表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プロジェクト・アマテラス《三貴機神再生計画》  作者: 狐月華
4. 美咲《ミッシング・リンク》
52/88

第51話 美咲

 美桜が電車から降りると、降り注ぐ陽ざしの眩しさに思わず目元を覆った。


 三月上旬――

 朝晩にはまだ冷えが残るものの、日中の光はやわらかく、肌に触れる空気には確かな暖かさが混じりはじめている。

 澄みきった空の下、その穏やかさは、かえって現実の輪郭を曖昧にするほどだった。


 ――ほんの少し前に交わされていた会話とは、あまりにも対照的だった。


 美桜が振り返ると、車両の降り口で、藤原博士が腰に手を当てて軽く顔をしかめていた。


「……いてて」


 年相応の仕草に、思わず足が向く。


 ここは岡山県。


 与島が最前線基地であるならば、この南部一帯もまた、そのすぐ後方に位置する準前線区域にあたる。さらに北側には、それを支える医療施設や整備工場、補給拠点が段階的に配置されていた。


 住民がいないわけではない。だが、街の機能はすでに()()()()()ではなく、()()()()()()()に再編されている。


 通りに点在するのは、最低限の商店と、軍関係者を支えるための施設ばかりで、生活の匂いは薄く、ただ機能だけが残された空間のように感じられた。

 美桜が降りたのは、その中でも基地にほど近い――主に兵士を対象とした病院の最寄り駅だった。


「藤原博士、大丈夫ですか」


 駆け寄り、手を貸そうとする。

 藤原博士は苦笑しながら手を振った。


「いやいや、美桜ちゃん、すまんすまん。まぁ、これくらいは大丈夫じゃ」


 そう言って、腰を押さえたまま一度大きく伸びをする。骨が鳴るような、小さな音。だが、その顔にはいつもの調子が戻っていた。


「それじゃあ――」


 軽く息を吐く。


「お姉ちゃんのお見舞いに行くとしようかの」


 その言葉に、美桜は一瞬だけ表情を引き締めた。


「……はい。ありがとうございます」


 深く頭を下げる。

 そして、顔を上げると――先ほどまで胸の奥に残っていた重苦しさを、意識して押し込めた。

 今は、考えるべきことが違う。


 二人は並んで歩き出す。

 藤原博士の歩幅は決して速くはない。だが、その一歩一歩には迷いがなかった。


 駅前の通りに出る。

 人影はまばらで、行き交うのはほとんどが軍関係者だった。遠くには、低く唸るような機械音が聞こえる。


 穏やかな陽ざしとは裏腹に、ここが()()()()()()()であることを否応なく感じさせる光景だった。

 美桜は、ほんの一瞬だけ空を見上げる。


 青い。あまりにも、何事もないかのように。

 その青さを、ほんの一瞬だけ見つめて――美桜は視線を落とした。


「行きましょう」


 短く告げる。藤原博士が小さく頷いた。

 二人が向かった先は、この一帯に設けられた医療施設群の中核――後方統合医療センターと呼ばれる施設だった。


 前線基地を支えるために建設された中でも最大規模を誇り、その医療水準は設備・人員ともに国内最高峰に位置している。

 外観は無機質なコンクリートの塊に過ぎない。だが一歩足を踏み入れた瞬間、その印象は一変する。


 静かすぎるほどに統制された空気。人の気配はあるのに、生活音がほとんどしない。

 すべてが()()として存在している空間だった。


 受付を抜け、エレベーターへ。


 行き先を示す階層表示は、途中から一般的な表記ではなくなっていった。

 数字の代わりに並ぶのは、無機質な識別コード――そこから先が通常の医療施設とは異なる領域であることを、無言のまま示している。


 軽い振動とともに、エレベーターが停止すると、扉が開く。そこから先は――別世界だった。


 最初のゲートの前で、美桜は足を止め、静かに手のひらを差し出した。淡い光がその表面をなぞるように走り、皮膚の下を透かすようにして血管の走行を読み取っていく。


 続いて、わずかに顎を引き、視線を固定する。網膜認証――短い電子音が響き、遅れることなくロックが解除された。


「……ほぉ」


 背後で、藤原博士が小さく声を漏らした。


「えらい厳重やな」


「はい」


 美桜は振り返らずに応じる。


「この先は、一般病棟とは完全に隔離されています」


 二つ目、三つ目とゲートを抜けていく。


 進むごとに、空間の密度が変わっていくのがわかる。照明はより白く、影が薄くなる。壁面には無駄がなくなり、表示も最小限。人の姿も減っていく。

 その代わりに――()()()()()()()という感覚だけが強まっていった。


 美桜の足取りは迷いがない。すでに何度も通った道だ。だが、その後ろを歩く藤原博士は違った。

 一つゲートをくぐるたびに、わずかに肩が強張る。視線が落ち着かない。

 好奇心と警戒が入り混じった、落ち着かない様子だった。


 やがて――美桜が足を止めた。

 目の前には、それまでとは明らかに異なる重厚なゲート。表示は簡素だが、そこに込められた意味は重い。

 一段、空気が変わる。


 美桜が振り返る。


「ここから先は、防護服の着用が必要なんです」


 藤原博士が眉を上げる。


「ほう……というと?」


「姉は――異星由来のウイルスに侵されている可能性があります」


 わずかに言葉を区切る。


「それに――感染しないようにするためと……外部からの病原体を持ち込まないためです」


 短い沈黙が落ちる。

 藤原博士は小さく息を吐いた。


「……なるほどな」


 短く、しかし重みのある声だった。


 側に控えていた係員が、防護装備一式を差し出す。美桜は慣れた手つきでそれを受け取り、迷いなく身につけていく。動作に無駄はない。

 日常の延長のような、自然な所作だった。


 一方で藤原博士は、手順を確認しながら慎重に装着していく。手袋の密閉を確かめ、首元を整え、最後に深く息を吐いた。


「……なんや、宇宙にでも行くみたいやな」


 小さく肩をすくめ、わずかな苦笑を浮かべる。だが、その目は真剣だった。

 準備を終えた二人を、係員が無言で先導する。


 ゲートがゆっくりと開く。その向こうは――異様なほど静かだった。

 通路を進む。足音だけが、規則的に響く。


 やがて、一室の前で立ち止まる。係員が操作を行い、扉が開かれる。

 その先にあったのは、ひとつの静止した空間だった。


 白いベッドの上に、美咲が横たわっている。身体には複数のチューブが接続され、機器が規則正しく数値を刻んでいる。


 そして――その姿は、あまりにも穏やかだった。まるで、ただ眠っているだけのように。


 美桜は、足を踏み入れる。


 一歩。

 もう一歩。


「……お姉ちゃん」


 小さく、呼ぶ。返事はない。

 ただ、規則的な機械音だけが、ここに時間が流れていることを示していた。


 美桜は、その場から動かなかった。ベッドの傍らに立ち、わずかに身をかがめる。

 まるで、眠っている顔を確かめるように――ずっと、美咲の顔を覗き込んでいる。


 その表情には、強い感情は浮かんでいない。ただ、目を離せないというように。

 藤原博士も、一歩近づいた。視線を落とし、美咲の顔を見る。


「……ほぉ」


 小さく、息を漏らす。


「そっくりやな……」


 思わず口をついて出た言葉だった。美咲の顔立ちは、まさに美桜の生き写しだった。

 眠っている分だけ、表情の揺らぎがない。

 それがかえって、()()()()()()()という印象を強めていた。


 藤原博士が、ゆっくりと口を開く。


「美桜ちゃんや、一つ聞いてもええかい?」


「……なんでしょう」


 視線は美咲を捉えて外さないまま、美桜が応じる。


「さっき、異星由来のウイルスって……言っとったやろ」


 わずかに間を置く。


「美桜ちゃんのお姉ちゃん――美咲ちゃんは……何がきっかけで昏睡状態になったんや?」


 静かな問いだった。


「カルナがそないなウイルスを持っとるなんて話、ワシは聞いたことないで」


 美桜のまつげが、わずかに揺れる。


「そ、それは……」


 言葉が続かない。喉元で止まり、そのまま落ちていく。

 藤原博士は、軽く手を振った。


「ええよ、言い難いようなら無理に答えんで」


 少しだけ柔らかく言う。


「ほな、質問を変えさせてもらうわ」


 言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「美咲ちゃんは――カルナが落下する前までは、普通に元気に生活しとった……で、落下して以降、昏睡状態になった」


 視線を美咲に向けたまま、確認するように言う。


「これは、合っとるか?」


 短い沈黙。

 機械音だけが、規則正しく空間を満たす。


「……はい」


 美桜が答える。


 だが――わずかに言葉を継ぎ足した。


「お姉ちゃん、咲ちゃん()――カルナが落下してくるまでは、普通に生活していました」


 藤原博士の眉が、わずかに動く。


「咲ちゃん()……なぁ」


 小さく、繰り返す。その言葉の引っかかりを、舌の上で転がすように。

 ほんの少しだけ考え込むように、顎に手を当てる。

 だが、それ以上は踏み込まない。


 藤原博士は、再び視線をベッドへ戻した。

 何も言わず、ただそこに立つ。


 久々の再会。言葉はなかった。


 藤原博士が見守る中で、ただ姉妹二人の時間だけが、静かに流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ