第16話 飲み込まれる
通信が開いたままの回線に、低く落ち着いた小田桐の声が流れ込んだ。
『こちら《暁》、小田桐だ。ヴァンガード隊、イージス隊、よくやった』
その一言だけで、装甲の内側に満ちていた空気が、引き締まる。
評価でも賞賛でもない。ただ事実を確認するような声音だったが、それでも十分だった。
『これより先は、ヴァンガード隊のアメノウズメをアンテナと有線接続した状態で進軍する。イージス隊はアメノウズメより短距離無線で接続。通信は常に開いた状態にしておくように』
淡々とした指示が続く。だが、その一語一語の裏には、これから踏み込む領域がどれほど不安定で、どれほど危険であるかが滲んでいた。
『通信ケーブルについてはサポート隊から受け取り、順次接続せよ。アンテナまでの通信環境は、サポート隊のスサノヲに分散させて警備に当たらせる』
佐伯は間を置かず応じる。
「了解」
ヴァンガード隊のアメノウズメが、ゆっくりと前へ出る。サポート隊機の隣へと寄せられ、距離が詰まった瞬間、背面ハッチが油圧音とともに開いた。
その動きに呼応するように、サイクロプスが一歩前へ出る。
両腕で受け取ったのは、ロール状に巻かれた太い通信ケーブルだった。外装はカルナイト製。重量はあるが、その質量そのものが信頼性を主張しているかのようだった。
藤堂は無言のままケーブルを運び、端子を確認した。
一端をアンテナ基部へ、もう一端をアメノウズメの通信ポートへと接続する。
低い接続音が響き、次の瞬間には各機の計器表示が更新され、有線接続を示すインジケーターが安定して点灯した。
『確認した』
小田桐の声が、間を置かず続く。
『それでは移動を開始する。目標地点、座標を送信する』
コンソールに新たな進路データが展開される。それは、カルナ・フロラの中心域へと真っ直ぐに伸びる、一本の線だった。
『ヴァンガード隊、イージス隊両隊。敵を殲滅しつつ、前進せよ』
「了解」
佐伯の応答と同時に、隊列が動き出す。
先行するのはイージス隊。その後方を、通信ケーブルを大地へと引きながら、ヴァンガード隊のアメノウズメが続いた。
ケーブルは白化した地表を擦りながら這い、乾いた摩擦音を響かせつつ、一本の黒い線として後方へと伸びていく。それはまるで、後退を許されない進軍の軌跡を、大地そのものに刻み込んでいくかのようだった。
進行方向の先――砂塵の向こうに、巨大な影がゆっくりと輪郭を結び始める。
カルナ・フロラ
それは、塔だった。
植物という言葉を拒絶する、汚濁した生命の巨塔。赤黒く変質した肉質の構造体が、死に覆われた大地の中央に、異物として屹立している。
近づくにつれ、その異様さは、単なる《《巨大構造物》》という認識を拒んだ。幹は《《樹木の形》》をしていない。
無数の巨大な血管と筋束が絡み合い、無理やり《《柱》》という形へと凝固した《《肉塊》》だった。
どろりと濁った暗赤色の表皮は、粘性を帯びた光沢をまといながら幾層にも重なり合い、わずかに脈動している。臓器が外界に露出したまま直立している――そんな錯覚が、視界に貼りつくように離れない。
その基部を、無数の蟻型サーヴィターが取り囲んでいた。
体長五メートル級の黒い個体群が地表を埋め尽くし、硬質な外殻を擦り合わせながら、一定の秩序で塔の周囲を循環している。
それは、防衛線というより――血流。塔という器官を巡る、流動する一部だった。
「……でかいな」
佐伯の低い呟きが、装甲車の内に落ちた。
美桜は、カルナ・フロラを見上げた。スサノヲのアイカメラ越しでも、その巨体は視界を押し潰すように広がっている。
塔の周囲には、さらに小型のカルナ・フロラが群生していた。
幹とも触手ともつかない構造が地表に食い込み、白化した大地を侵食しながら、じわじわと覆い尽くしている。
そこかしこに、スサノヲが通行可能なほどの穴が穿たれていた。
それは偶然の崩落ではない。内部へと誘い込むために、意図的に形成された通路のように見えた。
だが二隊は、それらに目もくれない。
進路はただ一つ、小田桐が示した座標のみ。
そのとき、低く重い音が空気を震わせた。
――ドクン。
カルナ・フロラの内部から伝わる鼓動。その生体反応に呼応するように、地表の蟻型サーヴィターが一斉に動きを止める。
次の瞬間、すべてが同じ方向――塔の中枢へと向き直った。
同時に、赤黒い幹の内部を巨大な光がせり上がる。血液が内側から押し上げられるように逆流し、中心から上方へと駆け上がっていく。
塔全体が、鮮血めいた赤に激しく発光した。
「……来るぞ」
砂を蹴り上げ、蟻型サーヴィターが前方から殺到する。続いて、刃のような前脚を振り上げた蟷螂型が躍り出た。
だが、展開は早い。
イージス隊が正面で受け止め、ヴァンガード隊が確実に仕留める。側面に回り込もうとした個体は、別方向から即座に叩き潰された。
通信は切れない。指示は遅れない。有線で繋がれた確かな回線が、二隊の動きを一つの意思のように束ねていた。戦闘を重ねるごとに連携は研ぎ澄まされ、目立った損傷も致命的な被害も出ていない。
そして――確実に、カルナ・フロラは近づいてくる。
空気が粘りつくように重くなり、装甲越しにも鈍い圧が伝わってくる。
焦げた肉と鉄錆を混ぜたような異臭が、密閉されているはずの機体の内側へ滲み込んでくるように感じられ、環境センサーに警告を灯した。
その中心部――まだ姿を現さない《《核心》》へ向けて、二隊は無言のまま前進を続ける。
やがて、佐伯の声が静かに回線へ乗った。
「ヴァンガード隊、イージス隊各位。もうすぐ到着だ。十二時の方向。距離、約百メートル」
その先――
カルナ・フロラの巨大な幹へと向かって、白化した大地が大きく抉られているのが見えた。穿たれた穴は、単なる陥没ではない。
縁は滑らかに削られ、内壁は白化した地表よりも濃い灰色を帯び、ガラス質のような鈍い光沢を放ちながら、地中深くへと続いている。
大きさは十分だった。アメノウズメの両端に、スサノヲがそれぞれ立ってもなお余裕がある。
車体ごと、兵器ごと、抵抗すら許さずに飲み込むために用意された、まるで、生きた喉のようだった。
空気が、さらに重くなる。
「スサノヲ全機。これ以降の戦闘は、狭い穴の中になる。長柄の武器は不利だ。小型武器に持ち替えろ」
一拍も置かず、応答が重なる。
「了解や」
「了解だ」
「了解した」
「了解です」
短く、即断の声。覚悟は、すでに共有されていた。
藤堂のサイクロプスが、アメノウズメ側面のハッチへと向かう。装甲がスライドして開き、武器収納用のハッチが開く。
サイクロプスは長刀をその中に格納し、代わりに、サーベルを右手に取る。左手には、小型のシールド。
取り回しを優先した、近接戦闘仕様。
刃を一度、軽く振る。
空気を切る感触に、違和感はない。
続いて、美桜のスサノヲも装備を切り替える。大盾を背面格納庫の中へと戻し、小型の盾へ。狭所での取り回しを考えれば、当然の選択だった。
隊列が、自然と再編される。
穴の奥から、かすかな振動が絶え間なく伝わってくる。鼓動か、あるいは――呼吸。地面を通して伝わってくる、鈍く重い振動。
佐伯が、低く告げる。
「侵入準備。――行くぞ」
二隊のアメノウズメが、スサノヲを引き連れ、無言で前進を開始する。白い地表を踏み越え、暗黒の縁へ。
光の届かない深部へと、ゆっくりと飲み込まれていった。
――ここが、カルナの内側。
美桜は息を詰めた。スサノヲのセンサー越しに流れ込んでくる脈動と圧が、外で見ていたものとはまるで違う。
逃げ場がない。
(……咲ちゃんを目覚めさせるために、カルナを視る。そして、知る)
そのための場所に、今、自分は立っている。
穴倉の内部は、想像以上に複雑だった。通路は一定の形を保っていない。白化した大地に穿たれた巨大な穴が、そのまま奥へと続いていた。
地中を貫く空洞の縁に沿うように、暗赤色の肉塊が浮き出している。
ところどころでそれは大きく盛り上がり、あるいは垂れ下がり、まるで地下に存在する本体の一部が、裂け目から押し出されてきたかのようだった。
穴は幾重にも枝分かれし、合流を繰り返しながら奥へ奥へと続いている。
壁面に覗く根の肉質は完全に固着しているわけではなく、湿り気を帯びて鈍く光りながら、わずかに弛んでいるようにも見えた。内部では脈動が続き、場所によっては押し広げられるように、ゆっくりと形を変えている。
ときおり、深部から低い振動が伝わり、そのたびに肉塊が呼応するように収縮した。
佐伯は前方を見据えたまま、口を開いた。
「分岐が多いな……」
即座に応答が返る。
『次の分岐、右だ』
小田桐の声は、淡々としていた。確認も、逡巡もない。
隊列は迷いなく右へ進路を取る。
直進方向は一見して広く、進みやすそうに見えたが、その選択肢は最初から除外されているかのようだった。
ほどなく、左側の通路の奥から、蟻型サーヴィターが姿を現す。複数。だが、進路を外れている。
(……カルナ・サーヴィターの配置を把握しているようだ)
佐伯はそれだけを理解する。分岐は何度も現れた。
『直進』
『次、左』
指示は短く、的確だった。まるで、あらかじめ定められた線を、そのままなぞっているような進行。
完全に接触を避けられるわけではない。
天井の割れ目から、蟻型サーヴィターが一体、落ちてくる。続いて、側壁を破って、もう一体。
だが、戦闘は短い。
イージス隊が進路を押さえ、ヴァンガード隊が確実に仕留める。深追いはしない。 進行を妨げる個体だけを排除し、即座に前進を再開する。
通路は、さらに狭くなっていく。天井が低く、左右の壁が迫る。
『もう少しだ。この先が、本作戦の最終目的地だ』
それ以上の説明はない。だが、その一言で十分だった。
通路の先が、わずかに開ける。暗赤色の空間の向こうに、さらに深い区画が口を開けている。
湿り気を帯びた空気が装甲越しにまとわりつくように感じられる中、カルナ・フロラの内部――その核心へ向けて、二隊は黙々と前進を続けた。




