第47話 並行する生命
美桜が目を覚ますと、白い天井が目に入る。美桜が島根第一研究所に勤めてから二週間ほどが経過していた。少しずつこの天井にも見慣れてきた。
ゆっくりと瞬きをし、体を起こす。
まだわずかに残る眠気を振り払うように、小さく息を吐いた。
ここでの生活にも、ようやく慣れてきた。
規則正しい起床時間、無機質な室内、そして――あのラボ。
美桜は手早く準備を済ませると、与島基地の作業着に袖を通し、四番ラボへと向かった。
自動ドアが開く。
「おはようございます。藤原博士」
「ああ、美桜ちゃん、おはようさん」
藤原博士はモニターに視線を向けたまま、穏やかに応じた。
美桜はそのまま歩み寄り、モニターを見上げる。
卵の内部を映し出した映像。
美桜が研究所に来るようになってから、卵は少しずつ成長を続けていた。
以前はぼやけていた像が、今でははっきりと輪郭を持っている。
内部構造も、徐々に"形"として認識できるようになってきていた。
そのうちの一つが――目だ、と美桜が気づいたのは、数日前のことだった。
五つ。
頭部と思しき部位に、等間隔ではなく、不規則に並んでいる。
人間のそれとは明らかに異なる配置。
しかし確かに、まぶたのような構造を持つ五つの目が、殻の中で静かに閉じていた。
確実に――何かが育っている。
その事実に、美桜は無意識に息を潜める。
それ以外にも、研究所には目に見える変化があった。
「藤原博士、予備の方の各計測値のトレンドデータ、まとまりました」
背後から声がかかる。
振り返ると、真理子が端末を手に立っていた。
「ああ、ありがとう、真理子ちゃん」
藤原博士が応じ、端末を受け取る。
予備――
美桜の視線が、自然と横へ流れた。
卵の培養層のすぐ隣。
そこにはもう一つ、別の培養層が設けられている。
藤原博士が、卵から抽出した細胞から生み出したクローン。
殻に覆われた本体とは異なり、こちらはむき出しの状態で培養液に沈んでいる。
そこにいるのは――卵の中身と同じく、赤子のような姿をしたサーヴィターだった。
目を閉じ、微動だにせず、ただ静かに“存在している”。
「……」
美桜は、わずかに眉を寄せる。
何度見ても、慣れない光景だった。
藤原博士が、データを確認しながら呟く。
「ふむ。予備の方の成長速度は非常に順調のようやな」
その声には、純粋な研究者としての関心が滲んでいる。
「予備の方は、こちらで細胞を添加して成長を促す措置を行っとるからな」
淡々とした説明だった。
だが、その内容の重さは軽くない。
「本体との比較も、これでより明確になるやろう」
美桜は、再びモニターへと視線を戻した。
殻に守られた“本体”。
そして隣で育つ、“人為的に加速された予備”。
同じ起源を持ちながら、異なる条件で成長する二つの存在。
その差が、やがて何を生むのか――
まだ、誰にも分からない。
ラボの中は静かだった。
機器の駆動音だけが、一定のリズムで響いている。
その静寂を破るように――
「ところで、美桜ちゃん」
藤原博士が、ふと口を開いた。
美桜が視線を向ける。
「今日はな、与島基地の小田桐はんに話があってな」
手元の端末を軽く閉じながら続ける。
「電車に乗って与島基地まで行かなあかんのやけど……美桜ちゃんも来るかい?」
少しだけ、間を置く。
「帰りがけに岡山に寄って、お姉ちゃんのお見舞いに寄り道してもええで」
その言葉に、美桜の目がわずかに見開かれる。
「……良いんですか?」
思わず、声が弾んだ。
藤原博士は、柔らかく笑う。
「ああ、構わんで。そんなに急いて帰る必要はあらへん」
肩の力を抜いた調子で言う。
「小田桐はんとの話の終わる時間次第やが……まぁ、問題ないやろう」
その言葉を聞いた瞬間、美桜の表情がぱっと明るくなる。
「藤原博士、ありがとうございます。それでは、同行させてください」
深く頭を下げる。
「よし、了解や」
藤原博士が軽く頷いた。
「ほな、昼前には出るで。それまでに準備しとき」
「はい」
美桜ははっきりと答える。
胸の奥に、ほんの少しだけ温かいものが灯る。
島根第一研究所の近くには、スサノヲを製造・整備する工場が併設されている。
そこから与島を経由し、四国の番の州へと至る軍用鉄道が敷設されていた。
この区間の鉄道は、もともと地域間輸送を担う幹線の一部として整備され、旅客と貨物の双方に利用されていた。
だがカルナ出現以降、状況は一変する。
各地への迅速な戦力展開と物資輸送を優先するため、路線は軍の管理下に置かれ、大規模な再編と再整備が行われた。
既存のダイヤは見直され、貨物輸送を軸とした軍用運用へと転換されている。
現在では、通常の旅客運用は大幅に制限されており、この路線を利用できるのは許可を受けた関係者に限られていた。
それでも最低限の移動手段として、わずかながら旅客用車両が連結されている。
本数は少なく、不定期に近い。
それでも――確かに“人を運ぶ路線”としての機能は、かろうじて残されていた。
美桜と藤原博士は、簡単な手続きを済ませて乗車許可を受ける。
駅構内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
鉄と油の匂い。
遠くで響く重機の低い駆動音。
ここが単なる交通施設ではなく、軍用の延長であることを無言で示している。
美桜は、乗車予定の車両を探して視線を巡らせた。
そのとき――
「……あれ」
思わず、足が止まる。
見覚えのある“影”が、視界に入った。
軍用の貨物車両。
その上に――スサノヲが一機、固定された状態で座している。
美桜は反射的にそちらへ駆け寄った。
装甲のライン、全体のシルエット。
そして――胸部。
刻まれた意匠を確認する。
無骨な単眼。
「……サイクロプス……」
思わず、つぶやく。
「おお、美桜ちゃん」
後ろから藤原博士の声がした。
「せや、サイクロプスや」
ゆっくりと歩み寄りながら続ける。
「なんでも、一週間ほど前に右腕を失って片腕になって戻ってきたらしいで」
美桜は、サイクロプスの腕部を見上げる。
右腕。
そこには――損傷の痕跡は、何一つ残っていなかった。
装甲の継ぎ目すら滑らかで、補修されたとは思えないほど自然に仕上がっている。
「……すごい……」
思わず、息が漏れる。
破壊されたはずの機体。
それが、ここまで“完全な形”で戻ってくる。
技術の高さに対する驚きと――
どこか現実味のない感覚が、同時に胸に広がった。
藤原博士が、軽く手を振る。
「ほな、美桜ちゃん、こっちやこっちや」
促され、美桜は最後にもう一度だけサイクロプスを見上げる。
無言の巨体は、何も語らない。
だがその存在だけで、戦いの気配を濃く残していた。
美桜は小さく息を整え、藤原博士の後を追う。
車両に乗り込む。
内部は簡素で、必要最低限の設備しかない。
そして――
他に乗客の姿はなかった。
貸し切りのような静けさ。
「……」
美桜は窓際の席に腰を下ろす。
藤原博士も向かいに座り、特に言葉を発することはない。
やがて――
低い振動が、足元から伝わってきた。
発車の合図もなく、静かに車両が動き出す。
ゆっくりと、しかし確実に。
窓の外の景色が、滑るように後ろへ流れていく。
研究所の建物。
工場の煙突。
そして、整然と並ぶレール。
すべてが遠ざかっていく。
美桜は、その光景をじっと見つめていた。
胸の奥にあるのは――
わずかな期待と、拭いきれない不安。
その両方を抱えたまま、列車は与島へと向かって進み始めた。




