第71話 逆走者たち
本来なら観光客で溢れる時間帯の幹線道路は、しかし、見事なまでに空白だった。シャッターの下りた土産物店、椅子が引かれたままのテラス席、風にあおられて軋むメニュー看板――人の気配は消え、紙片だけが路面を転がっていく。
静かすぎる。
混乱すら、ここには届いていない。
――人の気配だけが、消えている。
「……外に出とらん。屋内待機命令でもでとるんかな」
ニックの低い呟きに、大樹が短く応じる。
「あのパトカーが答え……みたいですね」
進路の先、交差点をゆっくりと横切るパトカーがあった。赤色灯を回しながら低速で巡回し、屋根のスピーカーから機械的な音声を繰り返している。
『住民の皆さん、落ち着いてください。屋内待機を継続してください。外出は大変危険です』
同じ文言が、抑揚なく流れ続ける。だが――その声に応じる人影は、どこにもない。
閉ざされたシャッター、引かれたままの椅子、無人の通り。音だけが街を巡り、人の不在だけが、異様なまでに際立っていた。
その判断は正しい。だが、その正しさが生んだ光景は、かえって現実の手触りを削ぎ落としている。誰もいない観光地を、戦闘機動の巨体だけが走り抜けていく。その非現実だけが、妙に鮮明だった。
直線に入った瞬間、さらに速度を乗せる。
視界の端で景色が流れ、振動がわずかに質を変える――そのとき、頭上を裂くような高音が落ちてきた。
反射的に視線が上がる。炎を引きずる機影が、ほとんど垂直に近い角度で降ってくる。姿勢は崩壊し、回転しながら空中でばらけかけている。制御は、完全に死んでいた。
「落ちるぞ!」
佐伯の声と同時に、入力が走る。進路が鋭くずれ、次の瞬間、戦闘機は前方の道路へ叩きつけられた。圧縮された衝撃が空気を押し潰し、遅れて膨張する炎が壁のように迫る。破片と熱風が一体となって視界を塗り潰した。
それでも――ヴァンガード隊は減速しない。
佐伯は炎の厚みを見切り、最も薄い縁を選んで機体を滑り込ませる。外装を叩く衝撃を受け流しながら、わずかな隙間を縫うようにしてそのまま突破した。
「急ぐぞ!」
短い一喝に応じて、スサノヲ各機が歩幅を広げる。地面を打つリズムが変わり、速度がさらに引き上がる。前方の空は、もはや単なる濁りではない。層を成した黒が、明確な塊として滞留している。
ワイアナエ――
すべてが、そこへ収束していた。
ワイアナエへと距離を詰めるにつれ、景色はゆっくりと、しかし確実に色を変えていった。
観光地の整った街並みは、ある地点を境にして綻び始める。最初は、ほんの些細な違いだった。路面の塗装が擦り切れ、標識の角が欠け、壁に残る補修跡が妙に多くなる。だが進むごとに、その些細は積み重なり、やがて無視できない違和感へと変わっていく。
建物の高さが揃わなくなる。間取りの意図が見えなくなる。
増築と補修を繰り返した痕跡が、層のように外壁に刻み込まれていた。金属板、コンクリート、木材――本来なら交わらないはずの素材が、継ぎ接ぎのまま共存している。窓は規格を無視して大小が混在し、通気口や配線がむき出しのまま外壁を這っていた。
だが――その歪んだ街並みに、別の異変が混じり始める。
最初に現れたのは、人影だった。
路地の奥、建物の隙間。閉ざされていたはずの扉がわずかに開き、そこから一人、また一人と外へ飛び出してくる。振り返る余裕すらなく、ただ一直線に――基地とは逆方向へと駆けていく。
やがて、それは点ではなく流れになる。
小さな子どもの手を引く者、荷物も持たずに走る者、足を引きずりながらも必死に前へ進む者。統制はない。ただ、ここから離れるという一点だけで繋がった逃走だった。
「……」
佐伯の視線がわずかに動く。屋内待機命令が届いていないのか。あるいは――命令に従っていられる状況ではなくなったのか。あるいは、その両方か。
判断はつかない。だが、いずれにせよ状況が一段悪化していることだけは明白だった。
そのとき――
「このエリア、人が多いです」
大樹の声が割り込む。
「スサノヲの熱源センサーで人間をスキャンします。識別データを姿勢制御にフィードバック、システムに介入し――自動的に回避する補正プログラムを共有します」
一拍も置かず、続ける。
「必要に応じて切り替えてください」
モニターの隅で、新たな制御レイヤーが展開される。
街路上に点在する熱源がマーキングされ、進路予測と干渉警告がリアルタイムで重なっていく。
佐伯が短く息を吐いた。
「ナイスだ。大樹」
その直後――
「ヴァンガード隊、追加のお客さん、蟻型だ」
声が、今度は明確な戦闘の温度を帯びる。
ニックが応じた。
「やっとワイの出番やな」
ジョーカーが一歩、強く踏み込む。
加速。
巨体に似合わぬ鋭さで、前方へと滑り出す。視界の中で建物が流れ、狭い通路へと機体をねじ込むように侵入していく。路地を横切る人影を紙一重で外しながら、そのまま加速を乗せた。
いた。
古びた平屋の合間、その奥。
低い屋根の列の向こうから、頭一つ分だけ突き出た異形。蟻型サーヴィターが、節のある顎を開き、周囲へと液体を撒き散らしている。地面に落ちたそれが白煙を上げ、建材を溶かしながらじわじわと広がっていく。
ジョーカーは減速しない。
左右の建物を紙一重でかわしながら、一直線に距離を詰める。進路は最短。だが、その軌道は無駄がなかった。角を削るように、最短距離で、しかし接触だけは絶対に避ける精度。
一瞬で詰める。
視界が跳ねる。次の瞬間、ジョーカーの腕が振り抜かれていた。短剣が一直線に走り、装甲の隙間――頸部の接合部へとねじ込まれる。
抵抗は、ない。内部を貫いた刃が、わずかに捻られる。
遅れて、反応が来る。
蟻型の体が痙攣し、脚が不規則に跳ねる。だが、それは一瞬だった。力が抜けるように崩れ、そのまま沈黙する。
その足元を――人が、走り抜けていく。
「意外と人がおるなぁ……ヒョロ眼鏡のシステム無しじゃ危なかったわ」
ニックの声が落ちた。
加納が即座に返す。
「それは当然だな。だが……逆に妙だな」
藤堂が続く。
「ああ、そうだな。町の規模にしては少なすぎる」
確かに――少ない。
逃げている人間はいる。だが、この密度、この建物数に対して、流れてくる人数が明らかに合わない。
佐伯が短く息を吐いた。
「確かに……妙だな。だが、気にしても仕方ない」
視線はすでに前方へ戻っている。
「ヴァンガード隊、最優先はカルナ・フロラの撃破だ。あれを落とせば、いずれ酸を使い切ったサーヴィターは自壊に近い形で止まる。だが、地中に潜られて増殖の起点にされるのは厄介だ。接敵した個体は確実に潰せ。進路上の敵を排除しつつ、研究所へ急ぐ」
簡潔だが、迷いのない命令だった。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
逃げ惑う人々の流れとは逆向きに――ヴァンガード隊は、そのまま都市の奥へと踏み込んでいく。
ヴァンガード隊が焼け爛れた市街地を進むにつれ、周囲の空気が徐々に変わっていく……最初に異変へ気付いたのは大樹だった。
「……飛行型が増えてる」
厚い雲が広がり灰色一色に染まる空。その下を、黒い影が無数に漂っていた。
最初はまばらだった飛行型サーヴィターが、研究所へ近づくにつれて急激に密度を増している。崩れた高層建築群の隙間、煙の立ち昇る空域、そのすべてに黒い影が滞留していた。
大樹はヘッドギア越しに視線を細め、ユグドラシルアイカメラ越しの上空映像を拡大表示する。
「識別解析、開始」
ユグドラシルのセンサーが上空の機影を次々と捕捉する。輪郭解析、熱源比較、飛行パターン照合――高速で処理されたデータが大樹の視界に流れ込んだ。
「……上空の飛行型サーヴィター、ほぼ全部カゲロウ型です」
「カゲロウ型やって?」
ニックの声に、わずかな警戒が混じった。
上空では、羽音にも似た低い振動が絶え間なく響いている。カゲロウ型サーヴィターの群れは、まるで研究所周辺の空そのものを覆い隠しているかのようだった。




