ちる。
「加納。海を――沖の方を見るんだ」
加納がストライク・イーグルのアイカメラ映像を切り替える。視界が沖合へ向けて拡大された次の瞬間、大樹たちはその光景に息を呑んだ。灰色に濁った海面の上へ、大小無数の船舶が密集していた。
漁船。プレジャーボート。小型のゴムボート。
統一感など一切ない民間船舶が、沖合へ逃れるように何隻も停泊している。そして、その甲板の上には大勢の人影がひしめき合っていた。
毛布に包まった人間。子供を抱き締める大人。海の向こうを呆然と見つめる老人。どの船にも、避難してきた人々が隙間なく乗り込んでいた。
研究所周辺から避難してきたのだろう。海上へ逃れた人々が、今なお沖合で救助を待ち続けている。
藤堂が、沖合へ停泊する無数の船を見据えたまま静かに口を開いた。
「……住民には、前もって海へ逃げるよう伝達していたんだろう。だから消防隊は、カルナ・サーヴィターを倒す必要はなかった」
低い声が続く。
「避難が完了するまで、少しでも時間を稼げれば、それでよかったんだ」
大樹が、安堵するように息を漏らした。
「……良かった。まだ、あんなに助かった人たちがいるんだ」
佐伯が小さく頷く。
「……ああ。消防隊の連中は、その避難の時間を稼いでたんだろうな」
そして、その声が再び鋭さを帯びた。
「よし、じゃあヴァンガード隊。最後の仕上げと行こうじゃないか」
即座に応答が重なる。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
応答と同時に、ヴァンガード隊のスサノヲ四機がアメノウズメの周囲を囲うように展開した。焼け爛れた消防車の残骸を踏み越え、ゆっくりと前進する。
その先には、大穴を穿たれ、カルナ・サーヴィターが溢れ出してきた巨大ドームが口を開けていた。
そして、そのさらに上空――無数の飛行型サーヴィターが、巨大ドームを中心として不気味な大渦を描いていた。
赤黒い群れは幾重にも重なり合い、薄曇りの空そのものを覆い潰している。羽ばたくたびに生じる低い振動音が、大気を唸らせるように周囲へ響き渡っていた。
その密度は異常だった。
飛行型サーヴィター同士の隙間すらほとんど見えない。巨大ドームの上空だけが、まるで巨大な生物の巣へ変貌してしまったかのようだった。
「……なんや、あの数……」
ニックが息を呑む。
白煙を噴き上げる巨大ドームと、その上空を埋め尽くす飛行型サーヴィターの大群。ワイアナエ研究所そのものが、異形の巣窟へ変わり果てていた。
白煙と酸の臭気が滞留する巨大ドームの闇の中へ――ヴァンガード隊は静かに足を踏み入れていった。




