第46話 選択の帰結
扉の前で、佐伯が一度だけノックした。
間を置かず、低く落ち着いた声が返ってくる。
「入ってくれ」
「失礼します」
佐伯がドアを開ける。
室内の照明は抑えめで、広くはないが整然とした空間が広がっていた。正面の執務机に、小田桐基地司令が座っている。
佐伯が先に入り、ニック、藤堂、加納、大樹が続いた。
小田桐は、手にしていた書類から静かに視線を外した。
乱れなく揃えて、机の端へ置く。
それから、音もなく立ち上がった。
「そちらのブリーフィングスペースにかけてくれ」
短く、しかし過不足のない言葉だった。
ヴァンガード隊が応じ、壁際に設けられた簡素なテーブルへと移動する。
椅子を引く音が、静かな室内に小さく響いた。
全員が着席したのを確認してから、小田桐もまた向かいの椅子に腰を下ろす。
机の上に何も置かない。
手も組まない。
ただ、ヴァンガード隊を見渡した。
「凡その経緯は彩人くんから聞いている」
低い声が、室内に落ちる。
「もう知っていると思うが――私が渡してある衛星電話でな」
佐伯が頷いた。
「はい。それでは、私から報告させていただきます」
「頼む」
小田桐が静かに頷きを返す。
佐伯は、間を置かず報告を続けた。
「屋島にて、支援物資を運搬後、彩人君より、屋島近傍のカルナ・フロラを破壊するよう依頼がありました」
小田桐の表情は変わらない。
ただ、その目だけが、静かに佐伯の言葉を受け取っていた。
「続きを聞かせてもらおうか」
「はい」
佐伯が、一度だけ息を整える。
「ユグドラシルの兵装、銃槍の弾倉をパイルバンカーに切り替え、カルナ・フロラの破壊を試みました。
しかし、その際――百足型サーヴィターの襲撃に遭いました」
わずかな間。
小田桐の眉が、ほんの僅かに動いた。
「百足型サーヴィター……」
静かに、しかし確かめるように繰り返す。
「たしか、卵移送の際に三体の襲撃を受けたのも……百足型サーヴィターだったな」
「はい。そうです」
佐伯の声に、淀みはない。
「その際はイージス隊のスサノヲ三機が大破。
ヴァンガード隊のキルシュの自爆により追跡は逃れましたが、百足型サーヴィターがその後どうなったかは、確認できておりません」
「……ほう」
小田桐が、小さく頷いた。
感嘆でも驚きでもない。
ただ、事実を静かに積み重ねるような相槌だった。
「今回の襲撃は、どうしたのだ」
「今回は、サイクロプスの右腕を失いました」
佐伯が、淡々と続ける。
「しかし交戦の中で、百足型サーヴィターの弱点が腹面にあることが判明し、スサノヲの連携により百足型サーヴィターをあらかじめユグドラシルが待機している位置へ誘い込み――銃槍で、仕留めました」
室内に、沈黙が降りた。
短い沈黙だった。
しかし、その重さは確かにあった。
小田桐は、しばらくの間、じっと佐伯を見つめていた。
やがて――
小田桐が、ゆっくりと口を開いた。
「前回は、スサノヲの自爆以外に有効な対抗措置が見いだせなかった」
視線は外さない。
「しかし、今回はユグドラシルの銃槍により、仕留めることができた……と、いうことだな」
「はい」
佐伯が、短く応じる。
その声に迷いはない。
小田桐はわずかに頷き、思考を重ねるように言葉を続けた。
「前回はカルナ・フロラ根元の洞窟の内部――」
一拍。
「今回も、地中から襲い掛かってきた」
机の上に置かれた書類へ、一瞬だけ視線を落とす。
「百足型サーヴィターは、そういった穴倉を好んで生息するのかもしれんな」
静かな分析だった。
やがて再び視線を上げる。
「それで……ヴァンガード隊、どうなんだ」
問いは、淡々としている。
だが、その中身は軽くない。
「今後も繰り返し百足型サーヴィターに接敵する可能性があるとして――どうだ」
一拍、間を置く。
「次回からも撃退することは可能だと思うか」
室内の空気が、わずかに重くなる。
誰も、すぐには答えなかった。
ニックは腕を組み、視線を落とす。
藤堂は無言のまま、わずかに目を細めている。
加納は唇を引き結び、言葉を選んでいる様子だった。
佐伯もまた、すぐには口を開かない。
今回の戦闘は、確かに勝利だった。
だが――再現性があるかと言われれば、答えは簡単ではない。
あらかじめ待ち伏せ、誘導し、仕留める。
同じ状況が、毎回用意できるとは限らない。
沈黙が、答えを物語っていた。
その中で――
「……一つ、考えがあります」
おずおずと、大樹が口を開いた。
視線が、彼に集まる。
わずかに息を整え、それでも言葉を続けた。
「百足型サーヴィターの弱点は、地面に接する腹側です」
自分の考えを確かめるように、ゆっくりと話す。
「ユグドラシルの銃槍の弾丸を、遠隔操作で起爆できるようにするんです」
小田桐の目が、わずかに細まる。
大樹は続けた。
「そうして……銃槍で弾丸を地中に埋め込んでおいて、誘い出す」
一拍。
「腹側に接したタイミングで、起爆すれば……」
言い終え、口を閉じる。
室内に、再び静寂が落ちた。
だが先ほどとは違う。
思考が動いている沈黙だった。
佐伯が、小さく頷く。
「……理にかなっているな」
低く呟いた。
小田桐は何も言わず、しばらくの間考え込む。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「ユグドラシルのパイロットは……佐々木だったな」
視線が、大樹――佐々木へと向けられる。
「やってみてくれるか」
問いは簡潔だった。
「はい」
即答だった。
迷いはない。
小田桐は小さく頷く。
「この基地にあるものは、自由に使ってもらって構わない」
淡々とした口調のまま、続ける。
「手が足りないようであれば、整備班の人員も応援に回そう」
佐々木は、わずかに首を振った。
「大丈夫です」
一拍。
「まずは、自分でやってみます」
その言葉に、室内の空気がわずかに引き締まった。
小田桐が、静かに頷いた。
「では、頼んだぞ。佐々木」
「はい」
大樹は短く、しかし確かな声で答えた。
小田桐の視線が、今度は佐伯へと移る。
「それで――今回損傷したサイクロプスだが」
淡々とした口調が続く。
「与島基地での補修は、できそうか」
佐伯は、静かに首を横に振った。
「整備主任に確認しましたが、切断した腕を基地内で補修するのは難しいそうです。
メーカー修理になりますね」
一拍置いて、続ける。
「ただ――切断された右腕は回収しております。接合するだけで修復できるため、そうかからずに戻ってくると思います」
「了解した」
小田桐が、短く応じた。
「私からは以上だ」
視線を、ヴァンガード隊全体へと向ける。
「他に何かあるか」
室内に、わずかな間が生まれた。
その沈黙の中で――藤堂が、口を開いた。
「一つ、よろしいでしょうか。小田桐基地司令」
「聞こう」
「屋島の彩人くんたちに、基地司令が衛星電話を持たせていると伺いました」
藤堂の声は、穏やかだが芯を持っていた。
「基地司令の方から――彩人くんたちに、屋島からの離脱を説得していただくことはできませんでしょうか」
小田桐は、すぐには答えなかった。
わずかな沈黙ののち――机に肘をつく。
指を組み、口元の前で静止する。
その奥から、藤堂を見据えた。
藤堂は続ける。
「確かに、屋島周辺はカルナ・サーヴィターの侵入が不思議なほど見られませんでした」
一拍。
「しかし今回のカルナ・フロラの原因となったように――例外的な個体がいつまた現れないとも限らない」
藤堂の目が、わずかに細まった。
「そうなってからでは、遅いんです」
言葉の端に、感情が滲んでいた。
抑えられた、しかし確かな感情が。
室内に、静寂が戻る。
やがて小田桐が、ゆっくりと口を開いた。
「私が彩人くんに衛星電話を持たせているのは――緊急事態の連絡先を確保するためでもある」
低い声が、室内に落ちる。
「そして他ならない、彼らを退避させるべく説得するためでもある」
一拍。
「藤堂、お前の言う通りだ」
小田桐は、視線を机の端へとわずかに落とした。
「しかし……だ」
静かな声が続く。
「彼らは、自分たちが生まれ育った街を離れることを拒んだ」
言葉の一つ一つが、重かった。
「たとえカルナ・サーヴィターの侵略を受けて最期を迎えようとも――
それは、彼らが望んだ結果なんだ」
顔を上げる。
その目に、感傷はない。
ただ、静かな覚悟だけがあった。
「そういう考えもある。そういう生き方もある。
だから我々には、それを否定することはできない」
迷いではなく、結論を外へ出すための呼吸だった。
「……それを無視して、強制的に離脱させることもできない。できないんだ」
藤堂は、黙って聞いていた。
何かを言いかけて――口を閉じた。
反論する言葉は、持っていた。
しかしそれは、小田桐の言葉を、彩人の判断を覆すものではないと、藤堂は心のどこかで分かっていた。




