第40話 白の円環
食事が終わった後。彩人に案内され、ヴァンガード隊一行は屋島の頂上の平地を歩いていた。冷たい風が吹き抜ける。
やがて一行は、平地の端まで辿り着いた。そこは、大樹たちがここへ来た時に登ってきた側とは反対側だった。
金属製の手すりが、崖際に沿って設けられている。
その向こうに――白く変色した大地が広がっていた。思わず足が止まる。
白化した地面は、屋島から一定の距離で線を引くように、くっきりと境界を作っていた。その境界の内側には、まだ草木の残る緑の大地が広がっている。
だが――境界の外側。
そこから先は、大地が白く変色していた。建物も、道路も、何一つ残っていない。かつてそこに街があったことなど、今では想像するしかない。
ただ、どこまでも広がる白い大地と、赤黒く乱立するカルナ・フロラだけが、視界の限り続いている。
その白化した大地と与島から続く緑の境界から、およそ半分ほどの位置。半壊した住宅がいくつも残っていた。崩れた壁と屋根の隙間を埋めるように、白い地面が独立して広がっている。
そして――その中央に、それは立っていた。
一本のカルナ・フロラ。通常の樹木であれば、十分に大木と呼べるほどの高さ。赤黒い幹が、ねじれながら天へと伸びている。
まるで、大地から突き出た――天を引っかく悪魔の片腕のようだった。
カルナ・フロラとしても、すでに十分に成長している。だが。
幹の根元を注意深く見ても、まだカルナ・サーヴィターが這い出す穴は開いていないようだった。
佐伯が、腕を組みながらその光景を見下ろした。そして、隣に立つ大樹へ声をかける。
「どうだ」
顎でカルナ・フロラを示す。
「結構大型のカルナ・フロラに見えるが――」
視線を横の大樹へと向ける。
「ユグドラシルは、仕留められそうか?」
大樹は少しだけ目を細め、白い巨木を見つめた。数秒ほど観察してから、静かに口を開いた。
「やってみないと、何とも言えません」
正直な答えだった。だが、そのまま続ける。
「でも……」
一度だけ息を吸う。
「やってみる価値は、あると思います」
その言葉に、佐伯は満足そうに頷いた。
「十分だ」
口元にわずかな笑みが浮かぶ。そして、背後の隊員たちへ視線を向けた。
「ヴァンガード隊」
声に、指揮官の響きが戻る。
「食後の運動だ」
軽く顎をしゃくる。
「カルナ・サーヴィターが出てくる前に――さっさと済ませるぞ」
短く言い切った。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解しました」
返答が重なった。
ヴァンガード隊はすぐにその場を離れ、アメノウズメへ戻る。ハッチが開き、各機へと隊員たちが乗り込んでいく。
操縦席に収まった大樹は、深く息を吸った。
「ユグドラシル、起動」
低く呟く。次の瞬間、機体がわずかに震えた。
装甲の奥で動力が目を覚まし、駆動系が唸りを上げる。モニターに各種システムの起動表示が次々と流れた。
「ユグドラシル、起動完了」
アメノウズメの側面ハッチがスライドする。
内部の武装ラックから、大樹は一本の装備を取り出した。無骨なカルナイト製の杭。鈍く光る鋼の塊だった。
だが、それはただの鉄杭ではない。硬質な杭の内部には、複雑な注入機構が組み込まれている。そこへ充填されているのは、島根第一研究所で開発された――カルナ・フロラに対して高い効果を持つ特殊毒物だった。
この杭でカルナ・フロラの外殻を貫き、内部へ毒を直接送り込む。それこそが、この、パイルバンカーの真の目的だった。
大樹は、それを銃槍へ装着する。
ユグドラシルが銃槍を大きく上へ掲げる。大樹がスイッチを操作した。
――ガシャン。
鈍い金属音が響く。銃槍内部の装填ユニットが切り替わり、パイルバンカーが完全に装填された。
その様子を確認して、アメノウズメの中で佐伯が口を開く。
「よし」
低く、短く言った。
「ヴァンガード隊、準備はいいな」
視線を各機へ向ける。
「麓におりてから回り込むぞ」
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
再び、返答が重なった。
ヴァンガード隊は屋島の安全地帯を進んでいく。緑の地面を踏みしめながら、ゆっくりと山を下る。
しばらく進むと――前方に、ぽつんと広がる白化地帯が見えてきた。そこだけ、円形に大地が白く変色している。
その中央に、カルナ・フロラが生えていた。赤黒い幹が天へと伸びている。
幹の太さは、およそ五メートルほどか。中型と呼んでいい大きさだった。
その近くでアメノウズメが停止する。周囲を三機の機体が取り囲んだ。
サイクロプス。ジョーカー。ストライク・イーグル。三機が護衛の陣形を取り、中央のアメノウズメを守る。
そして――ユグドラシルだけが、ゆっくりと前へ進み出た。
白化した大地へ足を踏み入れる。ユグドラシルはカルナ・フロラの前で足を止めた。
銃槍を構える。パイルバンカーの先端が、カルナ・フロラへと向けられた。
その時だった。アメノウズメの車内に、藤堂の声が響く。
「大樹くん!」
鋭い声が、通信回線を裂いた。
「盾を構えろ! いったん下がるんだ!」
間髪入れずに重ねられる指示。その切迫した響きに、大樹の意識が一瞬だけ遅れる。
「え?」
応答よりも早く、ユグドラシルの動きが止まる。
次の瞬間――足元の大地が、内側から膨れ上がった。
地面がひび割れ、白い粉塵を巻き上げながら炸裂する。突き上げる衝撃が機体を貫き、ユグドラシルの巨体が下から跳ね上げられた。
視界が弾かれる。ヘッドギア越しの映像が大きく歪み、天地が反転する。空が、唐突に視界を覆った。
「マジか!」
ニックの声が割り込む。
裂けた地面の奥から、何かが這い出してくる。
長くうねる節状の躯体。無数の脚が、砕けた地面を掻き分けながら次々と姿を現す。
――百足型サーヴィター。
理解が追いつくより早く、ユグドラシルの身体が宙を描いた。
振り上げられた衝撃のまま、巨体が横へ弾き飛ばされる。空気を裂く音とともに、機体は大きく弧を描き――そのまま住宅の廃墟へと叩きつけられた。
崩れたコンクリートが砕け、瓦礫が跳ね上がる。
ユグドラシルは体勢を崩したまま地面に落ち、しりもちをつくように転がった。 衝撃で、手から装備が弾かれる。盾と銃槍が離れ、白い地面の上を滑っていった。
「――っ」
息が詰まる。
何が起きたのか、理解する前に次の状況が押し寄せる。百足型サーヴィターが、長大な身体をくねらせながら距離を詰めてくる。
倒れたままのユグドラシルへ――追撃。
その瞬間だった。
横合いから、鋭い影が割り込む。ストライク・イーグル。加納の機体だ。
盾を前面に構えたまま踏み込み、突進してきた百足型サーヴィターと真正面から激突する。
鈍い衝撃音が響き、装甲が軋む。
「ぐっ……!」
加納の歯が食いしばられる。踏みとどまる。しかし完全には受け止めきれない。盾を押し付けながら体勢を崩しかけ、それでも何とか衝撃を逸らした。
百足型サーヴィターの突進が、わずかに横へ流れる。その陰に、ユグドラシルが守られていた。地面に座り込んだままのユグドラシル。
そのアイカメラ越しに、大樹は見ていた。背を向け、盾を構えて立つストライク・イーグル。その向こう側に――鎌のような顎を震わせる百足型サーヴィター。
その姿を捉えた瞬間。
大樹の胸を支配した感情は――恐怖だった。
巨大な節の連なり。無数の脚が、白い地面を掻きむしる音。それがゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。喉の奥が張りつく。ヘッドギア越しの視界がわずかに狭まり、マニピュレータとペダルにかけた力が、うまく噛み合わない。
一方で。加納は違った。視線はぶれない。呼吸も乱れない。彼は冷静に状況を見極めていた。ヴァンガード隊が百足型サーヴィターと接敵するのは――これが二度目だ。
前回の襲撃では、三体。
それに比べれば――目の前の個体は小さい。巨大であることに変わりはないが、少なくとも一回りは規模が落ちる。
「佐々木!」
加納が声を張り上げた。
「休んでいる暇はない! すぐ武器と盾を拾うんだ!」
鋭く叩きつけるような指示だった。
「……っ!」
その声に、大樹の意識が引き戻される。遅れていた思考に駆動が噛み合い、ユグドラシルが弾かれたように動き出した。
機体を起こし、白い地面を踏みしめて前へ出る。足裏が砕いた砂の感触がわずかに遅れて伝わり、そのまま転がっていた銃槍へと手を伸ばす。指先で把持を確かめると同時に引き寄せ、続けて盾を拾い上げた。
その動作の最中――百足型サーヴィターが、再び大きくうねった。
長大な身体が弓なりに撓み、溜め込んだ運動を一気に解放する。狙いは、正面で構えるストライク・イーグル。
加納は咄嗟に盾を突き出した。
直後、衝撃が正面から叩きつけられる。カルナイト装甲が軋み、受け止めきれない力が機体ごと押し込まれていく。
足元の地面が削れ、制動が追いつかないまま後退し――ついに踏みとどまれず、機体は後方へ弾き飛ばされた。
「くっ……!」
短く漏れた息に重なるように、横合いから別の影が割り込む。サイクロプス――藤堂の機体だった。
長刀が大きく振り上げられる。フレームの駆動音が低く唸り、重量と慣性を乗せた一撃が、そのまま振り下ろされた。狙いは横腹。鋼の刃が、節だらけの胴体へ叩きつけられる。
鈍い手応え。脚と外殻がまとめて裂け、赤黒い体液が飛び散る。
だが――百足型サーヴィターは止まらない。
刃は深く食い込んでいる。それでも、胴体を断ち切るには至らない。長刀のリーチが足りないのか。それとも――百足型サーヴィターそのものが、想定以上に頑強なのか。
いずれにせよ。その巨体は、まだ機能を失っていない。
斬られたはずの胴が軋み、裂けた外殻の隙間から体液を滴らせながら――それでもなお、前へ出る。削がれたはずの勢いは、どこにも見当たらない。
むしろ。
その圧は、先ほどよりもわずかに――確実に、増しているようにすら感じられた。




