第21話 明けきらない朝
翌朝。
与島基地の居住区に、朝の光が静かに差し込んでいた。
夜の冷えはまだ床に残っている。窓際の空気は乾いており、陽が差しているにもかかわらず、指先の温度は戻りきらない。
美桜の自室は簡素だった。
最低限の家具と、整えられた私物。
だが、その空間に漂う静けさは、安らぎというよりも、まだ完全には明けきらない夜の名残だった。
美桜は、ベッドの上に座ったまま、しばらく動けずにいた。
眠れなかったわけではない。
短い時間ではあったが、確かに意識は落ちていた。
それでも――
アメノウズメの機体を通して伝わる微細な振動。
操縦席に身を固定していたハーネスの圧迫感。
ヘッドギアを装着していた肌の感覚。
それらが、まだ身体のどこかに残っているような気がしていた。
枕元の端末が、短く震える。
美桜は一拍置いてから、それを取った。
「……はい、篠宮です」
『篠宮か。佐伯だ』
聞き慣れた声だった。
『休めたか?』
少しだけ、探るような間がある。
「……はい。大丈夫です。ありがとうございます」
嘘ではなかった。
ただ、全部を言っていないだけだ。
『そうか』
一拍。
『……実は、俺のところに基地司令から連絡が入ってな』
わずかに、面倒くさそうな響き。
『ったく、朝っぱらからご苦労なこった』
美桜は、自然と背筋を伸ばしていた。
「……何か、御用でしょうか」
『ああ』
佐伯は、用件に入る。
『ヴァンガード隊は、準備でき次第、至急ハンガーに集合だ』
一瞬、言葉を切る。
『ハンガーにあるヴァンガード隊のアメノウズメ――
例の卵を積んだ機体にな』
美桜の指が、わずかに強く端末を握る。
『……篠宮、大丈夫か?』
「ありがとうございます。大丈夫です」
即答だった。
『そうか。無理はするなよ』
佐伯は、それ以上続けなかった。
通話を切り、美桜は端末を置く。
立ち上がり、洗面台の前に立つ。
鏡に映った自分の顔を見て、思わず小さく息を吐いた。
「……ひどい顔」
自嘲気味に呟く。
だが、次の瞬間、ほんのわずかに口元が緩んだ。
「……ふふ」
理由のない笑いだった。
顔を洗い、冷たい水で意識を引き戻す。
水は鋭く、手のひらの熱を一瞬で奪った。
髪を整え、制服に袖を通す。
最低限の準備を終え、美桜は部屋を出た。
ハンガーに到着した時、すでにヴァンガード隊の面々は揃っていた。
開放通路を抜ける間、白い息が足元に流れては消えていった。
藤堂、加納、ニック。
誰も無駄話はしていない。
「……遅くなって、申し訳ありません」
美桜がそう言うと、誰も責めるような反応はしなかった。
美桜は、視線を上げる。
回収ネットでアメノウズメの上に固定されたままの、あの卵。
その表面が――
淡い黄金色の光を、周期的に放っているのが見えた。
「……」
思わず、言葉を失う。
それを見上げていた小田桐が、静かに佐伯へ視線を向ける。
短い、無言の確認。
二人は、小さく頷き合った。
美桜が、口を開く。
「……何か、あったんですか」
佐伯が答える。
「昨日、卵を回収した時な。
それまで沈黙していたそれが……周期的な発光を始めた」
腕を組み、続ける。
「原因は、まだ分からん」
一拍。
「さっきまでは、発光していなかった」
佐伯の視線が、卵から美桜へ移る。
「それが……今、発光を始めた」
間。
「美桜。
お前がハンガーに来た時から……な」
その言葉に、誰も続けなかった。
卵は、静かに光を放ち続けている。
その淡い明滅を、誰も言葉を挟まずに見つめていた。
やがて、小田桐が口を開いた。
「――この卵は、カルナ・フロラの孵化場から持ち帰ったものだ」
低く、落ち着いた声だった。
「したがって、中身はカルナ・サーヴィターである可能性が高い」
事実を並べるだけの口調。
だが、その一言で、場の空気がわずかに引き締まる。
「しかしながら」
小田桐は、視線を卵へ向けたまま続ける。
「発見時の状況。
発光の色。
反応の周期――」
一つひとつ、区切るように言った。
「どれも、既存のサーヴィターの卵とは著しく異なる」
誰も異を唱えない。
「そこで、だ」
短く区切る。
「この卵の詳細調査を、島根第一研究所に依頼した。
手配は、すでに私の方で済ませてある」
その言葉に、ニックがわずかに眉を動かした。
「今から、中央通路に輸送トレーラーを回す」
小田桐は、淡々と指示を重ねる。
「ヴァンガード隊は、この卵をトレーラーに積み込んでくれ」
視線が、ニックに向く。
「ニック。
お前は島根第一研究所に用があるだろう。
運転手を頼みたい」
「……了解ですわ」
短く、間のない返答。
小田桐は、次に美桜を見る。
「この卵が、なぜ篠宮に反応するのかは不明だ」
一拍。
「だが、現時点では無視できない要素でもある」
その視線は、試すものではなかった。
責任を押し付けるものでもない。
「篠宮。
お前にも同行してもらう」
美桜は、一瞬だけ息を呑み、すぐに頷いた。
「……はい」
「卵とはいえ、中身はサーヴィターである可能性が高い」
小田桐は、最後に藤堂へ視線を移す。
「万が一に備える。
サイクロプスは卵とともにトレーラーへ積載。
藤堂は、常にスタンバイ状態で監視に当たれ」
「了解しました」
藤堂の声に、迷いはなかった。
「以上だ」
それ以上の説明はない。
命令は、すでに全員に届いていた。
卵は、変わらず光を放ち続けている。
佐伯が、短く息を吐いてから口を開いた。
「ヴァンガード隊。
アメノウズメに搭乗――さっさと積み込み作業を行うぞ」
その一言で、空気が切り替わる。
ハンガーの大型シャッターが、低い駆動音を立てて開き始めた。
外の光が差し込み、コンクリート床に長い影が伸びる。
同時に、冷え切った外気が流れ込み、金属の匂いをわずかに強めた。
ほどなくして、中央通路側から大型輸送トレーラーが姿を現した。
トレーラーの荷台には、すでにスサノヲを搭載するための固定フレームが組まれている。
幅は、ほとんど余裕がない。
だが――
運転席のキャビンとは別に、後方には逆向きに設けられた操縦用キャビンがあった。
遠隔操縦用のケーブル接続口が、無機質に口を開けている。
藤堂が、無言でサイクロプスを誘導する。
重装甲の脚部がトレーラーに乗った瞬間、
サスペンションが大きく沈み込んだ。
だが、それ以上は下がらない。
設計上の許容範囲――ぎりぎりだ。
藤堂はサイクロプスを座らせ、素早く固定を確認する。
続けて、トレーラー側の遠隔操縦用コネクタを機体へと接続した。
「……接続、完了」
低く、落ち着いた声。
一方で、佐伯がアメノウズメのウインチ操作に入る。
駆動音とともに、輸送用ネットのワイヤーがわずかに緩んだ。
ストライク・イーグルとジョーカーが、左右から卵を支える。
ネットに固定されたまま、慎重に――
極端な揺れが出ないよう、細かく姿勢を調整しながら前進する。
その間も、卵は――
淡い光を放ちながら、脈動していた。
まるで、心臓が打つように。
一定のリズムで、確かに“生きている”ことを主張するように。
藤堂がトレーラーの後部キャビンへ乗り込む。
「――ウインチ、作動」
トレーラー側のウインチが低く唸り、
卵はゆっくりと所定の位置へと引き込まれていく。
数秒後。
固定完了。
藤堂がキャビンから降り、
ハンドサインで合図を出した。
それを確認し、佐伯が短く報告する。
「ヴァンガード隊。
卵およびサイクロプスの積載――完了しました」
小田桐が、即座に応えた。
「確認した」
一拍。
「ニック、藤堂、篠宮の三名」
視線が、三人を順に捉える。
「一時間後、一〇〇〇。
与島基地を出発――島根第一研究所へ向かえ」
「了解」
重なる返答。
命令は、静かに、しかし確実に下された。
陽は高くなりつつあったが、光はただ明るいだけだった。
トレーラーの上で、卵はなおも脈動を続けている。
美桜は、その光から、まだ目を離すことができずにいた。




