第20話 動かない夜
与島基地への帰投は、淡々と進められた。
外気は乾ききっている。開放区画を抜けるたび、白い息がかすかに広がり、すぐに消えていった。
本隊およびサポート隊、全機に対する指示は簡潔だった。
部隊ごとにまとまって所定位置へ格納。
その後、直ちに身体を休めること。
命令に、感情は含まれていない。
ハンガー内に、機体誘導灯が順に点る。
まず、サポート隊が呼ばれた。
指定された番号とコールサインが、機械的に読み上げられていく。
続いて、イージス隊。
そして最後に、ヴァンガード隊。
――キルシュの名は、なかった。
誰も口にはしない。
ただ、空気だけが、わずかに重くなる。
全機が格納を終え、ハンガーのシャッターが閉じられる。
外界の音が遮断され、広い空間に残るのは、冷却音の名残と、微かな反響音だけだった。
それでも、扉が閉まる直前に入り込んだ冷気が、足元にわずかに残っている。
アメノウズメの操縦席で、美桜は動けずにいた。
ハーネスを外すこともできず、ただ前を向いたまま、肩を震わせている。
泣き声は抑えられていたが、嗚咽は止まらない。
ヴァンガード隊の面々は、誰一人として席を立たなかった。
ニックは何度か口を開きかけて、結局何も言えずに閉じる。
藤堂も、しばらくは沈黙を保っていた。
慰めの言葉を探しているのは分かる。
だが、どれもここでは軽すぎる。
あるいは、重すぎる。
やがて、藤堂が小さく息を吐いた。
「……五年前まで、俺は会社員だった」
唐突な切り出しだった。
美桜の反応はない。それでも、藤堂は続ける。
「造船所で設計をやってた。
仕事は嫌いじゃなかったが……まあ、毎日帰りは遅くてな。
身を削る、って言葉がそのまま当てはまる生活だった」
誰に向けているのか、分からない語りだった。
「妻と出会って、子どもができて……
こう見えて信じられないかもしれないが、親バカでな。
息子が可愛くて仕方がなかった」
藤堂の声は、淡々としている。
だが、どこか、慎重だった。
「なかなか会える時間は作れなかった。
だからこそ、会える時間は……
何にも代えがたい宝物だった」
一拍、間が空く。
「家のことは、全部妻に任せきりだった。
今思えば……よく、こんな俺についてきてくれたと思う」
その言葉に、後悔が滲む。
「俺には勿体ないくらい、出来すぎた家族だった
……そんな時だったんだ」
藤堂は、少しだけ視線を落とした。
「カルナが、落下したのは」
その言葉で、空気がわずかに張りつめる。
「その日も、俺は早く帰れなかった。
やっと仕事に一区切りつけて、車を走らせてた」
淡々とした語り口だった。
「そしたらな……
突然、頭上に大きな光が現れた。
それが、進行方向をなぞるみたいに落ちていって……」
一瞬、言葉が途切れる。
「家のほうが、光に包まれるのが見えた」
誰も、口を挟まない。
「そのあと、俺が見たのは――
家があった場所には、もう何もなかった」
短く、息を吸う。
「妻も、息子も。
まるで……最初から、何もなかったみたいにな」
その声には、怒りも嘆きもなかった。
ただ、事実を述べているだけだった。
「俺は、その時から……
全部、どうでもよくなった」
少しだけ、苦笑する。
「仕事を辞めた。
カルナは憎かったが……どうすればいいか、分からなかった」
沈黙。
「そんな折だ。
俺は、親友に助けられた」
藤堂は、視線を横に流す。
「当時から、あいつは医者なんかやってる……
俺とは違ってな。
今じゃ、どこぞの基地司令をやってる……
まあ、出来すぎたやつだ」
一拍。
「そいつが、俺に力をくれた。
カルナと戦う力を」
言葉を選ぶように、続ける。
「そこまで……一年半くらい、かかったかな。
済まない。話の整理ができてなくてな」
そう前置きしてから、藤堂は真っ直ぐ前を見た。
「ただ……
さっきの戦いで、俺は迷った」
美桜のほうを見ることはしない。
「百足型から逃げる時だ。
イージス隊に対する甘えがあった。
サイクロプスが引き受けるべきかどうか……判断が遅れた」
低く、吐き出すように言う。
「美桜。
お前の判断のほうが、早かった」
少しだけ、声に力がこもる。
「結果として、ヴァンガード隊は……
誰一人、死なずに済んだ」
それは事実だった。
重いが、揺るがない事実。
「だからな」
藤堂は、はっきりと言った。
「俺たちは、恩がある。
そして――
お前は、甘えていい」
初めて、美桜のほうを向く。
「俺たちに。
必要なら、何でも言ってくれ」
一拍。
「それは……
ここにいるヴァンガード隊全員の、総意だと思ってる」
誰も否定しない。
誰も、うなずきもしない。
だが、その沈黙は、確かに肯定だった。
しばらく、誰も動かなかった。
ハンガー内に、機体の冷却が完全に終わる音が、遅れて響く。
それは、任務が終わったことを示す合図のはずだった。
だが、美桜は、まだそこに留まっている。
肩を震わせる動きは小さくなったが、嗚咽は止まらない。
涙は拭われることなく、ヘッドギアの内側に落ちていく。
「……」
美桜は、何か言おうとして、結局、声を出せなかった。
言葉にしようとした瞬間、喉の奥で、それが壊れてしまい、それ以上紡ぐことができなかったからだ。
加納が、ゆっくりとハーネスを外す。
立ち上がらない。
ただ、わずかに体勢を崩して、美桜の方に体を向ける。
「……急がなくていい」
短くそう言った。
それ以上、続けるつもりはない声だった。
慰めにならないことを、分かっている声音だった。
藤堂も、何も続けなかった。
言うべきことは、もう言った。
それ以上は、踏み込めない。
沈黙が、再び広がる。
だが、それは、先ほどまでの沈黙とは違っていた。
責めるものでも、逃げるものでもない。
ただ、そこに「一緒にいる」ための時間だった。
やがて、美桜の呼吸が、ほんのわずかに変わる。
泣き止んだわけではない。
嗚咽も、まだ残っている。
それでも――
胸の上下が、ほんの少しだけ、整い始めていた。
美桜は、俯いたまま、かすれた声を絞り出す。
「……すみません」
それは、謝罪ではなかった。
癖のように、零れ落ちただけの言葉だった。
「何も……謝ることやあらへんで」
ニックが、即座に返す。
強くも、優しくもない。
当たり前のことを、そのまま言う口調だった。
「……それでいい」
佐伯が、静かに言った。
「泣くなとも、立てとも言わん。
今日は、ここまででいい」
一拍。
「時間は、こちらで引き受ける。
お前は……今は、ここにいろ」
美桜は、それ以上、何も言えなかった。
だが、その言葉に、否定もできなかった。
ハンガーの奥、
灯りの落ちた格納スペースが、静かに残っている。
そこに、機体はない。
ここに、それを駆っていた者がいる。
誰も、その方向を見ない。
だが、誰も忘れてもいない。
ヴァンガード隊は、まだ動かない。
命令があるまで。
あるいは――
美桜が、動けるようになるまで。
与島基地の夜は、静かに更けていく。
海から吹き上げる風は冷え切っており、灯りの外に出れば指先の感覚はすぐに奪われるだろう。
戦いは終わった。
だが、失われたものは、まだ胸の内にある。
それを抱えたまま、
彼らは、次の時間へ進む準備をしていた。




