第49話 世界の実験場
小田桐は、背もたれに身を預けたまま、わずかに視線を上げた。
「それで――」
一拍。
「藤原博士は、どうやってハワイまで行かれるおつもりですか?」
静かな問いだった。
藤原博士は肩をすくめるようにして、小さく息を吐いた。
「せやな……」
顎に手を当て、軽く首を鳴らす。
「飛行型サーヴィターのせいで、本州と九州は飛行機は飛べん。空はもう、自由には使えんからな」
少しだけ間を置き、続ける。
「せやから、沖縄までは高速艇で移動や。
そこから先は――米軍の輸送ヘリにお邪魔させてもらう形になるやろな」
淡々とした説明だった。
小田桐は小さく頷く。
「そうなるでしょうね」
短く応じたあと、指先で眼鏡の位置をわずかに整えた。
その仕草のまま、思考を続けるように言葉を重ねる。
「仮に――暁が出せれば、スサノヲの小隊を最大で十隊移送することは可能です」
一拍。
「しかしながら……移動だけで片道十日程度かかる」
机の上に置かれた指先が、わずかに動く。
「往復、そして現地での作戦行動期間も含めれば、最低でも一ヶ月」
静かに首を横に振る。
「さすがに、それだけの戦力を割くわけにはいかない」
結論は、冷静だった。
室内に、わずかな緊張が戻る。
小田桐は続ける。
「となると――現実的なのは、スサノヲも含めて、米軍のC-5による移送以外には考えられないでしょう」
視線が、藤原博士へ向く。
「たとえ、C-5による輸送であったとしても……」
一拍。
「輸送可能なのは、アメノウズメ一機とスサノヲ四機。小隊一隊が限界と見るべきです」
小田桐の言葉に、迷いはなかった。
藤原博士は黙ってそれを聞き、やがて小さく頷いた。
「妥当なところやな」
短く、しかし納得の色を含んだ声だった。
小田桐は、その反応を確認すると、静かに結論を述べる。
「協力をさせていただくことに異論はありません」
その声音には、はっきりとした意思があった。
「ただし――」
わずかに間を置く。
「協力できるのは、小隊一隊のみ」
視線が鋭さを帯びる。
「米軍がそれを許容するかは別問題ですが……
移動手段については、先方――米軍の協力を仰ぎたい。それが条件です」
言い切る。
室内に、再び静寂が落ちた。
その静けさの中で、藤原博士はゆっくりと口元を緩めた。
「……本音を言えばもう少し欲しいところやがな。
そうも言っとれん。十分や」
低く、しかし力強い声。
「それだけあれば、やれることはある」
その言葉には、確信があった。
美桜は、二人のやり取りを黙って見つめていた。
話は、もう個人の領域を越えている。
国と国。
そして、その先にあるもの。
それでも――
動き出してしまった以上、止めることはできない。
小田桐は静かに頷き、最後に一言だけ付け加えた。
「我々がこうして調整を重ねたとしても――
アメリカ側の同意が得られなければ……
下手に動いて侵略行為とみなされては元も子もありません。
事前の根回しと各方面への調整は、万全を期していただく必要があります」
その声は、いつもと変わらず落ち着いていた。
だが、その奥には――
確かに、“戦いの次の局面”を見据えた響きがあった。
「もちろんや。ワシがハワイに行く目的の半分くらいはその根回しのためやと思うとる。
それについては、ワシが責任をもって対処させてもらうことを約束しよう」
そういいながら藤原博士が立ち上がり、右手を小田桐に差し出す。
それに応えるように小田桐も立ち上がり、口を開く。
「今回の作戦では、カルナ・サーヴィターの破壊だけでは意味がない。
派遣する一隊は私が自信を持ってあらゆる状況に対処できる、最高の小隊を派遣することを約束いたします」
小田桐基地司令の手が、がっしりと藤原博士の手を握る。
その瞬間、力の強さではなく――
互いに一切の揺らぎがないことが伝わってくる。
利害でも、建前でもない。
それぞれが自らの責任を理解し、
その上で選択した結果としての合意。
言葉よりも確かなものが、そこにあった。
短い握手。
だが、それは単なる挨拶ではない。
これから先に起こる事態を、互いに引き受けるという意思表示だった。
手が離れ、室内に、再び静寂が戻る。
だが、その静けさは、先ほどまでのものとは違っていた。
すでに状況は動き始めている。
もう、止まらない。
――その事実だけが、確かにそこにあった。
その空気の中で、ふと、思い出したように――
藤原博士が、わずかに視線を逸らした。
「そういえば……」
低く、独り言のように口を開く。
その声音は、先ほどまでの明確な意志とは違い、どこか引っかかりを残すものだった。
小田桐の視線が、静かに向けられる。
藤原博士は一拍置き、言葉を選ぶように続けた。
「これは、ワシも眉唾物として噂程度でアメリカから入手した情報なんやが……」
わずかに息を吐く。
「ここ最近、北朝鮮が怪しい動きをしとるらしいんや」
その瞬間。
小田桐の眼鏡に、室内の光が反射する。
一瞬だけ――鋭く光った。
「……というと?」
声音は変わらない。
だが、その奥にある集中は明らかに強まっていた。
藤原博士が応じる。
「なんでも、なんやけったいな弾頭を開発、輸送準備をしている懸念があるらしいんや」
言葉の終わりが、わずかに細くなる。
室内の空気が、再び変わる。
小田桐の目が、静かに細められた。
思考が、一段深いところに潜る。
「……どうせいつもの、“気象衛星の打ち上げ”じゃあないんですかね」
淡々とした口調。
皮肉とも、現実的な切り分けとも取れる言い方だった。
藤原博士は、肩をすくめる。
「そうだったらいいんやがな」
軽く首を振る。
そして――
わずかに前傾した。
「例えば……や」
一拍。
その言葉の“重さ”が、空間に落ちる。
「北朝鮮が新型の核弾頭の開発に成功しとるとする」
ゆっくりと、区切るように語り始める。
「しかもそれが――カルナ・サーヴィターに効果が期待できる……いや、北朝鮮が“効果がある”と考えとる場合や」
美桜の指先が、無意識にわずかに強張る。
藤原博士の視線が、わずかに横へ流れた。
「表向きには、カルナに侵略されて閉鎖区域になっとる四国はな……」
そこで言葉を切る。
ほんのわずかな沈黙。
だが、その間に含まれる意味は、あまりにも重い。
「……絶好の検証材料やと、そう思われてもしゃあないかもしれんな」
静かに言い切る。
その言葉が落ちた瞬間、室内の温度が、さらに一段下がったように感じられた。
美桜は、息をすることを忘れたように固まる。
――四国。
それは単なる地理的名称ではない。
すでに“人の手から離れた領域”として扱われている場所。
だが同時に……
まだ完全に“終わった場所”ではない。
「……つまり」
小田桐が、ゆっくりと口を開く。
その声は低く、静かだった。
「カルナ・サーヴィターへの対抗手段として、核を“実証実験”する可能性がある、と」
確認ではない。
整理だった。
藤原博士は、わずかに口元を歪める。
「可能性の話や」
だが、その言い方には――
“否定はできない”という色が、はっきりと含まれていた。
小田桐は沈黙する。
思考が、急速に組み上がっていく。
軍事的意味、政治的影響。
そして――最悪の連鎖。
「仮にそれが事実であれば……」
ゆっくりと顔を上げる。
「四国は……」
わずかに間を置く。
「日本の“戦場”ではなく――
世界の“実験場”として扱われる危険性がある……」
一拍。
「……そういうことですね」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。




