第47話 選択の帰結
扉の前で、佐伯が一度だけノックした。間を置かず、低く落ち着いた声が返ってくる。
「入ってくれ」
「失礼します」
佐伯がドアを開ける。
室内の照明は抑えめで、広くはないが整然としていた。正面の執務机に、小田桐基地司令が座っている。
小田桐は手にしていた書類から視線を外し、軽く整えると、それを手にしたまま音もなく立ち上がった。
「そちらのブリーフィングスペースにかけてくれ」
短く、しかし過不足のない言葉だった。
ヴァンガード隊が応じ、ブリーフィングスペースへと移動する。椅子を引く音が、静かな室内に小さく響く。
全員が着席したのを確認してから、小田桐もまた向かいの椅子に腰を下ろした。
小田桐は背筋を伸ばしたままヴァンガード隊を一人ずつ見渡す。その視線には余計な感情も圧もなく、ただ事実を受け取るための静かな集中だけがあった。
「凡その経緯は彩人くんから聞いている」
低い声が、室内の空気をわずかに沈める。
「もう知っていると思うが――私が渡してある衛星電話でな」
佐伯が頷いた。
「はい。それでは、私から報告させていただきます」
「頼む」
小田桐が静かに頷きを返す。佐伯は、間を置かず報告を続けた。
「屋島にて、支援物資を運搬後、彩人君より、屋島近傍のカルナ・フロラを破壊するよう依頼がありました」
小田桐の表情は変わらない。ただ、その目だけが、静かに佐伯の言葉を受け取っていた。
「続きを聞かせてもらおうか」
「はい」
佐伯が、一度だけ息を整える。
「ユグドラシルの兵装、銃槍の弾倉をパイルバンカーに切り替え、カルナ・フロラの破壊を試みました。しかし、その際――百足型サーヴィターの襲撃に遭いました」
わずかな間。小田桐の眉が、ほんの僅かに動いた。
「百足型サーヴィター……」
静かに、しかし確かめるように繰り返す。
「確か、卵移送の際に三体の襲撃を受けたのも……百足型サーヴィターだったな」
「はい。そうです」
佐伯の声に、淀みはない。
「その際はイージス隊のスサノヲ三機が大破。ヴァンガード隊のキルシュの自爆により追跡は逃れましたが、百足型サーヴィターがその後どうなったかは、確認できておりません」
「……ほう」
小田桐が、小さく頷いた。
感嘆でも驚きでもない。ただ、事実を静かに積み重ねるような相槌だった。
「今回の襲撃は、どうしたのだ」
小田桐の声は抑えられていたが、室内にいる全員の意識を一瞬で引き寄せるだけの重みを持っていた。
「今回は、サイクロプスの右腕を失いました」
佐伯が応じる。
感情を排した淡々とした報告だったが、その内容は軽くない。それでも佐伯は言葉を止めなかった。
「しかし交戦の中で、百足型サーヴィターの弱点が腹面にあることが判明し、スサノヲの連携により百足型サーヴィターをあらかじめユグドラシルが待機している位置へ誘い込み――銃槍で、仕留めました」
簡潔な報告の裏に、瞬間ごとの判断と綱渡りがあったことを、誰もが理解している。
小田桐は、しばらくのあいだ佐伯を見つめていた。
その視線は鋭いというより、深い。表層の言葉ではなく、その奥にあるものを探るような目だった。
やがて――
小田桐が、ゆっくりと口を開く。
「前回は、スサノヲの自爆以外に有効な対抗措置が見いだせなかった」
言葉は静かだったが、その一言だけで前回の損耗が生々しく蘇る。
視線は逸らさない。
「しかし、今回はユグドラシルの銃槍により、仕留めることができた……と、いうことだな」
「はい」
短い応答。
だが、その声に迷いはない。事実として積み上げた結果への確信だけがあった。
小田桐はわずかに頷く。思考を重ねるように、言葉を継ぐ。
「前回はカルナ・フロラ根元の洞窟の内部――」
情報を整理するための沈黙。
「今回も、地中から襲い掛かってきた」
机上の書類へ視線を落とす。
そこに記された戦闘記録と、今の報告とを照合するように。
「……百足型サーヴィターは、そうした閉鎖環境を好む可能性があるな」
分析は静かだった。断定ではないが、軽くもない。仮説として積み上げる声音。
やがて、再び視線を上げる。
「それで……ヴァンガード隊はどう判断する」
問いは穏やかに聞こえる。だが、その実、内容は重い。
「今後も繰り返し百足型サーヴィターに接敵する可能性があるとして――どうだ」
わずかに間を置く。
「次回からも撃退することは可能だと思うか」
問いが落ちた瞬間、室内の空気がわずかに沈んだ。誰も、すぐには答えなかった。
明確な否定はない。だが、即答できるほど単純でもない。
ニックは腕を組み、視線を足元へ落としていた。いつもの軽さは消え、何かを測るように沈黙している。
藤堂は椅子にもたれたまま、わずかに目を細めていた。外からは動きがないが、その内側で計算が走っているのが分かる。
加納は唇を引き結び、言葉を選んでいる様子だった。軽々しく答えを出すべき問いではないと、理解しているからだ。
そして――佐伯もまた、すぐには口を開かなかった。
今回の戦闘は、確かに勝利だった。だが、その内実はどうか。
あらかじめ待ち伏せ、敵を誘導し、最適な位置で仕留める。それは戦術として成立している。だが同時に、条件が揃って初めて成立する形でもあった。次も同じ状況を用意できる保証はない。
沈黙が、その事実を何より雄弁に物語っていた。
その中で――
「……一つ、考えがあります」
控えめな声が、空気の底を掬い上げるように響いた。
おずおずと口を開いたのは、大樹だった。
それまで拡散していた視線が、一斉に彼へと集まる。大樹は、わずかに息を整える。その仕草にも緊張が滲んでいた。
「百足型サーヴィターの弱点は、地面に接する腹側です」
自分の中で組み立てた理屈を、一つひとつ確かめるように言葉にしていく。
「なら――ユグドラシルの銃槍の弾頭を、遠隔で起爆できるようにする」
小田桐の目が、わずかに細まった。続きを促すような、無言の圧。
大樹はそれを受け止め、言葉を継ぐ。
「そうして……銃槍で弾丸を地中に埋め込んでおいて、誘い出す」
喉の奥で息を整える音がわずかに混じる。
「腹側に接したタイミングで、起爆すれば……」
言い終え、大樹は口を閉じた。室内に、再び静寂が降りる。
やがて――佐伯が、小さく頷いた。
「……理にかなっているな」
低く短い評価。
だが、その一言には現場を預かる者としての重みがあった。
小田桐は何も言わず、しばらく考え込んでいた。
机上の資料に視線を落とし、そして再び上げる。その間に、いくつもの条件と制約が整理されていく。
やがて――ゆっくりと口を開いた。
「ユグドラシルのパイロットは……佐々木だったな」
視線が、大樹――佐々木へと向けられる。
「やってみてくれるか」
問いは簡潔だった。
「はい」
即答だった。迷いはない。提案した時点で、覚悟は決まっている。
小田桐は小さく頷く。
「この基地にあるものは、自由に使ってもらって構わない」
淡々とした口調のまま、言葉を重ねる。
「人手が足りなければ、整備班を回そう」
佐々木は、わずかに首を振った。
「大丈夫です」
言葉を選ぶというより、自分の意思を確かめるような間。
「まずは――自分でやってみます」
その一言で、室内の空気がわずかに引き締まった。
小田桐は、静かに頷く。
「では、頼んだぞ。佐々木」
「はい」
大樹は短く応じた。
簡潔な返答だったが、その声には確かな芯があった。任された責任の重さを理解したうえで、それでも引き受けると決めた者の響きだった。
小田桐の視線が、ゆっくりと移る。今度は佐伯へ。
「それで――今回損傷したサイクロプスだが」
口調は変わらない。淡々としている。
「与島基地での補修は、できそうか」
問いは簡潔だった。余計な言葉はない。
佐伯はわずかに間を置き、静かに首を横に振る。
「整備主任に確認しましたが……切断された腕部を基地内で補修するのは難しいとのことです」
一度、言葉を切る。事実を正確に伝えるための、整理の間。
「メーカー送りになります」
室内の空気がわずかに沈む中、佐伯は続ける。
「ただし――切断された右腕自体は回収済みです」
わずかに、声の調子が持ち上がる。
「損傷箇所も接合で対応可能な範囲に収まっています。大掛かりな再製造にはならないはずですので、復帰までにそれほど時間はかからないかと」
「了解した」
小田桐が短く応じる。
過不足のない受領。それ以上の感情は挟まない。
「私からは以上だ」
そう告げると、視線をヴァンガード隊全体へと巡らせた。
一人ひとりを確認するような、緩やかな動き。
「他に何かあるか」
問いが落ちる。
室内に、わずかな間が生まれた。
誰もすぐには口を開かない。必要なことはすでに出尽くしている――そう判断しかけた、そのとき。
「一つ、よろしいでしょうか」
藤堂が口を開いた。静かな声だった。
だが、その内側には明確な意志が通っている。
「小田桐基地司令」
「聞こう」
短い許可。
それを受けて、藤堂はわずかに息を整えた。
「屋島に残っている彩人くんたちですが――基地司令が衛星電話を持たせていると伺っています」
事実確認の形を取りながら本題へ踏み込む。
「可能であれば……基地司令の方から、彼らに離脱を説得していただけないでしょうか」
言い終えたあとも、視線は逸らさない。
その言葉は提案でありながら、どこか懇願に近い重さを帯びていた。
小田桐は、すぐには答えなかった。わずかな沈黙。
やがて、机に肘をつく。組んだ指を口元の前で静止させ、その奥から藤堂を見据える。
視線は静かだが、容易に踏み込ませない深さがあった。
「屋島周辺では、これまでカルナ・サーヴィターの侵入はほとんど確認されていません」
藤堂は視線を逸らさず、言葉を継いだ。
「ですが――今回のカルナ・フロラのように、例外が現れる可能性は否定できない」
わずかに言葉を切る。
「そうなってからでは、遅いんです」
抑えた声音の奥に、押し殺していた焦りがわずかに滲み、その一言だけが室内の空気に静かな熱を残した。
再び沈黙が落ちるが、その静けさは先ほどとは質を異にし、理屈と感情が同じ場所に並べられたときに生まれる、割り切れない重さを帯びていた。
やがて――
小田桐が、ゆっくりと口を開く。
「私が彩人くんに衛星電話を持たせているのは――緊急事態の連絡先を確保するためでもある」
低い声が、室内に落ちる。
「そして同時に、彼らを退避させるための説得手段でもある」
藤堂の言葉を否定はしない。むしろ、前提として受け入れている。
「藤堂、お前の言うことは正しい」
はっきりとした肯定。
だが――
「しかし……だ」
その一言で、空気がわずかに張り詰める。
小田桐は視線を、ほんの一瞬だけ机の端へと落とした。そこにある何かを見ているわけではない。ただ、言葉を選ぶための間だった。
「彼らは、自分たちの意思で――あの場所に残ることを選んだ」
一語一語が、重い。
「生まれ育った街を離れるくらいなら、そこで最期を迎えても構わないと」
感傷はない。だが、その選択の重さを理解している者の声音だった。
「それが……彼らの望んだ結果だ」
顔を上げる。
その目にあるのは、迷いではない。受け入れた者の静かな覚悟だった。
「そういう考え方も、生き方もある」
ゆっくりと、言葉を積み上げる。
「だから我々には、それを否定することはできない」
わずかに息を吐く。
「……無視して、強制的に退避させることもできない。できないんだ」
結論は、変わらない。静かだが、揺るがない線引きだった。
藤堂は、黙ってそれを聞いていた。
言葉を返そうとして――わずかに口を開く。
だが、続けなかった。
反論はできる。だがそれは、目の前の判断を覆すものではないと分かっていた。
そして何より――それは、彩人自身の選択を否定することになる。
その一点で、藤堂の言葉は喉の奥に留まったまま、外へ出ることはなかった。




