第46話 戦果の余波
ヴァンガード隊が与島基地へ帰還したのは、夕日が完全に沈む直前だった。
橋の上から見える西の空は、深い朱色に染まっていた。瀬戸内の海面が、その色を静かに映している。
道中、蟻型と蟷螂型サーヴィターの散発的な襲撃はあった。
しかし、アメノウズメの予備装備から補充したヴァンガード隊は、片腕を失ったサイクロプスの兵装が長刀からサーベルに変わった以外はほぼ損耗は無く、戦闘行動は問題なく維持することができた。
やがて、与島直上のアンカレイジが見えてくる。瀬戸大橋の橋脚にへばり付いた、無骨な鋼鉄の台座。
アメノウズメが先に所定の位置へ滑り込み、続いてスサノヲ四機が一定間隔で収まっていく。
機体が固定される。金属と金属が噛み合う鈍い音が、橋上の風に流れた。
佐伯が通信を開く。
「ヴァンガード隊、佐伯だ。与島側アンカレイジエレベーター、降下させてくれ」
すぐに応答が返ってきた。
『ヴァンガード隊、お疲れ様です。了解しました』
低い駆動音が立ち上がる。
五基の電動機が唸りを上げ、昇降テーブルはゆっくりと降下を開始した。
夜が、上から蓋をするように降りてきた。
高度が下がるにつれ、橋上の風音が遠ざかり、代わりに機械音だけが閉ざされた空間に反響する。
その最中、不意に通信が割り込んだ。
『ヴァンガード隊、ハンガーに機体を格納後、基地司令室へ向かってください』
抑揚のない声が、そのまま続ける。
『基地司令が、ユグドラシルの戦果を聞きたいとのことです』
佐伯が、少しだけ間を置いた。
「……了解した」
オペレーターとの通信を閉じないまま、佐伯がぼそりと続ける。
「まったく、呼び出しは晩飯の後にしてほしかったが……」
それから、僅かに声を張った。
「ヴァンガード隊各員、晩飯前にすまないが、基地司令のわがままに付き合ってくれ」
すぐに声が返ってきた。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
オペレーターとの通信を開いたまま言い放った言葉だったが、佐伯は特に気にした様子もない。
返答のいくつかに、苦笑の色が滲んでいた。
張り詰めていた空気がわずかに緩む。
エレベーターが、ゆっくりと与島基地へ降りていく。
やがて――
重いロック音とともに、テーブルは最下層へと到達した。
与島基地のハンガーが、静かにその姿を現す。
照明に照らされた整備区画。待機していた整備班の影が、ゆっくりと動き出す。
「降車、開始」
佐伯の声。
アメノウズメが前進し、続いてスサノヲが一機ずつテーブルから降りていく。
戦闘を終えた機体の装甲には、いくつもの傷と、乾いた汚れが刻まれていた。
それでも、その足取りに乱れはない。
整備班の誘導灯が、順番に機体を呼び込んでいく。
アメノウズメがまず定位置へ収まり、続いてサイクロプス、ジョーカー、ストライク・イーグル。
そしてユグドラシルの順で、機体がハンガーの所定の場所へと移動していく。
整備班の一人が、サイクロプスの右腕部へ視線を向けた。肘の上から、きれいに消えている。
断面には、噛み砕かれた金属の痕が残っていた。
しばらくして、アメノウズメの通信回線に声が入った。
『……サイクロプスの右腕損傷、カルナイト装甲ごと持っていかれているようですが』
少し声のトーンが変わる。
『これは、蟻型や蟷螂型じゃあないですね。……どんなカルナ・サーヴィターに遭遇したんですか?』
アメノウズメの車内で、藤堂が佐伯の方へ視線を向けた。佐伯は一度だけ、小さく頷く。
それを確認してから、藤堂が口を開いた。
「ヴァンガード隊、藤堂だ。屋島近傍のカルナ・フロラで、百足型サーヴィターに遭遇した」
その瞬間――ハンガー内の空気が、目に見えない形でざわり、と揺れた。
共有回線を通じ、あちこちで息を呑む気配が伝わってくる。
百足型サーヴィター。その名は、すでに与島基地の誰もが知っていた。
前回のカルナ・フロラ――卵回収作戦。
あのとき、三体の百足型に襲撃され、イージス隊のスサノヲ三機は為す術もなく戦線を崩壊させられた。
ヴァンガード隊もまた、一機が最終コマンドを行使することで、辛うじて追跡を振り切ったに過ぎない。
『遭遇=壊滅の危険』それが、共通認識だった。
『そ、それで……』
整備班の一人が、わずかに声を震わせる。
『藤堂さん、その……百足型サーヴィターは、どうしたんですか?』
短い間。
『うまく足止めして、逃げおおせた……ということですか?』
静まり返るハンガー。すべての意識が、次の言葉を待っていた。
藤堂が、淡々と応える。
「いや、百足型サーヴィターは、うまく誘い込み――」
わずかに間を置く。
「ユグドラシルの銃槍の一撃で、破壊に成功した」
――沈黙。
そして次の瞬間。
「……は?」
「今、なんて……」
「破壊……?」
ざわめきが、一気に広がる。次いで、それは抑えきれない熱へと変わった。
「おい、マジかよ……!」
「百足型を……一撃で……?」
「ユグドラシルが……!」
驚きと、そして歓声。整備員たちの視線が、一斉に一機の機体へと集まる。
ハンガー中央に静かに佇む、ユグドラシル。
照明に照らされた重装甲の機体。
右腕に構えられた大盾の縁には、百足型サーヴィターの大あごで噛みつかれた跡が刻まれている。
左腕の銃槍には、乾いた赤黒い汚れがこびりついていた。
その傷が、その汚れが、今日の戦闘を静かに物語っていた。
整備員たちの視線は、しばらくの間、ユグドラシルから離れなかった。
不意に、アメノウズメの車内に、佐伯の声が響いた。
「よし、ヴァンガード隊」
落ち着いた、しかしどこか軽い声だった。
「後のことは整備班に任せよう」
そのまま続ける。
「俺たちは晩飯前に基地司令の呼び出しだ」
少し間を置いてから、ぼそりと付け加える。
「ポケットマネーでピザくらい用意して待ってくれているかもしれない……期待して行こうじゃないか」
短い沈黙のあと、すぐに応答が返る。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
どの声にも、わずかに笑いが混じっていた。
アメノウズメのハッチが開き、各員が順に降りていく。整備班の掛け声と工具の音が飛び交う中、ヴァンガード隊は足早にハンガーを後にした。
通路へ出ると、基地内特有の乾いた空気が肌に触れる。白色灯に照らされた無機質な廊下を、五人は並んで歩く。
小田桐基地司令の部屋を訪れる。
本来であれば、自然と背筋が伸びる場面だ。
だが――佐伯の軽口の余韻が、わずかにその緊張を和らげていた。
「ピザなぁ……ほんまに出たら司令見直すで」
ニックが小さく笑う。
「期待するな。あの人がそんな気を利かせるとは思えん」
加納が即座に返す。
「……だが、空腹なのは事実だな」
藤堂が淡々と続けた。
わずかなやり取り。それだけで、重くなりかけていた空気が少しだけ軽くなる。
やがて、一行は司令区画へと辿り着いた。重厚な扉の前で、足が止まる。
「……行くぞ」
佐伯の短い一言。
今度は誰も軽口を返さない。だが、先ほどまでとは違う――過度ではない、程よく引き締まった空気だった。
佐伯がノックし、小田桐の応答を確認すると、ゆっくりと扉を開く。
室内には、小田桐が待っていた。




