第66話 静かなる前哨戦
与島基地。
格納庫の一角――ハンガーの隅に設けられた即席の作業スペースには、工具とケーブルが雑然と広がっていた。
その中心で、大樹はひとり、端末と機材の間に身を沈めていた。
モニターには、複雑な波形と弾道計算のログが並んでいる。だが、その視線は迷っていない。作業は、ほぼ終わっていた。
百足型サーヴィターに対象を絞った、特殊弾頭。カルナイトの刃を放出し、腹側の甲殻ごと切り裂いて破壊する設計だった。
単なる貫通ではない。弱点を正確に抉り、機能そのものを断ち切るための弾だ。
それを、カートリッジに収める。
さらに――通常弾との切り替えを、戦闘中にワンタッチで行えるよう、ユグドラシルの銃槍側にも調整を加えていた。
抜かりはない。必要な調整はすべて終えている。
(……切り替えられなきゃ、意味がない)
相手は単一ではない。状況は、常に変わる。だからこそ、状況に応じて切り替えられる必要がある。
最後の固定を終え、大樹は立ち上がった。
目の前には、ユグドラシルの銃槍部が静かに構えていた。
装甲に覆われた無機質な外観。その内側に仕込まれた機構だけが、今は確かに息づいている。
工具の散乱した足元。開きっぱなしの端末。仮設の作業スペースは、本来の整備区画とは程遠い状態だったが、それでも必要な調整はすべてここでやり切った。
「……」
一瞬だけ、思考を切る。そのまま操作パネルへと手を伸ばした。
スイッチを押す。
――カシャン。
乾いた軽い音が、静まり返った格納庫の空気を小さく震わせた。
――カシャン。
「……よし」
大樹は小さく呟き、もう一度だけスイッチに触れる。
――カシャン。
遅延はない。誤差もない。モニター上に並ぶ数値は、どれも整然と収まっている。
視線が、わずかに落ちる。足元に広がる工具と配線。書き殴られたメモ。仮設の作業環境とは思えないほど踏み込まれた痕跡が、そこに残っている。
机上では、ほぼ完璧に近い。計算も、検証も、すべてやり尽くした。
だが――相手は、計算通りには動かない。
百足型サーヴィター。あの異様な速度。機械ではない、生体特有の、しなやかで予測不能な軌道。
(……やれることは、やった)
与島基地での作業は、これで終わりだ。
一度だけ、深く息を吐く。白く滲んだ吐息が、冷えた空気の中でゆっくりとほどけて消えていく。
そして――静かに、機体を見据える。
(……来るなら来い)
その瞬間だった。
「おお、佐々木。やっぱりここにいたか」
背後から声が飛んできた。張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
大樹は肩の力を抜きながら振り返った。
「……佐伯さん」
「小田桐基地司令からだ。ヴァンガード隊に緊急招集がかかってる」
言いながら、佐伯は面倒くさそうに息を吐いた。
「……また面倒ごとですかね」
大樹が半ば冗談めかして言うと、佐伯は肩をすくめる。
「さあな。だが、まあ……確実にそうだろうな」
佐伯がため息まじりに返答する。それを聞いて、大樹は思わず小さく笑った。
「ニックと藤堂、それに加納にはもう伝えてある。今から司令室に向かえば、合流できるはずだ」
「了解です」
頷きながらも、大樹はちらりと周囲へ視線を走らせる。散らばった工具と、開きっぱなしの端末。そして――目の前に立つユグドラシル。
「……佐伯さん、すみません。さすがにこのまま放置ってわけにもいかないんで、最低限だけ片づけてから向かいます」
「了解した。手短にな」
言い残し、佐伯はすでに踵を返している。足音が、徐々に遠ざかっていく。
大樹は、それを見送ることなく動き出した。
工具をまとめ、端末を落とし、配線を外す。必要最低限――それでも、無駄のない手つきで片づけていく。
視線が、ふとユグドラシルへ向く。
「……行くぞ」
誰にともなく呟くと、最後に一つだけ確認するように銃槍へ触れた。
冷たい感触。だが――そこには確かな応答がある。
大樹は背を向ける。そのまま、格納庫の外――基地司令室へと足を向けた。
大樹が基地司令室に到着したときには、すでに全員が揃っていた。扉の前で一瞬だけ呼吸を整え、そのまま足を止めることなく口を開く。
「遅くなって、申し訳ございません」
その背後から、佐伯の声が重なる。
「いいさ。よし――じゃあ、行くぞ」
短く言って、佐伯が扉をノックする。
「ヴァンガード隊です」
間を置かず、内側から低い声が返ってきた。
「入り給え」
小田桐の声だった。佐伯がドアを開ける。
そのまま一歩踏み込み、ニック、藤堂、加納が続く。最後に大樹が入り、静かに扉を閉めた。
室内の空気は、どこか張り詰めている。
視線を向けると、小田桐はすでにブリーフィングスペースに座っていた。デスクの上には、書類が山のように積まれている。いや、積まれているというより――広げられていると言った方が近い。
机の面積を埋め尽くすほどの紙。
「ああ、来たな。……まあ、こちらに座ってくれ」
促されるまま、それぞれが席に着く。
その光景を一瞥して、佐伯が思わず口を開いた。
「……なんなんですか、その書類の山は」
「今回の任務に必要な書類だ」
あまりにもあっさりとした返答。
加納が一枚手に取り、目を走らせる。
「書類って……いや、それにしても、とんでもない数ですね。しかもこれ……英語、ですか?」
「そうだ」
小田桐は視線を上げることなく答える。
そして――
「お前たちには、ハワイに向かってもらう」
淡々と告げられた一言。
一瞬、室内の空気が止まる。
「……は、ハワイやって?」
ニックが、息を呑んだ。
驚きを含んだその声とは裏腹に、彼の視線は微塵も揺れていなかった。むしろその眼差しには、どこかでこの瞬間を待ち受けていたかのような、静かな確信が宿っている。
来るべき時が、ついに来た――言葉にせずとも、その色がはっきりと物語っていた。
その先で、小田桐が全員をゆっくりと見回す。
誰一人として言葉を発さないまま、その視線を受け止めると――彼は間を置かず、淡々と口を開いた。
「昨晩、藤原博士から連絡があった。ハワイの研究所に、ゼロ型以外のサーヴィターが発生する万が一に備え――基地の自警用として、日本から新型の重装甲高出力型も含めたスサノヲ四機と、アメノウズメ一両を米軍に無償提供する。加えて、現場のパイロットに操作方法をトレーニングするため、操縦経験者を数名派遣する」
眼鏡の位置を気にしながら小田桐が続ける。
「……そういう建前で、部隊の受け入れを認めさせたそうだ」
静かな説明だったが、その内容は軽くない。
ニックが、思わず身を乗り出す。
「おいおい、それって大丈夫なんか?」
小田桐はわずかに肩をすくめる。
「無論、建前がそのまま通じる相手ではないことくらい、藤原博士も承知しているだろう。だが――事は一刻を争う状況らしい」
その言葉に、藤堂が短く息を吐く。
「四の五の言ってる余裕はない……そういうことだな」
「ああ」
小田桐は頷き、続ける。
「もっとも、本人は冗談交じりに『島根第一研究所を担保に入れて借金してでもどうにかする』と言っていたがな」
「はは……」
ニックが乾いた笑いを漏らす。
「藤原博士も、いよいよ肝が据わってきてる感じやな」
その軽口を、佐伯が引き取るように前へ出た。
「了解した。小田桐基地司令。面倒だが……こればっかりは他の隊に代わってもらうわけにも行くまい」
佐伯の言葉が静かに落ちると、室内の空気がわずかに引き締まった。
「ヴァンガード隊、覚悟を決めるぞ」
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
それぞれの声が重なり、短く揃う。
覚悟は、もう共有されていた。
その空気を確かめるように一瞬だけ間が置かれ、加納が口を開く。
「それで……小田桐基地司令。我々は、具体的にどう動けばいいのですか」
小田桐は頷く。
「現在、すでに米軍の高速艇が沖縄の米軍基地を出発し、当基地に向かっている。到着は明日の夕方ごろの予定だ」
そこで、わずかに言葉を切る。
「まずは――その前に、だ」
視線が、机上の書類へ落ちる。
「米軍基地への派遣は、どうやら手続きが非常に面倒らしくてな。各員、この書類に目を通し、要所ごとにサインが必要になる」
その一言で、空気が微妙に変わった。
ニックが、ゆっくりと机の上を見渡す。
そして――顔が引きつった。
「……書類って、まさか……これ全部なんか?」
小田桐も、さすがに予想外だったのか、眼鏡に手を当てて小さく息を吐いた。
「ああ……そうなんだ」
どこか歯切れの悪い頷き。
加納が書類を一枚取り、読み上げる。
「機密保持契約書、軍事機密取扱誓約書、海外派遣同意書……それから、日米共同作戦参加同意書、指揮系統一時移譲承認書……」
大樹も、別の束に目を落とす。
「それだけじゃないですね。技術提供に関する一時契約書、新型兵装取扱許可申請書……」
大樹の視線が紙面の一点で止まる。
「……免責同意書、損害責任放棄書……って、ちょっと待ってくださいこれ」
空気がわずかに止まる。
ニックが顔をしかめる。
「……それ、ヤバいやつちゃうんか?」
加納も別の一枚に目を走らせる。
「『任務中の損害については一切の責任を負わない』……だと? これは……」
「雑すぎるな……」
藤堂が低く呟く。
小田桐は、静かに言い切った。
「……全部一通り目を通して納得した上でサインしてくれ」
わずかに視線を上げる。
「――言っておくが、相手はアメリカだ」
低く、落ち着いた声。
「アメリカは訴訟大国だ。意味も解らないままサインをすれば、後で取り返しのつかないことになりかねん」
室内の空気が、わずかに引き締まる。ニックの表情からも、さっきまでの軽さが消えていた。
小田桐は続ける。
「各自、内容を理解した上で署名しろ。不明点や納得できない条項があれば、そのままにするな。必ず報告しろ」
小田桐はそこで一度言葉を飲み込み、ゆっくりと視線を上げた。
「これは形式ではない。任務の一部だと思え」
短い沈黙が室内に落ち、その重みのまま、誰もが机上に広がる書類の山へと視線を向けた。
ニックもまた、無言のまま一枚を手に取る。紙の端を指で押さえ、そのままゆっくりと目を走らせていくが――
不意に、その動きが止まった。
「……なあ」
ニックの口から、ぽつりと声が落ちる。だがその言葉を拾う者はおらず、室内にはわずかな間だけ静けさが残った。
それでもニックは顔を上げないまま、紙面に視線を落としたまま言葉を継ぐ。
「これ……全部、英語やんな」
「そうだ」
加納が当然のように返す。その言葉を受けても、ニックはすぐには続けず、わずかに眉を寄せたまま紙面へ視線を落とした。
やがて小さく息を吐き、何かを諦めたように口を開く。
「ワイ、英語……読めへねん」
その一言が落ちた瞬間、室内の空気が不意に固まった。
加納が思わず顔を上げ、藤堂もわずかに視線だけを向ける。大樹の手も、書類の上でぴたりと止まっていた。
ニックは、悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「いや、せやから……英語、読めへん。会話も無理や」
ニックは一度口を閉ざし、言葉を選ぶように視線を落とす。
「単語ちょっと分かるくらいやな」
「……ニック、金髪に青眼でお前が一番得意そうに見えるんだが」
藤堂が低く言い放つ。
その指摘にも、ニックは特に間を置くことなく肩をすくめ、
「見た目で判断せんとってくれ。ワイに比べたら最近の小学生の方がよっぽどようしゃべれる思うわ」
と、あっさりと言い返した。
間髪入れずに返ってきたその答えに、加納が額に手を当てた。
「……いや、そこで開き直られても困るんですが」
大樹がニックにぼやく。
「分かっとるわ。せやから困っとるんや」
ニックは悪びれる様子もなく肩をすくめてみせるが、その声にはどこか現実を突きつけるような重みが滲んでいた。
その空気を受けるように、小田桐が小さく息を吐く。
「……佐伯」
「了解」
短く応じて、佐伯が一歩前に出る。
「ニック、お前は後で俺と加納で見る。勝手にサインするな」
「助かるわ……ほんまに」
珍しく、素直な返答だった。
大樹は、そのやり取りを横目に見ながら、再び手元の書類へ視線を落とす。
(……他人事じゃないな)
英語そのものは読める。だが、そこに書かれている内容を正確に理解できるかとなれば――話は別だった。
紙の上に並ぶ条項は、どれも曖昧さを排した言葉で構成されている。だからこそ解釈の余地はなく、一度サインすれば逃げ場はない。
そんな感覚をなぞるように、藤堂が低く呟いた。
「……面倒なものが多すぎるな」
大樹も小さく息を吐く。
「ええ……しかも、全部ちゃんと読まないといけないやつです」
誰も笑わない。否、笑えない。紙をめくる音だけが、部屋に淡く響き始める。
――ハワイへ向かうその前に、思わぬ強敵との前哨戦に苦戦するヴァンガード隊。
その日、基地司令室の明かりは、深夜になっても落ちることはなかった。




