第74話 紙一重の誘導戦
ニックは、迫り来る百足型サーヴィターを見据えながら、脳裏に先ほどの戦闘光景を呼び起こしていた。
加納の駆るストライク・イーグル。
あの機体は盾を真正面へ構え、百足型の突進をぎりぎりまで引きつけていた。力任せに受け止めるのではない。衝突の瞬間、わずかに機体を捌き、百足型の勢いそのものを滑らせるように受け流していたのだ。
だが、ジョーカーには盾がない。
両手に握られているのは、近接格闘用の短剣のみ。
長大な胴体と分厚い甲殻を持つ百足型を相手にするには、あまりにも頼りなく見える装備だった。
真正面から噛み合えば、一撃で終わる。
百足型の顎に捉えられれば、細身のジョーカーなど装甲ごと噛み砕かれるだろう。
だが――。
ニックの口元が、わずかに吊り上がる。
「せやけどなぁ……」
ジョーカーが深く腰を落とす。
機動性確保のために最低限度に配置された機体装甲がしなやかに沈み込み、まるで獣が飛び掛かる直前のような低い姿勢を取った。
ストライク・イーグルには無いものが、ジョーカーにはある。
速度。
瞬発力。
そして、紙一重を潜り抜けるための機動性。
「重たい奴には、重たい奴なりの付き合い方っちゅうもんがあるんや」
次の瞬間、百足型サーヴィターが地面を抉りながら突進した。
ガガガガガガガッ!!
無数の脚部がアスファルトを砕き、赤黒い巨体が一直線に迫る。
五つの眼が鈍い光を放ちながらジョーカーを捉え、大顎が鋼鉄を噛み砕く音を立てて開閉した。
速い。
百足型サーヴィターの巨体に似合わぬ速度だった。迫る質量の圧力だけで、周囲の土煙が吹き飛ぶ。
だがニックは退かなかった。
ジョーカーはその場に踏み留まり、腰を落としたまま百足型を真正面から迎え撃つ。
距離が消える。
十メートル。
五メートル。
三メートル――。
百足型の大顎が、ジョーカーへ食らい付くように振り下ろされた瞬間。ジョーカーの機体が、掻き消えるように横へ滑った。
ギリギリだった。
百足型の牙の先端が、ジョーカーの肩部装甲をかすめる。火花が散る。
だが、それだけだった。
突進していた百足型は、もはや止まれない。まるでジョーカーの残像へ全速力で食らい付くかのように、そのまま減速無しで前方へ突っ込んでいく。
轟音が連続した。
テント群がまとめて吹き飛び、支柱が紙細工のようにへし折れる。
周囲に点在していたキアヴェの木が、突進の余波だけで幹を裂かれ、鋭い枝を撒き散らしながら次々となぎ倒されていく。
乾いた枝木が弾け飛び、土煙と木片、引き裂かれたタープの切れ端が暴風のように舞い上がった。
その脇を、ジョーカーは軽やかに滑り抜けていた。軽量の機体が片足で着地し、短剣を構え直す。
センサー越しに映る百足型の巨体は、勢い余って大きく体勢を崩していた。
ニックが肩を揺らし、小さく笑う。
「なんや――」
そして、軽口混じりに言葉を落とした。
「意外と簡単やないか」
体勢を崩した百足型サーヴィターが、瓦礫を削りながら強引に巨体を立て直す。
赤黒い甲殻が軋み、無数の脚部がアスファルトを掻いた。五つの眼が再びジョーカーを捉え、獲物を逃すまいとするように不気味な光を滲ませる。
その瞬間、大樹の声が通信へ割り込んだ。
「ニックさん! 予定ポイントに弾頭を敷設しました。いつでも大丈夫です!」
ニックの口元が、にやりと歪む。
「了解や」
返答と同時に、ジョーカーが再び駆け出した。
軽量機体が瓦礫の上を滑るように疾走する。
崩れたテントの残骸を飛び越え、倒木の隙間を縫い、百足型サーヴィターを引き連れながら一直線に誘導ポイントへ向かっていく。
その進路の先――。
瓦礫に半ば埋もれるようにして設置された弾頭の近傍へ、ジョーカーは自らを滑り込ませた。
背後では、百足型サーヴィターが怒涛の勢いで迫っていた。
赤黒い巨体が街路を這い進むたび、無数の脚部が砕けたアスファルトを叩き潰し、重低音じみた振動が周囲一帯へ広がっていく。倒壊しかけた建物の壁面から砂埃が絶え間なく零れ落ち、土煙の奥では五つの眼だけが鈍く不気味な光を放っていた。
それは、まるで災害が形を変えて一直線に突っ込んできているかのようだった。
だが、その圧倒的な質量と殺意を真正面から前にしてなお、ニックの意識は奇妙なほど澄み切っていた。
ジョーカーは半身の姿勢へ静かに沈み込む。
片脚を引き、重心を低く落としながら、両手の短剣をわずかに揺らす。その刃先が舞い上がる砂塵の中で鈍い光を返し、細身の機体は獲物へ飛び掛かる寸前の獣のような緊張感を纏っていた。
「なぁに、百足型サーヴィターちゃん」
軽薄ですらある声音が、アメノウズメの車内に落ちた。
「何も怖いことあらへん。何も痛いことはせぇへん。安心しておいでや」
その挑発へ応じるように、百足型サーヴィターの長大な胴体が鞭のようにしなった。
赤黒い甲殻同士が擦れ合う不快な軋みが響き、次の瞬間、無数の脚部が地面を掻き毟る。砕けたアスファルト片と土煙が爆ぜるように跳ね上がった。
五つの眼が、不気味な光を宿したままジョーカーへ収束する。
そして、頭部がゆっくりと持ち上がった。
大顎が開く。
鋼鉄すら噛み砕く牙列が、赤黒く濡れた口腔の奥からむき出しになる。粘つく唾液が糸を引きながら垂れ、機体一機を丸ごと呑み込めそうなほど巨大な顎門が、獲物を逃がすまいと一直線にジョーカーへ向けられていた。
次の瞬間、百足型サーヴィターの巨体が炸裂するような勢いで前方へ弾けた。
無数の脚部がアスファルトを叩き潰しながら加速し、そのたびに地面が震える。巻き上げられた土煙が視界を濁らせ、吹き飛んだ瓦礫片が周囲の壁面へ激しく叩き付けられた。
赤黒い甲殻。波打つ長大な胴体。五つの眼に宿る、獲物を噛み砕くためだけの凶暴な光。
それはもはや生物ではなく、質量そのものが殺意へ変わったような存在だった。
普通なら、恐怖に耐え切れず回避へ移っている距離。
だが、ジョーカーは動かない。
細身の機体は半身の姿勢を崩さぬまま、じりじりと迫る死を真正面から見据えていた。
ニックは待っていた。
百足型の速度。顎の開閉。突進軌道。
その全てが、回避可能な一点へ収束する瞬間を。
限界まで引きつける。
さらに引きつける。
百足型サーヴィターの大顎が目前へ迫った。
鋼鉄すら噛み砕く牙列が土煙の中で鈍く光り、その先端がジョーカーの頭部装甲へ届こうとした、まさにその瞬間――。
ジョーカーの機体が、視界から掻き消えるような鋭さで身を翻した。
ギィンッ!!
大顎の先端が、ジョーカーの肩部装甲を浅く削る。火花が激しく散り、カルナイトの破片が宙へ舞った。
ジョーカーはそのまま横回転するように地面へ着地し、軽やかに姿勢を立て直す。
そして、その直後だった。
ジョーカーの背後――。百足型サーヴィターの頭部直下で、白い閃光が爆ぜた。
次の瞬間。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい爆風が街路を吹き抜けた。埋設されていた弾頭が起爆したのだ。
爆炎と破片が噴き上がり、百足型サーヴィターの頭部を下から食い破る。赤黒い甲殻が内側から吹き飛び、五つの眼球が砕け散った。
巨体が大きく跳ね上がり、吹き飛んだ頭部の破片が燃えながら周囲へ降り注ぐ。痙攣するように暴れる無数の脚が、アスファルトを滅茶苦茶に引き裂いていった。
その爆風を背に、ジョーカーは静かに振り返った。ニックが肩を竦め、困ったように笑う。
「――あれま」
そして、どこまでも軽い調子で続けた。
「百足型サーヴィターちゃん。そないなとこに、そんな危険なもんが埋まっとるなんか知らんかったんや。堪忍な」
爆炎に揺れる街路の中、ジョーカーは短剣を静かに構え直し、燃え落ちていく百足型サーヴィターの残骸を見据えていた。




