第28話 次の世代
ニックが、ふっと肩の力を抜いたように口を開いた。
「……じゃあ、藤原博士。
藤堂のおっさんとワイは、そろそろ与島基地に帰らせてもらおうか思うんやけど」
ラボの空気が、少しだけ日常に戻る。
藤原博士は、培養槽から視線を外し、にっと笑った。
「おお、ニコラス。
スマンが、ちょっと待ってんか?」
「……ん?」
博士は制御卓から離れ、白衣のポケットを探るような仕草をしてから、続ける。
「小田桐はんに頼まれとってな。
与島基地に“お届けもん”があるんや」
そう言いながら、藤原博士はスマートフォンを取り出し、画面を軽くタップした。
どこか慣れた手つきで番号を選び、耳に当てる。
「もしもし……ああ、ワシや。
もうええで、来てええ」
短い通話だった。
それを切ると、博士はポケットにスマートフォンを戻す。
「……?」
ニックが、訝しげに眉をひそめた、その時だった。
「……あの……藤原博士……
何か御用でしょうか……」
控えめな声が、ラボの入口から響く。
振り返ると、そこに立っていたのは、一人の青年だった。
切りそろえられた中分けの髪。
やや大きめの眼鏡。
白衣ではなく、少しサイズの合っていない研究所の作業服。
体格は細く、肩も華奢で、どう見ても前線に立つ兵士のそれではない。
ラボの無機質な光の中で、ひどく頼りなげに見えた。
「おお、来たか」
藤原博士の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
そしてニックにだけ聞こえるような声音で言った。
「ニコラス。与島への土産や」
そう言って、博士は片目をつむってみせた。
「……はぁ?」
ニックが、間の抜けた声を上げる。
「藤原博士、どゆことや?」
博士は悪びれもせず、あっさりと言った。
「島根第一研究所からの、テストパイロット受け入れ要請や」
少年が、びくりと肩を揺らす。
「佐々木大樹」
名を呼ばれ、少年――大樹は、ぎこちなく背筋を伸ばした。
「卵降ろしたんと、美桜ちゃんの席、空いとるやろ。
せっかくなんでな、連れて帰ったってや」
ニックの口が、半開きになる。
「……連れて帰る……?」
「せや」
藤原博士は、あっけらかんと続ける。
「スサノヲは、こっちで用意しとるさかい」
その言葉に、今度は藤堂が反応した。
一歩前に出て、少年をまじまじと見つめる。
「……藤原博士」
低い声だった。
「佐々木……さん、というのは……
もしかして」
藤原博士は、うん、と頷いた。
「せや。
大ちゃんはな、工学の権威――佐々木純一博士のご子息や」
その名に、ラボの空気が微かに変わる。
美桜の表情が変わる。
「佐々木純一って……
スサノヲ開発の中心にいた……?」
大樹は、居心地が悪そうに視線を泳がせ、小さく頷いた。
「……はい。父です」
間髪入れず、ニックが口を挟む。
「いやいやいやいや、藤原博士」
少年と博士を指差す。
「そんなん言われてもやな。
こんなヒョロ眼鏡……ホンマに大丈夫なんか?」
言葉は遠慮がなかった。
大樹は、思わず身をすくめる。
藤原博士は、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「まぁ、そう言うなや、ニコラス」
肩をすくめ、軽い調子で続ける。
「大ちゃんは、あくまでもテストパイロットや」
少年の肩に、ぽんと手を置く。
「正規パイロットやない、ちょっと甘めに見てやって付き合うたってや」
藤原博士は、少年の肩に置いた手を軽く叩きながら続けた。
「大ちゃんは最近、スサノヲの武器開発にも力を入れとるらしくてな。
せやけど、机上のイメージだけで作るんは、どうしても限界がある」
一度、培養槽へ視線を流す。
「現場でサーヴィターの動きと、実際のスサノヲの稼働をこの目で見る。
それが一番早い――っちゅうのが、ワシの考えや」
ニックが、呆れ半分に眉を寄せた。
「……ほな何か?
このヒョロ眼鏡をスサノヲに乗っけて前線に出す気なんか?」
ニックの言葉に、藤原博士は一瞬だけ眉を上げた。
「前線、ねぇ」
そう呟いてから、ふっと小さく笑う。
「まあ落ち着けや。
無理矢理最前線に放り込むほど、ワシも鬼やない」
白衣のポケットに手を突っ込み、肩をすくめた。
「とりあえずは同行や。
現場を見てもらわな始まらんからな」
「……“とりあえず”て」
ニックがじろりと睨む。
博士はその視線を受け流すように、軽く手を振った。
「細かいことは気にすんな。
必要があれば、その時に考える」
藤原博士は即座に返す。
「佐々木博士に、今日与島から客が来る話をしたらな――」
そこで、少しだけ口元を歪めた。
「せっかくや。
大ちゃんも設計に関与しとる重装甲高出力型スサノヲ、自分で操縦させるんもええ経験やろ、いう話になってな」
一瞬。
ラボの空気が、静止した。
藤堂の視線が、ゆっくりと少年へ落ちる。
「……設計?」
低く、確かめるような声だった。
大樹は、一度だけ唇を湿らせてから口を開いた。
「……設計と言っても、それは元となるスサノヲがあるからできることで……
あくまでもマイナーチェンジです。僕は……そんなに大したことはやっていません」
どこか恐縮したような声音だった。
だが藤原博士は、すぐに肩を揺らして笑った。
「まぁ、そう言うてもやな。大ちゃんが、ワシや純一博士にもない発想力を持っとるんも、また事実や」
少年の背を軽く押しながら続ける。
「どうや。大ちゃんのこれからの長いキャリアで、絶対に無駄にならん貴重な経験が積める、絶好の機会やと思うで」
その言葉に、藤堂が静かに口を開いた。
「……そうは言いますけど、藤原博士」
「なんや、藤堂はん」
藤堂の視線は、少年から逸れない。
「いくら佐々木博士のご子息とは言われましても、通常、我々がスサノヲのパイロットになるためには、シミュレーターによるテストや実機での演習を経て、資格審査を受けたうえで前線に投入されます」
一拍、置く。
「いくらご子息とはいえ、その工程をスキップしてしまうのは……いかがなものかと」
藤原博士は、あっさりと頷いた。
「ああ、それなら藤堂はん、安心してんか?」
白衣のポケットに手を突っ込み、いつもの調子で続ける。
「ワシらのテストパイロットも、スサノヲのパイロットを名乗る以上、ちゃんとカリキュラムが設定されとってな。
それを満たせば、公式に通常のパイロットライセンスと同じ効力を持てることになっとるんや」
ニックが、小さく口笛を吹いた。
「……ヒョロ眼鏡、やるやないか」
大樹は反射的に背筋を伸ばしたが、何も言わない。
ただ、その指先だけが、わずかに強く握られていた。
藤堂が、なおも言葉を探すように口を開いた。
「しかしですね……」
その時だった。
「まぁまぁ、藤堂のおっさん。細かいことは言いっこなしや」
ニックが、軽く手を振って割って入る。
「小田桐基地司令が連れて来い言うとるんや。
まぁ、何か考えがあるんやろ」
藤原博士も、肩をすくめて笑った。
「まぁ、そういうこっちゃな」
そして、思い出したように周囲を見回す。
「で……大ちゃんのスサノヲなんやが……
大ちゃん、今どこにあるんや?」
大樹は、少しだけ慌てた様子で答えた。
「ユグドラシルですか? 父のラボにあります。
すぐに表の駐車場まで移動させます」
言うが早いか、少年は一礼すると踵を返し、そのまま小走りでラボを出ていった。
自動ドアが静かに閉まり、室内に再び機械音だけが残る。
ニックが、肩越しに藤堂を見た。
「ほな、藤堂のおっさん。納得いかんところもあるんや思うけど、基地司令の命令に背くわけにもあかんやろ?」
藤堂は、わずかに眉根を寄せたまま応じる。
「ニック……それは……そうなんだが……」
言葉は続かなかった。
代わりに、小さく息を吐く。
ニックは、そんな様子を見てにやりと笑った。
「ま、心配せんでもええ。いざとなったら、ワイらが面倒見たる」
「面倒を見られる側になる可能性もあるで?」
藤原博士が、愉快そうに口を挟む。
「そん時はそん時や」
ニックは肩を回しながら歩き出した。
「ほな、迎えに行こか。重装甲高出力型――どんなバケモンか、拝ませてもらおやないか」
藤原博士も、にやにやと笑いながら後に続く。
「純一博士の血ぃ引いとる大ちゃんが自分用にカスタマイズした機体や。
期待してええで」
二人の背を見送り、藤堂もやがて足を踏み出した。
完全に懸念が消えたわけではない。
だが――
止める理由も、もうない。
その後ろを、美桜が静かについていく。
「ユグドラシル、か……」
小さく呟くその声には、わずかな興味が滲んでいた。
ラボの外へ出ると、澄んだ冷気が頬を打った。
光は明るいが、空気は鋭く冷たい。吐いた息が、かすかに白む。
駐車場のアスファルトは乾き、足音だけが硬く響いた。
ニックが肩をすくめる。
「日中やのに……やっぱり寒ぃなぁ……」
藤原博士が軽く笑う。
「この程度で音を上げとったら、朝は動かれへんで」
藤堂は何も言わず、ただ空を見上げた。高く、雲の薄い空だった。
その後ろで、美桜が小さく呟く。
「……空、きれいですね」
トレーラーを止めた駐車場の向こう――
冷えた空気を震わせるように、まもなく新たなスサノヲが姿を現そうとしていた。




