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第26話 再び動く

美桜が目を覚ますと、見慣れない天井が目に映った。

一瞬、ここがどこなのか分からず、瞬きをする。


――そうだ。


ここは、島根第一研究所のゲストハウスの一室だった。


ベッドから下り、備え付けの鏡の前に立つ。

少し乱れた髪と、疲れの残る顔が映っていた。


「……ひどい顔」


思わず、そう呟く。

だが、鏡の中の自分をもう一度見て、肩をすくめた。


「でも、まぁ……昨日よりマシかな」


ふっと小さく笑い、両腕を伸ばす。

どうやら、思っていた以上にぐっすり眠っていたらしい。


夜の冷えを残した部屋に、朝の柔らかな日差しが窓からこぼれ込んでいた。


顔を洗い、身支度を整える。

作業服に袖を通すと、それは与島基地で支給された制服だった。


そのまま四番ラボへ向かう。


中に入ると、すでにニックと藤堂の姿があった。

二人は藤原博士と向かい合い、何やら真剣な様子で話をしている。


藤堂が、低い声で口を開いた。


「……本当なんですか、藤原博士」


藤原博士は、軽く顎を引く。


「ああ。情報統制が敷かれていてな。

まだごく一部の人間にしか伝わっとらんらしいが……事実や」


ニックが、思わず声を荒げる。


「マジかよ。カルナが……」


「せやで」


藤原博士は、短く応じた。


「一週間ほど前らしい」


美桜は、その言葉に息を呑み、慌てて二人のそばへ駆け寄る。


「カルナが……どうかしたんですか?」


藤原博士は、美桜の姿を認めると、少しだけ表情を緩めた。


「ああ、美桜ちゃんかい」


そう前置きしてから、続ける。


「実は今朝、ハワイの研究所からワシのところに電話があってな。

この研究所のゼロ号標本についての資料を連絡してほしい、っちゅうんや」


一瞬、苦笑する。


「理由を言わねぇと送ってやらねぇ、言うたったらな。

向こうも渋々、事情を教えてくれよった」


藤原博士は、そこで一度言葉を切り、三人を見回した。


「一週間ほど前――

地球に、五年ぶりにカルナが襲来した」


静かな声が、ラボに落ちる。

藤原博士は、静かに口を開いた。


「太平洋のど真ん中や。カルナが落下したらしいんや」


その言葉に、藤堂が即座に反応する。


「……それじゃ、落下による人的被害は」


問いかける声には、抑えきれない緊張が滲んでいた。


藤原博士は、小さく鼻を鳴らすようにして首を振る。


「藤堂はん、安心し」


少しだけ間を置いてから、はっきりと言い切った。


「死人はおろか、けが人一人おらん」


その一言で、ラボの空気がわずかに緩む。


藤原博士は、そのまま続けた。


「カルナが落下したのは、ほんまに太平洋のど真ん中や。

最初はな、アメリカの東海岸に落ちる可能性が高い、っちゅう予測やったらしい」


美桜は思わず息を呑む。


「せやけど、NASAと空軍が協力してな。

迎撃して、物理的にカルナの軌道をそらしたそうや」


藤堂の眉が、わずかに動く。


「……迎撃、ですか」


「そうや」


藤原博士は、淡々と頷いた。


「結果として、カルナは海底にさえ届かんかった。

海面に浮かんでるところを、そのまま米軍が確保してな」


少しだけ声を落とす。


「回収した上で、ハワイの研究施設に運搬した、っちゅう話や」


藤堂が、慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「じゃあ……カルナは、沈黙したままの状態ってことですか」


藤原博士は、迷いなく答える。


「せや」


その声は、はっきりとしていた。


「アメリカはな、ハワイの研究施設でカルナを管理して、研究を進めるつもりや」


ニックは腕を組み、眉をひそめたまま口を開いた。


「そんなん言うてもやなぁ……相手は、あのカルナやろ?

いくらアメリカ言うても、スサノヲもおらんのに、無理があるんとちゃうやろか」


吐き捨てるような口調に、ラボの空気が再び張り詰める。


藤原博士は、ゆっくりとニックを見てから、ため息まじりに応えた。


「せやからや」


低い声で、言葉を継ぐ。


「せやから、ワシのとこに連絡をよこしてきたんやろな」


三人の視線が、自然と藤原博士に集まる。


「ワシはこれまで、カルナの脅威を全世界に知ってもらうために、

いろいろ論文を出してきたからなぁ……」


そう言って、軽く肩をすくめた。


「ワシの論文で示した手順に則って、

カルナをゼロ世代から徹底管理してやればや。

スサノヲがなくても、制御そのものは可能や――

向こうは、そう判断したんやろ」


美桜は、その言葉を噛みしめるように黙って聞いていた。


沈黙を破ったのは、藤堂だった。


「……なら、スサノヲを提供するという選択肢はないんですか」


静かな口調だったが、その言葉には現実的な重みがあった。


「機体だけじゃない。運用できる兵士の教育も含めてです。

時間はかかるでしょうが、それが一番確実なはずだ」


ニックがわずかに目を見開き、美桜も藤堂の横顔を見る。


藤原博士は、すぐには答えず、しばらく考えるように視線を落とした。

そして、ゆっくりと首を振る。


「……藤堂はん、正論や」


そう前置きしてから、続ける。


「せやけどな、それは――時間がかかりすぎる」


淡々と、しかしはっきりと言った。


「スサノヲは機体だけ渡してどうにかなる代物やない。

操縦、判断、現場での応用……全部ひっくるめて“人”が要る」


藤堂は口を閉ざしたまま、黙って聞いている。


「兵士を育てるには年単位や。

カルナを相手にしながら、そんな余裕を待てる国は少ない」


藤原博士は、そこで一度言葉を切り、三人を見回した。


「つまりや――」


低く、結論を落とす。


「アメリカは、そこまで待てへんほど追い詰められとる、っちゅうことや」


藤原博士は、少しだけ視線を落とし、続ける。


「カルナはな、日本から四国という地を奪った、憎き相手や」


一瞬、沈黙が落ちる。


「せやけど……」


藤原博士は、ゆっくりと顔を上げた。


「カルナによってもたらされた技術革新があったことも……

まぁ、事実や」


その声音には、割り切れない感情が滲んでいた。


「アメリカもな――」


そう前置きして、ぽつりと言う。


「焦っとるんかもしれんな」


誰もすぐには言葉を返せなかった。

カルナという存在が、再び世界の均衡を揺らし始めている――

その重みだけが、静かなラボの中に確かに残っていた。


口を開いたのは、美桜だった。


「……藤原博士は、どうされるおつもりなんですか?」


自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

だが、その奥には拭いきれない不安が滲んでいる。


藤原博士は一瞬、美桜を見つめ返した。

その視線は、研究者としてではなく、一人の大人としてのものだった。


「……ホンマはな」


低く、ため息交じりに言う。


「危険やから、辞めとき言いたいところなんや」


ニックが何か言いかけて口を閉ざす。

藤堂も、ただ黙って耳を傾けていた。


「せやけど……」


藤原博士は、ゆっくりと首を横に振る。


「それは、もう無理やろうな」


現実を受け入れるような声音だった。


「せやからや」


視線を上げ、はっきりと言う。


「何重にも、しっかりと安全策を講じた上でな。

できる限りの、いや――考えうる限りすべてのリスクを想定した」


わずかに口角を引き上げるが、笑みにはならない。


「その上でのアドバイスを、させてもらおう思うとるわ」


美桜は、その言葉を胸の奥で受け止めた。

それは協力でも、容認でもない。

危険を知り尽くした者が、それでもなお差し出す“責任”だった。


藤原博士は、ぱん、と一度だけ手を叩いた。


その音が合図のように、重く沈んでいた空気を断ち切る。


「はい、この話はもうしまいや」


少しだけ声色を変え、いつもの調子に戻そうとする。


「まだな、ワイのとこに情報提供の依頼が来とるだけやさかい」


三人の顔を順に見渡しながら、続けた。


「もしかしたらやけど……」


ほんの一瞬、言葉を選ぶように間を置く。


「いざとなったら、あんたらに協力をお願いせんとあかん時が来るかもしれへん」


ニックが小さく舌打ちし、藤堂は視線を伏せたまま無言で受け止める。

美桜だけが、まっすぐ藤原博士を見ていた。


「そうなったらや」


藤原博士は、軽く肩をすくめる。


「改めて、正式にお願いするわ」


それ以上は何も言わなかった。

だが、その言葉の裏にある重みは、全員が理解していた。


――協力要請が来るということは、

事態が“研究”の段階を越えたという意味だ。


藤原博士は踵を返し、ラボの奥へ向かいながら、ぽつりと付け加える。


「せやから今日は、ここまでや。

余計な心配しても、今はしゃあない」


その背中は、どこか以前よりも小さく見えた。


残された三人は、しばらく言葉を交わさずに立ち尽くしていた。

朝の光は相変わらずラボを照らしているのに、

その中にいる彼らだけが、少し先の未来を見据えてしまったかのようだった。


――また、カルナが世界を動かし始めている。


その事実だけが、確かに胸の奥に残っていた。

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