第70話 白煙の巨影
滑走路の端で立ち上る白煙の向こうから、重々しいエンジン音が近づいてくる。次の瞬間、けたたましいサイレンが空気を切り裂いた。
低く唸るような警告音とともに、数両の化学消防車が一直線にC-5へと突進してくる。巨体の周囲を囲むように展開すると、間髪入れずにノズルが持ち上がり――
ドバァッ!!
大量の消火剤が、白く泡立ちながら機体へと叩きつけられた。焼け焦げた外板、火花を散らす車輪、熱を帯びたエンジンナセル。そのすべてが一気に覆い尽くされ、泡と蒸気が入り混じった白い霧が周囲を包み込んでいく。
同時に――
「ハッチ、手動開放に移行! 急げ!」
機内から怒号が飛ぶ。
自動系統は沈黙したまま。電力も安定しない中、整備員たちが外部からハッチのロック機構へと取り付き、強引に解放を試みる。金属が軋み、固着しかけた構造が無理やり引き剥がされるように動き――ゴンッ、と鈍い音を立てて、後部ハッチが開いた。
まだ燻る機体内部に、外気が一気に流れ込む。
「トレーラー、接続!」
すでに待機していたアメノウズメが、低い駆動音とともに前進する。機体後部へと慎重に接近し、ガイドに沿ってトレーラーの連結部へと噛み合った。
カチリ、と確かな手応え。
「接続完了!」
「降ろすぞ――一機ずつだ、急げ!」
ワイヤーが軋み、固定具が外されていく。
スサノヲが、ゆっくりと、しかし確実に機体の外へと引き出されていく。八メートルの巨体が、煙と泡に覆われた機内から現れる様は、まるで何かが産み落とされているかのようだった。
アメノウズメの車内――すでにヴァンガード隊のメンバーは全員が搭乗を完了していた。佐伯はシートに深く腰を沈め、正面のモニターへと視線を固定する。外部カメラが自動的に周囲をスキャンし、複数の映像が同時に立ち上がった。
その一つを、指先で拡大する。
「……っ」
思わず、息が漏れた。モニターに映し出された基地上空――その光景を、脳が一瞬、現実として処理することを拒む。
朝焼けに染まりかけた空に、黒い影が点在していた。数は多くない。だが、問題は密度ではない。そこに存在するという事実そのものが、異様だった。
飛行型サーヴィター。
不規則に漂うそれらは、まるで空そのものに染み出した汚濁のように、静かに、しかし確実に広がっている。
ワイアナエほどの飽和状態ではない――そう理性は判断する。だが同時に、本能が警鐘を鳴らしていた。
その異形の群れを、真っ向から切り裂くように――轟音が空を切り裂く。
滑走路を蹴った戦闘機が、アフターバーナーの炎を噴き上げながら次々と離陸していく。灼けつくような推力が尾を引き、朝の空に鋭い光の線を刻んだ。
だが、その軌跡はあまりにも無防備に見えた。
「……おいおい」
佐伯の声が、低く滲む。
「飛行型サーヴィターがあれだけいる中で、戦闘機を上げてどうするつもりだ」
呆れとも、危機感ともつかない響きだった。その言葉に、スサノヲとの接続確認を続けていた藤堂の手が止まる。
「佐伯さん、基地と通信は――? 対処法を伝えないと、このままじゃ……」
声には明確な焦りが混じっていた。しかし佐伯は、短く首を振る。
「無理だな。仮に繋がったとしても――あの連中に飛ばすなとは言えん」
視線はモニターから外さないまま、淡々と続ける。
「この基地の主力は航空戦力だ。目の前に敵が出た以上、出さないという選択肢は最初からない」
それは感情ではなく、組織としての必然だった。
そのとき、加納が苛立ちを露わにする。
「カルナ・サーヴィターには通信妨害が効いている。ミサイルの誘導はまともに機能しない。仮に当たっても効果は限定的だ」
言葉を噛みしめる。
「それに――あの数だ。飛行型を吸い込めば、エンジンは一発で終わる。離陸した時点で詰んでいるようなものだろう」
吐き捨てるような断定だった。
ニックが、わずかに肩をすくめる。
「しゃあないやろ。いきなり想定外の化け物が目の前に出てしもたんや、誰でも判断は狂うやろ」
軽く言いながらも、視線は鋭い。
大樹も小さく頷いた。
「理解はできます。でも――それでも、これは明らかに無謀です」
結論は、誰の中でも同じだった。間違っている。だが――止める手段がない。
佐伯は一瞬だけ目を閉じ、すぐに開く。
「通信が死んでいる以上、どうにもならん。あれはあれで、連中の戦い方だ」
言い切ると、視線を前方に据えた。
「俺たちは、俺たちのやるべきことをやる」
モニターに映るのは、白煙に包まれた基地と、その上空に広がる異様な空。
そして――
次の瞬間、アメノウズメの駆動音が低く唸りを上げ、機体が大地を踏みしめるように動き出した。
アメノウズメは速度を落とし、輸送機後部へと滑り込むように位置を取る。佐伯はわずかに入力を調整し、ワイヤーの張りを見ながら、機体の姿勢をトレーラーに丁寧に合わせた。
スサノヲの機体が、つぎつぎとC-5輸送機から引き出されていく。
アメノウズメのクローラーが軋む金属音。わずかな傾きすら許さない慎重な操作。
巨体は宙に支えられたまま、寸分の狂いもなく降下し――やがて、鈍い衝撃とともに地面へと触れた。
その瞬間、車内のあちこちから、短い報告が重なった。
「……ジョーカー、リンク確認、異常なしや」
「サイクロプス、通信ライン、確立。遅延なし」
「ストライク・イーグル、各系統のチェックに入る」
「ユグドラシル、起動チェック……問題ありません」
短い報告が、重なる。
モニターの隅で、起動シーケンスが順に進んでいく。電力、関節、姿勢制御――すべてが規定値へと収束していく。
やがて、最初に降ろされたジョーカーが、トレーラーからわずかに動いた。足部が沈み込み、地面を踏みしめる。遅れて、もう一方の脚が重さを受け止める。
ゆっくりと――立ち上がる。
カルナ筋束の唸りとともに、スサノヲが直立する。装甲の隙間から白い蒸気が立ち昇り、朝の光に溶けていった。
「……久しぶりやな」
ニックの声が、わずかに緩む。
「ちゃんと踏んでるって分かるわ」
「ユグドラシル起動確認。問題ありません。各部カルナ筋束応答、良好です」
大樹のユグドラシルが続く。他の機体も、順に動き出す。降ろされるたびに、短い調整動作を繰り返しながら、確かめるように大地を踏みしめていく。
やがて、すべての機体が並び立った。
白煙の中に浮かぶ巨影。静かに、しかし、確かに戦う準備を整えた姿だった。
アメノウズメがわずかに向きを変える。
佐伯の視線は、すでにその先――研究所の方角を捉えている。
「ヴァンガード隊。一刻も早く研究所に向かうぞ」
短く、揺るがない命令。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
即応の声が重なる。
ヴァンガード隊が目指す先――研究所のある方角は、もはや言葉にするまでもなかった。モニターに表示された飛行型サーヴィターの反応と、実際の視界。その両方が、同じ一点を指し示している。
ワイアナエ方面。そこだけが、異様なまでに濃い。
朝焼けに染まりかけた空を覆う黒い影は、場所によって明確に密度を変えていた。まだらに散在する他の空域とは違い、ワイアナエ上空だけは、層を成すように飛行型サーヴィターが滞留している。まるで、何かに引き寄せられているかのように。
その外縁をかすめるように、戦闘機が突入する。
だが次の瞬間、編隊の一機がわずかに姿勢を崩した。乱流ではない。外的要因でもない――まるで機体の内側から制御が崩れていくような、不自然な揺らぎ。
機体は不規則に蛇行し、修正入力にも鈍く遅れて応答する。やがて機首がじわりと沈み、そのまま姿勢を取り戻せないまま高度を失っていった。
遠方で、火球がふくらんだ。
光は一拍遅れて音になる。腹に響くような鈍い衝撃が、遅れて車内に伝わってきた。それでも後続は止まらない。炎の縁をなぞるように、次の機体が突入していく。命令か、慣性か、それとも引き返せないという意地か――いずれにせよ、ためらいは見えなかった。
その一連を、佐伯は一瞥で切り捨てる。判断は早い。アメノウズメの出力を引き上げると、低く唸っていた駆動音が一段深く沈み込み、機体の重さそのものが前へと傾く。
「行くぞ」
短い一言で十分だった。次の瞬間、巨体は大地を掴むように踏み込み、加速に入る。クローラーが舗装を噛み、回転がそのまま推進力へと変換される。背後では四機のスサノヲが遅れなく追随し、重い足音が等間隔のリズムを刻みはじめた。




