第30話 柱
西の空は茜から群青へと移ろいかけていた。
山の端に沈みきらない光が、格納庫の巨大なシャッターを横から照らし、長く伸びた影がコンクリートの床を斜めに走っている。
吐く息は白く、金属の匂いを含んだ冷えた空気が肺を刺した。
与島基地。
瀬戸大橋のたもとに張り付くように築かれた前線拠点は、昼間とは違う緊張を帯びていた。夜間待機の準備に入る整備班の声が飛び交い、警戒灯がゆっくりと回転を始めている。
ニックがトラックを格納庫前に滑り込ませ、エンジンを切った。
「着いたで」
その一言で、大樹の胸がわずかに緩んだ。
与島基地のハンガーは、夕暮れの光を背に静かに口を開けている。
天井クレーンの影が長く伸び、作業灯が順に点灯していく。
大樹はキャビンの計器を確認しながら、横目で格納庫の奥を見る。
藤堂が足早にハンガー内部へ向かっていくのが見えた。
中央に鎮座する白い管制支援機――アメノウズメ。
そのコックピットへ乗り込む姿が、遠目に小さく見える。
数十秒後、キャビンのスピーカーに短い電子音が入った。
――管制回線、確立。
大樹のモニターにも、外部リンクの表示が立ち上がる。
そして、低く落ち着いた声が基地回線に乗った。
「サイクロプス、帰投。
格納シークエンス開始」
格納庫前で待機していた単眼の巨人が、ゆっくりと動き出す。
――ゴン。
――ゴン。
重く、しかし迷いのない足取り。
サイクロプスがハンガーへ戻っていくのを、大樹はキャビンの窓越しに見つめた。
(……やっぱり、動きに無駄がないな)
無駄が削ぎ落とされた挙動。
操縦というより、意志がそのまま動作になっているようだった。
だが――
自分がこれから動かすのは、あれとはまったく違う機体だ。
大樹は深く息を吸い、指を操作パネルに置く。
「ユグドラシル、起動します」
メイン電源、安定。
各カルナ筋束強度、正常。
姿勢制御プログラムフィードバック、問題なし。
巨大な質量が、トレーラー後方で目を覚ます。
――ゴン。
床下から伝わる振動に、胸が震える。
――……ゴン。
サイクロプスとは違う。
サイクロプスを含む従来のスサノヲが軽量級の機体に無駄なくカルナ筋束を配置しているのに対し、ユグドラシルは武装と装甲を予め規定し、それに必要なカルナ筋束を後付けで割り振っている。
設計思想からして真逆であった。
「……前進」
大樹の入力に応じ、ユグドラシルが一歩を踏み出す。
視界モニターに映るハンガーの入り口が、ゆっくりと近づく。夕暮れの光を背負った自機の影が、長く伸びている。
格納庫の内部では、すでにサイクロプスが所定位置に収まりつつあった。
大樹は一瞬だけ、その姿をモニター越しに確認する。
(……負けてない)
性能の話ではない。
思想の話だ。
「進入角、修正……よし」
巨大な盾がわずかに傾き、銃槍がロック位置へ調整される。わずかな操作遅れも許されない。
質量がある分、誤差は即座に歪みになる。
慎重に、しかし迷わず。
ユグドラシルはハンガー内へ足を踏み入れた。
格納灯が機体を照らし出す。
周囲の整備員たちが、思わず手を止めて見上げるのが視界の端に映る。
その視線の意味を、大樹はまだうまく理解しきれていない。
ただ一つ分かるのは――
今、この異質な巨人を預かっているのは自分である、という事実だけだった。
格納庫の照明に照らされ、その輪郭がいっそう際立つ。
太い脚部は、床の強化プレートを踏みしめるたびに低く唸り、右腕の巨大盾は壁のようにそびえ立つ。
左手の銃槍は、照明を受けて鈍く光り、まさに別種の兵器体系が紛れ込んだ特有の異物感を放っていた。
予告などしていない。
だが――
いつの間にか、ユグドラシルの前には人垣ができていた。
パイロット、整備員、管制員。勤務交代の途中だった者まで足を止め、巨体を見上げている。
「……これが同じスサノヲなのか」
誰かが、半ば呆然と呟いた。
その声に、何人かが小さく頷く。
現場に立つ者ほど分かる。
脚部フレームの太さ。
関節の取り回し。
重心の置き方。
装甲の配置。
同じ規格から生まれたはずなのに、思想が違う。
サイクロプスが「斬る」ための機体だとすれば、ユグドラシルは「支え、貫く」ための機体。
呼び名は同じでも、系譜が違う。
「……なんやあれ、盾でかすぎやろ」
「主動作腕やぞ?正気か……?」
「銃身、あの径……反動どうやって殺す気だ」
整備員たちの視線は、自然と銃槍へ吸い寄せられていた。
そして、その人垣の中央に――
大樹が立っていた。
先ほどまでキャビンで操作していた当人だ。
「あ、あの……」
視線が一斉に向く。
「君が……ユグドラシルのパイロットか?」
背の高い整備主任が、半信半疑といった様子で問いかける。
大樹は一瞬、言葉に詰まり、それでも小さく頷いた。
「は、はい。一応、そうです」
周囲がざわつく。
重厚な装甲。
要塞のような盾。
前線突破を前提とした異形の銃槍。
それを操っていたのが――
線の細い、どこか研究員然とした青年。
拍子抜け。
その言葉が、空気ににじんだ。
「……いや、もっとこう……」
「筋骨隆々のやつかと思っとったわ……」
悪意ではない。だが率直すぎる感想。
大樹は、わずかに視線を落とす。
そのとき。
「機体の質量と、操縦者の体格は関係ない」
低い声が、背後から割って入った。
藤堂だった。
「必要なのは、機体の思想を理解しているかどうかだ」
一拍置き、ユグドラシルを見上げる。
「……あれは、重いだけの機体じゃない。重さを“武器”に変える設計だ。扱いを誤れば、自分が潰される」
視線を、大樹へ。
「だが、あいつは潰されていなかった」
大樹の胸が、わずかに震える。
ニックが、肩をすくめて口を挟む。
「せやな。あの重量であの静止精度や。大したもんやで。少なくとも、ワイには無理や」
場の空気が、少しだけ和らぐ。
整備主任が咳払いを一つ。
「……まあ、実戦でどう動くかやな。理屈は後からついてくる」
だがその目は、もう先ほどのような軽視ではなかった。
好奇。
そして、期待。
ユグドラシルは何も語らない。
巨大な盾を静かに下ろし、銃槍をロック位置へ固定する。格納クレーンが接続され、補助アームが装甲の各部をチェックしていく。
他のスサノヲとは、明らかに扱いが違う。
慎重さと、どこか緊張を含んだ手つき。
人垣の中で、大樹はもう一度機体を見上げた。
夕闇の中、格納庫の天井灯を背負い、世界樹の紋章が淡く浮かび上がる。
揺るがず、退かず、ただ立つ。
その姿は、確かに異質だった。
だが同時に――
この前線に、新しい可能性が持ち込まれたことを、誰もが直感していた。
遠くで警戒サイレンの定時音が鳴る。
夜間体制への移行を告げる合図。
瀬戸大橋の向こう、闇に沈みゆく四国を見据えるように、格納庫の扉がゆっくりと閉まり始めた。
戦いは、まだ終わらない。
そして――
与島基地に、もう一つの“柱”が立ったのだった。




