第37話 静穏の台地
屋島山頂へと続く道は、一本しかなかった。
左右を削り取られた山肌に沿って、アスファルトが細く伸びている。急峻というほどではないが、うねりながら緩やかに高度を上げていく坂道だ。
ヴァンガード隊は、警戒レベルを一段階落とし、先頭を走るアメノウズメの後方に、スサノヲ四機が一定間隔で続く。
エンジン音だけが、山道に反響する。
白化した地表は、ここにはない。
道の両脇には、刈り込まれた下草と、整えられた法面が続いていた。人の手が、明確に入っている。
「……ほんまに、別世界やな」
ニックが低く呟いた。
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
坂を登り切った先で、視界が一気に開ける。
「――着いたな」
佐伯の声とほぼ同時に、アメノウズメは減速し、広場へと滑り込む。
そこは、ただっ広い平地だった。
青地に白い文字で描かれた「P」の看板が、ぽつんと立っている。色褪せてはいるが、文字ははっきりと読めた。
ここが、かつて――いや、今もなお、駐車場として使われている場所であることを、雄弁に物語っている。
スサノヲのアイカメラ越しに周囲を見回した大樹は、思わず息を呑んだ。
「……すご……」
駐車場を囲むように生えていたはずの木々は、きれいに伐採されていた。その代わりに並んでいるのは、規則正しく配置されたビニールハウス。
真昼の陽光を受けて、白く、まぶしく反射している。
一つや二つではない。見える範囲だけでも、十棟以上はある。
「どうして……こんなところに……」
無意識のうちに、大樹の口から言葉が漏れた。
それに応えたのは、藤堂だった。
「ここにはな……三十人ほどの人たちが生活している」
静かで、だが確信を帯びた声。
「必要な食料は、基本的に自給自足だ。あのハウスで、野菜を中心に栽培しているらしい」
「じゃあ……」
大樹は、思考を整理するように一瞬言葉を探す。
「支援物資っていうのは……」
今度は、佐伯が引き取った。
「もちろん、食品が全くないわけじゃない」
前方モニターから視線を外さないまま、淡々と続ける。
「だが、優先されるのは別だ。発電機用の燃料、農機具の整備部品、日用品……そういったものが中心になる」
「でも……」
大樹は、ビニールハウスの列から目を離せずにいた。
「こんな立派な設備があって……それに、この場所。カルナ・サーヴィターの襲撃を、全く受けていないなんて……」
言葉が、自然と問いの形になる。
「どうして……なんですか」
一瞬、沈黙が落ちた。
佐伯は、操縦レバーから手を離さずに、わずかに肩をすくめる。
「それはな……」
そして、少しだけ声の調子を変えた。
「ここに住んでいる人たちに、直接聞いてみるといい」
その言い方は、説明を避けたというよりも――あえて、答えを預けたように聞こえた。
「よし」
佐伯は、軽く息を吐く。
「ヴァンガード隊。センサーにカルナ・サーヴィターの反応は無し」
各機の表示にも、敵性反応は映っていない。
「アメノウズメを降りる」
佐伯の声が車内に響く。
「まずは、ご挨拶にでも行こうじゃないか」
その言葉とともに、アメノウズメはエンジンを停止した。
静まり返った駐車場。それを取り囲む、陽光に照らされるビニールハウス。そして、その奥――人の気配が、確かに存在している。
ヴァンガード隊は、カルナ・サーヴィター支配域の四国において、初めて敵ではない何かと向き合うため、機体を降りる準備を始めていた。
スサノヲ四機は、駐車場の端に整然と並べられた。装甲が軋む音が収まり、機体が完全に沈黙する。
大樹たちパイロットが外に出る準備を進めていた、その時だった。
アメノウズメの正面モニターに、一つの人影が映る。舗装された広場を、小走りでこちらへ向かってくる女性だ。
「……人、来ます」
加納が短く告げる。佐伯は即座に状況を判断し、操縦席を立った。
「よし、ハッチを開ける」
油圧音とともに、アメノウズメの側面ハッチが開く。差し込んできた外気は、思いのほか澄んでいて、土と植物の匂いを含んでいた。
佐伯が先に地面へ降り立つ。その後に、大樹、藤堂、ニック、加納の四名が続いた。
女性は彼らの前で立ち止まり、一呼吸置いてから、はっきりと口を開いた。
「ヴァンガード隊の皆さまですね。伺っております」
柔らかいが、芯の通った声だった。
「カルナ・サーヴィターがひしめく中、わざわざ物資を持って来ていただき……本当に、ありがとうございます」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。
「こちらこそ。無事で何よりです」
佐伯が代表するように応じる。
女性は顔を上げ、微かに微笑んだ。
「導師様がお待ちしております。どうぞ、こちらへ」
「……導師様?」
思わず漏れた大樹の呟きに、女性は振り返らず、『はい』とだけ答え、歩き出した。
五人は顔を見合わせ、遅れないように後を追う。
――伺っております?
その言葉が、大樹の胸に引っかかっていた。四国では、カルナ・サーヴィターの影響で長距離通信はほぼ機能していないはずだ。
なのに、どうして。
疑問は解けないまま、大樹はそれを胸の奥に押し込めた。
女性は駐車場を抜け、ビニールハウスの列の間を進んでいく。通路は踏み固められ、足元には簡易的な排水溝まで設けられていた。
すれ違う人々が、作業の手を止めて彼らを見る。
その多くは、六十代、七十代と思しき年配の男女だった。日焼けした顔、節くれだった手。
だが、その表情には疲弊よりも、穏やかな落ち着きがある。
――若い人が、少ない。
大樹は無意識に、先導する女性の背中を見た。
年の頃は、二十代半ば。この場所では、むしろ彼女の方が珍しい存在に見えた。
やがて、女性は一つのビニールハウスの前で立ち止まり、ビニールのカーテンを押し開けた。
中は、外よりもわずかに暖かい。整然と並ぶ畝の間で、一人の男性が中腰のまま作業をしている。
「導師様」
女性が声を掛ける。
「ヴァンガード隊の皆さまをお連れしました」
呼ばれた男は、ゆっくりと腰を伸ばし、大樹たちの方を振り向いた。
「……ああ」
穏やかな声だった。
「これは失礼いたしました。作業中で」
手袋を外し、軽く土を払ってから、男は一歩前に出る。
「私が、こちらで代表を務めさせていただいております――高槻彩人と申します」
丁寧な口調。だが、その姿を見た瞬間、大樹は言葉を失った。
――若い。
どう見ても、自分より年上には見えない。むしろ、同年代か、下手をすれば――
「……え?」
思わず漏れた声に、藤堂が横目で大樹を見る。
彩人と名乗った男は、まだ十代の少年にしか見えなかった。細身の体躯、幼さを残した顔立ち。
それでも、その瞳だけは、不思議なほど澄んでいて、揺るぎがない。
「本日は、遠路はるばるありがとうございます」
彩人は、年齢にそぐわぬ落ち着きで、深く頭を下げた。
その瞬間、大樹は直感した。
――この場所は、ただ安全なだけじゃない。
――ここには、何か普通ではない理由がある。
そして、その中心にいるのが――この、導師と呼ばれるこの少年なのだ、と。




