第72話 起爆圏への誘導
「ヴァンガード隊、お客さんのご到着だ。前方、十一時方向。反応九――蟻型の群れだ」
佐伯の声がアメノウズメ車内に響く。
その一言で、隊の意識が一斉に収束した。
カルナ・サーヴィターは、捕食をしない。
自らの酸で対象を溶解し、そのすべてを母体であるカルナ・フロラへと還元する――それだけが存在理由だ。休息もなければ、生殖の衝動もない。満たされることのない疑似的な食欲だけが、行動の核として組み込まれている。
進路上のコンドミニアムに、そして逃げ惑う人々へと、ただ機械的に顎を開き、酸を吐き続ける。標的は目の前にあるもの、その、すべて。優先順位も回避もなく、ただ溶かすためだけに存在していた。
ゆえに――接近するスサノヲの巨影にすら、反応しない。
ニックが叫ぶ。
「やめろ、やめるんやーーーー」
応じるように、藤堂が吠える。
「うおおおおぉぉぉぉ」
サイクロプスが、踏み込む。
重心を前へ預けたまま、出力を一段引き上げる。加速は鈍らない。むしろ、そのまま刃へと乗せられ、一直線の斬撃へと収束していく。握られた長刀が低く構えられ、踏み込みと同時に引き絞られる。
蟻型サーヴィターが酸を吐き出す。だが、その照準はすでに遅れていた。踏み込みの勢いを殺さず、射程の縁をかすめるように滑り込んだサイクロプスの一閃が、外殻の側面へと深々と走る。
刃が、断ち切る。
抵抗は一瞬で抜け、外殻と内部構造が同時に裂ける。体勢を崩した個体は、そのまま路面へと叩き伏せられ、吐き出しかけた酸は狙いを失って四散する。白煙を上げながらアスファルトを焼き、飛び散る液滴が周囲を侵食していく。
白煙の中で、切り裂かれた個体が崩れ落ちる。酸はなおも路面を侵食し続けていたが、その中心にあったはずの脅威は、すでに機能を失っていた。
その光景を押し流すように、車内に低い声が落ちる。加納の声だった。
「ニック、感情的になるな。この事態を我々は予測できていた。だが俺たちと藤原博士はそれを止めることはできなかった。ただ、できることはある。それは、被害者を一人でも少なく抑えることだ」
言葉と同時に、ストライク・イーグルが加速する。
低く、鋭く。進路を横切るように飛び込み、そのまま逃げ惑う人々の前面へと躍り出た。巨体が覆いかぶさるように立ちはだかり、展開された盾が前方へと突き出される。
直後――酸が降りかかった。
叩きつけられた液体が装甲と盾の表面を焼き、耳障りな腐食音を響かせる。蒸気が吹き上がり、視界を白く塗り潰す。
その奥で、一直線の閃光が走った。
ユグドラシルの銃槍が、わずかな隙間を射抜く。照準はぶれない。貫かれた蟻型サーヴィターの頭部が弾け、巨体がその場で崩れ落ちた。
大樹の声が、落ち着いた調子で続く。
「カルナ・サーヴィターを倒すことで住民を護ることに繋がるんだったら、戸惑いも恐怖もありません」
間を置かず、ニックが応じた。
「せやな。ワイらは、できることをやるだけや」
ジョーカーが、再び前へ出る。
加速は鋭い。酸を撒き散らすことに意識を割かれた蟻型サーヴィターは、その動きに追従できない。死角へ滑り込み、間合いを奪い、躊躇なく刃を叩き込む。
一体。続けざまに、もう一体。崩れ落ちる音が重なり、路面を震わせた。
酸が飛び、白煙が立ち上る中で――ヴァンガード隊の進撃だけは、止まらなかった。
白煙がゆっくりと引いていく。焼けただれた路面の上で、最後に残っていた熱源がふっと途切れた。
その瞬間――戦闘の余韻を切り裂くように、佐伯の声が落ちる。
「ヴァンガード隊、研究所の方に前進する」
短い命令に、各機が即座に応じた。焼けた匂いと蒸気を置き去りにしながら、ヴァンガード隊は進路を取り戻した。
進むにつれて、街の様相がわずかに変わる。
逃げ惑っていた人々の流れは、次第に細くなる。視界を横切っていた影は減り、代わりに――センサー上の反応が、濃く、重く、重なり始める。
カルナ・サーヴィター。
点在していたそれが、明確な密度を伴って現れ始めていた。
前方の路地から、横手の建物の影から、断続的に現れる蟻型の群れ。
だが、ヴァンガード隊は止まらない。
ジョーカーが切り込み、サイクロプスが断ち、ユグドラシルが射抜く。ストライク・イーグルが盾で受け止め、いなして無駄なく仕留める。
役割はすでに噛み合っていた。
接敵。排除。前進。その循環が、ほとんど無駄なく繰り返されていく。
やがて――
不意に、佐伯の声が再び車内に落ちた。
「前方、二時の方向にカルナ・サーヴィターの反応」
わずかな間。
その情報を咀嚼するより早く、ニックが反応する。
「あれは……百足型サーヴィターや!」
視界の先、建物の隙間に蠢く影。
節を連ねた長大な体躯が、壁面をなめるように這い、複数の脚が不規則に波打っている。蟻型とは異なる、粘りつくような動き。
大樹が、息を呑んだ。
「……」
その沈黙を破るように、佐伯の声が飛ぶ。
「大樹、どうだ、いけるか?」
わずかな間を置いて、返答が来る。
「与島基地でできることはやりました。後は実戦で試してみるのみです」
大樹の表情に迷いはなかった。
佐伯が短く頷く。
「よし、大樹、やってみろ」
間を置かず、大樹が応じた。
「はい」
次の瞬間、ユグドラシルの銃槍に微かな機構音が走ると、内部で弾頭がスライドし、機能が切り替わる。
――カシャッ。
乾いた音が、はっきりと響いた。
次の瞬間、ヘッドギアの視界端に浮かぶ弾頭アイコンが切り替わる。信管活性表示が安定して輝き、遠隔起爆リンクのインジケータが接続状態を示して固定される。続いて、安全ロック解除の表示が点灯した。
確認を終えた大樹が、淡々と告げる。
「ユグドラシルの位置に遠隔起爆弾を仕掛けます」
言い終えると同時に、銃槍を地面へと突き立てる。
硬質な路面に穿たれた小さな穴。その奥に、円錐状の弾頭が静かに沈み込んでいく。外からはほとんど視認できないほどに埋設され、起爆装置だけが微弱な待機信号を発していた。
大樹が、淡々と続ける。
「ただし、弾頭は与島基地で急造したものです。遠隔起爆リンクの出力が不安定なため、ユグドラシルが離れすぎると起爆できなくなります」
ニックが眉をひそめた。
「つまり、お前はそこから動けへんのか」
「はい。起爆可能距離を維持する必要があります」
わずかな沈黙が落ちる。その意味を理解したように、藤堂が低く呟く。
「……誰かが、百足型をそこまで誘導する必要があるってことか」
その言葉を遮るように、低く確信に満ちた声が重なった。
「俺の出番のようだな」
加納だった。
その直後、藤堂が険しい声で口を開く。
「加納、一機では危険だ。俺も加勢する」
だが、加納は即座に応じた。
「大丈夫だ、藤堂。俺は屋島で百足型サーヴィターの動きは頭に入っている。それよりも、藤堂とニックは俺の――ストライク・イーグルの動きを見ておいてくれ」
藤堂はすぐには答えなかった。
そして、わずかに眉を寄せたまま、それでも頷いた。
「……解った。無理はするな」
続けて、ニックがいつもの調子で声を弾ませる。
「流石は加納さんやな! お手並み拝見とさせていただくで」
その軽口に、加納が小さく鼻を鳴らした。
「……まぁ、見ていろ」
言うが早いか、ストライク・イーグルが前へと躍り出る。推力を一気に引き上げ、巨体が低空を滑るように加速した。
視界の先、百足型サーヴィターが樹木やテントに酸を撒き散らしている。溶解した布と繊維が崩れ落ち、周囲に白煙が広がる。
その懐へ――ストライク・イーグルが飛び込んだ。抜き放たれたサーベルが閃き、無数に連なる脚部の一つを鋭く切り裂く。
金属と有機質が混じり合ったような感触が、刃を通じて伝わる。
斬撃を受けた瞬間、百足型の巨体が大きくうねり、節足が不規則に波打った。長大な胴がとぐろを巻くように折れ曲がり、標的を捉え直す。そのすべてが――ストライク・イーグルへと向けられる。
頭部に並ぶ五つの眼が、一斉に向きを揃えた。濁った光が収束し、標的を正確に捉える。
酸を帯びた顎が開き、照準が定まった。
百足型サーヴィターの巨体が、ゆっくりとうねった。
節と節の隙間から、鈍く湿った光が滲む。無数の脚が大地を掻き、アスファルトを削り取りながら波打つ。その動きは一見緩慢でありながら、内部に圧縮された力を孕んでいた。
――来る。
直感に近い予兆の直後、巨体が弾ける。
収束した長大な体躯が、一瞬で一直線に伸びる。節が引き絞られ、質量そのものが矢となって解き放たれた。空気が裂け、遅れて衝撃波が周囲の瓦礫と白煙を吹き飛ばす。
一直線の突進。
その先に、ストライク・イーグル。
加納は、動かない。
盾を正面に構え、重心を落とす。その姿勢は、迎撃のそれに見えた。
だが――
接触の寸前。
ストライク・イーグルの視線が、わずかに沈んだ。
踏み込みを切り、機体を横へと滑らせる。舗装を削る音とともに、数百トンの質量が紙一重で軌道から外れる。
直後――
ズガァァンッ!!
突進は空を裂いたまま背後へと抜け、仮設住居群へと叩き込まれた。鉄パイプの骨組みが飴細工のように折れ、布材が引き裂かれ、木片が宙へ舞い上がる。
砂塵が視界を覆い、白煙と混ざり合って濁った層を作る。
その中で――
百足型の長い身体が、大きく撓った。
地面に叩きつけられた反動をそのまま利用し、節を連ねた体躯が鞭のようにしなる。無数の脚がばらばらに地面を掻き、瓦礫を巻き込みながら強引に方向を変える。
五つの眼が、ばらついたまま空間を探る。
――標的を、見失っている。ほんの一瞬の遅れ。
そのわずかな空白の中で、ストライク・イーグルはすでに位置を変えていた。
崩れた建材の影、白煙の縁。その外側へ滑り出るように、静かに、だが確実に。盾を構えたまま、再び姿を現す。
百足型の頭部が、ぎこちなく旋回する。
五つの視線が収束し、ひとつの点を捉えた。
見つけた。
次の瞬間――再び、巨体が伸びる。
今度は迷いがない。節が軋み、地面を抉りながら一直線に加速する。
標的――ストライク・イーグル。
だが、ストライク・イーグルは動かなかった。
盾を正面に構えたまま、その場に深く根を下ろすように静止する。逃げもせず、避ける気配すらない。その佇まいは、むしろ――そこへ来い、と無言で誘っているかのようだった。
百足型サーヴィターの巨体が応じるように踏み込み、さらに加速する。
距離が一気に潰れ、盾の表面には迫り来る外殻の節と節、その歪んだ質感までもが克明に映り込む。
大顎が開いた。
酸を滴らせた内壁がぬめりを帯びて露出し、そのまま噛み砕かんと一直線に迫る。
――喰らい付く、その寸前。
百足型サーヴィターの直下で、わずかに地面が盛り上がった。
内側から押し上げられるようにアスファルトが歪み、ひび割れが走る。
次の瞬間――
ドンッ――!!
重く鈍い爆音が、大気そのものを叩きつけた。
アスファルトが裏側から吹き飛び、破片が放射状に弾ける。地中に潜ませていた遠隔起爆弾が、巨体の腹下で正確に炸裂した。
爆風は外へではなく、内へ。節と節の隙間へと潜り込み、甲殻の裏側から押し広げる。
節の継ぎ目が悲鳴のような軋みを上げ――限界を越えた箇所が、乾いた破断音とともに弾けた。
巨体が宙に浮く。
突進の勢いを残したまま制御を失い、地面へと叩きつけられ、長大な身体が横滑りに転がる。節足が空を掻き、アスファルトを引き裂き、火花と破片を撒き散らす。
白煙と粉塵が、ゆっくりとその上を覆っていく。
その中心で――
ユグドラシルのインジケータが、静かに消灯した。
「……遠隔起爆成功」
大樹の声が、抑えた調子で落ちる。
あれほど大地を揺らしていた節足の音が、もう聞こえることはなかった。




