第23話 奪い返した力
「ほな……行こか」
藤原博士が、ひとつ手を打つようにして、美桜とニックへ向き直った。
「あの二人は、まだしばらく手が離せんやろ。
お二人は、ワシについてきてくれると助かるんやが」
「了解や」
ニックが即座に応じる。
美桜も、小さく頷いた。
藤原博士を先頭に、一行は研究施設の正面玄関へ向かう。
厚みのある自動ドアが、無音で左右に開いた。
その瞬間だった。
「……っ」
美桜の喉から、思わず声が漏れる。
エントランスホールの正面。
最も広く、最も天井の高い空間に――
巨大なホルマリン漬けが、鎮座していた。
透明な円筒の中に浮かぶそれは、異様な生物だった。
全長はおよそ三メートル。
身体は無数の節で区切られ、形状は、昨日カルナ・フロラで襲撃された百足型サーヴィターを思わせる。
だが、決定的に違う点があった。
節から伸びているのは、脚ではない。
羽だ。
一つの節から、片側に二枚。
左右合わせて、四枚ずつ。
蜻蛉を思わせる、透明で、それでいて要所に骨格を持つ羽根が、規則正しく並んでいる。
ビニール傘のように薄く、だが脆さを感じさせない構造。
巨大な二つの複眼が、無言のままこちらを見下ろしていた。
美桜は、完全に目を奪われていた。
その背後から、藤原博士の声がかかる。
「お嬢ちゃんは……見るのは初めてかい」
美桜は、はっとして博士を見る。
「は、はい……」
藤原博士は、ホルマリン越しの標本を見上げながら続けた。
「カルナ・サーヴィターのゼロ号標本や。
カルナが地球に襲来して、地球上の遺伝子情報を取得する前の個体でな。
観測隊が回収した、最初のサーヴィターや」
美桜の唇が、わずかに震える。
「……これが……」
藤原博士は、満足そうに頷いた。
「お嬢ちゃん、よう見てごらん。
何か、気が付くことはあるかい?」
促され、美桜は改めて標本に視線を戻す。
そして、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「四国で見る飛行型サーヴィターは……カゲロウ型や……
昨日、初めて蝶型のサーヴィターも見ました」
一度、息を整える。
「でも、どれも、こんなに大きくありません。
せいぜい……バレーボールくらいの大きさだって、教わっています」
藤原博士は、『正解や』と言わんばかりに、片目を瞑ってみせた。
「サーヴィターはな、基本的には遺伝子情報を取得した生体の形状を模倣し、そのままの形で大型化しとる」
博士は、軽く指を立てる。
「だが、それには大きな問題がある。
例えば――人間が、そのまま二倍の大きさになったとしよう」
博士は、淡々と続ける。
「体重は体積に比例する。つまり、八倍や。
だが、足の断面積は四倍にしかならん。
支えきれんのや」
美桜は、思わず息を呑んだ。
「カルナ・サーヴィターも、それは同じや。
ではなぜ、サーヴィターは元の虫の形を保ったまま、巨大化できとるのか」
そこで、ニックが口を挟んだ。
「それを実現しとるんが……
カルナ・サーヴィターの甲殻と、カルナ筋束……いうわけやな」
藤原博士は、ぱっと顔を明るくした。
「おお、ニコラス。勉強しとるやないか」
ニックは、少し得意げに笑う。
「せやけどな……」
藤原博士は、再び標本へ視線を戻した。
「飛行する虫の羽根も、同じ理屈でな。
大型になると、飛べなくなるんや。
そのままの形状で大きくなってしもたら、羽の面積が足らんのや」
その言葉に、美桜がすぐ応じる。
「……だから、カゲロウ型や蝶型サーヴィターは、小型のサーヴィターなんですね」
美桜の声は、確信を帯びていた。
藤原博士は、ゆっくりと息をつくようにして続けた。
「カルナはな……恐らくやが、地球に来る前は、この星ほど重力の強い惑星を経験しとらんかったんやろな」
博士の指先が、標本の胴体をなぞるように動く。
「この個体には、見ての通り足がない。
飛ぶための羽根はあっても、この地球の重力下では機能せん。
結果として――飛ぶことも、這い回ることもできず、地中で、ただ蠢いとっただけやそうや」
美桜は、言葉を失ったまま標本を見つめ続ける。
「せやからな」
藤原博士は、淡々と告げた。
「当時は、まだロクな装備も揃っとらんかった調査隊でも、回収することができたんや」
一拍置いて、博士は美桜へ視線を向ける。
「お嬢ちゃん。
……もう一つ、気が付くことはないかい?」
博士の声が、少しだけ低くなる。
「特に――こいつの頭部に、注目してみてや」
言われるまま、美桜は視線を上へ移す。
巨大な複眼。その周囲。
――そこで、はっきりと違和感が形を結んだ。
「……っ」
息を呑む。
「カルナ・サーヴィターの……五眼が……無い……」
その言葉に、藤原博士は満足そうに頷いた。
「そうなんや」
博士は、軽く背中に手を回しながら続ける。
「今のサーヴィターはな、蟻型はもちろん、蟷螂型、カゲロウ型に至るまで、確認されとる全個体に五眼がある」
標本を見上げる。
「だが、このゼロ号標本には……それが、ない」
博士は、わずかに目を細めた。
「地球上に、五つの眼を持つ生物など存在せん。
それでも、今のサーヴィターは、すべて五眼を備えとる……
不思議やろ」
静かな沈黙が、エントランスを満たす。
「カルナ・サーヴィターにはな、まだ解っとらんことが、山ほどある」
藤原博士の声には、研究者としての確信が滲んでいた。
「せやが――
スサノヲを構成するカルナ筋束。
装甲の材質であるカルナイト」
博士は、ゆっくりと美桜を見る。
「カルナを研究した結果、この研究所で生まれ、人類が実現できた技術も、すでに多く存在しとる」
一拍。
「今、与島基地で配備されとるスサノヲのカルナ筋束はな……
すべて、このゼロ号標本をベースに研究し、培養して製造された筋束なんや」
その言葉が、静かに胸へ沈み込む。
美桜は、改めて標本を見上げた。
かつて、地中で、何もできずに蠢いていた存在。
それが――
今、人類を支える力の礎になっている。
研究所の静寂が、その事実の重さだけを、雄弁に語っていた。
「……もう一つな、ちょいと面白いもんを見せたろか」
藤原博士はそう言って、踵を返した。
「こっち来てみ」
誘われるままに進んだ先にあったのは、エントランスホールの一角に据え付けられた、簡素な実験装置だった。
金属フレームに、カートリッジが嵌まる円筒状のソケット。そこから電線が伸び、脇の電池ボックスへと繋がっている。
ソケットの先には、一本のワイヤー。
その先端に、無骨な重りが吊り下げられていた。
――五キログラム。
そう、はっきりと表示されている。
「なに、難しい話やあらへん」
藤原博士は、肩をすくめる。
「小学校でやる実験と、そう大して変わらん」
博士は装置を指し示した。
「ここにな、カルナ筋束のカートリッジが嵌まるようになっとる。
用意しとるんは三種類や」
棚から、三本のカートリッジを取り出す。
「まずはこれや。試験用で、水に浸しただけのカルナ筋束。
それから、この白いの。カルナイトの中に、カルナ・サーヴィターの酸と筋束を一緒に封じたもん。
最後が……スサノヲに使われとるんと、同じカルナ筋束や」
藤原博士が検査装置に電池ボックスを指さした。
「これらの筋束に、今からこの乾電池で電流をかけるとどうなるか」
美桜の目に簡素な電池ボックスが映った。
「……乾電池、一本だけ……?」
「せや」
藤原博士は、最初のカートリッジ――水中の筋束を装置に取り付けた。
電池ボックスのスイッチを、静かに入れる。
ぎ……、と微かな音。
次の瞬間、五キロの重りが、ゆっくりと持ち上がった。
「……!」
美桜の目が、見開かれる。
博士がスイッチを切ると、筋束は弛緩し、重りは元の位置へ戻った。
「まあ、こんな具合やな」
藤原博士は、淡々と告げる。
「カルナ筋束いうんはな、従来の技術とは比べもんにならんくらい、ごく弱い電力で、大きな動力を出せるんや」
だが、と。
博士は再びスイッチを入れ、切り、入れ、切り……と操作を繰り返した。
数回目で、筋束は――動かなくなった。
重りは、ぴくりとも反応しない。
「……」
美桜は、無意識に唇を噛む。
藤原博士が、ゆっくりと口を開いた。
「これがな、この筋束の弱点や」
博士は、停止した筋束を見下ろす。
「何の対策もせんと使うたら、数回で細胞が死んでまう」
一拍。
「ほな、なんでカルナ・サーヴィターは、あない長いこと動けとると思う?」
美桜が答える前に、博士は白いカートリッジを持ち上げた。
「その答えが、これやな」
白いカートリッジを装置に装着し、スイッチを入れる。
再び、重りが持ち上がる。
一度、二度、三度――
何度繰り返しても、筋束は収縮をやめない。
「カルナ筋束はな、カルナの酸の中で使うと、その酸を消費して、傷んだ細胞を修復する性質があるんや」
藤原博士は、美桜を見る。
「カルナ・サーヴィターが、定期的にカルナ・フロラで酸を補給しとる理由やな」
だが、と博士は続けた。
「カルナの酸いうんはな、扱いがだいぶ厄介や。
カルナイト以外のもんは、ほぼ全部溶かしてまう」
ニックが、低く唸る。
「スサノヲに積んだら……」
「せや」
藤原博士は頷いた。
「敵の攻撃で破損したら、それで終いや。
下手したら、液漏れ起こして自滅や。
そないな部品、実戦兵器には使われへん」
そして、博士は最後の一本を手に取った。
「……そこでや、これが出てくる」
装置に差し替えられたカートリッジ。
「スサノヲに採用されとるカルナ筋束や。
こいつはな、この研究所の成果や」
スイッチが入る。
重りは、何事もなかったかのように持ち上がった。
何度繰り返しても、衰えは見えない。
「培養の段階でな、特殊な細胞を加えとる」
藤原博士の声には、抑えきれない誇りが滲んでいた。
「カルナの酸がのうても、即座に傷んだ細胞を修復する。
理論上は――無限に使える筋束や」
美桜は、動き続ける重りを見つめながら、息を詰めた。
それは、兵器の話であると同時に――
人類が、カルナから“奪い返した”力の証明だった。




