第24話 奪い返した力
「ほな……行こか」
藤原博士が、ひとつ手を打つようにして、美桜とニックへ向き直った。
「あの二人は、まだしばらく手が離せんやろ。お二人は、ワシについてきてくれると助かるんやが」
「了解や」
ニックが即座に応じる。
美桜も、小さく頷いた。
藤原博士を先頭に、一行は研究施設の正面玄関へ向かう。厚みのある自動ドアが、無音で左右に開いた。
その瞬間だった。
「……っ」
美桜の喉から、思わず声が漏れる。
エントランスホールの正面。最も広く、最も天井の高い空間に――巨大なホルマリン漬けが、鎮座していた。
透明な円筒の中に浮かぶそれは、異様な生物だった。
全長はおよそ三メートル。
身体は無数の節で区切られ、形状は、昨日カルナ・フロラで襲撃された百足型サーヴィターを思わせる。だが、決定的に違う点があった。
節から伸びているのは、脚ではない。羽だ。
一つの節から、片側に二枚。左右合わせて、四枚ずつ。蜻蛉を思わせる、透明で、それでいて要所に骨格を持つ羽根が、規則正しく並んでいる。
ビニール傘のように薄く、だが脆さを感じさせない構造。巨大な二つの複眼が、無言のままこちらを見下ろしていた。
美桜は、完全に目を奪われていた。
その背後から、藤原博士の声がかかる。
「お嬢ちゃんは……見るのは初めてかい」
美桜は、はっとして博士を見る。
「は、はい……」
藤原博士は、ホルマリン越しの標本を見上げながら続けた。
「カルナ・サーヴィターのゼロ号標本や。カルナが地球に襲来して、地球上の遺伝子情報を取得する前の個体でな。観測隊が回収した、最初のサーヴィターや」
美桜の唇が、わずかに震える。
「……これが……」
藤原博士は、満足そうに頷いた。
「お嬢ちゃん、よう見てごらん。何か、気が付くことはあるかい?」
促され、美桜は改めて標本に視線を戻す。そして、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「四国で見る飛行型サーヴィターは……カゲロウ型や……昨日、初めて蝶型のサーヴィターも見ました」
一度、息を整える。
「でも、どれも、こんなに大きくありません。せいぜい……バレーボールくらいの大きさだって、教わっています」
藤原博士は、『正解や』と言わんばかりに、片目を瞑ってみせた。
「サーヴィターはな、基本的には遺伝子情報を取得した生体の形状を模倣し、そのままの形で大型化しとる」
博士は、軽く指を立てる。
「だが、それには大きな問題がある。例えば――人間が、そのまま二倍の大きさになったとしよう」
博士は、淡々と続ける。
「体重は体積に比例する。つまり、八倍や。だが、足の断面積は四倍にしかならん。 支えきれんのや」
美桜は、思わず息を呑んだ。
「カルナ・サーヴィターも、それは同じや。ではなぜ、カルナ・サーヴィターは元の虫の形を保ったまま、巨大化できとるのか」
そこで、ニックが口を挟んだ。
「それを実現しとるんが……カルナ・サーヴィターの甲殻と、カルナ筋束……いうわけやな」
藤原博士は、ぱっと顔を明るくした。
「おお、ニコラス。勉強しとるやないか」
ニックは、少し得意げに笑う。
「せやけどな……」
藤原博士は、再び標本へ視線を戻した。
「飛行する虫の羽根も、同じ理屈でな。大型になると、飛べなくなるんや。そのままの形状で大きくなってしもたら、羽の面積が足らんのや」
その言葉に、美桜がすぐ応じる。
「……だから、カゲロウ型や蝶型サーヴィターは、小型のサーヴィターなんですね」
美桜の声は、確信を帯びていた。
藤原博士は、ゆっくりと息をつくようにして続けた。
「カルナはな……恐らくやが、地球に来る前は、この星ほど重力の強い惑星を経験しとらんかったんやろな」
博士の指先が、標本の胴体をなぞるように動く。
「この個体には、見ての通り足がない。飛ぶための羽根はあっても、この地球の重力下では機能せん。結果として――飛ぶことも、這い回ることもできず、地中で、ただ蠢いとっただけやそうや」
美桜は、言葉を失ったまま標本を見つめ続ける。
「せやからな」
藤原博士は、淡々と告げた。
「当時は、まだロクな装備も揃っとらんかった調査隊でも、回収することができたんや」
藤原博士は言葉を切り、ゆっくりと美桜へ視線を向ける。
「お嬢ちゃん。……もう一つ、気が付くことはないかい?」
博士の声が、少しだけ低くなる。
「特に――こいつの頭部に、注目してみてや」
言われるまま、美桜は視線を上へ移す。巨大な複眼。その周囲。
――そこで、はっきりと違和感が形を結んだ。
「……っ」
息を呑む。
「カルナ・サーヴィターの……五眼が……無い……」
その言葉に、藤原博士は満足そうに頷いた。
「そうなんや」
博士は、軽く背中に手を回しながら続ける。
「今のサーヴィターはな、蟻型はもちろん、蟷螂型、カゲロウ型に至るまで、確認されとる全個体に五眼がある」
標本を見上げる。
「だが、このゼロ号標本には……それが、ない」
博士は、わずかに目を細めた。
「地球上に、五つの眼を持つ生物など存在せん。それでも、今のサーヴィターは、すべて五眼を備えとる……不思議やろ」
静かな沈黙が、エントランスを満たす。
「カルナ・サーヴィターにはな、まだ解っとらんことが、山ほどある」
藤原博士の声には、研究者としての確信が滲んでいた。
「せやが――スサノヲを構成するカルナ筋束。装甲の材質であるカルナイト」
博士は、ゆっくりと美桜を見る。
「カルナを研究した結果、この研究所で生まれ、人類が実現できた技術も、すでに多く存在しとる」
博士はわずかに言葉を切り、静かに続けた。
「今、与島基地で配備されとるスサノヲのカルナ筋束はな……すべて、このゼロ号標本をベースに研究し、培養して製造された筋束なんや」
その言葉が、静かに胸へ沈み込む。美桜は、改めて標本を見上げた。
かつて、地中で、何もできずに蠢いていた存在。それが――今、人類を支える力の礎になっている。
研究所の静寂が、その事実の重さだけを、雄弁に語っていた。
「……もう一つな、ちょいと面白いもんを見せたろか」
藤原博士はそう言って、踵を返した。
「こっち来てみ」
誘われるままに進んだ先にあったのは、エントランスホールの一角に据え付けられた、簡素な実験装置だった。
金属フレームに、カートリッジが嵌まる円筒状のソケット。そこから電線が伸び、脇の電池ボックスへと繋がっている。
ソケットの先には、一本のワイヤー。
その先端に、無骨な重りが吊り下げられていた。
――五キログラム。
そう、はっきりと表示されている。
「なに、難しい話やあらへん」
藤原博士は、肩をすくめる。
「小学校でやる実験と、そう大して変わらん」
博士は装置を指し示した。
「ここにな、カルナ筋束のカートリッジが嵌まるようになっとる。用意しとるんは三種類や」
棚から、三本のカートリッジを取り出す。
「まずはこれや。試験用で、水に浸しただけのカルナ筋束。それから、この白いの。カルナイトの中に、カルナ・サーヴィターの酸と筋束を一緒に封じたもん。最後が……スサノヲに使われとるんと、同じカルナ筋束や」
藤原博士が検査装置に電池ボックスを指さした。
「これらの筋束に、今からこの乾電池で電流をかけるとどうなるか」
美桜の目に簡素な電池ボックスが映った。
「……乾電池、一本だけ……?」
「せや」
藤原博士は、最初のカートリッジ――水中の筋束を装置に取り付けた。電池ボックスのスイッチを、静かに入れる。
ぎ……、と微かな音。
次の瞬間、五キロの重りが、ゆっくりと持ち上がった。
「……!」
美桜の目が、見開かれる。
博士がスイッチを切ると、筋束は弛緩し、重りは元の位置へ戻った。
「まあ、こんな具合やな」
藤原博士は、淡々と告げる。
「カルナ筋束いうんはな、従来の技術とは比べもんにならんくらい、ごく弱い電力で、大きな動力を出せるんや」
だが、と。
博士は再びスイッチを入れ、切り、入れ、切り……と操作を繰り返した。数回目で、筋束は――動かなくなった。
重りは、ぴくりとも反応しない。
「……」
美桜は、無意識に唇を噛む。
藤原博士が、ゆっくりと口を開いた。
「これがな、この筋束の弱点や」
博士は、停止した筋束を見下ろす。
「何の対策もせんと使うたら、数回で細胞が死んでまう」
博士は筋束に目を落としたまま、短く間を置いて言った。
「ほな、なんでカルナ・サーヴィターは、あない長いこと動けとると思う?」
美桜が答える前に、博士は白いカートリッジを持ち上げた。
「その答えが、これやな」
白いカートリッジを装置に装着し、スイッチを入れる。再び、重りが持ち上がる。
一度、二度、三度――何度繰り返しても、筋束は収縮をやめない。
「カルナ筋束はな、カルナの酸の中で使うと、その酸を消費して、傷んだ細胞を修復する性質があるんや」
藤原博士は、美桜を見る。
「カルナ・サーヴィターが、定期的にカルナ・フロラで酸を補給しとる理由やな」
だが、と博士は続けた。
「カルナの酸いうんはな、扱いがだいぶ厄介や。カルナイト以外のもんは、ほぼ全部溶かしてまう」
ニックが、低く唸る。
「スサノヲに積んだら……」
「せや」
藤原博士は頷いた。
「敵の攻撃で破損したら、それで終いや。下手したら、液漏れ起こして自滅や。そないな部品、実戦兵器には使われへん」
そして、博士は最後の一本を手に取った。
「……そこでや、これが出てくる」
装置に差し替えられたカートリッジ。
「スサノヲに採用されとるカルナ筋束や。こいつはな、この研究所の成果や」
スイッチが入る。重りは、何事もなかったかのように持ち上がった。何度繰り返しても、衰えは見えない。
その動きに――美桜の胸の奥で、何かが静かに結びついた。
さっき見上げた、あのゼロ号標本。地中で、何もできずに蠢いていた存在。
――そこから、生まれたもの。
自分が乗っていた機体。キルシュを動かしていた、あの力も。
すべては、同じ根から来ている。
「培養の段階でな、特殊な細胞を加えとる」
藤原博士の声には、抑えきれない誇りが滲んでいた。
「カルナの酸がのうても、即座に傷んだ細胞を修復する。理論上は――無限に使える筋束や」
美桜は、動き続ける重りを見つめながら、息を詰めた。
それは、兵器の話であると同時に――人類が、カルナから奪い返した力の証明だった。




