第43話 必然の仮説
食堂には、柔らかな湯気の匂いが漂っていた。
長机の上には、すでに湯飲みが並べられている。
屋島寺の古い食堂は、戦場の緊張とはまるで別の空気に包まれていた。
「はい、お茶どうぞ」
里美が一人ずつ、湯飲みに茶を注いでいく。
湯の立つ音と、陶器が机に触れる小さな音だけが静かに響いた。
ヴァンガード隊の面々が席に着く。
最後の湯飲みを置き終えると、里美は軽く息をついた。
そして彩人の隣へ静かに腰を下ろす。
少し間を置いて、佐伯が口を開いた。
「依頼を受けたカルナ・フロラだが――
別に伐採したわけじゃねぇから、見た目じゃ分かりにくいかもしれんが……」
一拍。
「活動は停止した。
もう、あのカルナ・フロラの根元からカルナ・サーヴィターが這い出してくることはねぇ」
静かな断言だった。
少し顎を引く。
「俺が保証する」
その言葉を聞いた瞬間――
彩人が静かに立ち上がった。
「……あのカルナ・フロラの脈動が停止したこと、こちらからでも、確認させていただいております」
深く息を吸い、続けた。
「ありがとうございました」
そして――
彩人は、ヴァンガード隊へ向かって深々と頭を下げた。
「これで、私たちは安心して……
約束の日まで、ここで過ごすことができます」
食堂が、しばし静まり返る。
その沈黙を破ったのは、佐伯だった。
「言ったろ」
軽く肩をすくめる。
「我々は小田桐司令の命令に従い、当然の仕事をしたまでだ」
視線を向ける。
「座ってくれ」
彩人はもう一度、かすかな声で言った。
「……ありがとうございました」
そして静かに席へ戻る。
それを見届けてから、加納が口を開いた。
「カルナ・フロラに到達し、攻撃しようとしたとき、百足型サーヴィターの急襲を受けた」
腕を組んだまま、低く言う。
加納の視線が彩人へ向く。
「導師殿」
食堂の空気がわずかに張り詰めた。
「貴方は昼食の時、未来が見えると言われていた」
淡々と続ける。
「貴方は、それを知ったうえで……我々に何も伝えなかったのか?」
彩人は、静かに首を横に振った。
「未来が見えると言っても」
落ち着いた声だった。
「見ようと思った場所、見ようと思った時のことしか見ていません」
一拍。
「当然です。
そうでなければ、見る時間がいくらあっても足りません」
そして顔を上げる。
「ただ――
今日、カルナ・フロラが沈黙する未来は……見えていました」
静かに言った。
加納の眉が、わずかに動いた。
だが――
何も言わない。
そのまま黙って、彩人の言葉を聞いていた。
次に口を開いたのは大樹だった。
「一つ、良いですか?」
佐伯が応じる。
「どうした?大樹」
大樹は少し言葉を選ぶようにして続けた。
「彩人さんのお話だと、数か月前、あのカルナ・フロラが出現する前……妙な蟻型サーヴィターがあのあたりをうろついていたとのお話だったと思いますが、間違いないですか?」
彩人が頷く。
「はい。確かに蟻型サーヴィターでした。間違いありません」
少し思い出すように目を伏せる。
「あそこは境界からも離れていますし、他のサーヴィターが紛れ込むこともありませんでした」
大樹が小さく息を吐いた。
「そうですか……」
そして言う。
「今日、襲撃を受けたサーヴィターですが、百足型サーヴィターだったんです」
藤堂の眉が、ぴくりと動いた。
「あーー、せやな」
ニックが腕を組んで唸る。
「確かに妙や。蟻型サーヴィターが種になったんやったら、遺伝子情報は蟻型サーヴィターだけのはずや」
少し首を傾げる。
「そうすると、出現するのも蟻型サーヴィターのはずやもんな……」
大樹が続ける。
「そうなんです。あのカルナ・フロラ周辺の白化地帯は、ごく狭いエリアだけでした。
完全に孤立したエリアのはずなのに……
カルナ・フロラ根元の地中から這い出してきたのは百足型サーヴィターだった」
加納が口を開く。
「“たまたま”百足型サーヴィターが地中を移動していて、“たまたま”境界を越えたことに気が付かず……」
腕を組んだまま続ける。
「“たまたま”カルナ・フロラの根元に潜んでいるときに我々に気が付いて襲い掛かった……ということか?」
佐伯が首を振った。
「それは無いな、加納」
湯飲みを机に置く。
「たまたまは偶然だが……」
一拍。
「たまたまが三つも重なったら、それはもう偶然じゃねぇ」
静かに言った。
「必然だ」
食堂に、重い沈黙が落ちる。
沈黙を破ったのは藤堂だった。
「こんな仮説はどうだろうか」
皆の視線が集まる。
「カルナは通信で情報共有を行っている可能性が高い」
少し指先で机を叩く。
「その情報の中に……遺伝子情報も含まれるとしたら?」
佐伯が小さく息を吐いた。
「そうか」
ゆっくりと言う。
「蟻型サーヴィターから生まれたカルナ・フロラが通信を行い、共有された百足型サーヴィターの遺伝子情報から……百足型サーヴィターを生み出した」
その話を聞いていたニックの顔色が変わった。
「おいおい……」
青ざめた顔で言う。
「もしそれがホンマやったら、大変なことになるで」
視線が一斉にニックへ向いた。
ニックは周囲を見回す。
食堂にいるのは、ヴァンガード隊と彩人、里美の七人だけだった。
少し声を潜めて話す。
「島根第一研究所の藤原博士に聞いた話や……
一週間ほど前に、五年ぶりにカルナが襲来したらしい」
その話に、藤堂が静かに頷いた。
「アメリカが迎撃して、軌道を逸らされたカルナは太平洋に落下。
海面を漂っていたカルナ種子をアメリカが回収して……
ハワイの研究所に持ち帰ったらしいんや」
ニックは続ける。
「アメリカにはスサノヲは無い。
せやけどな、地球に襲来してすぐの、まだ遺伝子情報がないカルナ・サーヴィターやったら……」
少し肩をすくめる。
「アメリカはスサノヲ無しで制御できる思うとるらしいんや」
大樹が思わず口を開いた。
「それって……」
顔がわずかに強張る。
「もし仮に、そのカルナが遺伝子情報を共有して……
それこそ百足型サーヴィターが出現でもしたら」
短い沈黙。
「どうしようもないじゃないですか」
藤堂が口を開いた。
「ニック。藤原博士の連絡先は知っているな」
ニックが頷く。
「ああ、当たり前や。
目ぇつぶってても電話かけられるわ」
藤堂は彩人へ向き直った。
「彩人くん。すまないが、衛星電話を貸してもらえないだろうか」
一拍置いて続ける。
「島根第一研究所の藤原博士に連絡を取りたい」
「もちろんです」
彩人はそう言いながら、ポケットから衛星電話を取り出した。
机の上をそっと滑らせ、藤堂へ手渡す。
「ありがとう」
藤堂は受け取り、すぐにニックへ差し出した。
「じゃあ、ニック。これで藤原博士に連絡を取ってくれ」
ニックが受け取りながら笑う。
「了解や。藤堂のおっさんは気が利くなぁ」
ニックはそう言いながら、受け取った衛星電話を手の中で軽く持ち直した。
食堂には、湯気の立つ茶の香りの中で、誰も言葉を発しないまま、わずかに張り詰めた空気が漂っていた。




