第31話 空白領域
格納作業が一段落し、整備員たちがユグドラシルの周囲で点検を進めている。
補助アームが装甲を撫で、銃槍のロック機構を慎重に確認する金属音が響く。
大樹は、まだ機体のそばに立っていた。
巨大な盾の縁を見上げる。
照明を受けた世界樹の紋章が、淡く浮かび上がっている。
そのときだった。
「君が……大樹君だな」
低く、よく通る声。
振り向くと、そこに立っていたのは一人の男だった。
決して大柄ではない。
だが、無駄の削ぎ落とされた立ち姿。重心の置き方。
視線の鋭さ。
戦場に長く身を置いてきた者だけが持つ、静かな圧。
「あれ?佐伯さんやないか。ヒョロ眼鏡になんや用なん?」
ニックが横から声を挟む。
佐伯はわずかに視線を向けた。
「ああ、ニックか。丁度よかった。……藤堂もいるな」
少し離れた位置でサイクロプスの整備状況を確認していた藤堂が、ゆっくりと歩み寄る。
「何でしょうか」
佐伯はため息を一つついた。
「基地司令からお呼び出しだ」
一拍。
「ヴァンガード隊と、佐々木大樹は揃って指令室に来るように。……だそうだ」
最後の一言は、どこか面倒そうだった。
「加納にはさっき伝えておいた。もう向かっているはずだ」
ハンガーの空気が、わずかに変わる。
基地司令。
その言葉が持つ重みは、前線に立つ者ほどよく知っている。
「与島基地に着いて早々、申し訳ないが」
佐伯が大樹へ視線を戻す。
「基地司令のところまで同行してほしい」
一瞬、意味を理解するのに遅れた。
「……基地司令が、僕に?」
声がわずかに上擦る。
ニックが苦笑した。
「なんや、想像がつきそうな気ぃするな」
藤堂も、静かに頷く。
藤堂の頷きに、佐伯は小さく肩をすくめた。
「まぁ、行ってみればわかるさ」
それ以上は語らない。
そう言い残すと、踵を返し、ハンガーの出口へと歩き始めた。
迷いのない足取りだった。
ニックが大樹の肩を軽く叩く。
「ほな、主役。いくで」
「……はい」
喉の奥がわずかに乾く。
ヴァンガード隊と並んで、自分の名が呼ばれた。
その事実が、じわりと重くのしかかってくる。
ハンガーの自動扉が開き、夜気が流れ込んだ。
一歩外へ出ると、冬の冷たい風が頬を打つ。
吐く息が白く広がり、すぐに闇へ溶けた。
警戒灯の赤が、規則正しく回転している。
遠くで波の砕ける音がかすかに聞こえた。
与島基地の夜は、静かだが眠ってはいない。
佐伯を先頭に、四人は無言で歩く。
指令棟はハンガーとは別棟だ。
中枢機能を集約した、低く横に長い建物が、闇の中に沈んでいる。
その途中、大樹はふと足を止めかけ、振り返った。
ハンガーの向こう――
巨大なアンカレイジが、夜空を背に聳え立っている。
瀬戸大橋 アンカレイジ――
橋を支えるための巨大構造体。
その一角に、後付けされた昇降設備がはっきりと見えた。
スサノヲとアメノウズメを同時に収容し、一度で昇降させるための大型エレベータ。
アンカレイジの側面に沿って、後付けの鋼鉄レールが無骨に固定されている。
コンクリートへ直接打ち込まれたアンカーや補強板がむき出しのままで、設計当初から存在していたものではないことは一目で分かった。壁面との間に生じたわずかな隙間が、夜間照明を受けて不自然な影を落としている。
夜風がもう一度、頬を撫でた。
「どうした」
前を歩く佐伯が、振り返らずに問う。
「……いえ」
大樹は歩き出す。
アンカレイジの黒い輪郭は、闇の中で微動だにしない。
それを背にして海側の端――そこに基地司令の庁舎があった。
建設は比較的最近だ。
だが、真新しさとは裏腹に、外観は徹底して無骨だった。打ちっぱなしのコンクリート。余計な庇も装飾もない。
海風に晒されることを前提に、機能だけを積み上げたような建物である。
低く横に伸びたその庁舎の一角、最奥に基地司令室はあった。
指令棟の廊下は、夜間にもかかわらず明るく保たれていた。
白色灯が一定間隔で並び、足音だけが乾いた反響を返す。
基地司令室の前に差し掛かったとき、大樹はわずかに目を見開いた。
ドアの脇に、一人の男が立っていた。
加納だった。
腕を組み、背筋を伸ばしたまま、壁にもたれることなく静かに待っている。
制服の上からでも分かる引き締まった体躯。表情はいつも通り落ち着いているが、その視線は廊下の奥――彼らが来る方向を正確に捉えていた。
「遅かったな」
小さく言う。
責める響きはない。ただ事実を述べただけの声だった。
「悪い。待たせてすまなかったな」
佐伯が短く答える。
加納は頷き、視線を大樹へと向けた。
「お前が……佐々木か」
「はい」
自然と背筋が伸びる。
一瞬だけ観察するように見つめ、加納はそれ以上何も言わなかった。
だが、その短い沈黙に、試されているような緊張があった。
「基地司令を中で待たせるわけにもいかん。入るぞ」
佐伯がそう言って、三度、簡潔にノックする。
「入れ」
小田桐の短い声。
ドアを開けると、デスクで腕を組んでいた小田桐が立ち上がった。
そのまま執務机を離れ、室内中央の打ち合わせテーブルへ移動する。
「急に呼び出してしまい、すまない」
低く、よく通る声だった。
佐伯たちに着席を促す。
五人が席に着くのを確認してから、小田桐は口を開いた。
「篠宮が島根第一研究所に残ったことは、既に本人から報告を受けている。そして、そのタイミングを同じくして、かねてより島根第一研究所から要請のあったテストパイロットとして佐々木が与島基地に配属となった」
視線が静かに巡る。
「このメンバーで呼び出しをさせてもらったので、薄々感づいているかとは思うが――佐々木には、ヴァンガード隊の一員として篠宮の代わりを果たしてほしい」
沈黙。
誰一人として驚きを見せる者はいなかった。
ニックは腕を組んだまま目を細め、藤堂は静かに視線を落としている。
佐伯も、予期していたかのように無言だ。
やがて、小田桐の視線が大樹へと向けられた。
「佐々木。頼めるか?」
胸の奥で何かがきゅっと締まる。
「……はい」
短い返答。
だが、声は震えていなかった。
小田桐は一つ頷き、視線を戻す。
「早速で申し訳ないが、ヴァンガード隊に任務がある」
壁面モニターに四国の地図が投影された。
赤い汚染域が不気味に広がり、その中心近くに点滅する光点が浮かぶ。
「四国北東部。先日侵攻したカルナ・フロラの経路上、その途中に――屋島という場所がある」
指先が、瀬戸内海に突き出た半島を示す。
「こちらに支援物資を届けてほしい」
大樹が思わず顔を上げる。
「でも……そこはカルナ支配圏の只中ですよね。支援物資を届けるのは……遭難者か何かですか?」
小田桐は静かに首を振った。
「一般には知られていない事実だが、四国には政府の避難指示に異を唱え、あの地で生活を続けることを選んだ人間が少なからずいた」
モニター上、点滅する屋島の表示が拡大される。
「彼らはカルナの脅威から逃れながら、場所を転々とし、命をつないできた。だが大部分は、既にカルナの犠牲となった」
一瞬、部屋の空気が重く沈む。
「しかし――ここ、屋島には、今なお生存が確認され、生活を続けている集団が残っている」
大樹は眉をひそめる。
「でも、四国の北東部といったら……カルナ落下地点も近く、最もカルナ・サーヴィターの密度が高い地域のはずでしょう。どうしてそんなところに……」
その問いには、藤堂が答えた。
「はっきりとした理由は分かっていない。ただ事実として――屋島周辺には、確かにカルナ・サーヴィターが近づこうとしない」
モニターに表示された熱分布図。
赤く染まる領域の中で、屋島周辺だけが奇妙な空白になっている。
「そこだけ、忘れ去られたように緑が残っている状態なんだ」
ニックが低く唸る。
「……結界みたいやな」
「オカルトではない、事実だ」
小田桐が即座に否定する。
「だが、説明のつかない現象であることは確かだ」
佐伯が腕を組んだ。
「つまり、物資搬入と同時に、状況の確認も兼ねる……ということですか」
「そうだ」
小田桐は頷く。
「カルナが近づかない理由。偶然か、地形的要因か、それとも――別の何かか。いずれにせよ、放置することはできない」
視線が再び大樹に向く。
小田桐の視線は、大樹をまっすぐに射抜いていた。
静かながら、圧のある声が続く。
「先の戦闘で失ったスサノヲは、キルシュだけではない。アメノウズメを含むスサノヲ四機の一個小隊。そして、イージス隊の四機のスサノヲも同時に喪失している」
一瞬、空気が重く沈む。
その事実を、ここにいる誰もが知っている。だが、改めて言葉にされることで、その損失の大きさが現実として突きつけられた。
小田桐はわずかに顎を引いた。
「今回の任務におけるユグドラシルの活躍次第では、以降のスサノヲ――まずはイージス隊の四機について、ユグドラシルと同型へ統一する案も検討している」
ニックの眉がわずかに上がる。
藤堂も視線を上げた。
佐伯は無言のまま、小田桐を見据えている。
「つまり、本任務は単なる物資輸送ではない。ユグドラシルの実戦評価を兼ねる。極めて重要な作戦だ」
視線が再び大樹へと落ちる。
「佐々木。期待しているぞ」
胸の奥に、重い何かが沈む。
それでも大樹は、わずかに背筋を伸ばした。
「……はい」
短く、だが力のある返答だった。
小田桐は頷く。
「明朝〇七〇〇。ヴァンガード隊はアンカレイジエレベーターにより瀬戸大橋車両道路まで上昇する」
モニターにルートが表示される。
与島から本線へと接続し、四国側へ向かうルートだ。
「以降は陸路で屋島へ進出し、任務に当たれ。補給物資はアメノウズメのリアコンテナに本日のうちに格納しておくように」
一拍。
「以上だ」
短い、明確な締めだった。
沈黙の後、ヴァンガード隊がほぼ同時に声を発する。
「了解だ」
「了解や」
「了解」
「了解した」
「了解しました」
低く、揃った声。
加納も静かに頷き、佐伯は椅子の背に軽く体重を預けたまま小さく息を吐いた。
ニックが肩を回す。
「……朝イチから危険地帯行きか。おやつ用意しとかんといかんな」
軽口だが、表情は真剣だった。
藤堂は既にモニターを見つめ、ルートの確認を始めている。
大樹はその横で、無言のまま地図を見つめた。
屋島。
赤く染まった四国の中で、ただ一箇所だけ残る空白。
そこに、まだ人がいる。
そして、自分は――その場所へ向かう。
大樹の胸の奥で、不安と決意が静かにせめぎ合っていた。




