第44話 必然の仮説
食堂には、柔らかな湯気の匂いが漂っていた。
長机の上には、すでに湯飲みが並べられている。屋島寺の古い食堂は、戦場の緊張とはまるで別の空気に包まれていた。
「はい、お茶どうぞ」
里美が一人ずつ、湯飲みに茶を注いでいく。
湯の立つ音と、陶器が机に触れる小さな音だけが静かに響いた。
ヴァンガード隊の面々が席に着く。
最後の湯飲みにお茶を淹れ終えると、里美は軽く息をついた。
そして彩人の隣へ静かに腰を下ろす。
少し間を置いて、佐伯が口を開いた。
「依頼を受けたカルナ・フロラだが――別に伐採したわけじゃねぇから、見た目じゃ分かりにくいかもしれんが……」
言葉を切り、わずかに息を落とす。
「活動は停止した。もう、あのカルナ・フロラの根元からカルナ・サーヴィターが這い出してくることはねぇ」
静かな断言だった。佐伯は少し顎を引く。
「俺が保証する」
その言葉を聞いた瞬間――彩人が静かに立ち上がった。
「……あのカルナ・フロラの脈動が停止したこと、こちらからでも、確認させていただいております」
深く息を吸い、続けた。
「ありがとうございました」
そして――彩人は、ヴァンガード隊へ向かって深々と頭を下げた。
「これで、私たちは安心して……約束の日まで、ここで過ごすことができます」
食堂が、しばし静まり返る。その沈黙を破ったのは、佐伯だった。
「言ったろ」
軽く肩をすくめる。
「我々は小田桐基地司令の命令に従い、当然の仕事をしたまでだ」
視線を綾人に向ける。
「座ってくれ」
彩人はもう一度、かすかな声で言った。
「……ありがとうございました」
そして静かに席へ戻る。
それを見届けてから、加納が口を開いた。
「一つ聞いておきたい事がある」
湯気の立つ食堂の空気が、わずかに張り詰めた。
「カルナ・フロラに到達し、攻撃しようとしたとき、百足型サーヴィターの急襲を受けた」
腕を組んだまま、低く言う。
加納の視線が彩人へ向く。
「導師殿、貴方は昼食の時、未来が見えると言われていた」
淡々と続ける。
「貴方は、それを知ったうえで……我々に何も伝えなかったのか?」
視線が一斉に彩人へ集まる。
彩人は、静かに首を横に振った。
「未来が見えると言っても」
落ち着いた声だった。
「見ようと思った場所、見ようと思った時のことしか見ていません」
わずかに言葉を区切り、静かに続ける。
「当然です。
そうでなければ、見る時間がいくらあっても足りません」
そして顔を上げる。
「ただ――今日、カルナ・フロラが沈黙する未来は……見えていました」
静かに言った。
加納が腕を組んだままそっと目を閉じる。まるで綾人の発言の真偽を推し量るかのようだった。
だが――何も言わない。
そのまま黙って、彩人の言葉を聞いていた。
次に口を開いたのは大樹だった。
「一つ、良いですか?」
佐伯が応じる。
「どうした? 佐々木」
大樹は少し言葉を選ぶようにして続けた。
「彩人さんのお話だと、数か月前、あのカルナ・フロラが出現する前……妙な蟻型サーヴィターがあのあたりをうろついていたとのお話だったと思いますが、間違いないですか?」
彩人が頷く。
「はい。確かに蟻型サーヴィターでした。間違いありません」
少し思い出すように目を伏せる。
「あそこは境界からも離れていますし、他のサーヴィターが紛れ込むこともありませんでした」
大樹が小さく息を吐いた。
「そうですか……」
そして言う。
「今日、襲撃を受けたサーヴィターですが、百足型サーヴィターだったんです」
藤堂の眉が、ぴくりと動いた。
「あーー、せやな」
ニックが腕を組んで唸る。
「確かに妙や。蟻型サーヴィターが種になったんやったら、遺伝子情報は蟻型サーヴィターだけのはずや」
少し首を傾げる。
「そうすると、出現するのも蟻型サーヴィターのはずやもんな……」
大樹が続ける。
「そうなんです。あのカルナ・フロラ周辺の白化地帯は、ごく狭いエリアだけでした。完全に孤立したエリアのはずなのに……カルナ・フロラ根元の地中から這い出してきたのは百足型サーヴィターだった」
加納が口を開く。
「たまたま百足型サーヴィターが地中を移動していて、たまたま境界を越えたことに気が付かず……」
腕を組んだまま続ける。
「たまたまカルナ・フロラの根元に潜んでいるときに我々に気が付いて襲い掛かった……ということか?」
佐伯が首を振った。
「それは無いな、加納」
湯飲みを机に置く。
「たまたまは偶然だが……」
一拍。
「たまたまが三つも重なったら、それはもう偶然じゃねぇ」
静かに言った。
「必然だ」
食堂に、重い沈黙が落ちる。
沈黙を破ったのは藤堂だった。
「こんな仮説はどうだろうか」
皆の視線が藤堂に集まる。
「カルナは通信で情報共有を行っている可能性が高い」
少し指先で机を叩く。
「その情報の中に……遺伝子情報も含まれるとしたら?」
佐伯が小さく息を吐いた。
「そうか」
ゆっくりと言う。
「蟻型サーヴィターから生まれたカルナ・フロラが通信を行い、共有された百足型サーヴィターの遺伝子情報から……百足型サーヴィターを生み出した」
その話を聞いていたニックの顔色が変わった。
「おいおい……」
青ざめた顔で言う。
「もしそれがホンマやったら、大変なことになるで」
視線が一斉にニックへ向いた。
ニックは周囲を見回す。
食堂にいるのは、ヴァンガード隊と彩人、里美の七人だけだった。
少し声を潜めて話す。
「島根第一研究所の藤原博士に聞いた話や……一週間ほど前に、五年ぶりにカルナが襲来したらしい」
その話に、藤堂が静かに頷いた。
「アメリカが迎撃して、軌道を逸らされたカルナは太平洋に落下。海面を漂っていたカルナ種子をアメリカが回収して……ハワイの研究所に持ち帰ったらしいんや」
ニックは続ける。
「アメリカにはスサノヲは無い。せやけどな、地球に襲来してすぐの、まだ遺伝子情報がないカルナ・サーヴィターやったら……」
少し肩をすくめる。
「アメリカはスサノヲ無しで制御できる思うとるらしいんや」
大樹が思わず口を開いた。
「それって……」
顔がわずかに強張る。
「もし仮に、そのカルナが遺伝子情報を共有して……
それこそ百足型サーヴィターが出現でもしたら」
短い沈黙。
「どうしようもないじゃないですか」
藤堂が口を開いた。
「ニック。藤原博士の連絡先は知っているな」
ニックが頷く。
「ああ、当たり前や。目ぇつぶってても電話かけられるわ」
藤堂は彩人へ向き直った。
「彩人くん。すまないが、衛星電話を貸してもらえないだろうか」
一拍置いて続ける。
「島根第一研究所の藤原博士に連絡を取りたい」
「もちろんです」
彩人はそう言いながら、ポケットから衛星電話を取り出した。机の上をそっと滑らせ、藤堂へ手渡す。
「ありがとう」
藤堂は受け取り、すぐにニックへ差し出した。
「じゃあ、ニック。これで藤原博士に連絡を取ってくれ」
ニックが受け取りながら笑う。
「了解や。藤堂のおっさんは気が利くなぁ」
ニックはそう言いながら、受け取った衛星電話を手の中で軽く持ち直した。
食堂には、湯気の立つ茶の香りの中で、誰も言葉を発しないまま、わずかに張り詰めた空気が漂っていた。




