第19話 帰路
三機のスサノヲが、自然と周囲を固める。
前方、左右、後方。
盾を構え、サーベルを下げ、センサーを張り巡らせたまま、一定距離を保って歩調を合わせる。
その中心を、二隊のアメノウズメが進んでいた。
速度は抑えられている。
追撃の気配はないが、誰も油断はしていない。
戦闘が終わったからではなく、終わったはずの戦闘が、まだ背中に貼りついているかのようだった。
ヴァンガード隊のアメノウズメの内部――
操縦区画の静寂を、かすかな音が破っていた。
すすり泣き。
抑えきれず、呼吸の合間に漏れ出る、短く震えた音。
ヘッドギア越しに、美桜の肩が小さく揺れているのが分かる。
誰も、言葉を発しなかった。
ニックは、いつもの軽口を探すことすらしない。
喉元まで何かがせり上がってきて、それ以上を押し出す余裕がなかった。
藤堂も、視線を前方に固定したまま、何も言わない。
慰めは、今ここで口にする言葉が思いつかなかった。
アメノウズメの駆動音だけが、淡々と続く。
やがて――
敷設していたアンテナが視界に入った。
その周囲に、待機していた影がある。
四機のアメノウズメ。
十六基のスサノヲ。
サポート隊だった。
本隊が目的を達成したという報告が届いた時点で、サポート隊の任務はすでに完了していた。
彼らに与えられていた任務は、アンテナを死守し、指示系統を保持し続けること。
本隊が任務を終えた瞬間、その役目は果たされている。
帰還命令も、すでに通達されていた。
だが――
サポート隊は、誰かの指示を受けるわけでなく、想いは繋がっていた。
通信回線越しに交わされた短い状況共有だけで、判断は即座に揃う。
四機のアメノウズメと十六基のスサノヲが、自然な流れで隊列を組み替え、本隊の進路へと合流していく。
目的は一つだった。
卵を回収した本隊を、《暁》へ帰還させること。
命令ではない。
義務でもない。
ただ、戦場に立つ者としての選択だった。
ここから先は、帰路だ。
だが、安全が保証された道ではない。
比較的消耗の軽い機体が前へ出る。
無言のまま、しかし迷いなく、布陣が組み替えられる。
ヴァンガード隊とイージス隊を中心に。
四方を囲むように、サポート隊が展開する。
護衛陣形。
ここから先は、彼らが壁になる。
進路上に、蟻型サーヴィターが現れる。
節足を鳴らし、地面を這う影。
だが、接敵は一瞬だった。
サポート隊のスサノヲが前に出て、確実に切り伏せる。
続いて現れた蟷螂型サーヴィターさえも、同様に排除される。
危なげはない。
それでも、歩みは止まらない。
やがて――
視界の先に、水平線が開けた。
沖合に停泊する《暁》へと続く、仮設フロート橋。
その先端に差し込む光が、色を変え始めている。
日が、傾いていた。
白化した大地が、夕暮れの光を受けて淡く染まる。
冷たい白は、いつの間にか、柔らかな橙と紫を帯びている。
空は低く、雲の縁が燃えるように照らされていた。
沈みゆく太陽が、海面に長い光の道を描き、フロート橋の構造材を黄金色に縁取っていく。
機体の装甲に付いた傷が、その光を反射する。
戦闘の痕跡すら、一瞬だけ、美しく見えてしまうほどだった。
誰も、その景色を言葉にしない。
ただ、確かにそこにある「帰還」を、黙って受け止めていた。
アメノウズメは、フロート橋へと進入する。
波に揺れる感触が、クローラー越しに伝わってくる。
海面を渡る風は澄みきっている。
内部の湿った空気とは、あまりにも違う。
あの暗赤色の胎内の匂いは、もうない。
あるのは、塩と冷気だけだ。
季節は、まだここにある。
それだけで、胸の奥がわずかに緩む。
背後に、追ってくる影はない。
戦場は、もう、遠い。
海から吹き上げる風は、まだ冷たい。
白化した大地は夕光を受けて色を変えていたが、
その冷えだけは変わらない。
戦場の熱と血の匂いが遠のくほど、
外界の温度が、静かに意識へ戻ってくる。
それは、生きて帰ってきた者だけが感じる冷たさだった。
それでも――
失われたものだけは、決して置き去りにはならない。
美桜のすすり泣きは、いつの間にか、静かな嗚咽へと変わっていた。
夕暮れの中で、その音だけが、ひどくはっきりと残っていた。
◆◇◆◇◆
《暁》の操舵室。
本来、艦長が座るべき中央の席には、基地司令・小田桐が腰を下ろしていた。
操舵室における艦長席は艦の中枢であり、他の区画よりも一段低く設計されている。
囲うように配置されたおびただしい数の計器が、その席を囲み、航行情報、外部索敵、部隊状況が絶え間なく更新され続けていた。
その光の中で、小田桐は静かに前方を見据えている。
足音が近づいた。
艦長が操舵室中央へ進み出て、一礼する。
その手には、湯気の立つコーヒーカップがあった。
「基地司令。本隊が、ただ今帰還したとの報告が入りました」
淡々とした報告が続く。
「本隊、アメノウズメ三機、スサノヲ十二機のうち――
帰還したのは、アメノウズメ二機、スサノヲ三機です。
……人的被害は五名。
ご遺体の確認はできておりませんが、間違いないかと思われます」
一拍。
「サポート隊は、アメノウズメ四機、スサノヲ十六機。
いずれも損傷は軽微。即応可能な状態です」
報告を終えた艦長は、小田桐の隣へ一歩近づく。
そこで、気づいた。
小田桐の右目が、薄く、ほのかに発光している。
艦長は視線を外さず、静かに口を開いた。
「司令……」
手にしていたコーヒーを、そっと差し出す。
「こちらを。司令のためにお淹れさせていただきました」
小田桐は、一瞬だけ驚いたように艦長を見る。
そして、ゆっくりとカップを受け取った。
「……すまないな」
艦長は軽く首を振る。
「部隊も帰還しました。
そろそろ、お休みになられてはいかがでしょうか」
言葉を選びながら、続ける。
「今日は、その……目の能力を、ほとんど休みなく使っておられたように見えました」
小田桐は、カップを手にしたまま、眼鏡を外す。
目頭を指で押さえ、深く息を吐いた。
「艦長……感謝する」
コーヒーの温もりが、指先に伝わる。
「だがな……」
小田桐は、目を閉じたまま言った。
「私がこの地位にあるのは、
この能力を使ってカルナに対抗せよ――
そう国が判断したからだ」
艦長はそれ以上踏み込まず、静かに一歩引いて、その言葉を待った。
「私の力で、部隊の被害を一人でも防げるのであれば……
私は、喜んでこの能力を使おう」
それは使命というより、すでに背負うと決めた責務だった。
小田桐は、静かに続ける。
「それに……」
わずかな間。
「元主治医の立場としては、な。
元患者の経過というものが、どうしても気になる」
艦長は、わずかに眉を動かす。
「元患者……と、申しますと?」
小田桐は、コーヒーを一口だけ口に含み、眼鏡をかけ直した。
「いや、何でもない」
それ以上語るつもりはない、と示す声音だった。
「艦長の言う通りだ。
少し、休ませてもらうよ」
艦長は深く一礼する。
「了解しました。司令」
そして静かに踵を返し、操舵室を後にした。
再び、操舵室には小田桐一人が残される。
計器の光と、コーヒーの微かな香り。
厚い装甲と隔壁に守られているはずの操舵室にも、
外の冷えはわずかに残っている。
コーヒーの湯気は、白く細く立ち上った。
冬の海は静かだ。
それでも、戦場を越えてきた船体は、
まだ微かな振動を内に抱えている。
小田桐は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……美咲」
小田桐は、カップの縁に親指をかけたまま、しばし動かなかった。
「君の望みは、叶えた」
カップを持つ手が、わずかに止まる。
「これで……良かったんだよな」
その言葉は、記録にも、通信にも残らない。
司令一人だけの、静かな独白だった。
《暁》は、夕闇へ向けて進み続ける。
戦場を背に、次の夜へ――。




