第22話 象徴の地
四国にカルナが落下して以来、この地域は、否応なく戦場へと変わった。
明石海峡大橋は計画的な分断措置により封鎖され、しまなみ海道も来島海峡大橋の喪失によって、戦略上の価値を失った。
本州と四国を結ぶルートは、事実上――瀬戸大橋のみ。
それは、単なる交通インフラではなくなった。
人類側の補給、兵力展開、避難経路。
あらゆる生命線が、その一本に集約された。
結果として、与島基地は前線基地となった。
瀬戸大橋のたもとに位置するこの島は、四国への侵入を防ぐ防波堤であると同時に、本州側からの反攻拠点として、最優先で再編・強化されていった。
岡山県内には、次々と軍事的拠点が配備されていった。
だが、それらはあくまで前線運用を担うための拠点である。
スサノヲのような大型兵器について、製造・整備・研究を担う拠点を前線に近接配置することは、それ自体がカルナの直接攻撃圏内に晒されることを意味していた。
そこで求められたのは、前線から一定の距離を保ちつつ、必要なときには瀬戸大橋を通じて迅速に兵器を送り出せる後方拠点だった。
カルナの影響を受けにくい地勢。
地下施設の構築に適した地盤。
そして、前線から適度な距離。
その条件を満たす地形として選ばれたのが、中国山地を隔てた山陰側――島根県と鳥取県である。
山地によってカルナの侵入圏から遮断され、なおかつ内陸輸送によって岡山・与島へ直結できる位置。
その優位性を活かし、国策であるスサノヲ・プロジェクトの一環として、工場、整備施設、研究所が段階的に整備されていった。
その中核を担う施設が――
島根第一研究所。
出雲地方に設けられたその研究所は、
現在運用されている中でも、随一の規模を誇っていた。
かつて、時の内閣総理大臣が、スサノヲ・プロジェクトの発足を大々的に宣言した場所。
希望と覚悟を同時に掲げ、人類が初めて“対抗手段を持った”と示した象徴でもある。
そして今――
その研究所へ向かって、一つの卵が運ばれようとしている。
いつの間にか、美桜は眠ってしまっていたらしい。
微かな減速の感覚と、路面の質が変わる振動に、はっと意識が浮上する。
目を開けると、フロントガラスの向こうには、高いフェンスと検問ゲートが連なる区画が迫っていた。
研究所の建物群が、奥へ奥へとひしめき合うように並んでいる。
「お、起きたか。よく眠れた?」
運転席のニックが、視線を離すことなく笑った。
「すみません、ニックさん」
美桜が反射的に頭を下げると、ニックは首を横に振った。
「気にせんでええよ。ずっと張り詰めとったんやろ。疲れが出ただけや。
もうすぐやし、まだ眠っとってもかまへんくらいやで」
そう言いながら、ニックはトレーラーを減速させた。
島根第一研究所は、出雲大社からほど近い場所にあった。
参道へと続く森は葉を落とし、社叢の影はくっきりと地面に刻まれている。
かつては深い森に覆われていたであろう土地を切り開き、しかし完全には失われていない緑が、建物の合間に丁寧に残されている。
無機質な研究施設の群れの中に、どこか神域めいた静けさが漂っていた。
ゲート前でトレーラーが停止する。
ニックが窓を下ろし、守衛に声をかけた。
「与島基地からや。小田桐司令の指示で、カルナの卵を運んできとる。どこに持って行けばええ?」
守衛は即座に端末を確認し、頷いた。
「寒い中遠路はるばるご苦労様です。伺っております。この先を直進していただき、Dの符号のラボ前駐車区画でお待ちください。担当者が向かいます」
「了解」
ニックが短く応じると、重厚なゲートが静かに開きはじめた。
トレーラーをゆっくりと再び走り出させる。
両脇には、巨大で近代的な研究棟が立ち並んでいる。
コンクリートとガラスの建築の間には、計算された植栽が配置され、無機質さを和らげていた。
指定された区画で車を停め、しばらく待っていると、ニックの視線がふと一点に留まった。
「……おや」
ドアを開け、運転席から降りたニックが、小走りで近づいていく。
「まさか藤原博士が、わざわざ迎えに出てきてくれるとは思わんかったわ」
声をかけられた初老の男が、肩をすくめて笑った。
「おうおう、ニコラス。聞いとるで。今回は、えらい厄介な荷物を運んできたらしいやないか」
そのやり取りの傍へ、美桜と藤堂も歩み寄る。
藤堂が、小声でニックに尋ねた。
「ニック……この方は、もしかして……」
「ああ。藤堂のおっさんなら知っとるやろ」
ニックは、誇らしさと緊張が入り混じった表情で続ける。
「カルナ研究の第一人者が二人おるやろ。そのうちの一人――
生物学の権威、藤原博士や」
その名前を聞いた瞬間、美桜の胸の奥が、ひそやかに強張った。
藤原博士。
カルナ研究の黎明期から名を連ね、敵を「解析対象」として初めて俎上に載せた人物。
資料や報告書の署名でしか知らなかった存在が、いま、目の前に立っている。
――この人が。
美桜は、思わず息を呑んだ。
この場所が、ただの研究施設ではないことを。
そして、自分たちが運び込んだ“卵”が、どれほど重大な意味を持つ存在なのかを――
その場に立つだけで、否応なく突きつけられている気がした。
藤堂が一歩前に出て、背筋を正した。
「藤原博士。与島基地所属、スサノヲパイロットの藤堂です。
トレーラー護送中は、スサノヲによる卵の監視をしていました。
卵は、どちらへ運びましょうか」
藤原博士は藤堂を上から下まで眺め、ふむ、と喉を鳴らす。
「ほうほう……お前さんが、長刀使いのサイクロプスのパイロットか。
ニコラスから聞いとるぞ」
そのまま顎に手を当て、首をひねった。
「それで……真理子ちゃんは、なんて言っとったかのう。
どこへ運ぶ言うとったか、ついさっきまで覚えとった気がするんじゃが……」
そのときだった。
重低音の駆動音が、建物の奥から近づいてくる。
地面を伝ってくる振動に、美桜は思わず身を強張らせた。
「もう……博士!
いつまで待っていればいいんですか!」
拡声器越しとは思えない、はっきりとした女性の声。
現れたスサノヲは、戦闘用のサイクロプスとは明らかに異なっていた。
装甲は簡素で、フレームの一部が剥き出しになっている。
「どうも~。与島基地の皆さんですね。
遠路はるばる、ご苦労さまです」
スサノヲが一歩前に出て、丁寧に上体を傾ける。
「藤原博士の助手をしております、遠藤真理子と申します」
美桜は、その所作に目を奪われた。
まさかお辞儀をするスサノヲを見せつけられるとは思わなかったが、その動作は美桜の眼から見ても非常にスムーズで無駄のない動きのように思えた。
「お客様を博士がお迎えに行くって言うから……
お会いしたら連絡くださいって、お願いしましたよね?」
声のトーンが、わずかに低くなる。
「そうじゃったかいのう……」
藤原博士は、悪びれもせずぼやいた。
スサノヲの胸部スピーカーから、真理子の声が響く。
「このラボ所属のスサノヲで、カルナの卵を受け取りに来ました」
そう言って、研究用スサノヲはゆっくりとトレーラーへ向き直る。
戦闘用とは違い、動きには威圧感よりも“作業機械”としての正確さがあった。
藤堂はスサノヲへ向けて声を上げる。
「与島基地の藤堂です。
卵の運搬、こちらのスサノヲで支援します」
「助かります!」
遠藤が即座に応じた。
「それじゃあ、研究所のネットワークに登録しますね……
――はい、完了です。
これで、トレーラーのキャビンから無線で操作できるはずです」
「ありがとうございます」
短く礼を返す藤堂。
二機のスサノヲが、呼吸を合わせるように動き出す。
慎重に、慎重に――
卵は研究施設の巨大なシャッターの奥へと運び込まれていった。




