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第25話 秘匿領域

藤原博士は、軽く咳払いをしてから口を開いた。


「まぁ……別に、今すぐ決めんといけん事やない」


少しだけ声音を緩める。


「ワシも今日はニコラスと用事もあるさかいな。

泊まって帰る予定なんやろ?」


美桜とニックを交互に見て、肩をすくめた。


「せやから、今晩はゆっくり考えたらええわ。

急いで決める話やない」


その言葉に、張り詰めていた空気が、わずかに弛む。


――と、そのとき。


「……博士」


控えめな声とともに、隔壁の向こうから足音が近づいた。


開いた扉の向こうに立っていたのは、顔色を戻しきれないままの藤堂だった。

額に浮いた薄い汗をそのままに、深く頭を下げる。


「急に、すいませんでした」


藤原博士は、ちらりと彼を見てから、気にも留めない風を装う。


「ふむ。別に構わんのやが……なんかあったんか?」


藤堂は一瞬、言葉を探すように視線を伏せ、やがて、ぽつりと語り始めた。


「……いえ。さっきの映像を見た瞬間にですね」


喉を鳴らし、続ける。


「息子が……まだ、妻のお腹にいた頃に見た映像と、重なってしまって……」


その声は、決して震えてはいなかった。だが、抑え込もうとしている感情が、滲んでいる。


「自分でも気づかないうちに、息子と……カルナを、重ねて見てしまっていたんです」


短く、息を吐く。


「……それに気づいた瞬間、急に、吐き気がしてしまいました」


研究室に、沈黙が落ちた。


藤原博士は、しばらく何も言わずに藤堂を見つめていたが、やがて、静かに口を開いた。


「……そうか」


声は、いつになく低い。


「まぁ……それは、無理もないことかもしれんな」


一歩、藤堂に近づき、言葉を続ける。


「藤堂はん、やったかな。

カルナは……家族を奪った、憎き相手やもんなぁ」


その言葉に、藤堂は何も返さなかった。

ただ、唇を引き結び、小さく頷く。


藤原博士は、ふむふむ、と大きく頷いてから、くるりと真理子の方を振り返った。


「真理子ちゃん」


「はい」


「藤堂はんと、篠宮ちゃん、それからニコラスの三人分な」


指を折って数えながら言う。


「来客用の宿泊施設、確保してくれんか?」


「博士。そんなもの、今朝のうちに既に押さえてあります」


即答だった。

藤原博士が、目を丸くする。


「……は?」


真理子は、何事もないように続けた。


そして、藤堂の方を向き直る。


「お食事は、施設内の食堂をご利用ください。

後ほど、改めてご案内いたします」


さらに、美桜へと視線を移す。


「藤堂さまと篠宮さま。お名前をお伝えいただければ、請求は自動的に藤原の給料から天引きされるよう、すでに手配しておりますので」


一拍。


「……遠慮なく、お召し上がりくださいね」


その瞬間。


「んな殺生なぁぁぁ〜〜!!」


藤原博士の悲鳴が、コンクリートの天井に反響した。


「ワシの給料、研究費ちゃうんやぞ!?生活費や、生活費ぃ!」


真理子は、ちらりと冷たい視線を向ける。


「博士。経費申請すれば、半分は戻ります」


「半分かい!」


そのやり取りに、美桜は思わず、ほんの少しだけ口元を緩めた。


張り詰めていた胸の奥が、わずかに解ける。


藤原博士は、やれやれと肩を落とすと、今度はニックの方を振り返った。


「……じゃあ、ニコラス」


親指で背後を示す。


「今から、一番ラボに着いてきてくれるか?」


ニックは、待ってましたとばかりに笑顔を浮かべる。


「了解や、藤原博士」


軽く手を挙げ、振り返る。


「ほな、美桜ちゃん。晩飯までには戻るさかいな」


そう言い残し、博士と並んで研究室を後にした。


隔壁が閉じる。


再び、低く唸る空調音だけが残った。


美桜は、静かにモニターへ視線を戻す。

卵の淡い光が、また一度、脈打った。


答えを急かすことも、求めることもなく。

しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。


低く唸る空調音と、遠くで脈打つ機械音だけが、研究室を満たしている。


やがて――

藤堂が、慎重に口を開いた。


「……遠藤さん」


真理子は、操作卓のモニターから視線を外さずに応じる。


「はい。何でしょうか」


藤堂は一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、続けた。


「藤原博士とニックが向かった……一番ラボですが」


視線を、閉じた隔壁へと向ける。


「一体、どんな研究をしている場所なんですか?」


真理子は、指先の操作を止め、ゆっくりと藤堂の方を振り返った。


「一番ラボ、ですか」


小さく息を吐く。


「……そうですね」


わずかに言葉を探すような間があった。


「一番ラボは――

藤原博士が、現行の“カルナ筋束”を生み出したラボです」


その言葉に、藤堂の表情が強張る。


「……あの、筋束を」


「はい」


真理子は淡々と頷いた。


「現在、スサノヲに組み込まれているカルナ筋束。

あれはすべて、一番ラボの成果です」


少しだけ、声を落とす。


「藤原博士が開発したカルナ筋束に添加されている細胞については……

国家レベルの機密情報でして」


肩をすくめる。


「私も含めて、ラボの外にいる人間は、具体的にどんな研究がなされているのか、把握していません」


事実だけを並べるような口調だった。

藤堂は、低く唸るように息を吐く。


「……そう、ですか」


そして、少し躊躇ったあと、さらに踏み込んだ。


「でも……」


視線を、今度は真理子へ向ける。


「その一番ラボに、ニックと一緒に向かった、ということは……」


言葉を区切り、静かに続ける。


「藤原博士とニック……

一体、どんな関係なんでしょうかね……?」


真理子は、ほんの一瞬だけ、目を細めた。


そして、次の瞬間。


「さぁ~?」


驚くほど軽い声で、そう返した。

肩をすくめ、口角を上げる。


「どうなんでしょうかねぇ~?」


わざとらしいほど、朗らかに。


「遠い親戚……とか?」


首を傾げてみせる。


「……なわけ、ないですよねぇ~?」


そして、乾いた笑いを零す。


「ははははは~」


その笑い声は、研究室の無機質な空間に、少しだけ浮いていた。


藤堂は、その様子を黙って見つめていたが、それ以上、踏み込むことはしなかった。

代わりに、視線をモニターへ戻す。


卵の淡い光が、また一度、ゆっくりと明滅する。


まだ生まれていない存在は、何も語らず、ただ静かに――

そこに在り続けていた。


――一方。


一番ラボの研究室には、ニックと藤原博士の二人だけがいた。


室内は四番ラボとは違い、照明は薄暗く、どこか雑然としている。


作業台の上には、試験用のカルナ筋束のサンプル。

シャーレに乗せられた複数の細胞培養体。

解析途中のまま放置されたモニターの光が薄く辺りを照らす。


研究の「現場」というより、研究者の「巣」と言った方が近い。


「ちょいどけるで」


藤原博士は、机の上のサンプルを大雑把に端へ寄せると、消毒用のスプレーを一吹きし、ニックの腕を取った。


「ほな、いくで」


「おう」


針が入る。

ニックは眉一つ動かさない。


数秒後、採血用のチューブが赤く満たされていく。

藤原博士はそのまま計器に血液サンプルをセットし、数値を確認した。


「……ふむ」


モニターを覗き込み、軽く鼻を鳴らす。


「血中のカルナ細胞濃度、ちょい高めやな」


ちらりとニックを見る。


「少し張り切りすぎたか?ニコラス」


ニックは肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。


「あ~……この前の出撃でな」


頭の後ろを掻く。


「ちょっと張り切りすぎたかもしれへん。

せやかて、藤堂のおっさんがもう正に鬼神そのもんでな」


思い出したように目を細める。


「凄まじい気迫やったから、つい触発されてしもたわ」


「はっはっはっ」


藤原博士が声を立てて笑う。


「ニコラスにそこまで言わせるんやったら、相当なもんなんやろな」


操作卓を叩きながら、何気ない調子で続けた。


「ところでニコラス。薬は……

毎日、ちゃんと飲んどるんやろな?」


ニックは即答だった。


「そりゃあもちろんやで」


胸を張る。


「朝寝坊して朝飯抜いても、薬だけはちゃんと飲んどる」


「よろしい」


藤原博士は、満足そうに何度も頷いた。


「それが命綱やからな。飲み忘れだけは、マジに洒落にならん」


そのとき――

ニックが、ふと真面目な表情に戻った。


「ところでな、藤原博士」


「ん?」


「今日、一緒に来てた美桜ちゃんやけど……」


藤原博士は、計器から目を離さないまま、即座に答えた。


「彼女が“特異点”なんやろ?」


ニックは、思わずにやりと笑う。


「さすがやね。藤原博士」


「まぁな」


博士は肩をすくめる。


「小田桐はんが、理由も無う人をワイのとこに寄越すわけないわ」


一拍。


ニックは、少し言い淀んでから、続けた。


「せやな……あと、もう一つ気になるんが、藤堂のおっさんなんやけどな……」


視線を落とす。

藤原博士は、片眉をすっと上げた。


「目の能力か?」


一拍。


「言うてニコラス、藤堂はんの右目――

アレは義眼やろ」


その言葉に、ニックは思わず呻くような声を漏らし、

両手で頭を抱えた。


「……せや。

せやけどなぁ~……」


指の隙間から、天井を見上げる。


「それでも、や。

説明つかへん“違和感”があるんや」


歯切れの悪い声。

藤原博士は、ふむ、と短く唸った。


「まぁな。急いだところで、何かが変わるわけやない」


軽く手を振る。


「また何か解ったら、そのとき教えてくれればええわ」


そう言ってから、端末を操作し、処方データを呼び出す。


「ほいでや、ニコラス」


新しい薬剤カートリッジを取り出す。


「薬は、また新しいヤツ処方しとくさかい」


ニックを見る。


「明日からは、こっちを飲んでくれるか?」


ニックは、迷いなく頷いた。


「了解や、藤原博士」


薬を受け取り、立ち上がる。


一番ラボの奥で、培養槽の中の細胞が、かすかに揺らいだ。

それを見つめながら、藤原博士は、誰にともなく小さく呟いた。


「……ほんまに、面倒なもんばっかり集まってきよるな」


その声は、機械音に紛れて、静かに消えていった。

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