第20話 帰路
三機のスサノヲが、自然とアメノウズメの周囲を固める。
前方、左右、後方。盾を構え、サーベルを下げ、センサーを張り巡らせたまま、一定距離を保って歩調を合わせる。その中心を、二隊のアメノウズメが進んでいた。
速度は抑えられている。追撃の気配はないが、誰も油断はしていない。
戦闘が終わったからではなく、終わったはずの戦闘が、まだ背中に貼りついているかのようだった。
ヴァンガード隊のアメノウズメの内部――操縦区画の静寂を、かすかな音が破っていた。
すすり泣き。
抑えきれず、呼吸の合間に漏れ出る、短く震えた音。ヘッドギアを着けたまま、美桜の肩が小さく揺れているのが分かる。
誰も、言葉を発しなかった。
ニックは、いつもの軽口を探すことすらしない。喉元まで何かがせり上がってきて、それ以上を押し出す余裕がなかった。
藤堂も、視線を前方に固定したまま、何も言わない。慰めは、今ここで口にする言葉が思いつかなかった。
アメノウズメの駆動音だけが、淡々と続く。
やがて――敷設していたアンテナが視界に入った。
その周囲に、待機していた影がある。
四機のアメノウズメと、十六基のスサノヲ。サポート隊だった。
本隊が目的を達成したという報告が届いた時点で、サポート隊の任務はすでに完了していた。
彼らに与えられていた任務は、アンテナを死守し、指示系統を保持し続けること。本隊が任務を終えた瞬間、その役目は果たされている。
帰還命令も、すでに通達されていた。
だが――サポート隊は、誰かの指示を受けるわけでなく、想いは繋がっていた。
通信回線越しに交わされた短い状況共有だけで、判断は即座に揃う。四機のアメノウズメと十六基のスサノヲが、自然な流れで隊列を組み替え、本隊の進路へと合流していく。
目的は一つだった。卵を回収した本隊を、《暁》へ帰還させること。
それは、命令ではない。義務でもない。ただ、戦場に立つ者としての選択だった。
ここから先は、帰路だ。だが、安全が保証された道ではない。
比較的消耗の軽い機体が前へ出る。無言のまま、しかし迷いなく、布陣が組み替えられる。
ヴァンガード隊とイージス隊を中心に。四方を囲むように、サポート隊が展開する。護衛陣形。ここから先は、彼らが壁になる。
進路上に、蟻型サーヴィターが現れる。節足を鳴らし、地面を這う影。
だが、接敵は一瞬だった。
サポート隊のスサノヲが前に出て、確実に切り伏せる。続いて現れた蟷螂型サーヴィターさえも、同様に排除される。
危なげはない。そして、歩みは揺るがず、止まらない。
やがて――視界の先に、水平線が開けた。
沖合に停泊する《暁》へと続く、仮設フロート橋。その先端に差し込む光が、色を変え始めている。
日が、傾いていた。白化した大地が、夕暮れの光を受けて淡く染まる。冷たい白は、いつの間にか、柔らかな橙と紫を帯びている。
空は低く、雲の縁が燃えるように照らされていた。
沈みゆく太陽が、海面に長い光の道を描き、フロート橋の構造材を黄金色に縁取っていく。
機体の装甲に付いた傷が、その光を反射する。戦闘の痕跡すら、一瞬だけ、美しく見えてしまうほどだった。
誰も、その景色を言葉にしない。ただ、確かにそこにある帰還を、黙って受け止めていた。
アメノウズメは、フロート橋へと進入する。波に揺れる感触が、クローラー越しに伝わってくる。
海面を渡る風は澄みきっている。内部の湿った空気とは、あまりにも違う。
あの暗赤色の胎内の匂いは、もうない。あるのは、塩と冷気だけだ。
季節は、まだここにある。それだけで、胸の奥がわずかに緩む。
背後に、追ってくる影はない。戦場は、もう、遠い。
海から吹き上げる風は、まだ冷たい。白化した大地は夕光を受けて色を変えていたが、その冷えだけは変わらない。
戦場の熱と血の匂いが遠のくほど、外界の温度が、静かに意識へ戻ってくる。
それは、生きて帰ってきた者だけが感じる冷たさだった。
それでも――失われたものだけは、決して置き去りにはならない。
美桜のすすり泣きは、いつの間にか、静かな嗚咽へと変わっていた。
夕暮れの中で、その音だけが、ひどくはっきりと残っていた。
その頃――
《暁》の操舵室では、本来、艦長が座るべき中央の席に、基地司令・小田桐が腰を下ろしていた。
操舵室における艦長席は艦の中枢であり、他の区画よりも一段低く設計されている。
おびただしい数の計器が、その席を囲み、航行情報、外部索敵、部隊状況が絶え間なく更新され続けていた。
その光の中で、小田桐は静かに前方を見据えている。
足音が近づいた。
艦長が操舵室中央へ進み出て、小田桐に一礼する。その手には、湯気の立つコーヒーカップがあった。
「基地司令。本隊が、ただ今帰還したとの報告が入りました」
淡々とした報告が続く。
「本隊、アメノウズメ三機、スサノヲ十二機のうち――帰還したのは、アメノウズメ二機、スサノヲ三機です。……人的被害は五名。ご遺体の確認はできておりませんが、間違いないかと思われます」
艦長は、わずかに言葉を切った。
「サポート隊は、アメノウズメ四機、スサノヲ十六機。いずれも損傷は軽微。即応可能な状態です」
報告を終えた艦長は、小田桐の隣へ一歩近づく。そこで、気づいた。
小田桐の右目が、薄く、ほのかに発光している。艦長は視線を外さず、静かに口を開いた。
「司令……」
手にしていたコーヒーを、そっと差し出す。
「こちらを。司令のためにお淹れさせていただきました」
小田桐は、一瞬だけ驚いたように艦長を見る。そして、ゆっくりとカップを受け取った。
「……すまないな」
艦長は軽く首を振る。
「部隊も帰還しました。そろそろ、お休みになられてはいかがでしょうか」
言葉を選びながら、続ける。
「今日は、その……目の能力を、ほとんど休みなく使っておられたように見えました」
小田桐は、カップを手にしたまま、眼鏡を外す。目頭を指で押さえ、深く息を吐いた。
「艦長……感謝する」
コーヒーの温もりが、指先に伝わる。
「だがな……」
小田桐は、目を閉じたまま言った。
「私がこの地位にあるのは、この能力を使ってカルナに対抗せよ――そう国が判断したからだ」
艦長はそれ以上踏み込まず、静かに一歩引いて、その言葉を待った。
「私の力で、部隊の被害を一人でも防げるのであれば……私は、喜んでこの能力を使おう」
それは使命というより、すでに背負うと決めた責務だった。小田桐は、静かに続ける。
「それに……」
わずかな間。
「元主治医の立場としては、な。元患者の経過というものが、どうしても気になる」
艦長は、わずかに眉を動かす。
「元患者……と、申しますと?」
小田桐は、コーヒーを一口だけ口に含み、眼鏡をかけ直した。
「いや、何でもない」
それ以上語るつもりはない、と示す声音だった。
「艦長、君の言う通りだ。少し、休ませてもらうよ」
艦長は深く一礼する。
「了解しました。司令」
そして静かに踵を返し、操舵室を後にした。再び、操舵室には小田桐一人が残される。計器の光と、コーヒーの微かな香り。
厚い装甲と隔壁に守られているはずの操舵室にも、外の冷えはわずかに残っている。コーヒーの湯気は、白く細く立ち上った。
冬の海は静かだ。
それでも、戦場を越えてきた船体は、まだ微かな振動を内に抱えている。
小田桐は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……美咲」
小田桐は、カップの縁に親指をかけたまま、しばし動かなかった。
「君の望みは、叶えた」
カップを持つ手が、わずかに止まる。
「これで……良かったんだよな」
その言葉は、記録にも、通信にも残らない。司令一人だけの、静かな独白だった。
やがて、準備を終えた《暁》は、夕闇へ向けて進み始める。戦場を背に、次の夜へ――。それでも、戻らないものだけが、確かにそこに残っていた。




