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第27話 共鳴

ラボの奥、制御卓の前に立つ真理子へ、藤原博士が声を掛けた。


「真理子ちゃん、卵の具合はどうや」


四番ラボの空気は、わずかに張りつめていた。

培養槽の中で浮かぶ卵は、一定の間隔で淡い黄金色に明滅している。

呼吸するようなその光は、ラボ内にいる美桜の存在に呼応しているかのようだった。

照度センサーの値が、周期に合わせて静かに上下している。


モニターから視線を外さないまま、真理子が応じる。


「ああ、藤原博士。おはようございます」


短く挨拶を返し、そのまま淡々と続けた。


「正直、驚いています」


彼女の指が操作卓を滑り、表示が切り替わる。


「左が昨日の映像、右が今の映像です」


二つ並んだ映像に、同じ“卵”の内部像が映し出される。


一目で分かる違いだった。


昨日の像では、曖昧だった輪郭。

不揃いで、まだ形を成していなかった内部構造。


だが、今の像は――


「……なるほどなぁ……」


藤原博士が、低く息を吐くように呟いた。


輪郭は明確になり、内部の配置も整理されている。

未形成だった四肢の原基が、はっきりと区別できるほどに伸び始めていた。


その様子に気づき、藤堂が近づいてくる。


「博士、どうかしたんでしょうか」


藤原博士は、顎でモニターを示した。


「藤堂はん、見てみなさい」


藤堂が画面に目を凝らす。


「……これは……」


言葉を失ったまま、しばらく黙り込む。


藤原博士は、静かに言った。


「とても一日の違いとは思えんやろ」


真理子が、冷静に補足する。


「細胞密度、内部電位、発光周期。

すべて、昨日から今朝までのトレンドデータが、

連続性を保ったまま変化しています」


一拍。


「偶発的な変動ではありません」


藤原博士が、ゆっくりと頷いた。


「……明らかに、成長が進んどる」


ラボに、重い沈黙が落ちる。


藤原博士が操作を始めると、制御卓の奥で小型のロボットアームが静かに動き出した。

関節部が短く鳴り、先端のツールが待機位置へと移動する。


「卵ちゃん……」


博士は、独り言のように呟いた。


「ちょっとごめんやけど、細胞のサンプル、とらしてんか……」


操作に応じて、アーム先端が小型のドリルへと切り替わる。

回転数を極限まで落とした刃先が、卵殻の一部に触れ、微細な振動とともに小さな穴を穿った。


すぐにツールが切り替わる。

今度は、マイクロ・キャピラリー――超極細のガラス管だ。


博士は呼吸を整え、慎重に操作する。


「……ちょっとチクッとするだけや、堪忍な」


管の先端が、卵の内部へとゆっくり差し込まれていく。

拍動する心臓の動きを読み取りながら、それを避け、最も分裂活性が高い部位――

腰部の皮膚表面へと狙いを定めた。


制御卓に、吸引圧の数値が表示される。


次の瞬間、微弱な負圧が発生し、

胚の表皮を傷つけない程度に、数個の線維芽細胞だけが、透明な管の中へと吸い込まれていった。


真理子は、思わず息を詰めてその様子を見守っていた。


「……ありがとな」


博士は、小さく呟く。


「ちゃんとなおしてあげるさかいな」


操作が切り替わり、フィブリン糊――生体接着剤が滴下される。

それは傷口を瞬時に覆う、人工のかさぶただった。


アームがゆっくりと退避する。


モニターには、再び安定した内部像が映し出されている。

心拍も、発光周期も、乱れはない。


作業を終えたロボットアームが、採取した細胞を封じた極細のガラス管――キャピラリーを、ゆっくりと保冷トレイへ移送した。

カチリ、と小さな音がしてロックが掛かる。


藤原博士はそれを確認すると、深く息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。


「……ふぅ。ひとまずは、採取成功やな」


額の汗を白衣の袖で拭い、すぐに顔を上げる。


「真理子ちゃん、このまま続けてくれ。

この細胞で、クローンを作る」


真理子はすでに端末を操作していた。


「了解しました。採取した線維芽細胞を用いた体細胞核移植、SCNTですね」


「せや。レシピエントは昨日用意した、除核済みの未受精卵を使う。

まだ活性化処理はしてへんな?」


「はい。第3冷凍保管庫で代謝停止状態のまま保存しています。

これから解凍に入ります」


「温度管理は慎重にな。0.5度刻みで段階的に戻すんや。

余計なストレスは一切いらん」


「了解です」


真理子が操作を確定させると、解凍シーケンスが起動し、培養槽の数値がゆっくりと変化し始めた。


「ドナー細胞の処理は標準手順でいこう」


藤原博士は続ける。


「洗浄後、細胞周期をG0期へ誘導する。

核の再プログラミングを安定させるためや」


「血清飢餓培養、十二時間で良いですか」


「それでええ。今回は急ぐ必要はない」


その言葉に、真理子の表情がわずかに引き締まる。


「核移植は電気融合。電圧、パルス幅ともに標準設定で進めます」


「無理はせん」


藤原博士は即答した。


「この卵が、どう生まれてくるか――

その条件ごと、再現するんや」


真理子は頷き、クローン培養系を起動する。


「ドナー細胞の前処理を開始します。

処理完了後、核移植に移行します」


藤原博士は制御卓の前に立ち、黙ってモニターを見つめていた。


藤原博士は制御卓の前に立ち、黙ってモニターを見つめていた。


解凍工程は予定どおりに進み、培養槽の数値は緩やかな曲線を描いて安定している。

警告音は一切鳴らず、ラボには機器の低い駆動音だけが残っていた。


その静けさの中で、美桜が一歩前に出る。


「……藤原博士」


控えめだが、はっきりとした声だった。


「これは一体、何をしているんですか」


藤原博士はすぐには答えなかった。

操作を終え、最後の確認表示を閉じてから、ゆっくりと美桜のほうを向く。


「なぁに、大したことやない」


穏やかな口調で、そう言った。


「いざという時の保険や」


美桜の表情が強張る。


「保険……?」


「せや。この卵のクローンを培養するんや」


博士は、モニターに映る培養槽を手のひらで示す。


「万が一、オリジナルに何かあった時の備えにもなる。

それにや、複製があってこそできる研究も、確かにあるんや」


その言葉に、ラボの空気がわずかに張り詰める。

美桜は視線を落とし、しばらく考え込むように沈黙した。


藤原博士は、その様子を待つように何も言わなかった。


やがて、彼は制御卓から手を離し、美桜の正面に向き直る。


「ところで……美桜ちゃん」


声の調子が、少しだけ変わる。


「どうするか、もう決めたかい」


美桜が顔を上げる。


「与島基地に戻るか。

それとも、この研究所に残るか」


選択肢は簡潔だった。

だが、その重みは、誰の目にも明らかだった。


美桜は一度、培養槽を見つめる。

ゆっくりと、確かめるように呼吸を整え、それから答える。


「はい」


迷いはなかった。


「私は研究所に残ります」


藤原博士の目を、まっすぐに見据える。


「この卵が、どのように成長していくのか……

最後まで、見届けたいと思います」


藤原博士は、ほんのわずかに目を細めた。


「……そうか」


短く、それだけを告げる。


藤原博士の短い応答のあと、ラボの奥で、誰かが小さく息を吐いた。


ニックだった。


腕を組んだまま培養槽を眺め、肩をすくめる。


「……そらそうやろな」


軽い調子だったが、どこか楽しげでもあった。


「ここまで見せられて、『ほな帰ります』言える子やないわ」


その言葉に、藤堂は何も言わない。


ただ一歩だけ前に出て、培養槽の卵を見つめる。


黄金色の明滅を静かに見守るその横顔は、いつもよりわずかに柔らいでいた。


やがて、低く短く言う。


「……覚悟、決まってるようだな」


それだけだった。


だが、その一言には、肯定も、労いも、すべてが込められていた。


藤原博士が、再び口を開く。


「実はな」


制御卓に手を置いたまま、淡々と続けた。


「この卵な……

美桜ちゃんがラボにおる時にだけ、明滅するやろ」


卵がまた一度、淡く光る。

まるで応えるかのようなタイミングだった。


美桜は、息を呑んだまま、その光を見つめている。


「……覚えとるかい」


博士は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「カルナの孵化場で、この卵を見つけた時のことや。

ほかの卵と違って、これだけ“繋がってへんかった”って、言うとったな」


美桜は、小さく頷いた。


「はい……。この卵だけ、単体で転がっていました」


藤原博士は短く息を吐く。


「恐らくやが、この卵はカルナにとっての失敗作や」


その言葉に、ラボの空気がわずかに張り詰める。


「カルナはな、人間の遺伝情報を集めとったわけやない」


藤原博士は、言葉を選ぶように一拍置いてから続けた。


「ただ、そこに人間がおる以上、どうしても流れ込んでくる。

人間は数が多すぎる。接触も、混入も避けられん。

その結果として、人間の細胞情報が、否応なしに溜まっていったんや」


モニターに映る卵から、博士は視線を外さない。


「せやけどな、それはカルナにとっては“素材”ですらない。

解析はできても、制御も再構成もできん。

未知というより、対応不能なノイズや」


真理子が、低く息を吐く。


「処理しきれなかった……ということですか」


「せや」


博士は静かに頷いた。


「使い道はない。せやけど、捨てるにも量が多すぎる。

せやから、一部を切り出して、試しにサーヴィターを作ってみた。

――ただそれだけの話や」


藤堂が、ぼそりと呟く。


「結果は……失敗」


「せや。脈動もせん、同期もせん。

他の卵みたいに“繋がらん”。

カルナにとっては、完全な失敗作やった」


ニックが肩をすくめる。


「だから廃棄した……ちゅうわけやな」


藤原博士は否定も肯定もせず、続けた。


「せやけどな」


そこで初めて、博士は美桜を見た。


「その廃棄物が、諦めとらんかった。

どういうわけか、特定の人間にだけ反応した」


培養槽の卵が、淡い黄金色を帯びて、ゆっくりと明滅する。


「美桜ちゃん。

この卵は、美桜ちゃんがおる時にだけ、生きようとする」


理由は分からん、と博士は付け加える。


「せやけど、事実や。

この卵の成長には、美桜ちゃんの存在が不可欠なんや」


一拍。


「せやからな……」


博士は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「歓迎させてもらうわ。

改めて、よろしくやで」


卵が、これまでよりもわずかに強く光を放っていた。

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