第45話 戦果の余波
ヴァンガード隊が与島基地へ帰還したのは、夕日が完全に沈む直前だった。
橋上から見える西の空は、深い朱色に染まっていた。
瀬戸内の海面が、その色を静かに映している。
道中、蟻型と蟷螂型サーヴィターの散発的な襲撃はあった。
しかし、アメノウズメの予備装備から補充したヴァンガード隊は、片腕を失ったサイクロプスの兵装が長刀からサーベルに変わった以外はほぼ損耗は無く、戦闘行動は問題なく維持することができた。
やがて、与島直上のアンカレイジが見えてくる。
瀬戸大橋の橋脚にへばり付いた、無骨な鋼鉄の台座。
アメノウズメが先に所定の位置へ滑り込み、続いてスサノヲ四機が一定間隔で収まっていく。
機体が固定される。
金属と金属が噛み合う鈍い音が、橋上の風に流れた。
佐伯が通信を開く。
「ヴァンガード隊、佐伯だ。与島側アンカレイジエレベーター、降下させてくれ」
すぐに応答が返ってきた。
『ヴァンガード隊、お疲れ様です。了解しました』
低い駆動音が立ち上がる。
五基の電動機が唸りを上げ、
昇降テーブルはゆっくりと降下を開始した。
夜が、上から落ちてくるようだった。
高度が下がるにつれ、橋上の風音が遠ざかり、
代わりに機械音だけが閉ざされた空間に反響する。
その最中、不意に通信が割り込んだ。
『ヴァンガード隊、ハンガーに機体を格納後、基地司令室へ向かってください』
一拍。
『基地司令が、ユグドラシルの戦果を聞きたいとのことです』
佐伯が、少しだけ間を置いた。
「……了解した」
オペレーターとの通信を閉じないまま、冴木がぼそりと続ける。
「まったく、呼び出しは晩飯の後にしてほしかったが……」
それから、僅かに声を張った。
「ヴァンガード隊各員、晩飯前にすまないが、基地司令のわがままに付き合ってくれ」
すぐに声が返ってきた。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
オペレーターとの通信を開いたまま言い放った言葉だったが、佐伯は特に気にした様子もない。
返答のいくつかに、苦笑の色が滲んでいた。
張り詰めていた空気がわずかに緩む。
エレベーターが、ゆっくりと与島基地へ降りていく。
やがて――
重いロック音とともに、テーブルは最下層へと到達した。
与島基地のハンガーが、静かにその姿を現す。
照明に照らされた整備区画。
待機していた整備班の影が、ゆっくりと動き出す。
「降車、開始」
佐伯の声。
アメノウズメが前進し、
続いてスサノヲが一機ずつテーブルから降りていく。
戦闘を終えた機体の装甲には、
いくつもの傷と、乾いた汚れが刻まれていた。
それでも、その足取りに乱れはない。
整備班の誘導灯が、順番に機体を呼び込んでいく。
アメノウズメがまず定位置へ収まり、続いてサイクロプス、ジョーカー、ストライク・イーグル、そしてユグドラシルの順で、機体がハンガーの所定の場所へと移動していく。
整備班の一人が、サイクロプスの右腕部へ視線を向けた。
肘の上から、きれいに消えている。
断面には、噛み砕かれた金属の痕が残っていた。
しばらくして、アメノウズメの通信回線に声が入った。
『……サイクロプスの右腕損傷、カルナイト装甲ごと持っていかれているようですが』
少し声のトーンが変わる。
『これは、蟻型や蟷螂型じゃあないですね。
……これは、どんなカルナ・サーヴィターに遭遇したんですか?』
アメノウズメの車内で、藤堂が佐伯の方へ視線を向けた。
佐伯は一度だけ、小さく頷く。
それを確認してから、藤堂が口を開いた。
「ヴァンガード隊、藤堂だ。
屋島近傍のカルナ・フロラで、百足型サーヴィターに遭遇した」
その瞬間――
ハンガー内の空気が、目に見えない形で揺れた。
ざわり、と。
共有回線を通じ、あちこちで息を呑む気配が伝わってくる。
百足型サーヴィター。
その名は、すでに与島基地の誰もが知っていた。
前回のカルナ・フロラ――
卵回収作戦。
あのとき、三体の百足型に襲撃され、イージス隊のスサノヲ三機は為す術もなく戦線を崩壊させられた。
ヴァンガード隊もまた、一機が最終コマンドを行使することで、辛うじて追跡を振り切ったに過ぎない。
“遭遇=壊滅の危険”。
それが、共通認識だった。
『そ、それで……』
整備班の一人が、わずかに声を震わせる。
『藤堂さん、その……百足型サーヴィターは、どうしたんですか?』
短い間。
『うまく足止めして、逃げおおせた……ということですか?』
静まり返るハンガー。
すべての意識が、次の言葉を待っていた。
藤堂が、淡々と応える。
「いや」
一拍。
「百足型サーヴィターは、うまく誘い込み――」
わずかに間を置く。
「ユグドラシルの銃槍の一撃で、破壊に成功した」
――沈黙。
そして次の瞬間。
「……は?」
「今、なんて……」
「破壊……?」
ざわめきが、一気に広がる。
次いで、それは抑えきれない熱へと変わった。
「おい、マジかよ……!」
「百足型を……一撃で……?」
「ユグドラシルが……!」
驚きと、そして歓声。
整備員たちの視線が、一斉に一機の機体へと集まる。
ハンガー中央に静かに佇む、ユグドラシル。
照明に照らされた重装甲の機体。
右腕に構えられた大盾の縁には、百足型サーヴィターの大あごで噛みつかれた跡が刻まれている。
左腕の銃槍には、乾いた赤黒い汚れがこびりついていた。
その傷が、その汚れが、今日の戦闘を静かに物語っていた。
整備員たちの視線は、しばらくの間、ユグドラシルから離れなかった。
不意に、アメノウズメの車内に、佐伯の声が響いた。
「よし、ヴァンガード隊」
落ち着いた、しかしどこか軽い声だった。
「後のことは整備班に任せよう」
一拍。
「俺たちは晩飯前に基地司令の呼び出しだ」
少し間を置いてから、ぼそりと付け加える。
「ポケットマネーでピザくらい用意して待ってくれているかもしれない
……期待して行こうじゃないか」
短い沈黙のあと、すぐに応答が返る。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
どの声にも、わずかに笑いが混じっていた。
アメノウズメのハッチが順に開き、各員が順に降りていく。
整備班の掛け声と工具の音が飛び交う中、ヴァンガード隊は足早にハンガーを後にした。
通路へ出ると、基地内特有の乾いた空気が肌に触れる。
白色灯に照らされた無機質な廊下を、五人は並んで歩く。
小田桐基地司令の部屋を訪れる。
本来であれば、自然と背筋が伸びる場面だ。
だが――
佐伯の軽口の余韻が、わずかにその緊張を和らげていた。
「ピザなぁ……ほんまに出たら司令見直すで」
ニックが小さく笑う。
「期待するな。あの人がそんな気を利かせるとは思えん」
加納が即座に返す。
「……だが、空腹なのは事実だな」
藤堂が淡々と続けた。
わずかなやり取り。
それだけで、重くなりかけていた空気が少しだけ軽くなる。
やがて、一行は司令区画へと辿り着いた。
重厚な扉の前で、足が止まる。
「……行くぞ」
佐伯の短い一言。
今度は誰も軽口を返さない。
だが、先ほどまでとは違う――過度ではない、程よく引き締まった空気だった。
認証音とともに、扉が静かに開く。
室内には、小田桐基地司令が待っていた。




